第32話 カイエン・ユキノジョウ
高等部一年生が終わりに差しかかったころ、学園の授業の一環として、実戦研修が行われた。
本来ならば近くの森で行われるはずであったが、例のダンジョンコア破壊イベントによって魔物が現れなくなってしまったため、別の場所で行われることになった。
「あああ、どうしてこんなことに……」
モニカは頭を抱えている。その様子をミーアがオロオロと見ていた。
「ミーア、心配しなくていいよ。それなりに良くあることだからさ。それで、モニカ。今度は一体何があったんだい?」
キッとこちらを睨む。すでに頬は膨らんでいる。その膨らんだほっぺたをつつくと、プシュッと音を立てて中の空気が抜けた。
「良くあることではありませんわ。またですわ。また! 毎年行われるキャラクターのレベルアップイベントである「森での実戦研修」が近くの森から、近くの草原に変わってしまいましたのよ? これは由々しき事態ですわ。皆さんのレベルアップがままなりませんわ!」
モニカは興奮して鼻息を荒くした。そう言われてもねぇ。
「モニカ、レベルアップは例のアレのときに散々しただろう? 雑魚ばかりだったとはいえ、かなりの数を倒したはずだからね」
そうだろう? と俺はサラに顔を向けた。モニカもつられてサラを見た。
「レオンハルト殿下のおっしゃる通りです。あの場所では特別な経験値ボーナスが入る仕組みになっておりましたので、皆様すでにかなりのレベルに達しております。ですから、モニカお嬢様は安心して大丈夫です」
あら、そうなんですの? と狐につままれたような顔をするモニカ。ゲームイベントは発生しなくなったが、多分大丈夫だろう。
「あの、モニカ様、先ほどからおっしゃっているアレとは何のことでしょうか?」
「ああ、アレはですね……ミーアなら話しても大丈夫でしょうか?」
モニカが俺に聞いてきたので、俺は首を縦に振って、了承を示した。
その後、何ですってー! というミーアの声がいつもの庭に鳴り響いた。
「ミーアはレベルを上げたがっていましたわね」
モニカが上目遣いで聞いてきた。やめてくれ、その仕草に俺は弱いんだ。
「分かったよ。今度、ミーアを連れて、どこかにレベルアップの旅に出かけよう」
「約束ですわよ、レオ様!」
モニカは上機嫌で笑った。ううう、すでに尻に敷かれ始めているような気がする。
尊い犠牲はあったものの、何とか高等部一年生を乗り越えることができた。
王立学園は前期と後期の二期制を採用しているため、冬休みに入った俺達は、来年の春になるまでは比較的自由に過ごすことができた。
だがしかし、皇太子の俺は冬休み中にも仕事があるのだ。
救いがあるとするならば、このようにモニカとワンセットで仕事を任されるということだろう。
モニカがいなければとんずらしていた。間違いない。
「東国からの来賓者が来たそうだけど、これはカイエン殿下が来たんだよね?」
モニカがコクリと頷いた。やはりそうか。どうやらシナリオの本筋は変えることができないようだ。
ということは、来年になると一つ下の学年に、攻略対象のロランが入学してくるはずだ。
俺とモニカが直接関わってくることはないらしいが、他のヒロイン達はもれなく何かしらのコンタクトを取ってくることだろう。
そうこうしていると、俺達は来賓客が待っているホールへとたどり着いた。
国外からの客人を招くというだけあって、そのホールはいつも以上に豪華絢爛に飾りつけられていた。
テーブルの上には色とりどりの食べ物が並び、お菓子類はまるで輝く宝石のように美しかった。
立食形式をとっているらしく、すでに多くの貴族達が集まり、パーティーを楽しんでいるようだった。
「来たか、レオンハルト。おお、モニカ嬢も大変美しいな」
うんうんと頷く国王陛下。モニカと俺はそろって国王陛下に挨拶をすませた。
「レオンハルト、モニカさん、あなた達に紹介しておきたい人がいるのよ。来年から二人と同じ学年に編入することになるわ。仲良くしてあげてね」
そう言うと王妃殿下は側仕えに何やら耳打ちした。すると、ややあって、少し日に焼けた褐色の美丈夫がこちらにやってきた。
なるほど、エスニック風の色気を出してきたか。それなら東国ではなくて、南国出身の王子でも良かったのではないか? などと下らないことを考えていると、お母様が紹介を始めた。
「こちら、東国からやってきた留学生のカイエン・ユキノジョウ王子殿下よ。カイエン殿下、私の息子のレオンハルトと、その婚約者のモニカ・カタルーニャ公爵令嬢よ」
俺とモニカ、そしてカイエン殿下はお互いに挨拶を交わした。
カイエンがモニカを見たとき、一瞬、目が見開かれたが、すぐにものと美しい表情に戻った。
確かにモニカは美しい。まるで天使だ。だが、お前にはやらん。
俺の表情に気がついたのか、アワアワしだしたモニカは俺達の間を取り持とうと、必死に話を紡ぎ出そうとした。
「カイエン殿下、東国はどのようなところなのですか? こちらとは気候が違ったりするのでしょうか?」
モニカの疑問にカイエンが答える。
「どうやら、この国よりも東国は暖かいみたいですね。最初は、なぜ相手側の迷惑もあるのに、このように早い時期から向かう必要があるのかと思っていたのですが、今よりも遅くなると道が雪で閉ざされてしまうようですね。それでなくとも、雪の中を馬車で進むのはとても困難だったと思います。かと言って春先にすれば、王立学園での授業開始の日に間に合わなかったことでしょう」
そう言うと、カイエンはなぜか少し遠い目をしていた。その目は遠く離れてしまった東国を見ているようであった。
何だ、カイエン。早くもホームシックか? 情けないな。
「あの、もしかしてカイエン殿下は東国に思い人がいらっしゃるのではありませんか?」
モニカの言葉にカイエンの目が大きくなった。
「なぜそれを?」
「カイエン殿下、女性の感は時として男のそれを大きく凌駕するものですよ。特に、色恋沙汰に限ってはね」
俺の言葉に観念したのか、カイエンは額に手をやり、天を見上げた。
「レオンハルト殿下、私のことはカイエンと呼んで下さい」
「分かりました、カイエン。それでは私のこともレオンハルト、いや、レオと呼んで下さい」
それを聞いたカイエンはギョッとした表情をしたが、隣でニコニコと笑うモニカを見て、表情を柔らかくした。
「ありがとう、レオ。二人に会えて、良かった」
こうして俺達は無事に友としての信頼関係を結ぶことができた。
しかし、この話はここで終わらなかった。モニカの提案によってとんでもない方向に進んで行ったのだ。
ここはお母様の自慢の庭。そう、俺達が良く利用するいつもの場所だ。
この場所には、俺とモニカ、そしてカイエンがいる。
「この間の歓迎パーティーで言っていたカイエンの思い人ってどんな子なんだい?」
この場所には許可の出た者しか訪れることができない仕様になっているため、俺達の話し方は自然と力を抜いたものになっていた。
王族とはいえ、いつも堅苦しい言葉で話しているとさすがに疲れる。たまにはこうして息抜きがてらに話す必要もあるのだ。
この庭はそういったことにも良く利用されていた。
ブフッと、紅茶を優雅に飲んでいたカイエンが吹き出した。台無しである。
サラがすかさずハンカチーフを渡し、事なきを得た。
「何だよいきなり。心臓に悪いぞ、レオ」
「悪かったよ。ちょっと、と言うか、かなり気になっていてね。モニカもとても気にしているんだよ。良かったら聞かせてくれないかい? これでも愛する人の重要性は理解しているつもりだからね」
チラリとカイエンは俺達を見た。そして目を落として話し始めた。
「東国に幼馴染みがいてな。どうもそいつのことが気になるんだよ」
日に焼けた顔に朱色が走った。何という色気。それを見たモニカの頬も赤くなっている。
なんか悔しい。何だかとってもドチクショウ!
「なるほどね。離れてみて、初めて自分の思いに気がついたと言うわけか。王立学園に留学に来たわけだから、二年間は帰れないな。ちょっとそれは寂しいね」
もし、自分の立場だったら……考えただけでもゾッとする。お互いにバカなことを言い合う相手がいないのは、心の中がどんどん苦しくなっていくだけだ。
「ああ、そうだな。まあ、向こうがどう思っているかは分からないけどね」
俺達は首を傾げた。
「向こうがどう思っているか分からないって、カイエン、相手の気持ちを確かめていないのかい?」
カイエンはバツが悪そうに目を逸らした。
「聞けるものか。相手は貴族でも何でもない、ただの従者だからな」
カイエンの声は沈んでいた。叶わぬ恋だと知っているのだろう。そのため、今まで見てみない振りをしてきたのだ。
つらそうなカイエンの顔に思わず胸がギュッとなった。
「その程度のことで諦めるのですか!?」
とても納得できないとモニカが叫んだ。そして、なぜかすぐにニヤリと笑った。
その表情は何が何でも二人をくっつけようとする、イタズラ心溢れる笑顔だった。
「私に良い考えがありますわ」
何だ、とカイエンがモニカの方を向いた。その目は藁にもすがるようであった。
一方の俺は、何だかそれが失敗フラグのように思えて、不安になった。前世の知識って怖い。
「カイエン様の幼馴染みをカタルーニャ公爵家の養子にすればいいのですわ!」
ドヤァとモニカが胸を張った。
そうか、その手があるな。俺は王家の一族だから養子をとることはできないが、カタルーニャ公爵家なら大丈夫だ、問題ない。
「良い考えだね、モニカ。まさかモニカからまともな案が出てくるとは思わなかったよ」
「ちょっと……レオ様……?」
笑顔のモニカが何だか怒っているように見える。
ほんの冗談だよ、とモニカを諫めたが、機嫌はすぐには直らなかった。もしかして、図星だったのかな?
それはさておき、この話にカイエンは食いついた。
「モニカ嬢、本当にそのようなことが!?」
「ええ、もちろんですわ。これならその幼馴染みさんも公爵家。しかもガレリア王国の有力貴族の者となれば、我がガレリア王国とつながりを密にしたい東国にとっては、とても良いお話になるのではないでしょうか?」
どうしたんだ、モニカ。熱でもあるんじゃないか? という目でモニカを見たら、ギッと睨まれた。怖い。
「あとは……」
「あとは?」
カイエンが不安そうに聞き返した。
「あとはその幼馴染みさんがカイエン様のことをどう思っていらっしゃるか、だけですわ」
この話の後、カイエンはすぐに本国に手紙を送った。その日の内に文をしたためて送らせたことからも、カイエンの本気度が良く分かった。
あとはお相手がどう思うかだな。カイエンがフラれるのも面白いが、やはり上手く言ってもらいたいと思っている。
それから数日後、ガレリア王国には冬が訪れ始めた。
そろそろ東国と行き来するのが大変になって来そうだぞ、と思っていたころに、その子はやってきた。
カイエンの書いた手紙の返事を携えて。
それに驚いたのはカイエンだった。
「サクヤ? どうしてここに!?」
美しい黒髪をした小動物のような可愛い女の子、サクヤは上気した顔で言った。
「カイエン様、私、来ちゃいました」
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