第32話 (にぶちん。私がどれだけ牽制してると思ってるんだ)


「ソータ、帰るよ。車で送るから」


 食事後、台所で後片付けを手伝った颯太に、岬が車のキーを持ってリビングの扉から声をかける。キーケースについているキーホルダーが、じゃらじゃらと揺れる。


「えっ?! いえ。歩いて帰りますんで――」

「いいよ、私どうせコンビニ行くから車出すし」

「私もコンビニ行きたい」


 篠にまでそう言われると断り続けることも出来ず、颯太は「お願いします」と頭を下げた。




***




 車の中は聞いたことが無い洋楽が流れていた。女性らしいツンとした、濃いめの香水の香りもする。車の中は割と散らかっていて、紙袋やゴミ箱が足下に積まれている。


「ひとまずスーパー細永まで行くから、曲がる時言ってねー」

「はい」


 岬の運転する車の後ろに篠と座った颯太は、不思議な気持ちで窓の向こうを眺めていた。外はもう真っ暗で、家の窓に点々と灯りがついている。颯太の知らない住宅街をすいすいと走って行く。


 篠と颯太の家は二、三キロしか離れていない。行動範囲内なのか、岬は迷い無くハンドルを進めていた。


「篠って学校でどんな感じ?」

「本人前にして聞く?」


 後部座席の隣に座っている篠は、颯太の肩に頭を乗せていた。颯太の結んだ下手くそな三つ編みを背に垂らしつつ、岬と会話をしている。


「私に聞いたらいいじゃん」

「篠に聞いたって、周りから見た篠のことはわかんないでしょー」


 岬は前を向いたまま、ウィンカーを出した。


「俺も、学年が違いますしそんなに詳しくは無いんですけど……」

「まぁそうよね」

「でも、友達と仲良さそうですよ。ハイタッチで埋もれてました」

「なにそれ」


 笑った岬がハンドルを切る。車が曲がるのに合わせて、篠の頭がぐっと颯太の肩に押しつけられた。


「見てたの?」

「見てましたよ」


 あんな篠を見たのは、何しろ初めてだったのだ。勝ててよかったなと思ったし、笑う篠を見て嬉しかった。


 颯太が見ていたことを伝えると、篠はにこにこと笑った。薄暗い車内でも、篠が笑ってるのはよくわかる。


「颯太くんモテるでしょー」


 一瞬何を言われたのかわからずに、颯太は固まった。


「モテてるよ」

「大変ねぇ。捕まえとかなきゃ」


「いやそんな、全然モテてないっすよ」


 颯太は慌てて言った。変な誤解はされたくない。

 今まで告白されたのは二人。一人は元カノの美和。もう一人は卒業式の雰囲気に呑まれてやってきた後輩だけだ。後輩を断ったのは、美和と別れてすぐだったため、色恋沙汰に多少辟易していたからだ。

 高校に入ってからは、誰にも告白されて無い。


 否定する颯太を胡乱な目で見た篠は、大きなため息をつく。体の力が抜けて、颯太に大きく寄りかかった。


「はーあ。首輪とリードが欲しい」

「あっはっはっはっは! 確かに必要!」


(どこまで本気なんだか、この姉妹)


 怯えた颯太が引いていると、「あっ」と岬が声をあげる。


「コンビニあった。ちょっとここ寄らせて」

「はい」

「篠、帰りにもう一軒寄ったげるから、ソータと車で待ってて」

「わかった」


 入った駐車場に止めると、岬は財布だけを掴んで車から降りた。カツカツとミュールのヒールを鳴らしながら、コンビニに入っていく。篠が可愛いと表現されるなら、岬は美人と言われるのが似合うと思った。


「何買うんだろうね」

「何すかねえ」

「見られちゃまずいものかな。お姉。彼氏、今いなかったはずだけど」


 颯太はぎょっとした。際どすぎるワードだ。

 コンビニで買えて、彼氏がいる時に使う、見られてはまずいもの。


「篠……」

 篠の口からそんな話題が出ると思っていなかった颯太は、困惑して篠を見る。篠は笑いながら颯太の眉を触った。


「八の字になってる」

「あんまり困らせないでください」

「困るの? 無い方が、お姉が困るでしょ?」


 論点がずれている。颯太が困っていたのは、篠から卑猥な話題を振られたからだ。

 しかし、確かに篠の言うとおりでもある。これまできちんと考えたことは無かったが、恥ずかしいとかいう問題で済ませていい話では無い。


 だがやはり篠と、篠の姉の性事情について話すのは嫌だった。颯太は気まずさを隠すように、僅かに振動する車内から窓の外を見る。


 くすくす、と篠が笑うと、触れあっている肩が揺れる。


「ソータ。炭酸好き?」

 運転席のドアが開き、運転席の椅子から岬が顔を覗かせた。がさごそとビニール袋から取り出したカフェオレを、岬が篠に渡している。


「あ。好きです。何でも飲めます」

「よかった。男の子って何飲むのかわかんなかったから、飲めたら飲んで」


 差し出されたのは炭酸の葡萄ジュースだった。


「ありがとうございます」

 先ほどの会話を思い出し、岬が何を買ってきたのか一瞬考えてしまった。岬の顔が見られずに、そっと俯いてジュースを受け取る。


 社内が暗かったせいか、岬は気にした様子がなかった。運転席に座り、コンビニで買ってきた紙袋を助手席に乗せる。「お待たせ」と言うと、サイドブレーキを外して、ギアをバッグに入れた。


 車が発進すると、篠が不機嫌そうに颯太の耳元で囁いた。


「お姉で想像禁止」

「してませんから」

「意識した」

「違います。篠がそういうこと言うからじゃないすか……」

「なんだ。意識されたのは私か」


 ならいいや。と篠が姿勢を元に戻す。


 再び寄りかかられた肩の温度なら、ずっと意識している。


 颯太はため息をつくと、また窓の向こうを見つめた。



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