第36話 起こらないイベント
レベルアップに励んだ夏休みも終わり、始まった王立学園二年生の後期も、何事もなく順調に時が流れていった。
夏の暑い日差しも陰りが見え始め、ようやく秋になろうかというちょうど良い季節に、毎年秋の風物詩である実戦研修が行われる。
俺達はこの日をもっとも警戒していた。
「確認なんですが、聖女イベントが起きるとするならば「王立学園二年生の後期」で間違いないですね?」
「ええ、間違いないわ。それでも聖女イベントが起こる可能性は八十%くらいだけどね」
頼れる女、シャーロットが胸を張って答えた。
発生確率まで把握しているとは、さすがである。
だが、何でそんなに大事なイベントを百%発生させるように設計しないのか。これが分からない。
このゲームの制作者は一体何を考えているのか。
「やはりこの実戦研修が一つの山場になりそうだね。場所がキリエの森からグロリア草原に変わっているとはいえ、油断はしないほうが良さそうだ」
「そうですわね。グロリア草原が初期のレベル上げの聖地で、弱い魔物しか生息していないとしても、大量に呼び寄せられたら、死傷者がでるかも知れませんわ」
考えるだけでも恐ろしいとばかりに、モニカの美しい顔がわずかに歪んだ。すでに聖女モニカが存在している状態でこのイベントが実際に起こるのかは分からない。
だがしかし、起こらないとしても、このイベントを発生させようとしている者達がいる可能性を排除できないのが厄介なところだ。
残りの二人のヒロインも転生者なのだろうか? もしそうだとすれば、このイベントは自分が聖女であり、真のヒロインであることを示すことができるまたとないチャンスである。
発生させない手はない。
はあ、と俺はため息をついた。
「大丈夫よ、殿下ちゃん。ワタシ達がついてるわ」
「そうですよ。何があってもモニカお姉様をお守りしますわ!」
うんうんとオリビアも頷いている。それもそうか。事情を知っている人達がここにはそろっているんだ。無策で対抗しようとしているわけではないのだ。
「そうだったね。ありがとう。みんなの働きに期待しているよ」
その場にいた全員が力強く頷いた。
実戦研修の日がやってきた。今年も昨年度と同じくグロリア草原で実施されることになる。
「殿下、本当にそのようなことが起こるのですか?」
「その可能性は十分にあると思っているよ」
まさか、と顔をしかめるアルフレッド。その隣でギルバードも思案顔である。
「そんな危険なアイテムが市場に出回っていたとは、全く知りませんでした」
「それはそうだよ。そんなものが出回ってるなんてことが国民に知られたら、パニックになりかねないからね。当然、国王陛下の信頼も下がるだろう。だから極秘扱いになっていたんだ。ギルバードが知らなくてもしょうがないことだよ」
なるほど、とその隣で納得するブルックリン。俺は万全の体制を期するために、冒険者メンバーである彼等にも話した。
「なるほど、雑魚ばかりとはいえ、数が多いと厄介かも知れないな。サクヤ、俺から絶対離れるなよ」
「わ、分かりました、カイエン様」
この話を重く見たサクヤは顔が真っ青になっている。まあ、カイエンが命がけで守るだろうから大丈夫だろう。
「無策、というわけではないんだろう?」
カイエンがこちらにチラリと目を向ける。
「もちろんだよ。昨日までの間にグロリア草原に騎士団を派遣して、魔物の討伐を行っておいたよ。だからもうこの一帯にはほとんど魔物はいないはずだ」
なるほど、と頷く一同。
「それに、例のアイテムを実際に使ってみたよ」
「おいおい、大丈夫なのかよ」
「まあね。実際に使ってみなければ分からないことが多かったからね。幸いにして、出土品にはまだ同じものがいくつかあったからね」
「それで、結果はどうでしたの?」
心配そうにモニカが聞いてきた。
モニカにも極秘で実験をしたので、肝を冷やしているのだろう。
言えば自分も行くと言いかねなかったし、こればかりは仕方がなかった。モニカを危険な目に遭わせるわけには行かないからね。
「アイテムを使うと、まず、ウーウーと甲高い音が鳴る。そして、その音が聞こえる範囲にいる魔物が、その音につられてよってくるみたいだね。音の鳴る時間はそんなに長くはないよ。範囲もそれほど広くはないし、効果時間も短い。だが、懸念材料もあるんだ」
「レオ様、それは何ですか?」
「そのアイテムを同時に使うとどうなるか、検証ができていないんだよ。共鳴して大きな音を鳴らすのか、長時間効果を持続するようになるのか、それとも何も起こらないのか、それが分からない」
俺はうつむくしかなかった。このことを実証できなかったのは自分のせいである。
研究員の、国王陛下の説得さえできれば可能だったのだが、魔物を呼び寄せる効果があることが発覚した時点で、中止されてしまったのだ。
俺は何度も説得を試みたが、ついに説き伏せることはできなかった。
「殿下、一体いくつ紛失しているのですか?」
「十二個だと言っていたよ」
「十二個……結構な数ですね」
アルフレッドが唸る。確かに多い。売れたのがそのアイテムだけだったので、買った人は恐らくその効果を知っているはずだ。
「何かあれば騎士団がすぐに駆けつけることができるようにしてあります。我々はバラバラにならないように気をつけて行動するしかないですね」
ギルバードが真剣な顔つきで言った。
実戦研修には俺達だけでなく、二年生全員が参加する。その人数は四百人ほどになるため、すべてをカバーするのは難しい。さすがに全員をカバーしながら対処するのは困難であると言わざるを得なかった。
そんな俺達の考えとは裏腹に、実戦研修は行われた。
事前にかなりの数を間引いていたので、魔物はほとんど俺達の前には姿を見せず、何も知らない生徒達は「何だか肩透かしだな」とのんきなことを言っていた。
そのとき、ウーウーと甲高い音が鳴り響いた。
この音は何だと辺りはすぐに騒がしくなったが、俺達はこの音がマジックアイテム『おおっと、警報!』であることを知っているため、即座に行動を開始した。
「アル、ギル、音の発信源にすぐに行って、犯人を捕まえろ! ブルック、信号弾だ。騎士団を呼んでくれ! カイエンとサクヤは先生に事情を話して生徒を一箇所に集めてくれ。残りは騎士団が来るまでの間、みんなのカバーだ。絶対に無理はするなよ。行け!」
俺の命令に即座に全員が行動を開始した。
音はすぐに鳴り止んだが、音量は確実に大きかった。恐らく、同時にいくつか使ったのだろう。
この分だと、かなりの範囲に音が広がっているはずだ。
「心配はいらないよ。グロリア草原の魔物は単体行動をするものばかりだ。集まって大群になる前に各個撃破すれば、問題なく倒せるはずさ。ほら、早速一匹きたぞ」
俺がそう言うと、こちらに向かってきたウサギ型の魔物を、信号弾を打ち上げ終わったブルックリンが倒した。
その間に近くの生徒にもこれから魔物がこちらに向かってくることを伝え、すぐに臨戦態勢をとってもらった。
その甲斐あってか、バラバラとやってくる魔物達は次々と倒されていった。
あらかじめ魔物を間引いていたのが幸いしたのだろう。合計で五十匹ほど魔物を倒したころに騎士団が到着し、後を引き継いでくれた。
アルとギルの方にも応援に駆けつけてくれたが、結局犯人は見つからなかった。しかし、その場には使用済みのマジックアイテムが十二個放置されていた。
騎士団はこれを重要な遺留品として、持ち帰った。
結局のところ、弱い魔物五十匹程度ではこちらへの被害はほとんどなかった。負傷した人もモニカが回復魔法を使ってすぐに治療したので、今では怪我人もいない。
こうして、不安視されていた聖女イベントは起こらないまま実戦研修は終わった。
「何とか無事に終わりましたわね。それにしても、モニカお姉様があんなに回復魔法を使えるだなんて、知りませんでしたわ。まるで、聖女様みたいでしたわ」
モニカの手腕を隣で見ていたミーアが感心して言った。
「あら、そうなの? ワタシも見てみたかったわ」
「私もです。お姉様の活躍を見たかったですわ」
シャーロットとサクヤが自分達も見たかったとモニカを囲んだ。モニカは、え、あの、と困惑している。
「それはそうだよ。モニカはこの国の聖女だからね」
えええ! とオリビアを含めた四人衆が驚いた。どうやら知らなかったらしい。
さすがにカイエンは知っていたらしく、お前達知らなかったのかよ、と呆れた目で見ていた。
「三年くらい前かな、モニカが聖女認定されたのは。東国のサクヤが知らないのは仕方がないとしても、同じ国の三人が知らないとは、どういうことなのかな?」
問い詰めた俺の視線をサッと避けた三人。どうやら当時は興味がなかったようである。
モニカが聖女であることを認識していない子が、この国には結構いるなと思い知らされた一件であった。
****
ここは学園のとある一室。またもや二人の生徒が頭を突き合わせて話している。
「まさか二十%を引いてしまうだなんて、私達、運が悪いわね」
「本当ですわ。あのアイテムを使えば間違いなく聖女イベントが起こると思っていたのに、まさかイベントが発生しないだなんて。大体、何でそんな大事なイベントを百%発生するようにしておかないのよ。バカなの? このゲームの開発者」
「同感だわ。せめて、リセットボタンくらいはつけて欲しかったわね」
彼女達はこの世界のことをまだゲーム内のものだと勘違いしていた。そしてそのことがどれだけ危ういことなのかを知る由もなかった。
「まあ、来年の生徒会に選ばれれば問題ないわ。攻略対象の誰か一人にでもフラグが立っていれば必ず入ることができるからね」
「そうね。でも、どっちが選ばれても恨みっこなしよ」
「もちろんよ」
その後も二人は、あのときああすれば良かった、このときこうすれば良かった、と戻ることのない過去について、延々と語り合っていた。
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