第38話 (そ、颯太が怒った……)


 体育館は今、女子バスケット部の他校試合が行われている。


 外練習に移行したバレー部は、体育館の脇にある坂道を、駆け上がっていた。だらだらと汗を流しながら走っていると、体育館から声援が漏れ聞こえてくる。


 先ほど送り届けた美和からは、篠と別れてから長谷川の事についての謝罪は受けたが、それ以外は一言も話していない。きっと今頃、あの歓声の中で声を張っているのだろう。颯太にはどうでもいいことだった。


 美和が突然現れ、颯太が送ったことに対して、篠が本心でどう思ってたのか、颯太はわからない。


 美和の登場が突然だったことと、試合の開始時間に焦ってしまい、篠の言葉を真に受けて送ってしまったが、やはり何が何でも突っぱねるべきだったろうかと、颯太は坂道をダッシュしている間、ずっと考えていた。


(あの人の中にある俺への興味を、あいつのせいで、一ミリでも減られたくない)


 練習を見に来てほしいと、だから学校で待っていて貰えないかと――次の休憩時間に、L1NEで言おうかなと考える。


「やっべえ! まじでやっべえって!」


 膝に手を当て、荒い呼吸を繰り返していた颯太らのもとに、バレー部の先輩が泡を食って走ってくる。


 血相を変えて戻って来たのは、新渡戸にとべという二年生だった。全員で坂道ダッシュをしていたはずだが、まるで違う方向から帰ってくるところを見ると、抜け出してサボっていたのだろう。


「どうしたんだよ」

「いや、まじでやっべえんだって!」

「それもう聞いた」

「辻浦が――おっ、ナラ! 来い! お前に一番に教えてやる」


 にやにや、と嫌な笑みを浮かべながら、新渡戸が呼んだ。嫌な予感がする上に、非常に面倒臭い。

 颯太は新渡戸に好かれていないことを知っている。新渡戸の背は平均より少し小さかったため、長身の颯太を妬んでいるのだ。


 更に単純に、颯太は男子にやっかまれることが増えた。

 もちろん、男子から受ける嫉妬は篠に関係している。


 今日まで、篠は部活に押しかけてきたことは無かった。しかし、球技大会前後など、時間の都合さえあえば二人は一緒にいたため、篠が颯太にへばりついているのは、男子バレー部の全員が知っていた。


 チームメンバーとの信頼関係は崩したくないが、やっかまれることについては、気にしていなかった。

 それだけ、自分だけが篠にとって特別なのだとわかる瞬間でもあったからだ。


 新渡戸に呼ばれ、飲もうとしていた水筒を置いた颯太は走った。


「はい。なんすか」

 従順に従う颯太に満足げな顔をした新渡戸は、口の端をつり上げて嬉しそうに言った。


「俺な、今、”いばら姫”が辻浦に告白してるの聞いたわ」



(――は?)



 驚きすぎて声すら出ずに、颯太は固まった。


 しばらく、本気で言葉の意味を理解出来なかった。


 脳に意味が伝達されたのは、息苦しさを感じてからだった。

 いつの間にか、息を止めていたらしい。意識して、颯太は呼吸を繰り返す。


(いや、そんなわけねーだろ)


 篠はどんな男とも距離を置いていて、期待させるようなことは一切しない。


 直史や竜二とは仲良くしていたが、颯太のいない場所で親しくしている話は聞いていない。


 篠が触れるのも、名前を呼ぶのも、一緒に休日に出かけるのも、颯太だけだった。その、はずだ。


(俺のことを、好きなんだって――)


 バレー部の誰もがぽかんとして新渡戸を見た。

 そして徐々に、場に薄ら笑いが広がる。


「いや何言ってんだよ。”いばら姫”はナラだろ」

「それに陽介、最近彼女できたばっかじゃん」


「いやでもマジで聞いたんだって! 二人で見つめ合ってさ、『辻浦に彼女ができる前に告白してたらOKしてくれたか』って聞いてたんだよ。花茨が!」


(見つめ合って? ……告白、してたら?)


「へぇ。じゃあそれに陽介はなんて答えたん?」

「付き合ってた、って」


「へえ~!」


 場が一点、新渡戸の言葉を信じるような空気になっていた。


 新渡戸の説明した内容が、真実味のある話の流れだったからだ。


 篠が恋人のいる男――それも篠の友達の彼氏――に告白をするとは考えにくい。それよりも、過去の気持ちの精算として、自分の想いを伝えるだけのほうが、よほどあり得るのでは無いだろうか。


「ナラ」


 ふらりとぐらついた体に、颯太よりも先に気付いたのは竜二だった。


「大丈夫か?」


 驚いて振り返ると、いつの間にか背後にいた竜二が、颯太の二の腕を掴んでいた。呼吸がひどく浅い。自分が息を吸っているのか吐いているのか、何もわからなくなる。

 颯太は竜二に何も言うことが出来ず、軽く俯く。


「えー。まじで? ”いばら姫”そうだったの?」

「弄ぶなー。三角関係かよ。まじでなんで陽介ばっかモテんの」

「何。じゃあナラにひっついてたのは、陽介に近付くため?」


(そんな人じゃない)


 何人もの男に気を持たせるような態度を、わざとする人じゃない。颯太には確実に、ある一定以上の好意を持ってくれているはずだ。


 わかってるのに、声が出なかった。

 陽介に近付くため――中学の頃に、陽介が目当ての女子から仲介を求められることも、何度かあった。思えば美和も、最初はそうだった。

 だが、篠もそうかもしれないなんて――颯太は考えたことも無かった。


 そばにいたから、わかっている。


 篠は、冗談でも、男に告白なんかしない。


 けれど新渡戸は、篠が陽介に告白をしたと言った。いくら颯太が嫌いでも、チームメイトにこんな馬鹿げた嘘をつく人じゃ無い。


(じゃあ……冗談じゃなかった、ってことだろ)


「残念だったな、ナラ」

「まあそうしょげんなよ。美人の考えてることなんて、誰もわかんねーんだから」


(うるせえな。黙れ)


 颯太はわかっていた。わかっていると思っていた。美人でも天使でも無く――篠の考えていることを。


 最初は考えていることも、行動する理由も何もわからなかったのに、今では自分が一番、彼女のことをよく知っていると思っていた。


 ありがとうという時の癖。つむじの形。男を避ける理由。仲良くなる時に、お互いの好きな物を共有しようとするところ。赤くなる耳。颯太に「ほんと?」と聞き返せないところ。颯太を信頼して駅に遊びにでたこと――


 全部颯太は見ていた。見せて貰っていた。


 だけど、颯太のよく知る篠だから、陽介に告白をしたのであれば――それは本心だろうなと思った。


 友達の彼氏だから、遠慮していたのだろうか。ようやく機会が出来たから、勇気を出したのだろうか。


(くそっ……まじかよ)


 篠が自分以外の男に勇気を振り絞っている姿を想像するだけで、颯太の心は荒れ狂う。


(全然、知らなかった)


 篠の気持ちを、颯太は自分から知ろうとしたことが無かった。

 颯太はいつも、篠に引っ張られていた。篠が望む方向に、ただついて歩いていただけだった。


 それだけで、全て与えられていた。

 今の颯太が篠ばかりなのは当然だ。篠が全て、颯太の中に置いて行ってくれていたのだから。


(あの人の中にある俺への興味を、美和なんかのせいで、一ミリでも減られたくない……? 笑える。あの人が興味があったのは、俺じゃ無くて……)


「部長!」


 部員の声がして、はっとした。

 俯いていた顔を上げると、職員室に行っていた陽介が戻ってきていた。


 そして、陽介の後ろには――篠がいた。


 先ほどの言葉が、凄まじい信憑性を伴って、部員達を襲う。


 颯太を見て、いつものようにぱぁっと顔を輝かせる。その顔を見ていられず、颯太は視線を逸らした。


 部員達に走る異様な空気に陽介は気付いたようだが、今日初めてバレー部を見る篠は気付かなかったのだろう。だが、颯太が視線を逸らしたせいで、はっきりと動揺していることは伝わってきた。


「練習抜けててごめんな。再開する前に――颯太。花茨が話あるみたいだから、ちょっと話してきて」


 部員達が一斉にどよめいた。颯太の二の腕を握る、竜二の手にも力がこもる。


 颯太は篠と陽介を一度ずつ見る。このタイミングで陽介にそんな風に言われるのは、最悪な申し出だった。


 篠の髪は、耳にかかってはいなかった。

 でももしかしたら、目の前にいるときには耳にかけていたかもしれない。


(陽介君に、見せたのかよ)


 ――あの形のいい耳が赤く染まっていく様を。


(どんな顔で、告白なんかしたんだよ)


 握りしめる拳が震える。


 部長相手に指示をされ、こんなに返事を長引かせたことは無い。返事をしなくてはと、必死に絞り出した「はい」という声は、掠れていて、吐息のようだった。


 陽介の後ろから、篠がととと、と走ってくる。そんな姿まで、苦しかった。陽介の後ろからやって来たというだけで、もう次の庇護者を陽介に決めているように見えて、颯太は篠を直視することが出来ない。


 部員達から少し離れた場所に、颯太と篠は歩いてきた。颯太の機嫌が悪いことに気付いているのだろう。いつもはにこにこと話しかけてくる篠が、今はただ不安そうに颯太を見上げている。


 何を言われるのかわからずに、怖い。


 一体どんな話があれば、あんな風に陽介から篠を下げ渡されなければならないのだろうか。篠のに、陽介が関係していることは、明白だった。


 怖くて、篠を直視できない。


 陽介が幼馴染みである彼女を振ることは無いだろう。二人が付き合うことは無い。彼女に隠れて、篠をキープにするような男でも無いはずだ。


 じゃあ、何を聞かされるのだろう。


 ――陽介に告白したのだとでも、言われるのだろうか。


 でも振られたから、慰めてほしいと?


(冗談じゃねーよ……)


 篠の願いはなんでも聞いてやってきたが、こればかりは従うつもりは無かった。


「颯太、疲れてる? 顔色悪いよ」

「大丈夫です」


 篠が颯太の顔を覗き込んで、心配そうに言った。今までなら胸がほっこりしていたはずなのに、ただ胸が苦しくなる。


「我慢してるんじゃない? 私から、辻浦君に言ってあげようか?」

「余計なことしないでください」


 びくりと、篠が体をすくめる。


 篠の口から陽介の名前が出た途端、驚くほど冷たい声が出た。これほど真っ直ぐに、篠を拒絶したのは初めてだった。


 篠が体を揺らしたことに気付き、颯太は慌てて篠を見る。

 篠の顔は、初めて会った時のように、蒼白になっていた。


「……わかった。出しゃばって、ごめんね」


 その声は震えている。

 けれど颯太は慰めることも出来ずに、声を絞り出す。


「……話って、なんすか」

「練習を、見て行ってもいいかなって、聞きたくて」


 颯太の胸がカッとなった。篠が見たいのは、本当は自分じゃ無いかもしれない。そう思うと、腹が立って――苦しくて悲しくて泣きたくなる。


「駄目だって、朝も言ったじゃ無いですか」


 L1NEで篠になんと伝えようと思っていたかなんて、もう覚えていなかった。


 感情のままに吐き出すと、篠がへにゃりと、眉を下げて篠が笑った。


「そうだよね、ごめんね」


 颯太が本気で怒っていることに気付いたのだろう。いつもはこんなに簡単に引き下がったりしない篠が、信じられないほど従順に颯太の言うことに従った。自分で傷つけたくせに、馬鹿みたいに自分の胸も軋む。


「ごめんね。今からちゃんと帰るから。部活頑張ってね」


 気丈に言う篠を見ていられず、颯太はまた俯く。

 篠が目の前から立ち去る気配を感じて、颯太は口を開いた。


「篠」


 篠の足が立ち止まる。「ん?」と声が聞こえた。


「俺は――」


(俺は、貴方が好きです)


 言おうとして言えなくて、颯太は軽く首を横に振った。ただ勇気が出なかった。伝える勇気も、振られる勇気も。


 篠は困ったように笑うと「またね」と言って、小さくを振った。


「また」と返すことが、出来なかった。






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