第189話 桜



1部のアニメ配信中から2部のアニメ化を熱望する声が大きくなり、みんなと話し合った結果、2部の配信も決まったんだけど、スケジュールのせいですぐに制作作業に取り掛かることが出来ず、しばらく間を開けてからの制作作業となっていた。


1部配信時、クレジットに会社名を入れたせいか、仕事の依頼が殺到するとともに、入社希望者が後を絶たず、社員数も倍になり、完全に二つの部署に分かれていた。


通常業務はユウゴに任せっきりになり、俺はアニメ制作をメインでみることに。


第2作業場にあるアニメ制作部は、ユウゴが俺を気遣ってくれたおかげで、男ばかりが揃っていた。



やっとの思いで2部のアニメ制作業務を午前中に終え、第2作業場でダラダラと話していると、大介が「社長、今日はもう帰っていいんじゃない?」と、切り出してくる。


「隣が残ってるだろ?」


ため息交じりに言うと、勇樹が「ああ。 副社長、『明日は桜祭りだから今日中に終わらせる』って気合十分だったもんな。 またベロベロに酔って嫁さんに激怒されんじゃね?」と、笑いながら切り出した。


するとケイスケが「あそこは鬼嫁だからなぁ。 うちと違ってさぁ」と、笑いながら手を動かす。


それと同時にドアが開き、ユウゴが「疲れた~」と言いながら椅子に座った後「あ、けいこが来月から育休明けるって。 さっき電話あった」と切り出してきた。


「ん。 わかった」


そう言いながらデスクの引き出しを開け、書類を探していると、作業場のドアが少しだけ開き、すぐに閉まっていた。


思わず手を止め、じっとドアのほうを見ていると、ドアは再度少しだけ開き、またすぐに閉じてしまう。


勇樹がそれを見て「え? ポルターガイスト?」と切り出し、誰もが言葉を飲んでいた。


ピーンと張り詰めた空気の中、ゆっくりとドアが開くと、ユウゴが「まさか… 美香が化けた?」と、小声で呟くように言い切る。


その瞬間、ドアが大きく開き「パパー」と叫びながら、ドーナツの箱を抱えた小さい男の子が駆け寄ってきた。


それと同時に「勝手に殺すな」と言う美香の声が聞こえ、幼い子どもを抱いた美香が姿を現した。


「あれ? 拓斗、どうした?」


そう言いながら、駆け寄ってきた拓斗を抱き上げる。


「かほとママのおいしゃさんいって、ママにドーナツかってもらったんだ」


拓斗が無邪気な笑顔でドーナツの箱を差し出すと、美香が「みんなで食べてくださいでしょ?」と注意してくる。


「定期健診?」


「そそ。 拓斗、糖尿目前のゆってぃおじさんがドーナツ待ってるよ?」


美香がそう声をかけると、拓斗はユウゴの元に行き「ひとりでぜんぶたべちゃだめだよ。 みんなのだからね」と声をかける。


ユウゴは「わーってるよ」と言いながら、拓斗の頭をクシャクシャと撫でた後、早速ドーナツの箱を開けていた。


「拓斗も食っていくか?」


「おうちでたべる~」


拓斗は元気にそう言い切ると、美香の元に駆け出し「はやくかえろ~」と言い始めた。


美香は香穂を抱きながら「お邪魔しました~」と言い、拓斗と手を繋いで作業場を後に。


慌てて美香に駆け寄り、拓斗を抱きかかえ、階段を下りた後に切り出した。


「体調どう?」


「かなりいいよ。 拓斗の時は本当にやばかったけど、香穂の時はつわりもなかったしね。 産後の経過も良好だし、香穂も異常なしって」


美香はそう言いながら香穂をベビーカーに乗せた。


「異常なしだって。 良かったな」と言いながら、まだ喋れない香穂の頬をツンツンと軽く指で突く。


すると香穂は、俺の顔を見ながら嬉しそうに「キャキャ」っと声を上げていた。


美香はそれを見た後、「拓斗、パパにバイバイは?」と切り出した。


拓斗は「ばいばーい」と言いながら手を振り、桜の花びらが舞い散る中、美香と手を繋いで歩き始めた。



合図を送るように右腕を上げ、遠く離れていく綺麗な髪を眺めていると、いつか見た夢を思い出す。


どんなに近づこうとしても近づけず、一人立ちすくむことしかできないままに、光の中に消えていった綺麗な髪。



急いで綺麗な髪に近づき、後ろから抱きしめると、拓斗は「パパ!」と言いながら喜びの声を上げた。


「ちょ! え? 仕事は?」


「今日はもうやることないし、ちょっとくらい大丈夫だよ」


そう言いながら綺麗な髪に軽く口づけた後、拓斗を抱きかかえ、ベビーカーを押す美香の手に自分の手を重ねる。



ずっとこの手が離れないように…


もう、一人じゃないと確かめるように…



ずっと見ていた、ずっと眺めているだけだった綺麗な髪の隣に並び、桜の花が舞い踊る中、暖かく、優しい風の吹く方へ歩き始めた。





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記憶の糸 ~another story~ のの @nonokan

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