第27話 (まだそんなに遅くは無いけど、)



 ショッピングモールを出る頃には、日没が迫っていた。


 行き交う人々は、空の色と同じように昼間と顔ぶれを変えている。

 家族連れや子どもが減り、仕事帰りのサラリーマンやOLがショッピングモールの口に吸い込まれていく。入れ替わるように、篠と颯太は入り口を出口に変えた。


 夕暮れの住宅街を、篠と颯太は手を繋いで二人で歩いている。

 街路樹が聳える歩道を並んで歩く、でこぼこな身長差の、影が揺れる。


 歩調は、ぴたりと合っている。ゆっくりとした足取りは、名残惜しさに引きずられているようだった。


「篠。帰りが遅くなったの、俺も詫びに行きましょうか?」


 篠の家の場所は、もう完璧に覚えている。篠に方向を示されずとも、颯太は迷い無く歩を進めていた。


「――じゃあお願い。横にいてくれる?」


 こちらを見上げ、篠がにこっと笑った。先ほどまでの、喧嘩とも言えない小さな諍いの面影も見えない、いつも通りの笑みだった。


「はい」


 反して、篠の家族との面会が決定してしまった颯太は、顔を強張らせた。


 球技大会後にも何度か篠を家まで送ったことがあったが、家族と会うのは初めてだ。

 強豪校と試合をする前のような緊張感に、肌がひりつく。


 緊張から顔を顰める颯太を、篠はにこにこと見上げている。繋いだ手がぶんぶんと振られ、彼女が何故か喜んでいることを知る。


 黒い屋根の、花茨家に辿り着く。

 いつもは門扉前で別れているが、今日は扉の内側に招かれた。

 カシャン、と鳴ったフェンスの音が、颯太の耳にやけに響く。キャップを脱ぎ、バッグに無造作に突っ込んだ。


「ただいまー」

 鍵の閉まっていない玄関のドアを、篠がガチャリと開けた。


「おかえりー」と、家の中から微かな声が聞こえる。


「お母さん、ちょっと来てー」

 玄関扉を掴んだまま、篠が家の中に向かって叫んだ。すぐそこにリビングがあるのか、訝しむような家人の声がする。颯太の心臓が、口から飛び出そうなほど、暴れ始めた。


「なによー……あら」


 あらあらあら、と、ドアから出て来た女性が口元に手を当てた。

 篠の母親だから、どんな美人が出てくるのかと思っていたが――非常に失礼なことながら――割合普通の主婦だった。高まっていた緊張が少し解れる。


 すぐに玄関までやってきた篠の母は、サンダルを履いて土間に降りる。


「こんばんは」

「あらー、こんばんは。何君?」

「楢崎と言います。篠さんを遅くまで連れまわしてしまって、すみません」


 折り目正しく礼をすると、篠の母は破顔した。

 ふわわっとした笑い方が、篠と同じだった。


「あらあら、まー。きちっとしてるのね。いいのよーまだ七時前じゃない。でもありがとうね。この子、迷惑かけなかった?」

「かけた」


 怒濤にしゃべる母親に、篠が一つ頷いて肯定する。


「そうよねぇ。あんた今日駅まで行ってたんでしょ? 人が多いところ出かけるの嫌がって、いつもお兄ちゃんとしか出ないもんねぇ」


 颯太はそっと篠を盗み見た。


『手繋いでたら、変なのに声かけられないし』

『……いつもは誰と繋いでるんですか?』


「……いつもお兄さんと手、繋いでたんですか?」


 颯太が尋ねると、篠はいたずらがバレた子どものような顔で、ふふっと笑う。


「ハズレ。颯太としか繋いでないよ」


 篠に微笑まれ、颯太は頭を掻いた。


「でも、お兄さんと仲いいんすね」

「いいよ。凄く可愛がられてる」


 颯太にも兄はいるが、街に出かける度についてきてくれと頼んだところで、白い目を向けられるだけだろう。

 しかし、颯太に妹はいないが――こんなに可愛い天使が妹だったら、休みの一つや二つや三つ、潰してもかまわないに違いない。一人で外なんか、出歩かせるわけがなかった。


「……俺が行ける時は、篠が行きたいところ、何処でも付き合いますから」


 部活が休みの日なら、いつでも予定を合わせられる。颯太が篠の顔を見て伝えると、篠はふわわっと笑う。


「ありがとう」


 とろけそうな声で礼を言う篠を見て、篠の母が「あらー」と言う。


「番犬みたいねえ。お兄ちゃんといい勝負するんじゃないの」

「颯太、由貴ちゃんにも大型犬って言われてた」

「わかるわぁ。一家に一人欲しいタイプ」

 うんうん、と母娘が頷く。


「お母さん、今日のご飯なに?」

「色々よ」

「色々って?」

「色々は色々。……あ、颯太君食べて帰る?」


 楢崎としか名乗っていなかったのに、篠が颯太と言ったために、篠の母も颯太と呼び始める。颯太は名前を呼ばれたことと、夕食に招かれたことに慌てた。


「え?! いえ――」


 首を横に振りながら断ろうとする颯太を、篠がじっと見上げた。


「食べて、帰らない?」


「……」


(この人は、この顔さえすりゃあ、俺が言うことを聞くと思ってんな)


 篠が天使の顔をして、颯太をじっと見つめ続ける。


「颯太君、おかずはなにが好き?」

「唐揚げ」


 颯太では無く、篠が即答した。

 唐揚げは好きだが、篠は少し、颯太を無類の唐揚げ好きだと思い込みすぎている。


「唐揚げ! 丁度いいじゃない。さすがに男の子が食べるほどの量は作ってなかったから、配達してもらいましょ。なに食べたい? 腿一本食べられる? 砂肝は好き?」

 この辺りは唐揚げ店が多く、電話一本で家まで配達してくれる。おかげで颯太の母親は、家でほとんど唐揚げを揚げることはない。


 着々と話が進んでいき、颯太は狼狽えた。

 篠の母は中々口数が多いほうのようだ。篠の返事がいつも端的なのは、この人との会話の影響だろうと、こんな場面だというのに思った。


「あっ。ご家族が心配する? お母さんから電話しましょうか?」

 サンダルを脱ぎ、上がりがまちに登りかけていた篠の母が、くるりと振り返った。


 未だ玄関の中にさえ入っていない颯太は、たらりと冷や汗を流して言う。


「いえ、あの俺は……」


「颯太」


 篠がドアを大きく開けて、にこりと笑った。


「食べて帰って?」


 二年に言われれば、一年は頷くしか無い。


「……はい」


 観念したように返事をした颯太を見て、篠の母が「あらあら」と笑った。




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