第10話 (わぁい。抱きしめられた)
「……ほっそ」
ボールを受ける時の手の組み方を見ている時に、篠のあまりにも細い腕に、颯太はドン引きした。
制服は既に夏物に衣替えしている。篠はいつも薄手のカーディガンを羽織っているようだが、練習のために脱いでいた。
そのため、篠の真っ白な前腕が今、剥き出しになっている。
日頃自分が取っている姿勢をさせると、あまりにも自分の腕と違いすぎる事に気付いてしまった。
「……え? バレー止めた方がよくないっすか?」
「今更無理……それに、そもそもクジだから変更できないよ」
颯太はぞっとした。
今からこの白くて細い腕に、時速百キロのボールがガンガン当たるのかと思うと、恐怖を感じる。
「なんでクジ、勝たなかったんすか。卓球とかサッカーとかあったでしょう」
「ええ?」
篠は組んでいた手を解き、自分の手をまじまじと見た。どれほどまじまじと見たって、今すぐその腕が太くなるわけでもあるまい。
「そんなに駄目そう?」
「いや、駄目っつーか……」
(折れるだろ)
そう考えた瞬間、あざどころでなく、本当に折れてしまいそうな気がしてきた。
「……先生に言ってきましょうか? 種目変えて貰えるよう」
「え? いやいや……こら。どうしたの。どこ行くの?」
こら、と篠に怒られたのは初めてだった。校舎に向かおうとしていた颯太のシャツが引っ張られている。
「上手になるために、練習してくれるんでしょ?」
「いや下手とか上手いとか、そういう問題じゃ無く……」
「ナラ君?」
篠に引きとめられ、颯太は頭をガシガシと掻いた。
そもそも、他のクラスのメンバー変更など、口出しできることでは無い。それも相手は上級生だ。更にいうなら、女子である。無理寄りの無理めの無理だ。
わかっているのに、何故か動かなくてはと思ってしまった。
「じゃあ、やりますけど……まじで怪我だけは気をつけてくださいね」
「うん」
「折らないでくださいね」
「? うん」
篠がしっかりと頷く。颯太は諦めて、もう一度ボールを受ける時の手を組ませた。片方の手のひらに手を置く篠を見て、颯太が指示を出す。
「指、組んでください」
「指?」
「そっちのほうがぎゅっと力はいるんで」
「ぎゅっと……」
篠が両手をぎゅっと繋いだ。二つの手のひらが組み合わさったのに、自分の拳より小さい気がして、颯太は気が滅入りそうだった。
「そんなに握り込んだら、手組めないんで。手の中は空間持たせるみたいに――」
口で説明するが、いまいち伝わらない。対面にいた篠は、眉根を寄せ、自分の手を見つめていたが、すっと移動して颯太の前に来た。
(は?)
颯太の胸にすっぽり納まるように、篠が入り込んできた。こちらに背を向け、手を前に突き出している。
「ナラ君、違うところ直して」
「え、はい」
こちらを見上げることもなく、篠は真剣な顔で自分の手を見ていた。
真剣になれないのは颯太の方だ。前方にある篠の手に触れようと動くと、当然顔が近くなる。身長差はあるが、手に触れるためには篠の肩に顔を寄せなくては届かない。
(女子のシャンプーの匂いする……)
なんでこんなことになったんだ。颯太は篠の手の甲を、指先で軽く押す。
「ここを膨らませて――」
「こう?」
「違います」
「こう?」
「いえ、こんな感じで」
見せた方が早い、と思った颯太は両手を組んで、篠の手の上に見本を作った。
一瞬、篠が黙り込む。真剣に颯太の手を見ているようだった。
「組むのは指先だけでいいんだね」
「そうすね」
「これでいい?」
「はい」
「ありがとう」
振り返った篠が、首を傾けてふわんと笑う。いつもの笑みを至近距離で見せられた。
もう見本も必要無いだろうと、颯太は手を解いて体を離す。
その時、まるで自分が篠を抱きしめるように、両手の中に包み込んでいた事に気付いた。
(……今更何か言うのも、変か)
篠は全く意識していなさそうだった。元々、篠は人との距離が近い。あれくらい普通なのかもしれない。
「じゃあ、フォームはそれで。膝、曲げといてくださいね。今から篠先輩にボール投げるんで」
「はい」
八年のバレー人生の中で、一番気を遣いながら易しいボールを下から投げる。
山なりに飛んだボールは、当然のように篠の手元に届いたが、上手く返ってくることは無かった。申し訳なさそうな顔をさせる間も与えず、颯太はボールを拾ってまた投げる。
「肘曲げないでください」
「はい」
「手、もう少し上で取って。顎引いて」
「はい」
「重心前で」
「はい」
「フォーム崩さないで。体動かして」
「はい」
「まず当てること意識してください」
「はい」
三十球ほど打つと、篠が肩で息をしながら、小さく手を上げる。
「ごめん、ちょっと待って」
颯太は投げようとしていたボールを止めた。篠は膝に手をついて、荒い呼吸を繰り返している。篠の呼吸が整うまで、ボールを手慰みに飛ばして遊ぶ。
「体力、無くって、ごめん。体力っ……つけとく」
「はい」
颯太が頷くと、まだ肩で息をしている篠が体を起こした。
上気した頬に張り付いた髪を、乱暴に手で払う。ポケットに手を入れ、黒いゴムを取り出した。乱れた息のまま少し顔を伏せて、髪を耳から掻き上げる。
小さな手で自分の髪を梳く。白い地肌が覗いた。汗でじっとりと濡れた髪は、ところどころ束になっている。息苦しいのか、面倒臭そうに顔を振りながら長い髪を何度も掻き上げる。
後頭部で器用に髪を束ねると、いつもはちらりとしか見えないうなじが、完全に露出した。
「ごめん、おまたせ」
無意識にボールを飛ばしながら、髪を結ぶ篠を眺めていた颯太は、声をかけられてはっとした。
「いえ……」
「頑張るね」
「はい」
小さく頷き、颯太はまたボールを投げた。
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