隠した恋心と蓋をするキャラメル

今朝は不幸な夢を見た。

シュバリゼはベットから起きるなり、深く苦しい息をついた。

シュバリゼは最近あまりよくない夢を見る。

いつも同じ登場人物が出てきて、デートをし、夜を共にすることもあった。

それがどれだけ自分が望んでいるのか、シュバリゼは自覚しているからこそ苦しくなる。

 幸せでどこまでも堕ちることが出来ると思いながら、それこそがこの世で一番不幸になる。

シュバリゼは目をつむる。そして呟く。


「アルミア」


 愛しい彼女の名前を。

けれど彼女にはけして手は届かない。

左の薬指、そこにある指輪が、自分と彼女の間に壁を作る。



「でさー、キールが言うの……やっぱキャベツはロールキャベツがおいしいって。でもさ、私はキャベツは炒め物が一番だと思うのね。でもそこで、そう言ったら可愛くないじゃん……つい、私も同じって言っちゃった」


「リゼリー、そういうこと言って付き合ってたらあとで大変よー。いつか絶対ぼろが出るんじゃない?」


「あ、やっぱそう思う? 自分でもちょっと後悔してるもん」


「自分のことを隠すんだったら、一生黙るか。いっそ素直になるか。そのどっちかと思うわ」


「だよねぇ……今度ちゃんと言おう……」


「そうそう、楽に行きましょ」


リコッタは大きく頷いた。

リゼリーはコーヒーをいれてくれたので、クッキーと一緒に休息を楽しむ。

今日は食事時ではない、おやつの時間に依頼をうけていた。

いつもより早めに動き出さないといけないので。リゼリーの部屋でくつろぐのも早めだ。


「珍しいなって思った……そんな時間に呼び出されるなんて」


「まあ、夕食とか朝食分も作ること多いよね」


 リコッタの言葉にリゼリーは頷く。

不思議そうに小首を傾げる。


「もしかしてお菓子パーティにでもやってくれとか言い出したりして!」


 思いついたと言わんばかりにリゼリーは声をあげる。

リコッタは目を丸くした。


「それだったらもっと早い呼び出しでしょう? 私たちは魔法使いじゃないのよ。すぐにポンとだせるわけないわ!」


「そうね! 料理は時間はかかるわねぇ。特にお菓子だと……」


「はやいのははやいけどね……」


「そう考えると、派遣をよぶのもいいんだろうけど。買ったら手軽なんじゃ……」


「言ってはいけない真理をいっちゃうわねぇ。仕事がなくなるわ」


「あはは。そのとおりだ!」


 リゼリーはけらけらと笑う。

リコッタとリゼリーはローラン派遣組合という料理人を派遣する組合に所属している同僚であり

友人だ。ことあるごとにつるんでおり、リゼリーの部屋でのお茶会はもはや日課だった。

 多種多様な民族が働いているこの世界では、家事は依頼するものというのが一般的になっている。


「出来れば簡単なお菓子がいいわね。こったお菓子は作るの大変だから」


「そうね、私も祈っとくよ、リコッタ」


「ふふ、ありがとう」


 リコッタはそう言いながら、コーヒーに口をつけた。



 髪を15センチ切った。

いつも一つにしていた髪を思い切ってきったら、こんなにも肩が軽いのかと思った。

美容師は綺麗な髪ですねと言いながら切っていた。

声の調子に惜しむ感情がにじみ出ていたから、本当にもったいなかったのだろう。

 シュバリゼはどこか固い声で。


「いいえ、いいんです」

 そう、感傷をはらいのけた。


 あなたの髪は綺麗ねと、母親はよく言っていた。

櫛で髪を梳きながら、シュバリゼに話しかけていた。

シュバリゼは女性だが、名前は女性にしてはあまりに男性寄りの名前だった。


「やーい、男女(おとこおんな)ー」


 そうからかわれて、泣きながら家に帰ると。

母親は憤慨して、からかった相手を睨むのだった。


「私はどうして、こんな名前なの」


 シュバリゼは一度聞いたことがある。すると母親は、シャツをたたみながらこともなげに言った。


「一人で生きられるようにするためよ」


「一人で?」


「女性が一人で生きるのは大変なのよ……だから私は、あなたを産んだ時に決めたの。一人でも困らないようにするって」


「それが名前とどういう」


「なめられないようにするためよ」


 母親はシャツをシュバリゼに渡した。それは性別にとらわれないデザインで有名な会社のシャツだった。


……母親は女性という性を憎んでいたのかもしれない。

髪の毛も短い方が喜んでいたし、動作がなよなよした女性を見ると明らかに態度が厳しかった。母親は一人でシュバリゼを育てていたから、シュバリゼは母親に恩義を感じていたし、大好きだった。だけど自分が女性が好きだなんて言えなかった。


 同性が好きになることが問題だったわけではない。

母親は自分の味方であるシュバリゼが離れることを嫌った。

だから、母親と同格、いやそれ以上に好きになる可能性をもった存在について

話せるわけがなかった。


 しかしそんな母親は三年前に亡くなった。

亡くなった途端、シュバリゼは短かった髪を伸ばしはじめた。

女性らしさを嫌った母親に反抗するように。


「そろそろ時間かな」


 シュバリゼは立ち上がった。

今日はおやつの時間に、料理人にお菓子をつくってもらうよう依頼したのだ。

ローラン派遣組合、古参の組合だった。

 さて、どんな人が来るのか。


「いい人、だと良いな」


 チャイムを鳴らして、リコッタがドアの前で待っていると。

ゆっくりとドアが開けられた。

灰色のこざっぱりとした髪型の女性がいた。

胸元にブローチが愛らしく、女性らしい格好もしているのだが、清廉さが雰囲気からにじみ出ていた。綺麗な人だった。

 一瞬呆気にとられてしまうほどだったが、すぐにリコッタは自分をとりもどし

明るく声を出した。


「こんにちは! ローラン派遣組合から参りましたリコッタです。今日はよろしくお願いします」


「こちらこそ。さっそく入ってちょうだい……中で話をするわ」


 女性の名前はシュバリゼと事前に確認していた。

名前まで綺麗と、リコッタはめずらしくどきまぎしていた。


「お菓子は何を作ればよろしいのかしら……今から作るので、時間はかかると思って欲しいけど」 


 シュバリゼはそうね……と思案するように目をつむり、小さく笑みをこぼした。


「キャラメルがいいわ、生キャラメル。材料もそこまでかからないんじゃないかしら」


 確かに……しかし焦がさないように気をつければ大分作りやすいお菓子だ。

何故、リコッタを呼んでまで作ろうというのか。

素直な疑念が表情に反映されたのだろう。

 シュバリゼは苦笑した。


「今の私には作れないの。だからお願い、作ってくれないかな」


「それはもちろん。お仕事ですからね……きちんと作るわ!」


「それは良かった。キッチンはこっちよ」


 シュバリゼの家は女性の一人暮らしにしては家が大きかった。

家族の家だったらしい。亡くなって引き継いだとか。

綺麗にされたキッチンに立つと、自然と背筋が伸びた。


さ、やりましょう。

師匠グレゴッタの教えに従い、リコッタは集中する。

この料理は、もしかしたら……とても大事なものになる、そんな気がした。

シュバリゼはキッチン前のダイニングでスマートフォンを眺めながら、紅茶をすすっている。


「アルミア」からメールがとどいた。

最近忙しいのかと尋ねてくるメールだった。


――姿が見えなくて寂しいわ 

今度お茶を飲みましょ、シュバリゼが好きそうなの見つけたの


 すぐに返信できなかった。アルミアのことを避けていたが、これ以上は避けることは難しいだろう。会社の同僚の奥さんなのだ。同僚経由で話は伝わってくる。

 深く息がついた。頭がくらくらする。彼女もそういえば言っていた。


「あなたの髪、長くて綺麗」


 自分の親しい女性は皆そんなことをいうのだろうか……。

どうして好きになってしまったのか。

アルミアを好きになったのは一目惚れだった。

全身を見ただけで、好きになった。声を聞いたら、心臓がぎゅっと痛くなった。

これほどまでに落ちた恋はなかっただろう。

 動揺しきっていたのはアルミアに伝わって。


「緊張してたの? あの時」と言われる始末だ。


「そんなことないよ、全然」


 シュバリゼは軽く嘘をついたが、それも見抜いた上でアルミアは


「私もちょっと緊張してたのよ」と笑うのだった。


 彼女は既婚だった。

同僚と結婚しており、マンションで二人暮らしらしい。

子供はすぐに作る予定はなし。

在宅しているらしく、その隙間をぬってシュバリゼに会いに来ているらしかった。


「だってあなたと居ると楽しいから」


「ああ、そう」


「信じてないでしょー、ほんとよ」


 その言葉が罪なくらい嬉しくて泣きそうだった。

彼女は本当に自分のことを慕ってくれているのだ。

 シュバリゼの恋心は積み重ねていく。それこそ自分でも重すぎて

いっそ出会わなければと願うほどに。

だけどアルミアと会うことをとめられない。


 髪の毛を切り、単純な菓子をつくってもらうために料理人を呼ぶ。

そんな行動に出たのは、ささいな言葉が原因だった。


 シュバリゼの大好物はキャラメルで、アルミアがつくって持ってきてくれた。

彼女の愚痴を聞いたり、最近のことを話している中で。

アルミアはなんともなしに言ったのだ。


「もし夫と結婚していなかったら、シュバリゼと結ばれたかったわ……あなたといるの、本当におちつくの」


 その瞬間、願ってはいけないことを願ってしまった。

アルミアの夫がいなくなれば……○してしまえば……アルミアの一番になれるだろうか。

 その考えの恐ろしさにに気づきながら、シュバリゼは一瞬離れられなかった。

明確に願っている自分がいた。


ああ……だめだ……

自分は、この恋から、離れなくちゃいけない……

恐ろしい結末を避けるために。

何もかもを壊さないために。


 材料が焦げないように鍋底をへらでかき回す。

適度な堅さまで煮詰めるだけ、そして冷やすだけ。単純なお菓子だ。だからこそ違和感がのぼってくるのだろう。

リコッタは耳をすました。

 リコッタは魔女だ。その能力は食材から、食材の持ち主や、食材の生産者の声や内情を聞くこと。

しかし今回ばかりはその能力もお手上げだ。

しんとしているのだ。出している食品もすくないこともあるが、まるで口をあけるつもりがないような静けさがある。

 食べ物は多弁だ。いろいろと話したがる。自分の思ってること。伝えたいことを口にしたがる。


 この食品たちの持ち主であり、キャラメルを作るようにいってきた依頼主は、何か口を閉ざしているのだろうか。

リコッタは鍋底の様子を気にかけながら、考え込んだ。


 自分たちの料理が何かの特別になるかもしれない。

どんな時の料理になるかは、食べた本人ですら気づいていないこともある。

だからこそ、自分たちは一生懸命に料理をつくらなきゃいけない。

 それくらい我らの仕事は大事なんだ。


 そう言ったのは師匠のグレゴッタだ。

彼はリコッタの料理を食べた帰りに、どこかへと行ってしまった。

元々放浪願望のあるひとだ。だからその行動自体はなんら不思議なことはない。

ただそれでも……自分が作った料理をどう思っていたのか、それは聞きたかった。

もしいなくなるのなら、何かしら前兆あってもよかったではないかとも。

 ほろ苦い記憶だ。


「そろそろイイかな……」


 これ以上は、焦げてしまう。


型にキャラメルを流し込み、冷蔵庫でひやす。これで時間が経てば、完成だ。

そこまではリコッタは居る必要はない。仕事終了の報告もかねてシュバリゼの元へ向かう。

 彼女はテーブルの前に座っていた。頭がうなだれていた。

 テーブルには赤い花がかざっている。

 リコッタの足音に気づいたのだろ、気だるげにシュバリゼは顔を上げた。


「あら、どうしたの」


「キャラメル、だいたいできたわ。まだ固まってないけど、冷蔵庫に入れたから、冷えればホントに完成」


「そう、よかった。大好物でねキャラメルは、楽しみ」


「あら、そうなの」 


「今日という日にはふさわしいと思うの。命日にはふさわしい」


 なかなか尖った言葉だ。

リコッタは怪訝な表情を浮かべる。


「命日?」


「あなたのところ、守秘義務があるんだっけ」


 疑問に答えず、質問する。

リコッタは、頷いた。


「ええ、あるわ。行った先の情報はけしてもらしてはいけない」


「じゃあ、あなたはいわば門番ね。どんな鍵でもあけられない。私の秘密をまもってくれる」


「おとぎ話みたいないい方ね。まあ、その通りだと思うわ」


 この仕事をしていると、いろいろな話を聞く。

それは思いも寄らぬ話でも、他では口にせず、ただ胸にしまう。

そして忘却の波がすべてをさらうのを待つのだ。


「胸の中に秘めておこうとおもったの」


「うん」


「でも誰かにもいいたかったんだとおもう……聞いて欲しかったかもしれない」


「……うん」


「今日は私の命日なの。私の恋心の」


 これでも自分は余計なことは言わないようにはしている。

自分の隙につながるかもしれないし、自分に関する余計なことも言わないようにしている。

 それでも心に気持ちがあふれて

どうしても言いたいという気分になることもある。

 そういう意味ではリコッタはあまりに都合が良かった。

本人とは迷惑だろうが。


「好きな人が居るの、私と話があって、私を慕ってくれて、私の大好きなキャラメルを作ってくれる人……だけどね、どうしても付き合うには超えられない壁があってね。でもその壁を超えてもいいなと思ってしまうの、どれだけのものを傷つけてもいいって……そんな自分が恐ろしくなった」


「そうなの……」


 淡々と話をリコッタは聞いていた。

感情が見えないが、不快な感情も感じない。

いい人だと思った。わかりやすいほどに、いい人だ。


「彼女がほめてくれた髪も切って……あなたにキャラメルを作らせたの。その理由は分かるかな」


「髪はまだ分かる気がするけど、キャラメルは難解だわ、さすがに」


「そうねっ。でも単純よ……ほんとう、単純。一生隠し通す恋心の最後は、甘いものを食べたかった。大好きなキャラメルで、甘く記憶をコーティングするの。そしていつか、思い出の一つにするの」


「そんなうまくいくかしら」


 そう思われてしょうがないだろう。

多分自分が今、涙が出て、止まらなくなっているから。

リコッタはハンカチを差し出した。


「それでもあなたは、決断したのね」


 シュバリゼは頷いた。


「ええ……愛してるから、何も壊したくない。私の恋は、私のエゴは……どうか記憶の底に」


 嗚咽が漏れた。


「情けないわ、涙が出て」


「いいのよ、ここには私しかいないから」


 リコッタは柔らかく微笑んだ。


「そうね、あなたでよかったわ」


 ここでアルミアがいたら、シュバリゼはもう心が砕けていたかもしれない。

だからリコッタがいて良かった。

この場から帰ったら、赤の他人になる彼女。

だから埋葬人には一番ふさわしい。


「早くキャラメル、出来ないかな……甘いもの、食べたいの……前に進むために」


「あと、二時間かかるわね」


「そう……なんて長いの、ふふ……まるで罰みたい」



……リコッタは業務を終えて家を出た。

引き留められたこともあり、実入りは仕事の内容よりはとてもいい。

けれど心はほろ苦い。


 どうかシュバリゼの心を救う存在があらわれますように。


 素敵なことが起こりますように。


 北風が吹く中、リコッタはマフラーに顔をうずめながら、早足で歩き始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

リコッタの料理帳 またはくせのあるお客達のオーダーの記録 つづり @hujiiroame

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ