六つ葉のクローバー
白と黒のパーカー
第1話六つ葉のクローバー
天井に釘を打ちつけ、そこに麻縄をしっかりと縛り付ける。
簡単にほどけないか確認するために何度か思い切り引っ張ってみるが、心配はいらないようだ。
後は縄で作った輪の中に首を入れ足元の椅子を倒すだけ、いとも簡単にこの世から旅立つことができる。
きっかけは大切な人との離別で、つい先ほど出棺が終わって自分だけ先に家に帰らせてもらったのだ。
ただひたすらに気分が悪かった。彼女の死を何とも思っていない家族、そして親戚やその他大勢の“そこに立ってうつむいているだけ”の有象無象。
自分にとって彼女は特別だった。代わりなんていない、何者にも代えがたい大切な人。
いざ言葉に表そうと思えば月並みなことしか出てこない自分に嫌気がさしてくる。
彼女の死は決められたものだった。目の前で次第に衰弱していく彼女の姿が、時間がたった今でもまだ瞼の裏に焼き付いて離れない。
目を閉じればやせ細った姿が、耳を塞げば苦しみ呻く声が、自分の心をひどく揺さぶる。
彼女のいない世界なんて意味がない、生きている必要性が見当たらない、だからここで終わらせる。
人間とは忘れる生き物だ。どれだけ大切に想っていてもいつかは忘れてしまう時が来る。彼女がここにいたという事実を忘れていく自分が怖い、憎い、引き裂いてズタズタにしてやりたいほどに胸の奥が澱んで苦しい。
彼女はもう苦しむこともできないのだ。苦しいということはこれ以上なく生きているということ、これ以上彼女のいない世界で生を感じたくはない。
既に身辺整理は終えている、万が一にも誰にも迷惑をかけないようにすべてを切り捨ててきた。
自宅は今いるこの部屋を除きすべてを清掃しつくした。もはや未練など一欠けらもない。
目前で揺れる縄をじっと見つめ、いざ手をかけようとすると、一陣の風が吹く。
どうやら窓が開いていたらしく、その隙間から春の終わりを告げる
そしてその風に運ばれてくるかのように二つの三つ葉のクローバーが椅子の上へと乗る。
それは果たして運命のいたずらなのか、三つ葉のクローバーは彼女との最大の思い出を自分に思い返させるものだった。
彼女とは幼いころからの付き合いで、当時住んでいた団地の前にある小さな公園でよく遊んでいた。公園といっても遊具などはなく、小さな花壇と遊びまわる子供たちを見守るための古くささくれだったベンチが一つあるだけだったが、それでも小さかった自分たちにはとても素敵な遊び場だったことには違いない。
その中でも自分たちはよく花壇の中に群生していたクローバーの中から四つ葉のクローバーを探す遊びをしていて、彼女はそれを探し当てるのがとても上手だった。
毎回自分より先に見つけては、自慢げに掲げ歯を見せて太陽のように笑う。自分はそんな彼女の笑顔を見ることが何よりも大好きだったことを覚えている。
四葉のクローバーを見つけると幸運になるという話は幼いながらにとても魅力的で、そのころからすでに身体が弱かった彼女がその幸運の力で快復するのではないかと毎回希望を胸に抱いていたものだ。
結果としてみればやはり現実はそんなに甘くはなかったのだが、希望とは時として残酷なまでに人間を打ちのめすものだとしみじみ思う。
それに、昔の自分は結局彼女が引っ越す最後の日まで一度も四葉のクローバーを見つけることができなかったのだ。
だから希望も何も最初から自分にとっての幸運などなくて、即ち彼女の快復など泡沫の夢に過ぎなかった。
きっとすがるものが欲しかったのだろう。最後の日にまでも一度も見つけることのできなかった自分はその日初めて泣き出してしまったのだ。
いつもはすぐに四つ葉のクローバーを見つけてはにかむ彼女もこの日はなぜか一度も見つけることができなかった。
暗い気持ちのまま最後の瞬間を迎えようとしたとき、彼女は自分に三つ葉のクローバーを手渡してきたのだ。最初はどういう意味か分かりかねて受け取るか否かを迷っていたのだが、そんな自分の迷いを見て取った彼女はいつもの微笑みを湛えながら自信満々にそれを自分の手に押し込んでくると、こっちの目を真正面に捉えて言い放つ。
「あなたの持ってる三つ葉のクローバーと私の持ってる三つ葉のクローバー、足せば六つ葉のクローバー。単純に考えてみなさいよ、四つ葉のクローバーなんかの比じゃないわ」
非常にあっけらかんとした表情でそう告げた彼女の顔はとても清々しいものだった。
遠い記憶のはずだが、その時の彼女との会話は未だに色褪せずに残っている。
そんな大事な思い出が彼女と自分の最期の瞬間に舞い降りてくるのは、とても運命的なものを感じてしまう。
「もう一度彼女とクローバーを探したかったな」
小さくつぶやいた言葉が誰にも届かずに消えるのを見送る。
足元の椅子を蹴って六つ葉のクローバーが舞う。
六つ葉のクローバー 白と黒のパーカー @shirokuro87
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