第6話 贋作屋敷と贋作泥棒

「やれやれ、仮面泥棒の次は絵を盗む泥棒、か」


 シュミーは呆れたように肩をすくめた。正直なところ、僕も同感である。

 絵画泥棒なんてよくある話だ。時価数億円の超有名な絵画が美術館から盗まれる。それはさぞかしセンセーショナルだろう。

 しかし、今回は少し毛色が違う話なのだ。


「絵を盗むにしたって、贋作なんか盗んでどうするんだか」


 僕は思わず首を傾げてしまう。

 そう、盗まれるものは「偽物の絵画」なのだ。

 しかも、専門家が見たらすぐに見抜けてしまうようなお粗末なものらしい。

 当然、そんなものに価値はほとんどない。のだが、何故かそれを盗む泥棒がいるという。妙な話だ。

 警察も暇ではない。窃盗とはいえ、そんな緊急性のない事件に割く人員はないというのだ。


「それで、シュミーに依頼が来たってワケかい……」


「どう思う、クローニー? これはいい小説が書けると思うか?」


「いやぁ、どうかねぇ……。君に依頼したって人も、大概変わってるとは思うが……」


 そう、そんな価値の無いものを、私立探偵であるシュミーに大金を払ってまで「守ってほしい」という依頼人がいるから、今回の仕事は成り立っているわけで……。

 僕は依頼を請けたシュミーとその傭兵メイド・レベッカとともに、その依頼人の屋敷までついていったのである。

 ちなみに探偵事務所に仲間入りを果たしたテイイチくんは大学で講義を受けなくてはいけないということで、残念ながら今回はお休みだ(本人も残念がっていた)。


「シュメート・アラヴァー御一行様、お待ちしておりました」


 今回の依頼人、ベルナデッタ・アロウズさんは80代の女性だった。かなり大きな屋敷だが、家政婦が数人屋敷を出入りしている以外に家族はいないらしい。

 家政婦のひとりが淹れてくれた紅茶を飲みながら、僕たちは彼女の話を聞くことにした。


「この家は『贋作屋敷』と呼ばれております」


 ベルナデッタさんは、そう言って屋敷の中全体を見渡す。それにつられて、僕も周りを見回した。

『モナリザ』はニヤリと笑っているし、『ムンクの叫び』は叫びというよりもあくびをしている。『泣く女』はハンバーガーを食べていた。


「贋作……というよりも、パロディに近いですね」


 レベッカの言葉に、ベルナデッタさんは微笑みながらうなずいた。こんなの、専門家どころか一般人が見たって偽物だとわかる。


「わたくしは、こういった遊び心のある贋作を買い求めるのが趣味なのです。こういった絵なら安く売られていますしね」


「それにしても膨大なコレクションですね。集めるのにも苦労なさったでしょう」


 シュミーは依頼人に微笑みかけた。なにせ壁という壁が贋作で埋め尽くされているのだ。


「それなりに人脈はありますから、贋作の情報はすぐに私の耳に入ってきますの。贋作を集めている面白い婆さんがいると聞けば、贋作絵師はすぐに私のもとにやってきて、自分の作品を売りたがりますわ」


 ベルナデッタさんは紅茶を一口飲むと、「それで、狙われている贋作をお見せしたいので、ついてきてくださらない?」とソファから立ち上がる。僕らもすぐに従った。


 彼女が案内したのは、『贋作屋敷』の最奥。

 絵を守るためか、窓はなく、間接照明が淡い光を放っている。

 僕はその絵を見て、思わず息を呑んだ。


「これが、贋作だって……?」


 その絵は、『最後の晩餐』だった。

 イエス・キリストと十二人の弟子たちが、最後の夕食をともに食べたシーンを描いたという、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品だ。

 もちろん、これが贋作なのは明白だ。『最後の晩餐』は、修道院の食堂に描かれた壁画。こんなところで額縁に収まっているはずがない。

 しかし……壁に描かれたような質感、時間経過による、かすれた表現まで緻密に再現されている。先ほどまで『贋作屋敷』で見てきた作品とは一線を画している。


「これは、パロディという感じではありませんね。贋作というより、複製品のようだ」


 シュミーは片眉を上げて感心したように絵をじっと見つめていた。


「この絵は、わたくしが感銘を受けた一枚ですの。わたくしにとっては、贋作の絵画を集めるきっかけになった大切な絵なのですわ」


「しかし、何故この絵を狙われているのかが分からない、と」


「ええ。あくまで贋作ですから高値がつくわけでもありませんのに……」


 ベルナデッタさんの話によると、贋作屋敷の絵画には厳重なセキュリティが敷かれており、特にこの『最後の晩餐』には赤外線センサーがいくつも仕掛けられている。以前、何者かが侵入し、盗もうとして警告音が鳴ったが、犯人――贋作泥棒には逃げられてしまったらしい。結果的に絵は守られたようだが……。


「これは興味深い事件ですね。ご依頼をお請けしましょう」


 どうやら、シュミーのお眼鏡にかなったようだ。

 早速、僕とシュミー、レベッカは作戦会議を始めた。


「とはいえ、わからないことだらけだよ。価値の低い絵画を盗む泥棒が、また来るとも限らないだろう?」


「まず、情報が足りないからそれを集めるところからだな。クローニー、狙われた絵画について調べてほしい。僕とレベッカはベルナデッタさんから話を聞きながら張り込みをしてみる」


 正直、張り込みはレベッカがひとりいれば充分な気もするが……。こそ泥に元大佐と傭兵メイドはオーバーキルである。ご愁傷さまとしか言いようがない。


 僕はシュミーの指示通り、狙われた『最後の晩餐』の贋作について、ミステリー小説を書く作家仲間から情報を聞き出してみた。彼らは常にネタに飢えている。なにか珍妙な事件があれば、すぐに首を突っ込んで調べ上げるだろう。

 そうして、わかったことがある。


「この贋作屋敷の他にも、贋作が盗まれた被害があるそうだよ。もしかしたら同一犯かもしれない」


 シュミーは「どうしてそう思うんだい?」と『最後の晩餐』を眺めながら穏やかな口調で問いかけてくる。


「盗まれた贋作は、すべて同じ作者によって作られたものなんだ」


 僕の調査結果に、シュミーは満足したようだった。


「なるほど、そういう動機もありといえばありなのか……」


「シュミー……もしかして、既に分かっていて僕に調査させたのかい?」


「確信が足りなかっただけさ。さすがの軍でも安物の絵を盗む泥棒なんてそこまで注目していないからね。その点、君に調査を依頼したほうがこういった風変わりな事件の情報は集めやすいだろう?」


「なるほど……」と僕は肩をすくめる。


「それで、『そういう動機』ってどういうことだい? 君はもう真相を掴んでいる様子だね」


「まだ仮説だがね。このまま張り込みを続けていれば、いずれまた現れるだろう。ベルナデッタさんに依頼して、一芝居打ったほうが良さそうだ」


 首を傾げた僕を置いて、シュミーは贋作屋敷の女主人に、とある提案を持ちかける。


「絵画は我々が責任を持って必ず守ります。そのために必要なことなのです」


 シュミーの説得を受け、ベルナデッタさんはこんな情報を内外部に流した。


「贋作屋敷の『最後の晩餐』は贋作をテーマにして収集しているミュージアムに寄贈されることになった」


 もちろん、これは嘘だ。シュミーはこのデマを流すことで贋作泥棒は再びやってくると睨んでいるようだった。その泥棒はなぜ、そこまでして『最後の晩餐』を狙っているのか? シュミーと違い、僕は首を傾げてしまった。

 僕が思いつくことといえば、同じ作者の作品を欲しがって犯行に及んだくらいか。だとしたらその泥棒も相当の収集癖を持っていることになる。


「この贋作は他の絵とすり替えて別の場所に移動させておきます」


 家政婦のひとりが『最後の晩餐』の額縁に手をかける。

 しかし、シュミーが「待った」をかけた。


「それは、ベルナデッタさんの指示ですか?」


「……」


 家政婦は何も答えない。背中を向けているが、表情が固く感じられた。


「なるほど、家政婦の中に紛れ込んでいればチャンスは巡ってくる。警報が鳴った日は外部から侵入したが、その後家政婦として贋作屋敷に潜り込んだのか。今なら張り込みのために警報も切ってある。絶好のチャンスというわけだ」


「何を仰っているのか、よくわかりません」


 しかし、家政婦の声は動揺して震えている。


「ベルナデッタさんから伺っています。あなたは唯一、贋作泥棒が入ってから初めて入った家政婦だと」


「証拠はあるのですか? ただ家政婦になったタイミングだけで犯人と決めつけられたらたまったもんじゃないわ」


「それでしたら、その『最後の晩餐』を私たちに渡してもらえますか? その絵に執着がなければ渡せるはずだ。その絵は贋作ミュージアムに寄贈されるのだから、盗めるなら今しかチャンスがない」


 家政婦はだんだん顔色が悪くなっていき――『最後の晩餐』を抱えて逃げ出した。


「レベッカ!」


「かしこまりました」


 家政婦は俊敏なレベッカにあっという間に捕らえられてしまった。


「それにしても、なんでこの女は贋作なんか狙ったんだい?」


「本人に聞いてみるといい。その女性にとっては不名誉な恥なんだろうがね」


 家政婦――いや、贋作泥棒は、目に涙をためている。


「この絵は、私が昔描いたものだったんです。私はまだ若く、未熟だった……。その頃の絵画を見ると恥ずかしくて穴があったら入りたくなります。でも、買い戻すお金もない……」


「だから、自分が作った贋作を盗んでいたのか……」


 いや、僕も気持ちはわからないでもない。遙か過去に書いた小説は、恥ずかしくてもう二度と読めないほどだ。


「でも、あなたの描いた『最後の晩餐』はとても素晴らしいものでしたよ」


「その通りです」


 僕が贋作泥棒を慰めていると、ベルナデッタさんがやってきた。


「わたくしはあなたの贋作に感銘を受けて、贋作を集め始めたことは申し上げた通り。あなたはもっと胸を張りなさい。あなたの作品に心を動かされる人間がいることを忘れないで」


「ベルナデッタ様……私は警察に出頭します」


 そうして、贋作泥棒はベルナデッタさんに伴われて警察のお世話になり、事件は解決した。

 窃盗ではあるが、情状酌量の余地はあるし、今まで盗んできた絵画も持ち主に返すらしいのでそこまで重い罪にはならないだろう。


「それにしても、妙な事件だったな」


「妙なのはこれだけじゃない」


 事務所に戻り、事件解決のスッキリ感で大きく伸びをする僕だったが、シュミーは難しそうな顔をしている。


「どうしたんだい?」


「軍から取調べのデータを送ってもらったが、あの贋作泥棒、ネットで絵画の場所を把握して盗んでいたようだ」


「まあ、場所がわからなきゃ盗みようがないからな」


「その場所を教えてもらった人物が『モリアーティ』という名前だそうだ」


「も、モリアーティだって!?」


「もちろん、偽名だろうがね」


 モリアーティといえば『犯罪界のナポレオン』と呼ばれる、犯罪コンサルタントをしていた男の名だ。

 架空の人物とはいえ、そんな名前を名乗る人間がマトモな手合いのはずがない。


「そのモリアーティってやつが犯罪を教唆したってわけか」


「どうもきな臭くなってきたな。僕はこれについてもう少し調べてみる」


 シュミーはパソコンを立ち上げて、カタカタとキーボードを叩き始めた。おそらく軍部に連絡しているのだろう。


 僕は心に一抹の不安を感じたのであった。


〈続く〉

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