苦しいほどに愛だった

湊賀藁友

苦しいほどに愛だった

 ドラゴンも天使も悪魔も妖精もいる、呪いも科学も祝福も魔法もあるこの世界で、何よりも美しい女がいた。

 女は花のように笑い、月のように清廉で、太陽のように眩しくて、それでいて──残酷な程に、愚かだった。


 ■


『おかしな女だ』


 それが、その女に対する第一印象だった。

 突然仕事先に現れたかと思えば、その数日後から毎日必ず俺の元へ現れるようになった女。どれだけ本気で撒こうとしても撒けず、いつしか俺はその女を振り払うことを諦め存在を容認するようになった。

 百歩譲って俺の仕事が普通の仕事だったならストーカーか何かだと考えてすぐにでも警察に付き出してやったのだが、生憎俺の仕事は“普通”ではない。警察に連絡など、出来るはずもなかった。そんなことで自分が捕まるなんてただの間抜けだろう。


 ──俺は、殺し屋だった。


 仕事の受託を泣いて請う客、下卑た笑みを浮かべながら依頼をする客、恨み辛みに塗れた顔で金を払う客、依頼のふりをしてこちらを殺そうとしてきた客……話し出せばキリがないが、そんな客たちを相手に何年も何年も仕事をしてきた。


 だがしかし、女は客ではなかった。

 ある日突然“仕事先”に現れたかと思えば、何をするでもなくただこちらを見つめていたのだ。……いや、こちらではなく仕事が終わった後の光景だったのかもしれないが。

 俺は女に去るように言った。どうせ他言されたところで痛くも痒くもないし、弱そうな女一人殺すために使う弾丸が勿体無いとすら思ったからだ。

 そうしてすぐ、予想通り女は何も言わずに去っていった。

 ……しかしそれから三日程経った頃だっただろうか。女は、再び仕事先に現れたのだ。


「何をしている」

「貴方に会いに来たの」


 …………意味が分からないと思った。この女は数日前、俺が仕事をこなしたところを見たはずだ。それなのに、一体何を。

 結局その思考回路を理解できる気がしなかった俺はそのまま会話を諦めて仕事だけを済ませたが、女はそれに協力もすることは勿論、邪魔することもなかった。


 それから毎日毎日飽きもせず女は俺の前に現れた。

 仕事先に現れることも多く、仕事の情報が流出しているのかと思い調べてもみたが、どれだけ調べても情報が漏れた形跡はない。

 実害はないので大して気にしてもいなかったが、万が一あの女以外でも出来る方法で仕事先がバレているのだとしたら大問題だ。

 しかしながら女の手口が分からず、ふとある日女に尋ねた。


「お前、この場所をどうやって知った」


 まぁどうせ答えないだろうと思いながら質問したのだが、予想に反して女はあっさりとその答えを告げた。


「だって私、魔女だもの」

「──なるほど」


 それなら暇人だろうし、容易に俺の仕事先に現れるわけだ。


 魔女とは、人であり人でない生物なのだ。

 人間の変異種であり、変異が発現するのは15~25歳の間のみ。常人とは比べ物にならないほどの魔力を持ち、女しか存在しない……それだけ聞いても風変わりな特徴だが、魔女達の一番の特徴はなんと言っても『不老不死』だろう。

 魔女としての変異が発現した時から一切歳を取らず、殺そうとしても殺せない。

 攻撃や毒薬作りに特化していなければ自害も出来ないというのだからまったく難儀な生き物だと思っていたが、まさかほとんど幻だとも言われるその存在が自分の前に現れるとは思ってもみなかった。


「うふふ、やっぱり貴方って変わってるわね。魔女って聞いてそれだけなの?」


 鈴を転がすような声で、女は笑う。


「……これでも驚いてる」

「あら、そうなの? 全然そうは見えないけど」


 女は笑うことをやめない。しかし、何故だか不快には思わなかった。


 ■


 女と出会った季節が終わる頃、俺は漸く女の名を知った。


「私の名前? ……意外、貴方が私の名前を知りたいだなんて」

「……別に、呼ぶのに不便だから訊いただけだ」

「うふふ、素直じゃないんだから!」


 否定しようとして、そう言えば彼女はこうなったら否定を受け入れるような人間ではなかったなと思い至って諦めた。


「私の名前はリーツよ。リーツ・ストロベリー」

「……ふぅん…………君らしい、名前だな」

「! ありがとう!」


 それは自分にとっては確かに褒め言葉だったが、別にそれを明確に言葉に示したわけではない。だと言うのに目をキラキラと輝かせて喜ぶものだから、皮肉のひとつも言えなくなってしまった。

 ……あぁ、俺らしくもない。


 ■


 女と出会った春が終わった。

 女と過ごした夏が眠った。

 女と笑った秋が過ぎ去った。


 そして、冬が来た。


 もう俺は女──リーツの存在を、当たり前のものとして認識していた。それどころか、好ましいとさえ……あぁ、考えるのはよそう。


 いつの間にか俺の家で寝泊まりするようになったリーツだが、別に俺たちは交際しているわけでも、ましてや男女の関係にあるわけでもなかった。

 ただ一緒にいるだけの、ただの魔女と殺し屋だった。


 ある日、珍しくリーツが一人で出かけた。何やら薬物の材料を入手しに行くらしい。

 反対に、珍しく仕事がなかった俺は家に一人でいることになった。しかし仕事が休みでリーツがいない日なんて久々で退屈に苛まれた俺は、たまには家の掃除でもすることにした。して、しまった。


 掃除の最中にたまたま見つけた、棚の隅に小さく隠すように折り畳まれしまいこまれたメモの中身を見て、俺は知ってしまったのだ。気付くいてしまったのだ。



『【魔女を殺す薬の作り方】』



 文章の理解を頭で拒みながら、しかし仕事柄焦っても回るようになってしまっている頭がその文の意味を正しく理解してしまう。


 ──彼女は、自らの手で死のうとしているのだ。


 ■


 茫然自失のままソファに座ってどれ程の時間が経っただろうか。

 ガチャリと鍵が開く音が聞こえる。リーツが帰ってきたのだろう。


「ただいま~! ちゃんと欲しいもの見つかっ──…………どうしたの?」


 あぁ、俺は今相当な間抜け面を晒しているのだろう。

 しかし、何もなかったことには出来なかった。見て見ぬふりは出来なかった。


「珍しく掃除もしていたみたいだけど……」

「リーツ」


 どうしたの、と続けるつもりだったのだろう言葉を遮って口を開く。


「君、死にたいのか」


 リーツは一瞬目を見開いたが、俺の右手に握りこまれたメモ用紙を見て悟ったらしく、すぐにいつも通りふわりと微笑んだ。


「ふふ、まさか貴方が突然掃除なんて予想してなかったわ」


 リーツは、否定しなかった。


「どうして」


 少しだけ眉を歪めて、リーツは俯いた。


「…………心から、愛した人がいたの。

 優しくて、温かくて……大好きだった。あの人のためだけに生きていたといっても良い程に、愛しかった。

 ……でもね、ある日そんな彼が殺されたの。」


 幸せだったことを雄弁に語っていた彼女の瞳が、一気にその温度を失った。


「死にたい程に辛かった。彼を殺した人間が、殺しても足りないほどに憎かった。

 何も出来なかった自分が、呪っても足りない程に恨めしかった。

 だから絶対に許さないって思いながらその犯人を殺しに行ったらね…………もう、殺されていたの」


 まさか、その相手を殺したのは。


「殺し屋である貴方に殺されるんですもの。やっぱり、憎まれている人だったんでしょうね。

 でも折角自分の手で殺そうと思うほど憎かった存在が息絶えたのに……いいえ、違うわね。息絶えたからこそ、怒りとか憎しみとかそういうものの矛先を失ってしまって、どうすれば良いか分からなくなってしまったの。

 だけど元々彼の敵討ちをしたら死ぬつもりだったから、そのまま死ぬことにしたわ」


 しかしリーツはここにいる。それはつまり──。


「死ねなかった、か」

「──ええ、魔女の身体って思ったより頑丈なのね。

 魔力の限り自分に魔法を撃ち込んでも、首を吊っても、心の臓や頭を突き刺しても、毒薬を飲んでも、崖から身を投げても……全然死ねなかった」


 そう言ってリーツは悲しげに笑う。

 約一年間共に過ごしてきて、リーツのそんな表情を見るのは初めてだった。


「だから情報通の魔女に死ぬための方法を聞きに行ったの。彼女、そういう情報はならいくらでも知っているから。

 それで『誰でも殺せる殺し屋』の話を聞いて急いでその殺し屋が次に現れる所に向かったら、そこに私の仇を奪った男がいるんですもの。びっくりしちゃった」


 ……あぁ、確かに俺ならばリーツを殺せるだろう。


「つまりお前は、俺の『万物等殺』で死ぬためにわざわざ仕事先まで現れたわけか」


 『万物等殺』は俺が生まれつき使える魔法であり、一定時間どんな存在でも銃弾を撃ち込みさえすれば簡単に殺せるようになる力だ。俺が殺し屋になったのも、この魔法の影響が大きい。


「だが、それなら何故……」


 あの場で殺せと頼まれたとしても、俺は確実に断らなかっただろう。だというのに、何故リーツはただ俺の方を見ていたのか。


「……勿論、はじめは仕事の邪魔をして殺されようと思ったわ。なのに何故だか貴方に少しだけ彼の面影を感じて……一度そう思ってしまったら、仕事の邪魔をするどころか貴方に『殺して』と頼むことすら出来なくなるんだもの。馬鹿よね」

「……その後俺に付きまとったのは」


 知りたくはなかったけれど、聞きたくはなかったけれど、確認をしなければならなかった。俺には、その義務があるのだ。


「……彼と、重ねていたのでしょうね。

 だけど駄目だった。一緒に過ごせば過ごすほど、貴方と彼は違うんだってどうしても分かってしまって、ただただ虚しかった。

 でもね……貴方と過ごした日々は、とってもとっても楽しかった! 温かくて、優しくて、生きていて良かったと少しだけ思えるほどに……幸せ、だった」


「…………それでも、今も死にたいのか」


 リーツは悲しげな顔で頷いた。


「どうしても?」


 また、彼女は頷いた。悩んでいるような様子は一切見せなかった。

 ……彼女の中で、もうそれは変わらないものなのだろう。


 あぁ。俺では彼女の言う“彼”以上の存在どころか、その代わりにもなれなかったのか。


 俺は静かに、彼女に銃を向けた。

 しかしそこには怒りも憎しみも存在しない。


「……そんな悲しそうな顔をさせるくらいなら、いやな女になって、嫌われて殺されたかったな」


 俺の涙を、近寄ってきたリーツが指で優しく拭う。


「……貴方は、私にとってこれ以上ないほどの友人だったわ」


 あぁ、だからこそ君は『愛している』と言ってはくれないのだろう?


「……リーツ」

「なぁに?」

「………………俺にとっても、君はこれ以上ないほどの友人だった」

「…………ありがとう」


 『愛している』は言わない。

 君はそれを望んでいないだろうから。

 『生きてくれ』とも言えない。

 俺だってきっとリーツが死ねばその道を選ぶから。

 愛しているけれど、俺はリーツを止めない。

 俺に贈ることが出来る愛は、彼女が求めている物は、きっと“これ”しかないだろうから。


 微笑んだ彼女にもう一度しっかりと銃を向け、照準を合わせた。『撃ちたくない』と震える指の訴えは聞かないまま、緩やかに力を込める。


「それじゃあ、おやすみ」

「えぇ、おやすみなさい」


 ガン、ともう聞き慣れた音が静かに響く。


 音が消えた世界で、硝煙と血の匂いだけが、俺の悲しみと共に部屋を満たしていた。


 ■


 それから彼女の墓を作っていたらこんな時間になってしまったというわけだ。まぁ墓といっても名も刻まれていない、粗末な物だがね。


 長々と語ってしまって悪かった。いつもなら見知らぬ人間にここまで自分のことを話すなんてあり得ないんだが…………きっと、彼女のことを誰かに知っていてほしかったんだろうな。


 ……え? 忘れない? 


 ははっ、君は面白いな。見ず知らずの人間の下らない話に付き合ってくれた上、そんなことまで言ってくれるのか。


 ──見ず知らずの相手にこんな風に色々話すことも、そんな君の言葉を喜ぶのも俺らしくないのかもしれないけれど……まぁ最期くらいは、いいか。


 カチャリ。


 俺は、静かに銃を構えた。

 目の前の男に、ではない。自分自身に、だ。


「何も、言わないんだな」


 そう問いかけると「何か言ってほしいんですか?」と返されてしまった。


「──あぁ、そうだな」


 確かに、例え何を言われたとしても俺はこの引き金を引くだろう。何よりも愛しい相手の命を奪った時と、同じように。


 俺も君も愚かだ。

 こうやって、愛した者の死を乗り越えることも出来ないのだから。


 ──俺はきっと、美しい君と同じところへは逝けないだろう。

 それでいい。生きるためと言いながら、俺はいくつもの命を奪ってきたのだから。


 ……だが、もしもあの世があるのなら、もしも地獄があるのなら、もしも天国があるのなら。

 俺はいくらだって苦しもう。俺は何度だって傷付こう。俺はどれだけでもこの身を己で投げ捨てよう。

 だから、だからどうか────彼女だけでも、安らかに。


 祈りながら目を瞑った。

 願いながら引き金を引いた。



 嗚呼。これは、この想いは確かに、苦しいほどに愛だった。

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