夢のような話

倉野哲也

そういえば、山に来たのは久しぶりだった

 僕には、また会いたい女性が一人いた。もう何十年も前だ。たぶん、覚えているのは自分だけで、相手はもう既に忘れてしまっているのかもしれない。それでも、ただ目の端で捉えるだけでいいから、成長した彼女の姿を見てみたかった。

 僕の両親は、行商人だった。色々な品々を買い求め、それをよその土地まで売りに出かけていた。幼かった僕は、必然的に両親の知り合いが先生をしている孤児院で、面倒を見て貰っていた(どこかへ出掛けるとき以外は、家に居た)。

 多分あの日は、春だったと思う。まだ、暖かくなっていなかったからだ。突然の知らせだった。魔物に襲われ僕の両親は死んだと、先生は告げた。それは、両親が死んだ何日か後に知らされた。僕は、その場で泣きじゃくったはずだ。

 母は、とても優しかった人だった。僕が、家を汚しても怒鳴るのではなく、何故それをやってはいけないかを僕に説いた。たぶん、それが僕をしつけるのに適していたのだろう。人によって、違うと思う。彼女は、その人間がどんな性質を持っているのかすぐに見抜いてしまうのだろう。

 父は、大雑把で大胆だった。計画という言葉を知らないのか、傍から見たら達成可能では無い目標を立てては、よく母から何か言われていたと思う。だけど、それを父は難なく達成していた。だから、現実的に物事を考える母も少し小言を言うぐらいで、父に任せていたのだと思う。二人には信頼関係が構築されていた。いいコンビだと僕は思う。

 それに、父は腕が立った。父に剣を当てたことなど無かったはずだ。もっと別の職業があったはずだ。この町の衛兵だっていいし、軍隊でもいい。その事で、一回だけ父に話したことがある。彼は、規則に縛られるのが嫌いだからと言った。自由にやりたいんだ。まあ、規則が悪いとは思わん、規則がないと集団行動なんて出来ないんじゃないか、最善の行動をとれば規則なんていらないと思うがなと彼は話したはずだ。当時の僕は、よく分からず首をかしげたはずだ。それを見て父は笑った。

 とても、恵まれていたと思う。周りの家と比べて、お金にも少し恵まれていたと思う。だから、それを失った僕の傷みたいなのはそうとう大きかった。数日間、泣くのをやめなかったよと先生は言った。

 その時だろう。彼女が現れたのは。彼女は、高貴な身分だと分かった。見たこともないくらい綺麗な服を着ていたからだ。そして、とても白く綺麗な肌をしていた。

 なにがあったのと彼女は言った。僕は、彼女に全てを話したと思う。彼女は何も言わず、ただ僕を優しく抱きしめてくれた。彼女の方が背が高かった。僕は、とても安心したのだと思う。僕は眠っていた。彼女の姿はもう無かった。僕は木の幹に寝かされていた。涙は止まっていた。遠くで先生が僕を呼ぶ声が聞こえた。

 

 

 彼女は、次の日も姿を現した。前の日と同じ、きれいな服を着ていた。泣き止んでくれてよかったよ、と彼女は言った。君のおかげだよと僕は言った。僕は木の幹のところにいた。彼女は、幹に体重を預けた。

 「なんで、この辺りにいたの? ここは、衛兵の目が届きにくいところで、あまり治安もよくない」と僕は尋ねた。

 「探索していたら見つけただけ。気になったから、声をかけたの」と彼女は言った。「私の格好を見て、何も思わない? 気を使わないの?」

 「いや、特になにも。僕には、きれいな服を着て、ふらっとどこかに行ってしまう人にしか思わないな」と僕は答えた。

 彼女はそうと言ったきり、少し考えるように俯いた。そして、口を開こうとしたとき先生が僕は呼ぶ声が耳に入った。食事の時間だ。彼女はありがとうと言って、門から大通の方向へ走っていった。



 明日は、曇りの日だった。庭には少し霧がかかっていた。彼女は、もうそこに居た。少し眠たそうだった。早いねと僕は言った。色々あったのと彼女は言った。僕は、彼女の隣まで行ってそこに腰かけた。

 「部屋まで、案内してくれる?」と彼女は尋ねた。「一人部屋?」

 「そうだよ。一人。あまり人が居ないからね」と僕は答えた。

 彼女の発言の意図は僕には、分からなかった。だけど、聞くことはしなかった。今日の行動や、表情を見てなにか事情があるのではないかと思ったのだ。空いた扉をくぐり、階段を上がった。僕はあまり足音を立てないでといった。彼女は声を出さず頷いた。扉を開け、部屋に入る。当時の僕はとにかくやることがなかったと思う。だから、言語を何回も練習したり、計算を連続で解いたりしていた。

 「きれいな部屋だね。勉強は得意なの?」と彼女は机に上がったノートを見て尋ねた。

 「持っているものも少ないからね。やることも少ないし、勉強するしかない」と僕は答えた。 

 「じゃあ、これは役に立つかも」彼女はそう言って、肩に掛けていたカバンから、茶色のカバーで保護された一冊の本を取りだした。僕はカバンの存在に気が付かなかった(なぜそうだったのかは、今でもわかっていない)。それは、僕にとって初めて見たものだった。ずっしりとした重さ、紙とインクのいい香り。声も出さずに驚いたと思う。彼女は、驚く僕を見て大義を果 たした騎士みたいに笑った。

 「もう行かなきゃ」彼女は、突然言った。

 「そうだね。また明日」そう言ったとき彼女が何かを躊躇したことを覚えている。たぶん、なにか話したかったのだと思う。彼女と会ったのは、この日が最後だった。




 僕は、辺りが明るくなった時間に目を覚ます。そして、もうぬるくなった水で顔を洗って歯を磨く。剣を持って裏庭に向かった。裏庭は、まだ冬が明けたばかりで、ひんやりとしていた。僕は鞘から剣を抜いた。鞘を地面に置き、剣を頭から振り下ろした。これを回数や時間を決めずに降り続ける(音を意識して、振り下ろす)。大体は、汗が流れる感覚で意識が戻ってくる。最初は数や時間を決めていたのだが、いつのまにか、このような形になっていた。剣を鞘に戻した。井戸から水を汲み、部屋から持ってきたバケツに移した(ぬるくなった水は、下水道に通じる管へ直接流し込んだ)。そして、部屋に帰った。

 タオルを水に浸し、体をふいた。彼女が姿を現さなくなってから、そう思うようになったのだ。体をふきながらそう思い起こした。十歳になり、身長も伸び体も成長してきたころ、僕は少しでもお金を稼ぐため冒険者ギルドで登録をし、どこかの商店で働いたりした。それを始めてから、時間が過ぎるのが早くなったと思う。  

 そして、十五歳に正式に冒険者になった。もう十年目になる。こんな長い間、冒険者を続けてきたのかと自分でも驚いてしまった。

 彼女はどうしているのだろうか。僕に本をくれたことをまだ覚えているのだろうか。僕は、机の上で横向きで寝ている本を眺めた(昨日読み返してみたのだ)。

 僕は、連続する思考を断ち切った。何も前に進まない。服を脱ぎ、机にかけていた長袖のインナーを身に着けた。革鎧に鋼鉄を貼り付けた鎧に、同じように鋼鉄を固定したブーツに履き替えた。最後に膝当てと籠手を身に着けた。

 鞘を固定し、盾を持った。盾の上に乗せるみたいに兜を持った。そして、ギルドへ向かった。

 

 

 ギルドは混雑していた。朝は、依頼を探す冒険者と満員になる。もちろん、依頼を請けなくとも、仕事は出来る。ただ、天候や運などもあるので、収入がないなんて事もある。安定的な収入を求めるなら、依頼を引き受けた方が良い。依頼を請けたとき、失敗は極力さけなければならない。失敗すると報酬は貰えないし、逆にお金を取られたりする。

 ほとんどの冒険者は、依頼を請けない。様々な場所に行った方が、稼ぎがいいからだ。だけど、僕は、どちらかというと依頼を引き受ける方だ。どこかへ出掛けることもあるが、ほとんどの場合は、依頼を引き受けていた。どこかへ出掛けるさいは、あまり遠くには行かないと決めている。どこに何があるか分からないからだ。地図さえあればいいのだが、一部の人間しか持っていない。それこそ、軍などだ。商店にも地図は売っている。ただ、精確ではないので、道が無くなっていたり、微妙に町の位置がずれていたりする。

 僕は、酒場に向かった。空いている席に座り、食事を頼んだ。僕は、それをすぐに腹に流し込んだ。氷の入ったコップに水を注いでもらい、それを流し込んだ。体が引き締まる感覚がした。

 

 

 

 僕は、山道を馬車に揺られながら進んでいた。道具屋の店主から、山に自生している青い花をとってきて欲しいと頼まれていたのだ。傷薬の材料になると、彼は言った。無事に採ってきたときは、無料で何個かやると言われていた。

 このまま走っていると、タブリンという町まで行くだろう。この町は、小さな港町で冬になると厳しい寒さに襲われる。なので、この町に住んでいる人達は、冬が来るまで漁をし、春が訪れるまで寒さを凌ぐという暮らしを行っている。

 気を付けるべきは、獣だ。狼や熊だ。もっと高い標高に居るが、子育ての時期になると、稀に降りてくることもある。

 僕は傾斜が緩くなる所を探していた。そこに自生しているのだ。

 「お客さん、探している物がありますよ」と御者は指で示した。

 彼の言ったとおり、青い花はそこに自生していた。僕は礼を言って降りた。御者は、終わったら声をかけて下さいと言った。

 地面には、短く小柄な草が一面に生えていた。そういえば、山に来たのは久しぶりだった。上を見上げると、様々な傾斜が存在していて、頂上までほど遠いと感じさせられた。

 僕は、ナイフを手に取り、花から適当な長さを測って切り取った。十個ほどで良いと彼は言った。四つほどしか無かった。

 馬車に戻り、僕はまた青い花を探した。馬車はゆっくりと動き出した。僕は空を見上げた。まだあまり時間が経過していなかった。長くなるかもしれない、馬車から見える景色を眺めながらそう思った。

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