第28話 (颯太が私の部屋にいる)
「お母さん、手伝うことある?」
「無ーい」
「じゃあ部屋行ってる」
「はーい」
「飲み物、ペットボトルもらってくー」
「はーい」
パタパタパタと篠がちょこまか動いている。
手を洗い、タオルで拭いた颯太に、篠がペットボトルを二本見せた。
「お茶と水、どっち好き?」
「じゃあ水を」
「ん」
五百mlの、お茶のペットボトルを棚に戻すと、篠は水のペットボトルを二本抱えた。すかさず、颯太が篠の手から奪う。
「ありがと」
「いえ」
「こっち」
「はい」
(まじで部屋行くのか……女子の部屋とか、初めてだな)
思春期の男子らしく、颯太は少しそわそわとした。篠が平然な顔をして案内するのが、ほんの少し気に入らなかった。
篠が階段を上り、「来て」と手招きする。颯太は慌てて、篠のすぐ後ろに付く。
颯太が篠を守るために急いだことが、わかったのだろう。二段上にいた篠が手を伸ばし、颯太の頭を撫でる。
よしよしと二度動いた手はすぐに離れ、手すりをしっかりと握りながら、篠が階段を上り出した。颯太も黙って、篠に続く。
「入って。ちょっと散らかってるけど」
てへっと、照れ笑いをしながら篠が部屋のドアを開けた。
(わっ――なんだこれ)
室内は、颯太の想像以上に散らばっていた。
床やベッドに広げられた、複数のスカートやブラウス。クローゼットの取っ手にかけられたワンピース。テーブルの上に広げられた化粧品と、鏡の前に並べられた鞄。
服の一つ一つを拾い上げ、篠が丁寧にクローゼットのポールにかけた。化粧道具はボックスにしまい込む。五分ほど片付けると、あれほど散らかっていた部屋は、随分と落ち着いた。幸いに、ゴミ等は散らかっていなかったようだ。
白を基調とした部屋だが、整えすぎてはおらず、小学生の頃から使っているのだろうなと思われる学習机もある。
おしゃれで、だけど生活感もあって、篠らしい部屋だと思った。
「泥棒でも入ってたんですか?」
「そうなの。ルパン四世的なのが」
それは中々大物だったな。と颯太は感心する。
篠が片付けている間、ずっと入り口に立ち尽くしたままだった颯太は、きょろりと部屋を見渡した。
(何処に座ればいいかもわかんねーな)
友達の部屋であれば勝手に座れるが、人生初の女子の部屋である。颯太は真顔のまま、悩んでいた。
「颯太」
かむかむ、と篠が手招きする。颯太はホッとして、足を前に動かした。
「ここ座って」
篠が学習机の椅子を引き、颯太を座らせる。持っていたペットボトルと、バッグを床の上に置いた。
長身の颯太には、椅子の座面が高かった。机に向かおうとすると、足が膝が当たって入らなかった。篠がふふっと笑う。
「いつもここで勉強してるの」
椅子に座ったまま、颯太はぐるりと部屋を見渡した。
(これが、いつもこの人が見てる景色……)
颯太は椅子の上で背を曲げた。
「これくらいすか?」
「そんなに低くないよ」
篠の目線を真似しようとした颯太を、篠がくすくす笑う。
言われた通り少しだけ背を伸ばして、颯太はもう一度部屋を見渡した。壁に掛けられているポストカード、無造作に置かれたクッション、学習机の上にあるペン立て。その全てが、篠を形作っている物。
「見せてくれたんすか?」
「うん」
颯太と篠は、身長も年齢も性別も趣味も違う。
同じ物を共有することは、とても少ない。
(一つずつ、増やそうとしてくれてんのか)
ふわふわのタオル。バレー雑誌と辞書。マンゴーとパイナップルジュース。牛丼――分け与えられ、自分が与えていた、自分を作る欠片たち。
「篠、ありがとうございます」
礼を言うと、嬉しそうに笑った篠はベッドにボスンと座った。
「今日の買い物、すっごく楽しかった」
その声は、嘘では無さそうだった。にこにこと笑っている顔にほっとする。途中で長谷川に絡まれたことを、本当はずっと気にしていたらと気が気では無かったからだ。
「――篠のお母さんが言ってましたけど、買い物、いつも行けないんですか?」
篠は颯太の足下にあるクッションを指さした。
学習椅子に座ったまま体を曲げてクッションを取ると、颯太は軽くそれを投げる。
ぽすんっとクッションが篠に飛んでいく。両手で受け取った篠は、ぎゅうとクッションを抱きしめた。
そして、心なしかしょんぼりとした声で言う。
「……友達と行くと、嫌な目に合わせちゃうから」
今日篠と外を歩いてわかったが、篠は本当によく男に見られていた。
可愛いのはもちろんだが、儚げな風貌が「押せば行ける」と男に勘違いさせるのだろう。多分本人もそれを自覚していて、そのために男相手に、必要以上に冷たくするしかなくなる。
「男の人に声をかけられるの怖いし、みんな可愛いのに、私ばかりかまおうとするのも、凄く嫌だ」
女友達との微妙な付き合いもあるのだろう。颯太は椅子から立ち上がり、篠の隣に座った。
クッションに顔を埋めていた篠がこちらを見る。顔の半分はクッションに隠れているが、その目はすごく不安そうだった。
[ 一緒に買い物行こう? ]
颯太のL1NEに届いた、一つの吹き出し。
いつも通りの、颯太を振り回すだけのメッセージだと思っていた。だが、あの吹き出しを作るのに、篠はどれほど勇気を振り絞ったのだろうか。
(俺なら篠を守れるって――信じてくれた)
颯太は篠の頭に手を乗せる。手を開けば、手のひらにすっぽりと収まるほど小さな頭だ。
クッションに顔を半分埋めたままの篠が、目を細める。もっと顔をゆるませたくて、颯太はゆっくりと頭を撫でた。
次第に、目が閉じられていく。颯太を全身で信頼しているような、柔らかな表情を篠が浮かべる。膝を立て、クッションに埋もれ、こてんと力を抜いた篠を見ていると、甘いうずきが颯太を刺す。
(このまま、押し倒してーな)
ベッドの上で、簡単に触れ合えるほど近くに腰掛けている。頭を撫でられている篠は、目を閉じている。ほんの少し力を込めて肩を少し押せば、ころんと篠は転がるだろう。
服を剥いて真っ裸にして、颯太だけだと縋らせて、自分しか知らない赤く染めた耳を探し出し、歯を立てたい。
颯太は、天井の隅を見上げた。
(あぁ――くそっ。死ね俺)
初めて女子の部屋に入ったからと言って、舞い上がりすぎている。
篠にだけは、こんな馬鹿げた性欲で、失礼なことをするわけにはいかない。
目を閉じた颯太は、自分の母親の顔を脳裏に思い浮かべた。
颯太の中に渦巻いていた邪念が、すーっと消えていく。
(よし、大丈夫)
最後にぽんぽんと篠の頭を叩いて、撫でる手を止めた。
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