第7話 『モリアーティ』の罠
「シュメート・アラヴァー、貴殿を拘束させてもらう」
――軍法会議で、シュミーは有罪になった。
その裁判の内容は、彼が軍を退役するきっかけになったもので、過去の出来事だ。
裁判では遡及処罰は禁止されているはずなのに、突然投獄されてしまうのはどう考えても不自然だった。
これにはなにか裏がある。
そう睨んだ僕は、落ち込むレベッカをなんとか奮起させ、数々の事件の黒幕――『モリアーティ』の尻尾を掴んでやろうと決意したのだ。
そう、これは『モリアーティ』の仕組んだ罠。
果たして僕とレベッカはシュミーを助け出し、『モリアーティ』からこの街を、この国を守れるのか……?
少し時間を遡ろう。
贋作屋敷での事件をきっかけに、シュミーは『モリアーティ』と呼ばれる人物を追うようになった。
モリアーティといえば、「犯罪界のナポレオン」と呼ばれた犯罪コンサルタントとして登場する小説の人物である。
架空の人物なので実際には違うのだろうが、そんな名前を名乗り、犯罪者に情報を横流しして教唆しているとなれば、まともな手合いではないだろう。
そんな謎の人物を、シュミーは探っていたのである。
そしてある日、突然彼は軍部に喚び出された。
「そんな……! どうしてシュミーがそんなことに!?」
「そんなこと、私が聞きたい!」
目を剥いて驚きの声を上げる僕に、レベッカは逆上したように怒鳴り返す。
そんな中で、テイイチくんだけが冷静だった。
「どうやら、シュメートさんの過去の罪が主な原因のようです」
「過去の罪……?」
首を傾げる僕に、レベッカは「もしや……」とあからさまに苦い顔をした。
「なにか知っているのかい、レベッカ?」
「大佐がこの場にいない今、私が勝手に話してしまっていいものか分からないが……」
レベッカは気が進まないといったふうに、シュミーの過去のトラウマについて語り始めた。
シュメート・アラヴァーは、人を殺したことがある。
そんなことは、軍人であれば当たり前のことかもしれない。
しかし、彼はそれに耐えられる男ではなかった。良くも悪くも優しすぎるのだ。
おまけに、彼が撃ち殺したのは敵国の少年兵だというのだから、それは僕がシュミーの立場でも後味が悪い。
結果、彼は軍を退役することを選んだ。
彼を慕っていた傭兵――レベッカが一緒に軍から姿を消すという予想外のことはあったが、まあそれはさておき。
「でも、それはおかしい。この国では罪を遡って裁くことは出来ないはずだよ。なんで今さらシュミーが投獄されることになったんだ?」
「私が知ったことか!」
レベッカは明らかに動揺していた。普段の彼女の冷静さを欠いている。
「レベッカ……」
「今は独りにさせてくれ」
そう言い残して、レベッカは探偵事務所内にある自分の部屋に引きこもってしまった。
「参ったな……」
僕はため息をつきながら頭を掻いた。
「クローニン先生、僕で良ければお力になりますから」
「ありがとう、テイイチくん」
僕はホッとして、思わず緊張が緩んだ。
テイイチくんは幼い顔立ちだが犯罪心理学を学んでいる大学生だ。若者なら柔軟なアイデアが出てくるかもしれない。
僕とテイイチくんはまず、シュミーの面会に行ってみることにした。
ガラス越しのシュミーは少し疲れているように見えた。きっと軍部に取り調べでこってり絞られているのだろう。
「大丈夫かい、シュミー?」
「ああ、クローニーの顔を見たら、少し元気が出てきたよ。面会時間は限られている。手短に伝えよう」
シュミーはガラスに額をぶつけるのではないかと思うほど前のめりになる。
「『モリアーティ』は僕の動きを監視しているようだ。しかも軍部に働きかけて、こうして僕を捕らえている。やっこさんは只者じゃないぞ」
「軍部にパイプがあるってことかい? そりゃ厄介だな」
「クローニー、くれぐれも気をつけてくれ。なんなら僕のことは放置してくれて構わない。ただの小説家で一般人である君を巻き込むわけにはいかないだろう」
「なにバカなコト言ってるんだ? 僕は絶対に友達を見捨てたりしない。それに、現在絶賛執筆中の探偵小説の主人公が軍に捕まってお話が終わりなんてありえないさ」
僕の力強い言葉に、シュミーは呆れたような、しかし嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ありがとう。ところで、レベッカは来ていないようだけど……」
「君が捕まったショックで引きこもり中だよ」
「彼女に伝えてくれ。『私を救い出してくれ』と」
その言葉はたしかに、彼女のやる気を引き出してくれるだろう。
面会時間はタイムアップ。僕とテイイチくんは並んで事務所への帰り道を歩いていた。
「それにしても、シュメートさんをここまで陥れる『モリアーティ』とは何者なのでしょうか……」
「それをこれから僕たちが解明して、シュミーを助けなくちゃ。そのためにはレベッカの協力が必要だ」
事務所に戻った僕は、レベッカの部屋のドアをノックする。
「独りにさせてくれと言ったろう」
部屋の中からくぐもった彼女の声が聞こえる。
「悪いけど、今は引きこもり生活を満喫している場合じゃないだろう。シュミーからの伝言だ。『私を救い出してくれ』だとさ」
その途端に、レベッカの部屋の扉が勢いよく開く。僕はそれに思い切り顔をぶつけた。顔を押さえる僕に、レベッカは弾んだ声で問いかける。
「大佐が、私を頼ってくれているのか!?」
「そ、そうだとも。だから、僕と君とテイイチくんでチームを組んで『モリアーティ』を見つけ出すんだ」
こうして、僕たちはシュミーを救出することになったのである。
「でも、その『モリアーティ』をどうやって探しましょうか?」
テイイチくんの言葉に、僕はうーんと首を傾げる。
「聞き込み……をしたところで正体を知っている人物にはそうそうお目にかかれないだろうね。『モリアーティ』だって偽名のはずだし、犯罪コンサルタントの知り合いがいるやつなんて大抵犯罪者に決まってる」
「聞き込みなんて必要ない。手がかりは、この事務所の中にある」
「えっ?」
レベッカの言葉に、僕とテイイチくんは耳を疑った。
「大佐は『モリアーティ』について調べていた。その調査が核心に迫ってしまったから『モリアーティ』は慌てて軍部を動かして大佐を逮捕させた。少し考えれば当たり前の話だろう」
「あ、ああ、それもそうか」
「じゃあ、やるべきことはその調査結果をこの事務所の中から探し出すこと、ですね」
こうして、僕たち三人は手分けして事務所の中を捜索した。
事務所の中は整理整頓されていて、事件の資料などもきちんとファイリングされて棚に収められている。シュミーは物の整理が苦手だったから、きっとレベッカがやったのだろう。
そのレベッカは、棚からファイルをひとつひとつ取り出してはページをめくっている。過去の事件に『モリアーティ』が絡んでいる可能性も無きにしもあらず、ということか。
テイイチくんは事務所内にあるシュミーの寝室を捜索している。プライベートな空間に入るのはためらわれたが、許可を出してくれる本人がいないのでやむを得ない。
僕はと言うと、シュミーの机の引き出しを漁っていた。机だけはレベッカに整理させなかったようで、引き出しの中は書類がごちゃごちゃと詰まっている。これをいちいち調べるのは手間だが、まあ仕方ないと腹をくくった。
気になったのは、一番下の引き出しだ。ご丁寧に暗証番号付きの南京錠がかかっている。明らかに怪しい……。手がかりがあるとすればここだろう。
しかし、暗証番号か……。他の引き出しの書類を見ても、それらしき数字は書かれていない。試しにシュミーの誕生日や車のナンバーなど入れてみたが、反応はなし。
(こういったパスコードは、本人の頭の中で覚えていられるもの、メモに残さなくてもいいものが相場だが……)
少し悩んだ末に、僕の誕生日を入れたらガチャ、と音を立てて引き出しが開いた。
その中に入っていたものは――
不意に、すぐ背後からガキィン、と大きな金属音が響いた。
驚いて振り向くと、テイイチくんとレベッカがお互いの手に持ったナイフで応戦していた。
「ぼさっとするな、ヘボ作家! その証拠品を持って、ここから逃げろ!」
「あは、僕が逃がすとでも思ってるんですか? クローニン先生、死にたくなかったらそれを渡してください」
――テイイチくんは、別人のように顔を歪ませて笑っていた。
僕の手には、『守谷帝一』と書かれた少年の顔写真付きの書類が握られている。
モリヤ・テイイチ――モリアーティ。まさかそんな、言葉遊びのような。
「ど、どうして君が、そんなことを」
「復讐ですよ」
テイイチは一言つぶやくように、ナイフを握り直す。
「それにしても、ひどいなあ、レベッカさん。『テイイチはいいやつだな』なんて言いながら、いつでも僕を殺せるように身構えてるんですもん」
「お前は……あの少年兵に顔がよく似ていたからな」
僕は息を呑んだ。
「シュミーが殺した少年兵って」
「僕の兄ですよ。生きていれば僕くらいの年頃になってたのかな」
テイイチは悲しそうにフッと息をこぼして笑った。
「僕の兄は志願兵だった。まだ小学生くらいの年齢で、自らの意志で銃を握った。あなた方の国がボコボコにしてくれた東国の名前、きっとこの国の誰も覚えていないでしょう」
彼の目は憎しみの炎で燃えるようだった。
「僕が軍の幹部に身体を売って、シュメートを捕縛させたんです。でもあの男を地獄に引きずり落とすだけじゃ満足できない。僕は『モリアーティ』のように、犯罪者を焚き付けてこの国を混乱に陥れることにしたんです」
「それが君の復讐なのか……」
「クローニン先生に近づいたのも、あの男のそばにできるだけ近づけるようにでした。別にあなたのファンでも何でもないです」
テイイチは吐き捨てるように嘲笑う。
「テイイチ、お前、格闘戦で私に勝てると思っているのか?」
「思ってませんよ。だから、レベッカさんと闘う気はありません」
彼は突然、懐から火炎瓶を取り出して床に叩きつけた。
「しまった!」
炎はあっという間に燃え広がり、テイイチくんは笑いながら事務所の窓を突き破って脱出してしまった。
「僕らも逃げよう! 煙に巻かれる!」
「だが、書類をどうにか持ち出さないと、証拠を隠滅されるぞ!」
「大丈夫、僕はもう『証拠を持ってる』!」
僕はレベッカにお姫様抱っこをされて、同じく窓から飛び出したのであった。
僕とレベッカが軍部にたどり着くと、シュミーはテイイチと面会をしているということだった。
「僕らも二人に会わせてください。このままだとシュミーはテイイチに暗殺される」
僕の言葉と『証拠』を信じた軍人が面会室に入れてくれた。
僕たちの姿を見たテイイチはぎょっとしていたが、「ああ、よかった! 生きてらっしゃったんですね!」と満面の笑みを浮かべる。この演技で僕を騙し通していたというのだから、怖気がする。
「今、シュメートさんに事務所が火事にあったと伝えたところなんです。それで、『モリアーティ』に関する証拠ももう残っていないと」
シュミーは、それを平静な目で眺めていた。
「証拠ならあるよ」
淡々と告げた僕に、テイイチは「え?」と聞き間違いをしたような顔をする。
「あの一気に燃え広がった炎の中から、書類を回収するなんて不可能ですよ」
僕は黙ってボイスレコーダーを取り出した。
編集者との打ち合わせや取材で使っているものだ。
「あ……」
一気に青ざめたテイイチの前で、再生ボタンを押す。
彼がシュミーに復讐を企てたこと、この国を混乱に陥れようとしたこと、その発言の全てが収録されているのだ。
「――いつから、録音ボタンを押していたんです?」
「君がレベッカとナイフで戦ったときに咄嗟に押したんだ」
「テイイチくん、君の敗因はクローニーを侮っていたことだ。彼は戦闘能力こそないが、意外と肝の据わっている男なんだよ」
静かにそう語ったシュミーの前で、テイイチは膝をついてうなだれた。
ここは軍部だ。身体を売ったという幹部がいようと、既に証拠は開示されてしまった。彼に逃げ場はない。
結局テイイチは、そのまま取調室に連行されていった。
***
「これで少しはこの国も平和になるのかね?」
「さあ、どうかな。人がいる限り、犯罪もなくならないものだからね。ただ、犯罪を教唆する存在がひとつ消えたというのは喜ばしいことさ」
釈放されたシュミーは、事務所が燃やされてしまったため、別のビルで事務所を開設した。火災保険に入っていたのが救いだろうか。過去の事件ファイルは全て燃えてしまったが。
「おい、ヘボ作家。今回の小説、大佐の出番が少なすぎるぞ」
「当たり前だろう、シュミーは投獄されていたんだから」
「そこは『一方その頃大佐は~』みたいな感じでもっと出番を増やせ」
「無茶言うな。一人称小説は自分の視点からでしか物事を見れないんだよ」
僕とレベッカの言い争いを、シュミーは楽しそうに見つめている。
そこへ、カランカランとドアを開けた呼び鈴の音がする。今度はどんな奇妙な事件を持ち込んだ依頼人なのだろうか。
「ようこそ、シュメート・アラヴァー探偵事務所へ」
〈了〉
友人の国軍大佐が軍を退役したら元傭兵のメイドがついてきたらしい 永久保セツナ @0922
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