本を読むシンシア

 三人が教会に着くと、白い僧服をまとった男たちが出迎えた。

「本はちゃんと渡してあるな」

 ネフティスの言葉に僧服の男たちがうなずく。

「全ておおせのままに用意してあります。鏡もとりはずしました。シンシアは本に没頭しています」

「よろしい。では、ご挨拶にうかがうとしよう」

 ネフティスはそう言うと、教会の尖塔に入る。僧侶と秘書官たちは中へは入らず、手前で立ち止まった。

 がらんとした礼拝堂を抜けたネフティスは、廊下の突き当たりにある部屋の扉をノックする。返事はないが、かまわず中に入る。窓も鏡も絵もない白い部屋の寝台に、相手の女は横たわっていた。最強の魔族の最後の生き残りだ。

「いただいた本を読み終えました。今回も素敵なお話でした。ありがとうございます。お姉さま」

 女は寝台から半身を起こす。やつれてはいるが、恐ろしいほどの美貌だ。ネフティスはしばしその顔に見入る。幸福にするには惜しい、とつくづく思う。

「そうかい。それはよかった」

 ネフティスは微笑みもせずに答え、壁の書棚に目を向ける。

「これで十冊目だね。一年に一冊。十年間、お前の人生を彩ってきた」

 ネフティスの言葉に女はうなずく。

「身体が弱く、ずっと寝たきりだった私にとって、お姉さまのくださる本は救いでした。全ての物語は私の経験したこともない人生で、しかもハッピーエンド。私はこの小さいな部屋の中で、さまざまな人生を経験することができました」

 ネフティスはその書棚から本を一冊抜いて開く。中は真っ白な頁ばかりだ。

「読んだ頁は全て白紙になり、読んだ者の記憶にだけ留まる。私だけの物語」

 女は楽しげにつぶやく。

「そうだ。しかも本は全て本当の人間の記憶から切り取って作ったものだ。本屋に記憶を売った者は売った分の記憶を失う。そして読んだ者に記憶が移る。お前だけの記憶だ。文字通りお前は十人の人生を生きたようなものさ」

 ネフティスは本を閉じた。

「でも、時々思うのです。こんな素敵な人生を送った人がなぜ記憶を売らなければならなかったのかって」

「ハッピーエンドの続きが知りたいのかい? つまらない話だよ。生きていればいろいろある。お金が入り用になって記憶を売ったんだ。でも、そんなことは問題にならない。だって、みんな今でも幸福だから過去の幸福の記憶を失っても問題ないのさ」

 ネフティスの言葉を聞いて女は安堵の息をもらした。

「ああ、よかった。安心しました。みんな幸福なのですね」

「今のお前と同じさ。みんな、幸福だ」

 ネフティスと女は顔を見合わせた。女は至福の笑みを浮かべた。


「終わった」

 ネフティスが教会を出ると、音もなく建物が灰燼に帰した。待っていた秘書官と僧服の男たちは目を見張る。

「お前らの仕事は終わった。元の教区に戻れ。おつかれさん」

「は、はい」

 僧侶はわけのわからない顔のまま、そそくさと立ち去っていった。

「ほら、この本を焼いておけ」

 ネフティスは無造作に十冊の本を秘書官に渡した。

「結局、この本はなんだったんです? それにあの僧侶たちも……。昨晩、急に教会を作ったり、僧侶を集めたりしたので、なにごとかと思いました」

「演出だよ。昨日、やっと偉大なる魔道士ジギタリスの孫娘シンシアを見つけた。まだ十二歳だったが、恐ろしい力を秘めていたので、祟る危険があったんだ。教会を作って幽閉し、ニセの記憶を植え付けた。寝たきりの老婆だってな。もちろんあいつは本なんか一冊も読んじゃいない。ただそう思い込んでいただけさ。おかげで幸福に消滅できた」

「全てが幻だったと?」

「そうだよ。本は最初から全部真っ白だったろ? そもそもあいつに会ったのは昨日が初めてさ。あいつは寝たきりなんかじゃなかったし、正面から戦えば大惨事になっていただろうね」

「えっと、まだよくのみ込めていません」

「いいから、式典へ急げ。時間がないだろう」

「は、はい」

 ふたりはあわてて絨毯を広げ、三人の姿はかき消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る