第11話 「とにかく肉」「とにかくお肉」
次の日から、篠は先にズボンを履き、髪を結んでくるようになった。
初日に痛めたのか、靴も規定の革靴とは別に、運動しやすそうなスニーカーを持ってきていた。
帰ってからランニングにも出ているらしく、初日に比べると疲れにくくなってきている。
初日と同じ待ち合わせ場所で、篠が作った弁当を食べる。その後は、二人でバレーの練習をした。
練習時間がそれほどたっぷり取れるわけでは無いので、颯太は家から持ってきていたボールを篠に貸していた。一人で練習する方法も教えると、篠はちゃんと家で頑張って来ているようだった。
***
「楢崎君っ」
昼休みになった途端に立ち上がっていた颯太を呼び止める声が、チャイムに重なる。
颯太の前にいたのは、三人のクラスメイトだった。全員女子だ。同じクラスになって二ヶ月も経つため、名前もなんとなく覚えている。
「何?」
颯太は黒板の横にかかっている時計を見た。急いで行かなければ、篠が待ちぼうけをすることになってしまう。
「そんな怖い顔しないでよね」
「楢崎君、ただでさえでかいんだから、気ぃ遣ってよー」
気を遣ってこれなのだと言うのは面倒で、颯太は「わかった」と答える。
「ねえ、見たよ。昼休み、バレー教えてるところ」
「さすがバレー部だよね」
「ねえねえ、私達にも教えてくれない?」
女子らは颯太に近付いてくると、少し高い声で頼んできた。瞬時に面倒臭いと感じた颯太は、首を横に振る。
「いや、あの人には個人的に教えてるだけだから」
にべもなく断って、颯太はドアに向かおうとした。しかし、女生徒らは、颯太の行く手を遮るように立ち塞がる。まさか押しのけるわけにもいかず、三人を見下ろした。
「うちらは別に個別で教えてくれって言ってるわけじゃないし」
「一緒に教えてくれるだけでいいんだからさ」
「球技大会、クラスで勝ちたいじゃん? 協力しあおうよ」
思いっきり上の立場から言われ、急いでいることも重なり、颯太は不機嫌になった。何故「教えない」と言った自分が、悪者のように言われなくてはならないのか。
「それなら、同じバレー選択の男子と一緒に体育館使って練習したら? 申請すれば、ボールとかも貸してもらえんじゃないの?」
そちらのほうが、ネットもボールも使えるし、圧倒的に条件がいい。
颯太と篠が外で練習をしているのは、体育館で遊ぶ生徒のそばでは、篠が気を遣って練習出来ないと思ったからだ。
「えー……そんな大がかりにすること無いし……」
「それにバレー部でも無い一年が使ったりしたら、怒られそうじゃん」
(なんだそれ。俺の私物は勝手に当てにしといて)
このまま話すのも馬鹿らしくなって、颯太はため息をついた。
「どっちみち、俺は無理だから」
「なんで? 横にいるだけじゃん」
「バレー部なんだから、教えられるでしょ?」
「みんなのためじゃん。なんで協力してくんないの?」
教えて欲しいのはたまたま練習現場を見たから。
バレー部は、クラスのために協力するべきだから。
個別の指導じゃないから、邪魔にはならないから。
――立派な言い訳ばかりに反吐が出る。
(こういう言い方、まじでむかつく。ただ消費するだけで、絶対真面目にやんないし)
――バレーをやってるから。背が高いから。丈夫そうだから。
幼い頃から言われ続けてきた言葉だ。人は、沢山のものを持っている颯太が、人に手を貸すのを当たり前だと思ってる。
特別そのことに怒りを感じたことも無かった。颯太にとって、それが普通だったからだ。
だが、篠は言わなかった。
篠は、受け止めた颯太に助かったと礼を言った。
どこも痛くないかと聞いた。
むちうちを心配して湿布を持ってきた。
部活をしているのに、怪我になるようなことをさせてごめんと謝った。
球技が下手で、クラスに迷惑をかけるのが嫌だとしょげていた。
体力がなくてごめんと言った。
だから頑張ると言った。
そしてずっと――頑張っている。
湿布を持ってくる時も、きっと恥ずかしかっただろうし、心細かっただろう。
部活生でも無いのに、七時まで学校に一人で残っていたのは、どんな気分だったろうか。
何度も、帰りたくなったんじゃないか。
でも篠は、言い訳をしなかった。
近くに来たからとか、たまたま手に入ったからとか――口走ってしまいそうな保身に走らなかった。真っ直ぐに、颯太の体を心配した。
(今ならわかる。知らない部活の、違う学年の男に会いに来るなんて――あの人にとっては、無茶苦茶勇気が必要だった)
容姿を言及されるのが嫌だと言った。あれほど可愛い篠はきっと、歩く度に容姿のことを言われて回る。
だから、全く知らない男ばかりがいる場所に行くなんて、もの凄く嫌だったに違いない。
バレー部だから。体が大きいから。あのくらい大丈夫だったよね――なんてこと、篠は一度も言わなかった。
颯太が閉口しそうなほどずっと、颯太の体調を気にしていた。
篠は口数がさほど多いほうじゃないのに、彼女が「ありがとう」と言う時の癖を覚えるほどに、聞いた。
「ごめんね」も、何度聞いたかわからない。
「ていうかさ、他のクラスの人教えてるとかさ、もうそれクラスへの裏切りじゃん」
左にいる女子が、隠しきれない焦燥を滲ませて言った。
「他のクラスの応援するより、こっち応援すべきじゃ無い?」
「どうせタダで教えてるんでしょ?」
「うわー、ほんとそれ。これだから二年ってやだよね」
反論すればうるさくなるとわかっているのに、篠を悪く言われ、カチンときて言い返す。
「いや、駄賃もらってるから」
「え? いくら?」
「弁当」
「なんだ。女子の手作りのお弁当が食べたかったの? そんくらい、私も作ったげてもいーよ」
「いや、普通にいらねーだろ。二個も食えるかよ」
(何でこんな話が通じねーの?)
いい加減に我慢の限界に来て、颯太は冷ややかな声を出した。苛立ちを隠しもせずに、吐き捨てるような言い方をした颯太に、三人はびくりと体を震わせる。
「おーい、おいおい、こら。どうした。球技大会前にクラスで喧嘩すんなよ」
ガバリ、と突然肩を組まれた颯太は驚いた。肩を組んできたのは竜二だった。
「トイレ行ってた。めんごめんご」と笑いかけられ、少し気が静まる。
「俺は無理言われてるから断ってるだけだろ。昼休みにバレー教えて欲しいんだって。お前教えてやってよ」
「いーよ。俺教えてあげよっか?」
にぱっと竜二が笑って聞いているのに、女子らは気まずそうに顔を見合わせている。
(いや、なんなんだよ! 何がしたいんだよ!)
竜二まで巻き込んだと言うのに、最悪な気分だった。ずっと一緒にバレーを続けている竜二を、蔑ろにされた怒りも沸いた。
むしゃくしゃして仕方無い。竜二に「悪い」と謝ると、さすがにこれ以上は付き合いきれず、教室の出口に向かう。
「――あんな能面みたいな顔、何処がいいのかぜんっぜんわかんない」
「は?」
教室から出ようとした颯太は、意味がわからずに振り返った。
三人の左端にいた女子が、顔を真っ赤にして颯太を睨み付けている。他の二人の女子が、叫んだ女子に寄り添っていた。
何を急にキレられたのかもわからなかったが、ひとまず、一番気になったことを尋ねた。
「能面……って何?」
ぽかんとして尋ねると、同じくぽかんとしていた竜二がこちらを向いた。
「ナラ、能面知らねえの?」
「いや、知ってるけど……は? 何? どういう意味?」
思っていた反応と違ったのか、悪態を付いた女生徒はたじろいだ。
「あの美人の先輩教えてるんでしょ。”いばら姫”とか呼ばれて調子にのって、バッカみたい。あんな何考えてるかもわかんない顔、気持ち悪いだけじゃん」
「……はあ?」
その言い方に本能的に苛つくが、頭は完全に混乱していた。
美人はわかる。可愛いもわかる。
”いばら姫”だとか、何考えてるかわからないとか、能面だとか気持ち悪いとかが、一切合切わからなかった。
(あんないつもにこにこふわふわ笑ってるあの人に、何言ってんだ??)
竜二を見ると、竜二も混乱しているようだった。
「……人違いじゃねえの?」
颯太は呆れた視線を投げつける。
「もうなんかよくわからんが、俺本当に行くから」
時計を見ると、十分も時間を無駄にしていた。篠が心配しているかもしれない。
後ろからまだ何かを言われている気がしたが、一切振り返りもせず、颯太は廊下を大股で走った。
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