第十八話 個室 進む会話
初めて人を好きになったのだから、彼を逃すはずはない。
「おー新しいの来てる。ありがとー。」
彼がいそいそと戻ってきて、楽しそうに酒を覗いた。俺が彼に対し抱いている熱情など汁ほども分かっていない彼は無邪気に喜んだ。目尻の皺はくっきり刻まれるが、笑うと少年のように見える。微かに煙草の匂いがした。
「俺の水も飲みな。」
彼は席に着き、俺の空いた水のグラスの横に自分のものを置いた。彼が俺のために水を頼んだのだろう、とその時気づいた。居酒屋では普通頼まれないと水を持ってくることはない。あの女が彼を好きになる気持ちが十二分に分かった。彼の優しさは恩着せがましいところが一切なく、見落としてしまいそうなくらいだ。この数時間だけでも一件目の居酒屋、喫煙所、この個室でも相手への思いやりがすっと出て、彼にはそれが当たり前の行為なのだろう。彼は俺が思っている以上に職場でもモテるだろうな、と思うと焦りがでた。意外とライバルは多いのかもしれない。俺はチロリを持ち上げた。
「入れますよ。」
彼がお猪口を持ち上げなかったので、声をかけた。この日本酒は彼に飲まそうと心に決めた。
「あーありがと。気使わなくていいよ。」
そう言いながら、お猪口を持ち上げた。見慣れた指が小さなお猪口を持って、手の甲の血管がより浮き出て色っぽく見えた。俺はそれを見ながらゆっくりと透明の液体を注いだ。それを彼が受け取り、俺のお猪口にも注ぐ。手が触れたが俺は冷静になれ、と心を落ち着かせた。
「流れで入れちゃったけど、違うの頼んでね。水も飲むように。」
実際に酔っている自覚がある。彼は俺を見てそう判断したのだろうか。それだけ俺を見ていたのかと思うと恥ずかしくなったが、同時に嬉しくなった。俺は水を少し飲んだ。先程より染みて旨く感じた。
「日本酒好きなんで一緒に飲みます。」
彼は口角をあげ、少し微笑んだ。
「で晴夫は?彼女にでもフラれたの?」
彼は自分の小皿に残っていたゴーヤをアテに酒を飲み、俺の方を上目遣いで見た。急に名前を呼ばれたことに驚いてしまい、目が合った。
「いえ、そういう訳じゃなくて。鹿島さんと飲みたかったんです。」
だんだんと彼といることに慣れてきたのか、いつもの調子が少し戻ってきたようだ。ただ酔いで感覚が鈍くなっただけかもしれないが、その勢いに任せる。彼を見つめたままいると、彼の方が視線を逸らした。
「おっさん捕まえて何が楽しいんだよ。関西出身なの?」
少し照れたのか、酒が減り話題も変わった。俺はお猪口に口を付けるだけつけて、冷えたであろう天ぷらを小皿に移した。
「さっき関西弁だったからか勢いあったよ。背高いイケメンだし、俺の甥っ子にしては出来すぎてる。」
彼は笑顔で言いながら、また酒を嗜んだ。俺がチロリを持つと、彼は何も言わずお猪口を近づけた。
「大阪です。あれは勢いで、あんな風には普段は喋りませんよ。」
俺はやはり血管を見つめながら冷静に答えた。それに触りたい欲求は変わらない。
「でも所々イントネーション違うね。ありがとう。」
酒が減る。良いペースで進んでいる。こちらの日本酒の方が好みだったのかもしれない。後で店員に銘柄を聞いておこう。
「それ直んないんですよね。」
俺はお猪口に口を付けて少し含んだが、冷えたそれの味は先程と同じで、違いは一切分からなかった。
「ずっと東京だと個性がないし、そういうの良いと思うけどな。」
「鹿島さんはずっと東京ですか?」
「そうだね。前は出張多くて、地方行くと良いなって思ったよ。方言とか料理とか故郷って感じがあるの。」
彼の家族について気になったが、それに触れるのはまだ早い気がして無難に会話を広げることにした。スムーズに彼と話せていることに喜びを感じた。冷えた天ぷらを食べながら冷静に会話を続けた。
「今は出張あまりないんですか?」
「転職したからね。今は穏やかにやってるよ。」
彼が自分のことを開示してくれるのが嬉しく、色々聞きたいことが溢れていたが、地雷を踏むことだけは避けたかった。彼も少しづつ食べ進め、料理も殆ど無くなっていた。
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