来るべき時の為の書き置き

@Yuna_Yue

子供が服飾を嫌がるのは子育て失敗の合図のひとつだと断言しよう

 時間が経てば「大人」になれると思ってた。でもそんなことなかった。

 そもそも、齢ひと桁の頃から、同い年の子供たちが遊んでる横で「棒人間2人がズタズタに殺しあっている漫画」を描いているような子供が、そんなこと実現出来ようか。「私の趣味嗜好はあまりひけらかせるものではない」「私の感覚は他の人と違ってねじ曲がっている」と自覚し、抑圧し、あまつさえその抑圧から来る苦痛(或いは被害妄想)を他者に責任転嫁しようとしていた子供が。


 いやでもちょっと待ってくれ。自分自身でさえ自分自身を責めて絞め殺そうとしているだなんて、窮屈どころの騒ぎではない、よね? ちょっとぐらいそんなことを考えて、ちょっとぐらい自分自身を許すぐらい。ちょっとぐらい。ちょっとぐらい。

 例えば、親と一緒に服を買いに行って、「これが着たい」と張り切って持って行った服が毎回のように(きっと一種の被害妄想だとは思うが)渋い顔で「これはダサい」と却下され、結局お仕着せが買い物かごに残るなど。

 でも

 


 だってし、


 それと、家には物心ついたころからテレビゲームが存在していた。スーパーファミコンだった。小さい頃に親父が夜な夜な鬼武者やってたし両親がリビングでパネルでポンで対戦していたのを未だに鮮明に覚えている。画面を直視すると視力が下がるからと鏡越しに見ていた記憶がある。馬鹿かな? なんでそんなこと考えてたんだろうね。ガキだからかな。私の感覚がねじ曲がっていたからかな。可愛くもなんともねえよクソが張っ倒すぞ。

 スーパードンキーコングがあって、マリオカートがあって、ゼル伝の神トラがあって、セーラームーンSSの風船パニックだとかそんな感じのタイトルのアクションパズルがあった。あとはばあちゃん家にドラえもんの横スクロールアクションがあってそれをもらったっけな。スネ夫がコエカタマリンを取ると「ワッwww」て言うやつ。2人でやると体力共有だからどっちか下手糞だとリアルファイトになりかけるやつ。残念ながら本体と幾つかのROMを除いて売っ払っちゃったんですがね。何残してたっけな。まあいいや。要するにウチは家族そろってゲーマーでした。マリオパーティ3の「もぐもぐビッグピザ」は私と親父のペアが最速でした。家族そろってゲーマーでした。妹とはゲームキューブの使用権を争った仲でした。私はスマブラがやりたかったし妹はどうぶつの森がやりたかった。家族そろってゲーマーでした。風のタクトや夢幻の砂時計のスニーキングミッションが怖くて進められず母に代わってもらってました。家族そろってゲーマーでした。

 小学校中学年の頃から親父が単身赴任で東京へ行き、中学生。その頃から私の好きなものが急に腫れもの扱いされ始めました。だって勉強しねえだもん。宿題やら家のことやら真面目にやってりゃ変わってたのかもしれないけど、やらないで小学生のように遊んでばっかだったので、母はいい顔をしませんでした。2個下の妹は絵にかいたような優等生だったので尚更。残念でも何でもないし当然略して残当なんだよなあ?? でも「ポケモンの名前は覚えるのに数式は覚えないんだね(真顔)」はクッソきつかったぞ。泣きたかったぞ。

 真面目にやろうとしなかったのは、点Pが放物線上を好き勝手に動きやがるし友達でもねえのにA君の気持ちなんて分かるわけねえしで学科の勉強自体好きになれなかったってのもあるんだけど、今にして思えば「どうせ真面目にやったところで望む報酬(母親からの承認や自由行動の許容)は得られないし、それなら遊んでた方がずっと楽しい」なんて考えていたのかもしれない。だってから。母のような真っ当で立派で四角四面杓子定規お役所仕事で頭が固くてつまらない綺麗でよく出来た大人が、私が好むゲームの世界やボカロだなんて高尚な俗物を理解できるはずがないからとも考えていた。

 いやあハマりましたねボーカロイド。母のような真っ当で立派で四角四面杓子定規お役所仕事で頭が固くてつまらない綺麗でよく出来た大人が与えられない、歯に衣着せぬ言葉や純粋な承認欲求の具現化たる数々の楽曲に心奪われ、ますます母のような真っ当で立派で四角四面杓子定規お役所仕事で頭が固くてつまらない綺麗でよく出来た大人が大嫌いになった。死んでも弔辞なんて読んでやるか。弔辞回避の為だけに結婚してやる。と考えた。あ、長女なんですよ私。一家の長なんですよ。草も生えねえわ張っ倒すぞド畜生が。


 そんなこんな不真面目に不真面目やってましたが、まっこと不可解なことに地頭がよろしかったんですね私。偏差値ギリギリ60、旧帝大進学者をチラホラ輩出するナンバースクールなんぞに受かりました。一般で。時代を感じる表現ですね。今なんて言うんでしたっけ? 知らんので閑話休題。まあ受験期間中は最初から最後まで母親にケツ叩かれっぱなしで、仲のいい友人達が次々推薦で合格するもんだからホンット泥沼のような陰惨たる日々でした。その友人に「〇〇高校でまた一緒に吹奏楽やろうね」なんて言われて頑張らざるを得なかったような気もする。友達と吹奏楽をする、なんて、進学校への志望動機としては最弱だろうけど、私の中では最強だった。だったと信じたい。合格発表ではしゃいでたら民放に映されたんですよ。数秒だけだけど。

 でも、進学校への志望動機としては確かに弱かった。今振り返ると自殺志願者にしか思えない。何故って、将来の進路がまるで定まってなかったから。

 進路が定まらない最たる原因。それはという潜在意識。自分の意志で決定することが出来ず、またそれは重大な事柄になるほど顕著だった。高校で部活などを通じて友達も増えて、彼らと一緒にいるだけで楽しかった。吹奏楽を、ボカロを、音楽を、それとゲームを愛する心は確かに本物だった。けれど、それ以外──生活だとか勉強だとか将来に向ける意思は一体何を根拠に形成されていたのだろうか。多分それは、「友達と共有する時間」というもの。進路調査の最終段階に際して、私は「友達と将来を語り合った思い出」を根拠に「教職」と答えた。少なくとも私自身から湧き上がる意志ではなかった。ノリと勢いとその場の流れだった。まるで八百長相撲。それもセルフ八百長。相手のいない独り相撲。調査票に書き込んだ志望校の名前があまりにふわふわと軽く見えたのを覚えている。


 で、当然のように滑り落ちた。ざまあねえな張っ倒すぞ。

 一応大学生にはなったものの、入ったのはいわゆるすべり止め私立。それも2011年の震災を根拠とするスーパー温情特待生枠。「第一志望」にはセンターが50点以上足りなかった。そうそう、高校最後の一番華やかな思い出になるはずだった定期演奏会はその大震災でおじゃんになりました。命あっての物種とは言うが小声でファッキンぐらい言わせてくれ。今でも思い出す度やる瀬ねえんだ。

 大学とやらに行ってみれば周りにはまるで住む世界の違う陽キャパリピイエーホーウェイピーな連中。小中高とオタク気質だった私は交流のひとつひとつに苦労し、なんとか話の合う人を見つけるも、そもそも学生の本分たる勉学にまったく身が入らず、というか勉強してまでやりたいことが見つからず(高校の志望動機からして残当とも言えるが)、進級の為の単位どころか中退の条件すら満たさず、除籍。


 私の「やんちゃ」に疲弊した母親の進言に従い東京に単身赴任する親父の単身寮に転がり込むことになった。狭くて臭かった。風呂が汚かった。


 両親にも言われたし自分としても何もやらないわけにはいかないなとちょっとは思った(褒めてくれ)ので、初めて派遣社員というものになった。内容は主に色んな場所での倉庫内作業。冷蔵倉庫の中で硬い安全靴を履いて立ったままひたすらチーズケーキの箱詰め、洋服を発送するための仕分け、あとなんか数種類やった気がするけど忘れた。しんどかったけど、大学生の頃やってたマックのバイトよりは数億倍気が楽だった。

 ああそうそう、マックのバイトと言えば私ぜーんぜん仕事出来なくて怒られてばっかだったんですよ。教えられるだけ教えられて、まあレジ打ちとかは出来たんですがその他のドリンクの支度だとか備品の補充だとか、いわゆる「高度な柔軟性を維持しつつ以下略」の部分がぜーんぜん判断できなくて。何処を見ればいいのか分からなかったんですよ。教えてほしかったんですけど先輩怖いから声かけるのもおっかねえし「そんなの自分で考えて」なんて言われそうだし。そんで私の数か月後に入ってきた大人しそうな子は先輩にめっちゃ可愛がられて私の数倍丁寧に(被害妄想かもしれない)付き添ってもらってたんですよ。付き合いきれなくて辞めたんですけど先輩と店長にゴミクソ睨まれました死ぬかと思いましたまる

 話は戻りまして親父の単身寮に居候する私、親父は一般サラリーマンなので昼間はいません。そんでその部屋にはプレステがありました。嬉しいかな親父はゲーマーでした。FF13とベヨネッタをやりました。めっちゃ面白かったしベヨネッタは後年WiiUで続編出てぶったまげたしやってよかったって思います踏んでくださいベヨ姐さん。スマブラSPにも参戦マジめでてえ。勝手に触って親父にはちょっと怒られたけど。ちょっとだけ。私は親父に似たらしい。まあその親父、風俗で8桁の借金2度もこさえたらしいので私もいずれ風俗で破滅するんでしょうね。あ、骨は拾わなくていいから。

 今度こそ話を戻しまして居候していた私、ホテルでの住み込みの仕事を見つけて親父の単身寮を出ます。大量の私物(ゲーム等々)を詰め込んだデカいボストンを引っ提げ電車を乗り継ぎ乗り継ぎ、両足棒にして辿り着いたのは熱海のちょっとお安めのホテル。使われていない一室を居室として与えられたので、家賃水道光熱費ゼロ、部屋は広々ベッドはフカフカ、通勤はダッシュ数分、風呂はホテルの温泉、飯はバイキングの残りものという夢そのもののような環境でした。ただしネットは常に虫の息だった。ポケットWi-Fiを持ってはいたが、休日はフリーWi-Fiスポットを探して街を練り歩いた。

 その後なんやかんやで東北の我が家に帰りました。雪降ってんのがめっちゃ嬉しかった。いやだって熱海10月末になってもTシャツに薄手のパーカー羽織る程度で過ごせるんですよヤバくないですか。そもそも東北からずっと南ってのもあるし排水溝の金網から湯気出ててあったかいんですよそこら中。温泉パゥアーすげえ。そんでまあ母親との別に感動もクソもない再会です。「家賃入れてね」ハイハイ分かりました。


 そこから私と母の精神は歪に崩れていくこととなる。


 次に手を付けたのが駅前ビルでのコールセンター業務。パソコンのインターネット接続に関するうんたらかんたらの操作案内だそうです。なんか知らないけどOJTにすら辿り着けませんでした。同期全員に置いてかれました。最低限聞くべきこと全部書き出してパソコンの横に置いてるのに、その最低限の判断すら出来ないことが多々ありました。なんで? こっちが聞きたい。

 その次はAndroid関連のコールセンター業務。こちらはどうにかOJTにこぎつけました。AndroidのOS絡みの云々がクソ面倒だったのでめっちゃ頑張りました。が、なんでか知らんけど落とされました。頑張って食らいついてたつもりなんだけどね。同期のスーパー優秀なお兄さんが憤慨してくれてた。ちょっと嬉しかったよ。

 その次はまたパソコン関連のコールセンター業務。こちらはなんとかどうにかOJTを抜けました。ノルマの課せられ方がヤバかった。それと担当してた窓口が「調べ方が分からない人向け」のアレだったのでアレだった。本当にアレだった。詳しく書いてると禿げそうなので割愛するが、神経摩耗して辞めた。分からない人の立場になりきることが出来なかった。「なんでこんな連中の為に神経とがらせなきゃならねえんだ」などと考えてしまった。一個だけ書くと、お客さんのパソコンを遠隔操作で見れる窓口にいた時はこんなことがあった──解決が難航していったん折り返すってなって、了承を得て遠隔操作をつなげたまま電話切ったらお客さんが勝手に画面を切り替えてとあるオンラインゲームで遊びはじめたのである。私の背景が宇宙になった。私だってゲームしたいのに。未だにネット上の広告なんかであのゲームを見かける度にそのことを思い出して腹が立つ。


 もうコールセンターには行くまいと次に挑んだのがなんと飲食店。しかも正社員。夕方から営業する、どちらかと言えば居酒屋よりのチェーン店。早起きしなくて済むじゃんラッキーとばかりに応募したのだが、結果大失敗だった。残当なんだよ張っ倒すぞ。

 まず正社員としての膨大な仕事を覚えきれず捌ききれなかった。シフト管理、食料品の在庫の管理、予約、接客、空席の管理、営業中リアルタイムで変わる店内の状況の把握とそれに合わせたうんぬんかんぬん。同年代のアルバイトに「仕事全然覚えきれてないのに正社員やってるって大変ですよね」みたいなことを言われて死ぬかと思った。てか周りが全員同年代のアルバイトだった。そうだよな当時の私まだ大学生のはずだったもんな。おばちゃんが1人だけいたけどそのおばちゃんがクソ厳しくて、私がテーブルのセッティングやお客さんのご案内を少し間違える度に数十秒のお説教。お客さんの目と鼻の先で怒鳴られたこともあって割と死にたかった。店舗が駅前のアーケード街だったので、ちょっと歩けばゲーセンがあった。出勤日は「辞めたい……」って思いながらそのゲーセンで音ゲーをやって自分を無理矢理奮い立たせてから出勤するのが決まりだった。結局、アルバイトとも他の社員とも全然仲良く出来ず仕事も覚えきれず辞めた。最終的に「自分の必要性が薄くなっていく」という感覚に泣いて吐きそうになって自室を出ることもままならず連続欠勤からの制服返却キメた。周りと話を合わせるために始めたポケモンGOは辞めたその日に削除した。あんな辛いゲーム体験は後にも先にもあってほしくない。ごめんねナイアンテック。


 その次、ようやく辿り着いた。考えるべきことがこれまでの何百分の一とも思えるほどにシンプルで少ない。一緒に働く従業員も穏やかでかつしっかりした人ばかり。詳しくは省くが天職だ。間違いなく私に適した仕事、というか環境。これまでの仕事よりずっと続きそうだ(と思ったし実際最長期間をぶっちぎりで更新し続けている)


 しかし問題は片付かなかった。


 まず第一に、その仕事は前職の飲食店に続き深夜勤だった。実家に戻っていたので当然母親とひとつ屋根の下。日勤の母親とは生活時間がズレる。夜中に帰ってきてゲームなど始めようものなら、母親を起こしてしまう。歩き疲れた状態で帰ってきても何もせずに寝るしか出来ない。自活は元より、趣味の為に仕事してるってのに。

 第二に、私のねじ曲がった不真面目根性は働いてもいなかった。鬼の居ぬ間に洗濯、ではないが、母親が昼間仕事でいない時は掃除をするなどしていた。ただ母親と顔を合わせると、また私の好きなもの(ひいては私自身)を叩き潰される、と委縮して、その分体の内側にストレスを凝らせてしまう──って何を被害者面してんだよ自業自得じゃねえか張っ倒すぞ。


 まあそんなこんな母親との溝は深まる一方で、限界を迎えた私は家出してネカフェに寝泊まりするようになった。最終的にそのネカフェに改修工事が入ると分かって慌てて一人暮らしを始めたわけなんだが。いやホント奇跡的だった。たまたま今の仕事場の近くに、たまたまキャンペーン中で初期費用が滅茶苦茶に安い部屋があって、たまたま1週間ちょいで入居までこぎつけられたんだから神かなんかの上位存在の思し召しがあったとしか思えない。まあ結局改修工事には間に合わなくて、3日ほど町中のネカフェを頼ったんですけどね。仕事場から片道3時間也。意地でも実家には帰らなかった。まあシャワーと着替えのためにはいたんですけど。


 こうして自分の牙城を手に入れた私。しかしそれでも問題は片付かなかった。なんだ、カブか何かなのか。随分根深いなあ。うるせえ張っ倒すぞ。ともかく、仕事で覚えること覚えて、親の干渉を完全に絶つことに成功して、安定した環境を手にした私は気を緩めてしまった。仕事でやらかしの連続である。


 平気で連絡なしに遅刻を重ねるなど。

 自分が用意したわけでもない道具を、さも自分のもののように当然のように使うなど。

 状況を致命的に見誤りクレームを幾つか招くなど。


 「他の人が当たり前のように判断できていること」を幾つも幾つも見過ごし見誤り、周囲に迷惑をかけている。事実、「その神経が理解できない」などと言われたこともある。


 

 


 ああ


 周りの人間全てが「真っ当」に映ってしまって、その「真っ当」な人間の影が私の全身に刺さって息が出来ない。頭の中で「死にたい」と「死にたくない」の応酬が始まった。何も考えられない。体が自傷行為に走ろうともがく。顔が「助けて」「いっそ殺して」と泣いて哭いて嘆き喚き鼻が詰まる。でも痛いのも苦しいのも御免被りたい。まだクリアしてないゲームが山ほど積んであるというのに。


 この調子ではふとした瞬間に家の窓から身を投げてしまうかもしれない。ここはマンションの2階。死ぬにはなんとも中途半端だ。当たり所次第では死ねるだろうか。首の骨を折ればワンチャン行けるか。生き残るにしてもせめて半年くらい入院したい。その間誰も見舞いに来ない保証があるのなら、という前提付きだが。憐れまれても惨めさのあまり包帯で首吊って死にたくなるので。


 ああ、本当に、何かの拍子に死んでしまうかもしれない。死にたくないけど。生きたいとポジティブに願うことはままならないが、現状、死なずにいることは可能らしい。なので、来たるべき時の為に、これを遺書の類として書き殴り、私の優秀な妹へ託すことにする。まったく、こんなのが血のつながった姉だなんて、アレには同情を禁じ得ない。


 さて、書いていたらだいぶ気持ちがすっきりしてきたのでここらで筆を置く。願わくば、その時が来ないことを。



──Y.N

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