第22話 [ 緊急速報:颯太がデレた ] 


 ジュースを受け取り、椅子を探すが、フードコートは客で賑わっていた。


 遊んでないで椅子の一つも取りに行くべきだったと後悔する颯太を余所に、篠が颯太を引っ張って歩く。


「ここ、座って」

 フードコートと通路を区切る間仕切りのそばに、椅子が並べられていた。一人がけ用の椅子が何脚か並んでいるが、空席は一つしかない。


「いや、座るなら篠先輩が」

「颯太が座って。座ったら足、開いて」


 隣の椅子との距離は空いているため、足を開いても問題無いだろう。颯太は言われるままに座り、足を開いた。


 開いた足の間に、リュックを脱いだ篠が入ってくる。颯太に背を向けて、小さな椅子の隙間にちょこんと座った。そのまま、背もたれのように颯太の胸に寄りかかる。


(……?!)


 声も出ず、狼狽えた。さすがにこれは近すぎだ。


「先輩――そこですか?」


 なんと注意すればいいかわからず、曖昧に告げる。


「だってしょうがない。椅子無いんだし」

「俺、立ちますよ」

「私が気にするから、座ってて?」


 パイナップルジュースに刺さっていた太めのストローを、篠はちゅーっと吸った。なんてこと無い顔をしてジュースを飲む篠の神経の図太さに、颯太は目眩がしそうだった。


(なんなんだこの人。ミキサーで砕ける果物を真正面から見るより、ずっと恥ずかしいだろ)


 けれど言えるはずも無い。颯太は一年で、篠は二年だった。


「……マンゴー、飲まないんすか」

「あ。飲む」


 ちょうだい、と手を出されたので、持っていたマンゴージュースを渡した。既にカップの回りに水滴がつき始めている。


「颯太もパイナップル飲んでいいよ」


 代わりに差し出されたパイナップルジュースを受け取り、颯太はうっと顔を顰めた。ストローに、口紅の痕が付いている。


 颯太は数回瞬きをして、目を細めた。目を細めていれば、口紅のあとは見えない。


 ストローを咥えて、吸い上げた。


「美味しかった?」


 少し飲んで満足したのか、マンゴージュースを篠が差し出した。股の間に座る篠が、動く度に体と体がこすれる。夏の薄着が恨めしかった。異様な距離の近さを感じながら、颯太はパイナップルジュースを返した。


「……味、しませんでした」


「ええ?」


 篠が首を傾げ、ストローを咥える。吸い上げると、けほっと吹き出した。


「味、するじゃん!」

「さっきはしなかったんですよ……」

「飲み足りないってこと?」

「いえ、もう勘弁してください」


 まだ、倒すべきマンゴージュースも残っているのだ。こっちのストローにも当然、口紅が付いていた。


「……こういうの、あんましすぎると、危ないっよ」


 個人的には、篠は男ときちんと距離を取れていると思っている。そうでなければ、「いばら姫」なんて不名誉とも思える名前で、呼ばれていないだろう。


 付き合いのない男には笑顔を向けないし、話しかけられても、期待させるようなことは一切言わない。それが彼女なりの防衛術なのは、見ていればわかった。


 だが、懐いた人間にこれほど距離が近いのは、さすがに問題だ。


「何が?」


 篠が勢いよく振り返る。その拍子に、颯太の顔に篠の髪が当たる。


「うわっ……」

「どうしたの?」

「髪が……すごいくすぐったかったです」


 柔らかい篠の髪がかすった感触を振り払うように、颯太は顔に手をやってゴシゴシと擦った。羽毛でくすぐられたような、むずがゆさが顔に残っている。


 顔を払う颯太を見て、篠は前を向くと、姿勢を正した。背を反らせて颯太の顔に自分の後頭部を近づけると、頭をふりふりと横に振る。意地悪でもしているつもりなのだろう。


 揺れる頭から、颯太は顔を逸らした。見えていれば避けるのは難しくない。


 だが、匂いまでは避けられなかった。篠のシャンプーの匂いが、髪を振ったせいでふわりと広がる。


 吸い寄せられるように顔を近づけた。いつも見ていたつむじが、目の前にある。近付けば、地肌から放たれる熱を感じる。鼻を寄せて、髪に顔を埋めたい。


 篠の髪に触れ、耳に沿って掻き上げた。形のいい篠の耳がまろびで出る。赤く色づいた耳を見て、颯太はぽつりと呟いた。


「……かじりつきてー」


 誘われるがままに、口から本音が飛び出た。驚いて口を手で覆う颯太に、篠は言った。


「いいよ」


 颯太は呆気にとられた。


(いいよ? ……今、かじっていいって、言ったよな?)


 口を押さえたまま、篠の耳を凝視していると、篠が振り返った。


「そろそろお昼、食べに行く?」


(……ああ、なんだ。そうか。腹が減ったと、思って)


 まさか頭の中が読めるわけでもあるまい。颯太が何にかじりつきたいと言っていたのかまで、篠はわからなかったのだろう。


 口を押さえていた手を頭にやり、颯太はガシガシと頭をかいた。

 そして、しばらく頭の中で考えた後、颯太はおもむろに口を開いた。


「……篠先輩」

「うん?」

「あんまこういうの、他の男にしたら駄目っすよ」


 距離感がバグっている篠にわからせるため、ゆっくりと言った。


 ――腕を組むのも、手を繋ぐのも、抱きつくのも。


「普通に危ないです。言われたくないでしょうけど……篠先輩、ちゃんと自分が可愛いの、わかってんでしょ? いくら篠先輩が友達って思ってても、竜二とかも……普通に危ないですよ」


「かじりつきたい」に「いいよ」と言った篠は、意味をわかっていなかった。それはわかっている。


 だが一瞬「言質は取った」と思った自分もいた。


 他の男なら、そのまま好きにしたかもしれない。それは、鳥肌が立ちそうなほど、恐ろしい可能性だった。


「絶対に、俺にしかしないでください」


 しかし、真剣に考え、訥々と説明する颯太を、篠は何故かにこにこと見ている。


「……なんで笑ってんすか」


「うん」


「俺は多少、怒って言ってるんですけど」


「うん」


「ほんとにわかってます?」


「わかってる。颯太にしかしない」


 にこにこにこと笑顔満開の篠が「それに」と続ける。


「可愛いって言われるの、颯太なら嬉しいよ」


 息を止めた颯太は、頭を先ほどよりも強めに掻いた。これ以上は多分、何を言っても自分が言い負けるだろう。



 自分の口を閉じるため、ストローを突っ込んだ。


 マンゴージュースも、やはり味はしなかった。





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