砂浜を駆ける黄金色の犬

宇佐美真里

砂浜を駆ける黄金色の犬

足の踏み場もないほどに…、

あれほど人で賑わった此の場所も、

今では信じられないほどの静けさを保っている。


同じ間隔で打ち寄せる波の音…。

何ひとつ変わらないはずなのに、

其の音は賑わいの中で聞く其れと

到底同じものに思えないのはどうしてだろうか…。


遥か向こうに駆け廻るゴールデン・レトリバーの姿が見える。

しばらく前までは、足の踏み場すらなかった同じ場所に、

いつまでも残り続けるカレの足跡。

駆け廻るカレの頭の上では、海猫が旋回する。

とにかく何もかもあの喧騒からは、かけ離れた世界。



九月の海であの日、

寂しい此の風景に同化してしまうくらい長い時間、

僕は打ち寄せる波を眺めていた。



「何考えているの?」

ふと、目の前に差し出された缶コーラに手を伸ばす。

振り返ると、もう一本…、

既にプルトップの開いた缶コーヒーを手にして、彼女が立っていた。


「ねぇ、何を考えて居たの?」

もう一度、彼女が尋ねる。僕は笑いながら答えた。

「海に同化した君と僕…」「何其れ?」彼女も笑う…。

僕は受け取った缶コーラのプルトップを開ける。プシッ!!

飲み口から炭酸の泡が吹き出しかけ、すぐに缶の中へと沈んでいく。

其れはまるで、砂浜に打ち寄せては消える波頭のようだ。

そう…、此の場所で一年前、僕は彼女と出逢った。


彼女の姿を目にして、

レトリバーがこちらに駆けて来る。

「ジョン!」彼女がカレの名前を呼ぶ。

喜んで駆けて来るジョン。

日の光に輝く黄金色のカレの毛が風を受けて靡いていた。

あの日と同じく…。



砂浜で佇んでいた、見ず知らずの僕に一目散で駆けて来たジョン…。



「あの日…。ジョンは何故、僕に向かって駆けて来たんだろう?」



遠くから、脇目も振らずに駆けて来ると、

黄金色のレトリバーは、何故か僕の周りをくるくると廻り続けた。

遥か向こうから、一人の女性がレトリバーを追いかけて来る…。

「すみません…。どうしたのジョン?」

ジョンと云う名の其のレトリバーに話し掛けながら、女性は僕に頭を下げた。

其れが君が初めて僕に掛けた言葉だった。



彼女は一度、僕の方を見た後で

駆けて来るジョンに手を振りながら呟いた。

「ジョンには赤い糸が見えたんじゃない?貴方と私の…」

彼女の呟きは、はっきりと僕の耳に届いていたけれど、

意地悪く、僕は聞き返す。

「何て?」


彼女は僕の方を見ようとせず、

ジョンに手を振り続けながら言った。

「何でもない…」

其の横顔は笑っていた。



-了-

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