血の万年筆
リペア(純文学)
本文
人生は文学である。人の持てる紆余曲折、喜怒哀楽、波乱万丈。まるで文学だ。文字にそのまま移せばそれは優美な一冊となる。
つまり、私も貴方もそこの歩いている人も、実は只今、
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一本の万年筆。物書きになりたい。高校時代にそう決起し、小遣いを破産させて買ったものだ。
私が高校生の時、文学に興味を持った。きっかけは授業で『坊っちゃん』を読まされたことだ。読書もしない根暗の私はその冒頭に惹かれた。というのも、そこに私と一致する箇所が点在したからであった。
それからというもの、一つ筆を走らせてみた。題を『一滴の真珠』とした。主人公は感情に
ただ、誰かに見せることはせず、懐に隠して護身用とした。
─────
私は今、西京天心大学で文芸を学んでいる。国立ゆえ秀才の集まる場所である。
日本人文学科、物書きの専攻を取り『孤高の鷹』『杓子定規』『牢人形』…と作品を連ねていった。
これらを授業で毎度教授に見てもらうのだが、御方は「面白いね。才能があるよ。」と二次元的なペラい応援を唾吐き混じりに言うのだ。まるで人の文学など、興味が無いかのように。
─────
「…というわけで、カフェに来て欲しい。」
今朝私のかつての友人、コウゾウから連絡が来た。彼とは同じ大学で私とは違う英語英米文学科に通っている。
今日の大学が終わり、連絡通り課題の消化を目的とするコウゾウが大学のカフェテリアに来た。私はノートパソコンで次回作を編集しながら待っていた。
「久しぶりだな。」
会話はコウゾウの愉快な口調から始まった。
「お前、これから先どうするんだよ。ろくに面接は受けないし、就活しているのかと聞けば毎度このザマ。お前、そろそろ本気で考えないと、ヤバいぞ?それでもいいのか?」
毎度聞く私への就職の布教は左から入って右に抜けた。彼の心配を一滴も汲み上げることなく話題をコウゾウに切り替えた。
「あなたはどうなの?」
「俺は既に内定決まってるからな。」
コウゾウは英会話の達者を買われ、大手の西京証券に就職が決まっていた。
「…なぁ、本気で自分を考えろ?頼むよ。」
しつこい彼を私は例の如く無視する。
「うちは恵まれててよかったなぁ。塾に行かせてもらい、私立に行かせてもらい、こうして就職にもありつけた。ねぇ、俺は何したら親孝行できると思う?」
前から前から前から前から前から前から前から前から前から、ずっっと前から彼にこんな出世自慢を聞かされて、私の頭は掻きすぎて傷だらけ。
「じゃあな、悔いがないようにしろよ。」
会話を始めて30分くらい。彼は課題を終わらせないまま席を立ち、用事へ去って行った。もしかしたら最初から彼にはやるべき課題など無かったのかもしれない。
対して私の課題の進みは結局プロット止まりで、しばらくここに残った。
──コウゾウという男。彼は留学という実績を持ち、外部試験ではいい点数を持っている。海外に友達も多く、誰もが手を伸ばす輝かしい存在だ。
…私にとっては心底憎い。彼は就活に成功し、いちいち私に自身の隆運を語りに来る、私を見下すように。それほど私を陥れたいのか。
あいつにどれだけ友達と思われようが、私にとって彼は間違っても友達では無い。私にとって彼は不倶戴天の存在であった。
彼は私の心を潰しているつもりは無いのはわかっている。彼の自慢の
───
大学の卒業式。会場からの帰り、後ろの方で歩いているコウゾウの顔を気づかれないように振り向いて見ると、先の輝かしい道を暗示するかのような、深い笑窪を作っていた。
一方で私は結局未来に光を見出すことも無く、それ以降一切後ろを見ないで歩いていた。
高校から変わってない服装、カーキ色のショルダーバッグ、項垂れた背骨。
大学から駅まで歩く途中、こんな惨めな私をコウゾウは駆け足て追いかけてきた。
青いスーツにワックスで整えた髪。宝石のような彼はまた私に語りに来た。
「大丈夫だよ。お前は必ず必要とされる、俺みたいにな。」
そう言って彼は私の肩に腕を回した。
「俺だって最初は何にも自信が無かった。でも、人は不思議で、ある時ふと変わるんだ。そうして自分にしかないものを見つけて自分を確立できる。まずはそこからじゃないかな。」
…。
「俺は一度実家に帰って過去の縁を済ませてから西京へ働きに行く。お前も一度実家に帰ってみたらどうだ。何か変わるかもよ。」
そう彼は言葉を残して先へ行ってしまった。
彼の語りに耳を塞げど、少なからず私の心には彼の吐き捨てるゴミが堆積していき、いつの日か私はゴミと同化してしまった。
ゴミはゴミ箱に捨てられる。やがて腐り、集積所に集められ、燃やされる。
私の未来はそうなるだろう、と彼によって考えるようになってしまった。
ヒトの言葉に 還元するなら「鬱」という言葉が正しい。
彼の一方的な語りによって私は墜落し、当の彼は私を踏み台にするかのように高みへ飛び行ったのだ。
彼の文学は私の原稿をもみくちゃにして、売れていった。
そんなことを頭に色々考えつつ、ノロノロと歩いて、ここは駅のホーム。三分後の電車を待っていた。
そして、私は描く文学の結末を思いついた。
───
やる事もやるべき事も無い、浮浪の私は彼に従った訳では無いが実家へ帰ってみた。
「ただいま。」
私の声が小さかったのだろうか、中から挨拶は聞こえてこなかった。
リビングに入ると、父母がソファに座ってテレビを見ていた。
すると 母が私の顔を見るなり、就職は決まったかと催促してきた。
「結局決まらんかった。」
その私の言葉を聞いた父は形相を曲げ、鉄槌下すような足音を立てながらリビングのドアに張り付く私に近寄ってきた。
「お前は大学で何をしていたんだ!!ろくに就職活動もしてなかったんだろう!!役に立たない事ばかりして…お前はもう出ていけぇ!!!!」
「あぁ、わかったよ。」
玄関へと戻り、靴の踵を踏んだまま厚い扉を開けて出ていった。まぁ前から出ていくつもりだったが。
──
滞在時間僅か15分。私は何事も無かったかのような表情で自宅に帰ってきた。最近買った青いソファに座り、首を後ろに垂れた。そして高校の時の奴らを思い出してみた。
…私は親に高校時代からずっと「経済学部に進学しろ」と言われていた。
その方が将来有望だからである。引く手
それを踏まえ、自分の進路を自身の興味へと振り切った為、奴から反感を買った私はそれから連絡の一切を取らなくなっていた。
先程私はとうとう縁を切られてしまった。しかし、こんな結末は最初から分かっていたので悲しむことは無かった。
むしろ私が将来を興味の向く道にしただけの事で私を見捨てるあんな奴らから隔離され、私としてはこの上ない。
高校入学以来私にベンキョウの一点張り、経済学部へ促し、いちいちテストの点に怒号を浴びせられ。
そうして文学に目覚めた私はその道を選ぶと、アルコールで小さくなった奴の脳は文学が何ら役に立たない物だと私を苛求した。
将来に役に立つ事をしろだの…。奴の言う「役に立つ」は、私のためにはならない。
それから私は、自分の文学は自分だけで描くと決心したのであった。
───
卒業から数日経って、ここは群馬の平地。盆地に位置し、周りを菜畑で囲まれた一軒の瓦を乗せた平屋があった。夕日が角度を緩やかに差す時刻。涼しい風、みずみずしい風景。しばらく感じたことのなかった自然の息吹を吸い、気持ちは落ち着いた。ただ、私はこの一面の緑と橙の空を見に来た訳では無い。
「…ごめんください。」
「はい」と聞こえ、中からコウゾウが出てきた。
「おお、友人はよくも突然来るものだな。」
私は彼に何も語らず、また目も合わせず、中へ上がった。
ちょうど今は彼以外に誰もいないらしい。私は畳に正座し、ちゃぶ台に一つ置かれた醤油を眺めていた。
「俺、西京に就職できたから明日この家を出ていくんだ。西京で暮らすことになる。それで実はこの家、俺が出払った後に打ち壊す事が決まったんだ。」
…。
「オヤジは農家を辞めて西京の自宅近くの団地に住むことになってる。だから今俺の部屋には何も無いんだよね。まぁ…あるのは腰が曲がるくらい低い木製机とカーテンくらいだけど。今日には処分しなきゃいけない。今のところはどっかその辺の山に置いてこようかなと考えてる。」
そのあと彼は私に背を向けて紅茶を汲みながら、しばらく喋らなくなった。
ふと時計を見ると、7時を指していた。すっかり来るのが遅くなってしまった。
早いとこ事を済まそう。
「じゃあその机運ぶの手伝ってあげる。」
「助かる。」
彼は私の顔を見ないままそう答えた。
──
…彼の部屋は畳の狭い空間、壁は木目が現われており、一つ大きめの窓を木製の低い机の上に構えている。窓の外は既に暗く、僅かにそよ風が聞こえた。
部屋の奥に彼を誘導し、私はここに来た真の目的を彼に言った。
「そういえばさ、実はここに来たのはコウゾウを題材にした作品を書きたいからなんだよね。」
「あ、そう?なんか恥ずかしいなぁ。まぁ別にいいけど。じゃあ原稿用紙と書くものが必要か。持ってくる。」
彼が余った原稿用紙をリビングにある父親の引き出しへ取りに行こうとするところを引き止めた。
「いや、紙はある。」
そう言って私は彼に持参してきた万年筆を見せた。
「実はこのインクが無くなっちゃってさ。補充させて欲しい。」
私は万年筆を縦に振り残量が無いことを知らしめた。
「わかった、これ使っていいよ。」
コウゾウは机の引き出しを開け、インクを差し出してきた。
「いや……私の欲しいインクは…。」
…
……
………
私は彼に飛び込み押し倒し、馬乗りになった。握る万年筆が力に震える。
……オマエサエ……お前さえ居なければ!
─────・・・・・・………………………
万年筆がコウゾウの首に刺さっている。
畳の狭い一室、コウゾウは二回ほど血混じりの咳をし、後ろから倒れて目を閉じた。
…彼から噴き出した
──私はコウゾウという男の文学をここで終わらせてやった。私の文学には必要のない登場人物だからだ。
自分が描く文学では常に自身が主役でなければならない。今宵、一人の登場人物を、然るべき文学の展開として消したまでだ。
私の右肩は広く血に染っていた。穢れていながら鮮明な色をしたコウゾウの血が私の口にまで入った。
一滴嗜めてみると、人の味がした。
コウゾウという登場人物は地球に生を受け、右肩上がりながら七転八倒し、紆余曲折を経て心を肥やし、立派な一人間として生きてきた。
私の唇に滴る彼の血液は、彼の狂瀾怒濤、阿諛追従、多事多難、有為転変、櫛風沐雨、努力の汗、興奮に流した脂汗、屈辱に流した悔し涙、達成に流した嬉し涙──
そんな味がした。
なんだか涙が出てきた。文学を終わらせることは、まるで他人の原稿をビリビリに引き裂いているようで、血を嗜めた途端に罪悪感が私を襲った。
涙が一滴、私の口に入った。
嗜めてみると、潮の風味が広がった。しかし、不味い。吐き出したいくらい。飛び散った血で口直しをしたいほど、不味い。
洗面所で一度身と心を落ち着かせよう。
──
顔と手と口腔を日本の水道水で洗い、彼の残骸のもとへ戻ってきた。
…まさか生き血に彼の生き様を窘める事になるとは思っていなかった。想定外ではあったが、私の文学は想定の結末に近づいている。
私は骸に刺さった万年筆を引き抜いた。
そして私は部屋の端にある低い木製の机に、持参した原稿用紙を置き、畳に正座して物書きを始めた。
万年筆からは、しばらく赤色が出てきた。それを塗りたくるかのように紙に擦り付けて、彼の文学を書いた。
菜の花の首一つ揺れぬ静寂の月夜が窓に映る。私は執筆に無心することが出来た。
月光が机の前の窓から、窓の長四角を型どって私と紙を照らした。
たまに窓から風が吹き入った。その風は当たりの血を乾かし、そこに固着させた。
…。
…未練無く書き終えることができた。一呼吸起き紙から手を離す。
その時だ。突然荒い風が吹き、紙が窓から飛んで行ってしまった。
原稿が一瞬にして消えてしまった。たったこの刹那に彼は二度目の死を遂げた。
私は悲劇しか書くことが出来ない。今作含め私の作品の主人公は全て死んでいた。
ふと手に持っている万年筆を見た。そういえば最初買った時は、記念に私の名前を金で刻印したという事を思い出した。
今やそれは私の名前の語尾である「美」の字を残してあとは褪せている。
私はふふっと笑ってしまった。そうか私の描いた文学は美しい。
私の文学は、題名が付けられた時から美しいと、そう決まっていたのだな。
なるほど運命は最初から決まっていたというわけだ。
私が主人公として、あの男と出会うことも、私が文学に目覚めることも、家から追い出されることも、このてで人を殺すことも、そして……
この、美しい結末も
ついに私は万年筆を首に向けた。─────
血の万年筆 リペア(純文学) @experiences_tie
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