第十九話 個室 胸焼け

食べるものも無くなり、手持ち無沙汰でお猪口を眺めた。先程のものとは変わり、底が夕焼け色で暖かさのあるお猪口だった。それを骨張った手で持つ彼も少し頬が赤らんでいた。人間らしい所を俺にだけ見せてくれているような気がして頬が緩む。


俺はゆっくりとグラスを持ちあげ水を飲み、チロリを持ち上げた。

「ありがと。よく気がつくね。ほんと気にしなくて良いから。」

そう言いつつも、お猪口を入れやすい所に持ってくる彼は満更でもないのだろう。

「俺が入れたいだけなんで。」

「晴生みたいな部下だと可愛がられるな。質問返しになるけど、金曜に俺なんかといていいの?」

彼は注がれる液体を見ていて、伏し目で睫毛の濃さが際立った目元をそっと盗み見たが、すぐに酒に目線を戻した。下半身が疼くのを感じた。

「鹿島さんといたいんです。」

「ほんと変わってるな。」

本音だったが、彼は冗談だと思ったのだろう。口角を少し上げて、もう冷めてしまったであろう天ぷらを食べた。飲むペースが明らかに早くなっていた。


「離婚したってまだ好きなんですか?元奥さんのこと。」

聞いてはいけないと頭では分かっているのに、言葉に出てしまった。転職のことの方を聞けば良かったと後悔したが、実際に聞きたいのはこっちだった。


「いや。向こうは楽しくやってるみたいだし、俺もそれで安心したっていうか良かったなって。」

かわされるかと思ったが、彼は少し考えてから朗らかに答えた。投げやりな、しかしやはりどこか寂しさを残す笑顔で伏し目がちに呟いた。

俺にとっては嬉しい返答だったのにも関わらず心がキリキリした。彼の中での辛い記憶を根掘り葉掘り聞きだそうとする自分が小さい人間だと自己嫌悪に陥った。

一人の人間の過去にこんなに興味を持ったことが今までなかった。


「すみません。嫌なこと聞いてしまって。」

「気にするな。俺といてもしんどそうだったし、彼女にとってそれが良かったんだよ。こんな話聞いてくれてありがとう。」

彼の感情の吐露で彼女のことを大事に思っていたのが伝わった。ただ事実として、その女は彼を捨て違う男と仲良くやっている。それが聞けてホッとしているのと同時に、彼が傷ついた過去を思うと見ず知らずの女に無性に腹が立った。どうしようもない感情が一気に押し寄せる。

彼がひどいことをする人間には見えないし、二人の間に何があったのか全て知りたい。結局聞きたいことが聞けても、そこからまた疑問が沸いてでて、どこまで聞いても満足できない。

聞いたところで、彼にとっても俺にとっても良い気分になる話じゃない。分かってはいても、聞きたい欲求と聞くべきじゃないと思う気持ちが交差し、俺は黙るしかなかった。


「俺ばっか話して晴生の話聞いてないし、まだ何か食べたいなら食べていいよ。」

「いや。」

腹は減っていない。俺が話したいことなど何もなく、彼の話を聞きたかったが良い言葉が見つからなかった。

「トイレに行ってきます。」

俺は席を立ち、トイレに向かった。頭を冷やす必要がある。ぐちゃぐちゃになった感情で胸焼けしそうだった。

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晴生と大輔ー冬ー 蚊取り線香 @katorisenko97

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