第31話 「私に妬いてどうすんの」「お姉でも駄目」
「ただいまー」
男の人の声がして、颯太はソファから立ち上がった。
「お父さんだ」
岬も同時に立ち上がり、颯太の手を引く。岬はリビングから出ると、颯太を玄関に連れて行く。
「お
岬が颯太の両腕を背後から掴み、がばりとあげた。
「……お前なぁ」
スーツ姿で帰ってきた篠の父は、呆れた目を娘に向けると、颯太ににこりと笑った。
「こんばんは。岬の父です」
「こんばんは、楢崎と言います」
両手を挙げられたままではあまりにも間抜けだが、颯太は頭を下げた。篠の父は、なるほどこの父にしてこの娘あり、と思わせるような美丈夫だった。
(モテただろうな……いや、今もモテてんだろうな……。こんなイケメンをものにした、篠のお母さんすごいな……)
年を重ねた渋さを纏った篠の父は、同性の颯太から見ても格好良かった。手首から腕時計を外している姿が様になる。スーツがオーダーメイドかと思うほどによく似合っていた。
「今度のお前の恋人はえらく若いな」
颯太を見る篠の父は笑顔だったが、その瞳は不安を象っていた。
「ふふふふ」
岬が、掴んだままの颯太の腕をふりふりと振る。
「ふふふふふっ……私にはね!」
岬がにまにまと笑いながら声も高らかに言うと、篠の父は呆気にとられて、颯太を二度見した。
「――まさか、篠か!?」
ぎょっとされ、颯太はぎょっとした。
岬に腕を放されたかと思うと、颯太の背中にぴたりと、慣れたサイズがくっついてきたからだ。
「ふふーん」
颯太の背から顔を覗かせたのは篠だった。篠の父は篠を見て、颯太をもう一度足の先から頭のてっぺんまで見る。
「後輩の、颯太だよ」
心なしか、誇らしげに篠が颯太を紹介する。
「大型の忠犬の番犬なの」
岬も自慢げに颯太を紹介した。
「なんだそれは。ごめんな、颯太くん。勘違いして。飯食って帰るのか?」
「はい。ご馳走していただくことに……」
恐縮して言うと、篠の父は優しく微笑む。
「堅苦しくしないで。食べてって。母さんのご飯は美味いから」
『うん。お母さんのご飯、美味しいから食べて』
そういえば、以前に篠も同じ事を言っていた。篠はこの家で、こんな風に育まれているのだなと、唐突に感じ入る。
「今日は颯太くんいるから、唐揚げも頼みましたー! パパの大好きなキャベツの千切りもオマケで頂きました」
「お、やったね」
台所から聞こえてきた妻の声に、篠の父がはしゃぐ。
「颯太君、酒は?」
「ソータは篠の後輩だってば」
「ああ、すまない。癖で」
「お姉、いつも年上ばっかり連れてくるもんね」
和気藹々と話ながら、篠の父と岬が洗面台に向かった。颯太は篠に連れられて、またリビングに戻る。
「仲いいっすね」
「私とお姉がいる時はね。お兄とお父だと、そんなペラペラしゃべってないよ」
「ああ、なるほど」
颯太は兄一人だ。きっと「お兄とお父」の雰囲気のほうが、よく知っているだろう。
「お姉さんの彼氏、よく来るんすか?」
「岬ちゃんって呼ばないと多分うるさいから、本人の前ではそう呼んであげてね」
「はい」
「お姉の彼氏かー。いっつも誰かしら家にいるよ。長い時は二週間くらい帰んない人もいる」
颯太は絶句した。二週間恋人の実家に泊まる、神経がわからなかった。
「もうあれとは別れたってばー」
父の方に行っていた岬が、リビングに戻ってきた。
どうやら姉は、恋多き人のようだ。これだけ天使にうり二つなら、さもありなんである。岬は篠よりもずっと、自分も周りも上手くコントロールできるのだろう。
「別れてくれてよかった。お風呂上がりとか寝起きとか見られるのちょっとやだったんだよね。向こうもちょっと見てくるし、気まずい」
(は?)
颯太は苛立って篠を見た。
(風呂上がり? 寝起き? 見られてた?)
そうか。人の恋人であっても、同じ家で過ごすのならそういう可能性もあるのだろう。
しかしそれにしても――
「不実な男っすね」
「やだソータ! 私のために怒ってくれるの?」
「違うから。違うもんね。ね。颯太」
篠がくいくいと手を引くので、颯太は篠の頭を撫でた。
岬がため息をつく。
「まあ、だから別れたんだけどねえ。結婚してからも、妹にそんな目向けられちゃ、たまんないし」
「え、お姉。あの
「三日間ね」
お決まりのネタのオチのように岬が言うと、篠は「あははっ!」と声をあげて笑った。
***
「岬もねぇ。昔からこの通り可愛かったから、本当によくモテるのよねえ。お兄ちゃんと違って、女の子がモテるのは危ないことも多いから不安もあるんだけど……まあ、篠と違って、男の子あしらうのもうまかったしねぇ」
山盛りの唐揚げの向こうで、篠の母が話している。
いつもは篠の兄が座る席に招かれた颯太は、自分のノルマを達成すべく、端で唐揚げをつまみ上げる。
「ちゃんとお姉に言われた通り、無視してるよ」
「あんたはねえ。顔が儚げだから、ちょっとでもしおらしい姿見せると、襲ってくださいって言わんばかりだからねえ」
(――あれは、お姉さんに言われたのか)
確かに、篠に粉をかけた後、首を傾げてふわわと「ごめんね」なんて言われた日には、勘違いする馬鹿男が続出することだろう。そんな馬鹿どもは全員死ねばいい。
「颯太はどうやって無視されなくなったの?」
「――俺は」
岬には相談している風だったが、出会い方は言ってないらしい。颯太はちらりと篠を見た。
ことん、と音を立てて、篠が茶碗をテーブルに置く。
「……私、学校の階段から落ちかけて」
「えっ!?」
篠の父、母、姉の声が重なった。
三人とも目を皿のようにして篠を見る。
「その時に、颯太が助けてくれての」
「階段って……どのくらい?」
「一番上」
「大事じゃん! あんたなんで言わないの!」
岬が茶碗をガチャンと置いて篠に怒鳴った。
「颯太が助けてくれたから、どこも打ってないし……怪我もしてないから、大げさかなって思って……」
「篠……。颯太君、ごめんね、本当にありがとう」
「すまない。知ってたらすぐにお礼に伺ったのに」
篠の父と母が、心底申し訳なさそうな顔で颯太を見る。
「いえ、お菓子とか湿布とかいただきましたので……」
「湿布!? ソータ、篠のせいでどこか怪我したの? 部活してるんでしょ? 大丈夫だった??」
「はい。丈夫なのが取り柄で……」
「もーーっ! あんたって子は!」
岬が篠を睨み付けると、篠は泣きそうな声で言った。
「ごめんなさい。言わなきゃいけないの、わかんなかった。今度からちゃんと言う」
「そうして!」
「本当にごめんなさいね。今度改めて親御さんにも……」
「いえいえ! もう三ヶ月も前ですし、本当になにもなかったので」
「三ヶ月も……。もう。本当に、ありがとうね」
「もし階段の一番上から落ちてたりしたら、今頃みんなでご飯食べられてるかも、わかんなかったわ」
「その通りだね」
家族三人が、安堵と怒りのため息をつく。
怒りの光線を受け続ける篠は、助けを求めるようにちらりと颯太を見た。
「……助けられて、よかったです」
(本当に)
ぱあと顔を輝かせる篠を見て、颯太は心の中で呟いた。
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