『魔法少女の二人』
ひななぃ
No.34
目が醒めると、どういうわけか、周りの生徒たちの多くが自分のほうに視線を集めていることに気がついた。いつからこの状況が続いていたのかは知りようもないが、自分は何かとんでもないことをしでかしてしまったのではないかという直感がはたらく。
「おーい、竹田ー、」
「はいっ」
当てられちゃっていたのかと悟り、半ば諦観しつつ、しかたなく顔を上げた。ぼやけた視界が、先生がこちらを見ながら、黒板の前でチョークを持った手を静止させている姿を捉える。寝覚めの間抜け顔を見られたかもしれないという心配など、今は些細なものだ。先の直感が、確信的な憂惧へと移り変わってゆく。
「起きてるかー、えーこの、大問24の(1)」
「あ、はいっ」反射的に返事した。
ぱっと意味を把握することができない単語が私の頭に引っかかる。
はて、大問24とは何ぞや。
「24、ここね」
先生は黒板を指すが、応答のしようがない。気持ちよく夢を見ていたのに、どうして私を指すのだろう。さらに、数多の数字や文字の書き込みでぐちゃぐちゃにデコレーションされた長方形を見たところで、一体どうしろと言うのだろうか。
教室の空気が、段々と冷めていく。私はもう耐えきれず、ほとんど本能的に――特に誰というあてもなかったのだが――、横や後ろのほうに視線を彷徨わせたところ、斜め後ろに座っているひとりのクラスメイトと偶然に目が合った。名を
――え、見捨てるの?
しばらく唖然としていた。
すると、彼女は再びこちらを一瞥し、私と目が合うと、また戸惑ったように辺りを見回した。そんなに私と話すのが嫌かい?
「えっと......」茉莉は困り顔のまま、内緒話をするようにくちびるに手を添え、少々机に身を乗り出して、
(増大する、だよ)と言ってきた。これがきっと大問24とやらの答えなのだろう。
(増大する?)
(うん)
茉莉は最後にそれだけ答えて、やれどうしたものか、逃げるようにすぐさま元の姿勢に戻ってしまった。私は前を向いて、
「増大する」
ようやく質問の答えを返すことができた。先生には一部始終を見られているはずなのだが、今日のところはご勘弁。
「そのとおり。こんなもの基本中の基本ですよー」
「はーい」
いやしかし、昼下がりのあったかい陽光に包まれた教室――そこに、開放された窓から時折涼やかな風がそっと入り込んでくるのです。これはもはや、仮眠に最適な環境としか言いようがないのでは?......と、これについては、放課後の雑談タイムにでも誰かと話すとしよう。
私は振り返って茉莉に「ね、ごめんね」と告げた。言わないほうがよかったのかもしれない。「あ、大丈夫大丈夫」などと答えていた。その微妙な表情が何を思っているのか、どうも私には読み取れない。
視線を戻すと、黒板を端から端まで埋め尽くす大量の方程式により、私はいっそう気力と自信を喪失した。お前はもう授業を受けるなと言われている気分だ。私は自分にも聞こえないような小さなため息をついた。
それからというもの、ぼうっと空を眺めたり、シャープペンシルをカチカチしたりしながら、ただ授業の終わりを待ち続けた。
町は、すっかり闇に包まれている。
本日も「学校に忘れ物しちゃった」と母に嘘をつくと、やはりいつものように長い説教を受けることとなってしまったわけだが、勉強ができなくて困っているという理由をつけて、かろうじて外出の許可を得たところだ。そろそろ別の言い訳を考える頃合かもしれない。「宿敵と戦いに行ってきます」みたいなことは言えないからな。
出かける準備をしていると、台所で明日の分のお弁当を作っている母が唐突に話しかけてきた。
「
「ん、そうだけど」
一応これは嘘ではない。
「どうしたのよ、そんなに楽しそうな顔をして。」
「え? いや、別に......」
朝と同様、地味なセーラー服に薄っぺらいカーディガンを来て玄関を出、そのままマンションの最上階へ。
エレベーターに乗って十四階まで上がると、さらに上るべく、階段の有刺鉄線を跳び越え、屋上へ侵入。ここまで来ればもう誰かに見られる心配もない。通りすがりの人に、この歳で痛々しいコスチュームで遊んでいる変質者だと思われたくはないものだ。
マンションの屋上には遮るものが何もなく、夜風が静かに吹き荒れているのを感じることができる。町の穏やかな夜景を眺め、鼻からお腹いっぱいに夜の空気を吸い込む。そして、ふーっと思い切り吐き出す。楽しくって何回もやる。ふーっ......
さて気が済んだところで、スカートの無駄に広いポケットに潜めておいたステッキを取り出し、軽く揺する。
〈変身〉
制服がぱっと光って、弾けるように変化する。このファンシーな衣装を身に纏っているといつもひどい背徳感に襲われるのだが、それはこんなにも脚を惜しげなく見せびらかしてしまっているせいに違いないだろう。魔法を使うことにはすっかり慣れてしまったが、これを着るのはまだ少し恥ずかしい(こんな格好に慣れてはいけないような気もするが)。デザイン自体は嫌いではない。非常に動きやすい設計であることも認めてやっていいのだが、着心地ははっきり言って下着も同然である。
そんな格好で、今日も私は空を飛ぶ。
随分と長い間空にいたような気がするが、目印のレンタルビデオ屋の看板が近くなってきたので、そろそろ目的地。高度を落としながら、右回りに旋回していく。ゆっくり微調整しながら、学校の汚れたコンクリートの屋上に爪先から下り立つ。
少し見回すと、奇妙な位置に人影を発見した。
紺瑠璃の衣装が夜風にそよいでいる。それはまるで質量がほとんど無いかのように、屋上を囲う手摺の上に立って、静かに真上を見上げていた。髪が後ろに流れて、物憂げな横顔が晒される。今にも落っこちそうで危なっかしいが、何を考えているのか、彼女はその場所から微動だにしない。
なんということだろう、私がやって来たというのに完全に無視されている。まあこいつはいつもこうクールなのだが、それも何となく癪なので声を掛けてやろう。
「やあ、魔法少女ラヴィ」
彼女がこちらを振り返ると遠く目が合って、しばらく互いに見つめ合っていた。
物理の授業で寝ぼけていた女だ、などと思われているだろうか。
しかし、互いに何も言うことはない。
そんなこと――今は、どうだっていいもの。
少女がようやく口を開いた。
「......また来たのか。何の用だ」
いつもの偉そうな態度。なぜか安心する。
「何の用とはとんだご挨拶ね。そうね、あなたを潰しに来た、と言えばいいかしら」
「出来もしないことをそれほど堂々と言って見せるとは、これまた呆れたものだ。お前も魔法少女なら、もっと他に仕事があるだろう」
彼女はその
「いいえ、無いわね。私の使命は本来、文明が勝手に発展していくのを見守ることだけだったもの。でも最近、あなたが私の邪魔をしてくるでしょ。だから、今はあなたを倒すことが仕事かな」
彼女は、手摺の上から降りることもなく会話を続ける。
「こっちも、お前さえいなければもっと落ち着いて仕事をしていられるはずだったんだがな。文明など結局自ら滅亡するのだから、いいかげんに――と、いや、やめよう。そういえばお前とは話し合っても無駄か」
「ええ、議論は決して解決策を導かないというのは同意見だわ。私たちは何処まで行っても平行線。で、どうしようもないので私はあなたをぶっ潰すことに決めたというわけ。悪く思わないでね。これも、あなたの言うところの『宿命』よ。覚悟しなさい、魔法少女ラヴィ」
「お前ごときが私を倒そうなど、全く以て可笑しな話だ。ところで、気安くその名前を呼ぶなとは何度か言っているはずだが」
おや。
「おかしいな。それはあなたから勝手に名乗ったんじゃなかった? 訊いてもいないのにね」
「な......」
楽しくなってきて、
「どうしたの、魔法少女のラヴィちゃん。あら、たいそう素敵な名前だこと」
「うるさい。お前こそ......お前こそ、その気持ち悪い服は何なんだ。一体いつまで『女の子』でいるつもりなのか知らないが、そろそろ自分の齢を弁えるべきじゃないか」
「は? あ、あなたねえ......」
思ったことがそのまま口に出る。だが言葉にはならない。
「何だし」
「あなた、謝るなら今のうちよ」
「戯け」
一蹴。猶予をやったのに一瞬で撥ね付けやがった。
「わかった。もういい。潰してやる」
私が言うと彼女は、清々しいまでの不敵な笑みを満面に浮かび上がらせた。
「上等。手加減はしない」
「かまわないわ。この学校をいくらか壊してしまいそうだけど」
私も今、ちょうど彼女のような表情をしていることだろう。心の奥底から、悦びがとめどなく込み上げてくるのだ。
さあ、魔法少女の本領発揮といこう。
〈エンゲージ アンコンプレッション∧アクセラレイション ⇒ プラットフォーム:ソード=シールド〉
手中に二つの武器が出現した。相手はその直立不動の体勢のまま、いつの間にかステッキの先端をまっすぐこちらに向けている。気が抜けない。私はすぐに半身になって腰を落とし、盾を体の前に固定する。相手がどんな魔法を仕組んでいるかは正直読み取れないが、それでも全く勝機がないというわけではない。
再三敵の位置を上目で確認しながら、跳び出す速さと角度、方角、それから軌道を鮮明に思い描く。相手から見えないよう、後方下段に短剣を構える。
「――行くよ」
地面を蹴る脚に、存分に力を込める。
『魔法少女の二人』 ひななぃ @Hinanaii
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