■031――大説得

「あああああ?もっぺん言ってみろや!ゴラァ――!」


 引きつった顔のチビの腹に蹴りを入れ、体がくの字に折れて下を向いた顔面に膝を叩きつける。

 放物線を描きながら吹っ飛ぶチビの軌跡を目で追いながら、俺の理性は何でこうなったのか、ぼんやり考えていた……。



 エルス族の残党は完全に孤立していた。

 調査した限り、連中はエルス族の魔法剣士三人と限りなく山賊に近い傭兵の集団で、北の拠点に戻る気配も、ディレイ達と連絡を取り合っている気配もない。

 どうやら山賊集団エルス族が合流したというのが正解のようだ。

 エルス族さえ何とかできれば烏合の衆なので、それほどの大仕事ではないとの予想だった……が。


「何で足止め食らってんだよ……」

「なんでだろうねー?」

 調査と準備を念入りにして万全の態勢で残党狩りに臨んだ俺たちが直面したのは、人間領域の謎の壁、ゲンマが言うところの“一旦舐められるとどうにもならない”という現象だった。

 数多くある関門ではワザと時間をかけた手続きで足止めされ、時に暗に仄めかした袖の下を要求される。

 それらの動きが同行している帝国側の一部とも呼応しているので、残党を処理して欲しいのか、して欲しくないのか、さっぱりわからなかった。

「大方、帝国も一枚岩でないってことでしょ。なんとかして欲しいけど、彼らにも面子があるから、余所者にあっさり解決して欲しくないっていう心理で……」

「クソかよ!」

「……申し訳ありません」

 俺のイライラからの毒吐きに同行しているレイモンドとアンの兄であるアルバートが頭を下げた。

「私に力が無いばかりにゲンマ様方にご迷惑をかけて……」

「あなたは悪く無い、アルバート殿。現場を理解しようともしない宮廷が悪いのです」

 まだ十代の少年であろうアルバートにレイモンドは気遣った。

「で、一体いつまで足止めされなきゃいけないんだ?」

「……それが……まずい雲行きでして……」

 オクルスは渋い顔で口を曲げた。

「先日、ヘンリー王子手飼いの親衛隊が帝都を出発したらしく、下手すると到着までこの状態が続くかもしれやせん」

 どうも、あの胡散臭い第二王子は帝位継承から最も遠い庶子にすら嫌がらせに余念がないようだ。

「マジか……いい加減にしろよ……」

 俺はさっさと帰って書斎に引きこもりたいと言うのに……。

「完全にボクらをおちょくってるねー」

 ゲンマの不機嫌ゲージも順調に上昇している。 

「私に野心などないというのに……義兄上……」

 悔しそうに歯噛みする少年の肩にレイモンドは手を置いた。

「ヘンリー様の目的は後継者最有力候補であるリチャード様の御力を削ぐ事でしょう。あなた一人の責任ではございません」

 察するに、アルバートは宮廷内では第一王子派なのだろう。

 そうすると、親衛隊とやらも“援軍”とは思えない。

「これは律儀に足止め食らってる場合じゃないな……」



 もう足止めは無視する事にした。

 同行の部隊は無言で進行する俺たちの後を慌てて後を追うしかなかった。

 そうして関門の手前で、俺たちの行く手を蛮族と見分けがつかない兵卒の集団が立ちふさがった。


「帰れ!列強の腰抜けが!」

「悪霊に魂を食われたシステムの奴隷はすっこんでろ!!」

「龍族の足の裏を舐めてる女顔のクソ野郎!ゴマ擦って手に入れた力でイキってんじゃねーよ!」

「人間様に楯突いて無事で済むと思うなよ!ヒトデナシが!」


 人間領域特有の罵詈雑言が雑多な集団から浴びせられた。

 ここに来てからこういう事態は頻繁に起きていたが、概ね無視で通していた。

 それでも、敵がすぐ先にいるこんな時にまで何やってんだこいつら。

 怒りよりも困惑が優って戸惑っていると、その中の一人が言ってはならないことを言い放った。


「パレス・ビブリオンの使徒がナンボのもんじゃい!あんな木偶の坊、パレス・コロシアム様に比べたら雑魚だろ!!」


 ――ピシッ!!

 俺の目の前の世界が確かにひび割れた。


「ハァアアアアァァァ――???」

 俺は暴言を吐いたチビの元に怒りの波動を撒き散らしながらツカツカと歩み寄った。

「あああああ?もっぺん言ってみろや!ゴラァ――!」

 引きつった顔のチビの腹に蹴りを入れ、体がくの字に折れて下を向いた顔面に膝を叩きつける。

 チビが放物線を描いて吹っ飛んでいくのを確認し、俺は着地点に移動した。

「おう、テメエ、今何つった?ああ?何つった???ああああああ???」

 俺は倒れているチビに容赦なく蹴りを入れ続けた。

 周りの兵卒達はさっきの暴言の勢いを忘れて、遠巻きで黙って見ている。

「なんで俺が怒っているか分かるか?あああああ???」

 明らかに俺の剣幕にヒイてる兵卒の一人が絞り出すように答えた。

「パレス・ビブリオン……様をけなしたから……」

「違う!!」

 こいつら何もわかっちゃいない。

「パレスとは八柱の御方々が集まって一つの構造体となっておられる尊き世界!その中のどの一柱が欠けても成立しない完成された世界だ!故に御方に序列を付けるなど、ありえぬ不敬!パレスを信仰する者として許しがたい事と知れ!!」

 兵卒達は青い顔で息を飲んだ。

「大体、人のことをゴマスリでイキってるとかほざいたが、てめーらビビって命惜しんでる弱虫の分際でパレス・コロシアム様の使徒を名乗るとかバカか!ざっけんな!そんなんだから御方に見切り付けられたんだぞ!!わかってんのか!!」

 兵卒集団の半数がその言葉に悔しげに顔を歪めた。

「もう、お前らには期待していない。俺らだけで、あのクソエルスのケツに蹴り入れてくるからな。気取った耳長のお上品な花火にビビって引きこもってる、か弱いヒヨコどもにパレス・コロシアム様もさぞ、鼻が高いことだろうよ!」

 俺のディスりに連中は歯ぎしりして悔しがっている。

「だが、パレス・ビブリオン様は慈悲深い御方だからな。お前らのような弱虫の負け犬でも暖かく見守ってくださるさ。その代わり永遠の闘技場入りは諦めることだな!さっさと巣に帰ってママのおっぱい吸ってマスかいて寝ろ!」

 兵卒達はバカにされてるのを完全に理解したのか怒りの形相で唸りながら俺を睨んでいる。

 パレス・ビブリオン様をコケにしたのも許しがたいが、小説家に言葉で喧嘩を仕掛けたのがこいつらの運の尽きだ――絶対に負けを認めるわけにはいかない。


「つっうぃぃぐぅあう――!!」

 俺がさんざん足蹴にしたチビは腫れで歪んだ顔に悔し涙を流し叫んだ。

「お、お、おではよわむすぃでねぇーーー!!」

 震える足でよろけながら立ち上がり、歯茎から血が出る勢いで食いしばっている。

 どうやら根性だけはこの中では一番あるようだ。

「俺たちは関門を飛び越えてエルスどもをひっ捕らえてくる。お前らの中にも命知らずがいるなら逃げる残党でも狩ってろ」

 俺は踵を返して、背後で沈黙のまま見守っていた仲間の元に戻った。

「――作戦通りやるがいいな?」

 俺の言葉に皆が頷いた。

「ちょっと予定とは違うけど別にいいね。彼らもあそこまで煽られたら黙ってないでしょ」

 人間領域の戦士達は内なる闘志に燃えている。

 うらなりの宮廷派ではもう抑えられないだろう。

 サリシスは根性チビにポーションを振りかけながら「カンナヅキを怒らせたらダメだよ?」と言い聞かせていた。

 モジュローは「若様はそんなこと言わない……言わない……」と白目でブツブツ繰り返し呟いてる。



 その後、俺たちはモモちゃんの呼び出した魔物グラリフェンに乗って、関門を易々と飛び越え態勢を整えた。

 モモちゃんが呼び出した魔物達は実力としては軍の先鋭に相当して、さらに練度も高い。

 新しく制定された農業試験場の空き地は魔物達の軍事教練場にはピッタリだった。

「ゴブリンさんチーム!フォーメーションA!」

 赤帽子部隊を先頭にしたゴブリン歩兵たちは一糸乱れぬ動きで隊列を組んだ。

「ラミアさんチーム!フォーメーションB!」

 中立地帯のダンジョンで苦戦した女怪ラミアが集団で待機する。

 一体でもリアルでエンカウントしたくない魔物が、この数で目の前に現れたら大抵の冒険者は絶望するだろう。

「天使さんチーム!フォーメーションS!」

 万が一の死霊対策で呼び出した聖属性モンスターだが、不可視化と探知スキルを持っているので、空からの索敵役も兼ねている。

 一堂に会した魔物軍団を関門の上から覗いている雑兵たちは戦々恐々でこちらを見ている。

 モモちゃんは自軍をゆったりと見渡してよく響く声で宣言した。

「では、行きましょう!レディー、ゴー――!」



 残党の拠点は森を背にした廃墟を占拠したもので手前は見晴らしのいい平原だった。

 彼らはこうした拠点を何箇所か確保していて、定期的に巡回することで追っ手を撒いていたようだ。

 しかし、その分防御は薄く、基本の警報結界すら貼っていなかった。


 作戦は単純なもので、モモちゃんの魔物部隊で適度に攻撃して、奴らの主力を引きずり出し、頃合いを見計らって、ゲンマが龍形態で不意打ちして混乱させるというものだ。

 並のエルス族ならゲンマの姿を見ただけで動転するだろうという読みに基づいている。


 グラリフェンに騎乗したまま、宙から部隊に采配するモモちゃんの姿は三日月を背景に非常にサマになっていた。

「ゴブリンさんチーム、フォーメーションVです!」

 敵の拠点手前でモモちゃんは歩兵部隊であるゴブリン達に指示を出す。

 ゴブリン部隊は鶴翼の陣に展開し、先頭の赤帽子は拠点の後方に左右から回り込んだ。

 ゴブリン弓兵が火属性を付与した矢を拠点に打ち込むと、それが合図となって合戦が始まった。

 勇猛果敢なゴブリン部隊とラミアの魔法による波状攻撃に敵は総力を出さざるを得なくなり、事前情報通りエルス族の魔法剣士三人が前線に出てきた。

「じゃ、行ってくるから後はよろしく」

 ゲンマはそう言って飛び上がり、上空で龍形態に戻って、エルス剣士達の前に躍り出た。


 ――グラァァァアアアァァァーー!!


 ゲンマの咆哮は遥か遠くの地平線まで響き渡る。


 ここから、エルス族必死の抵抗が始まる――と予想していた、が


「げぇ!、げ、げんまぁ?げんまなんでぇぇぇぇ!!」

「はひぃぃぃぃぃ!!」

「…………」


 エルス一号は現実を受け入れられずに錯乱状態になり、二号は腰が抜けて失禁して、三号に至っては無言で失神した。


 なんだよ、こいつら。うちの最弱マスコットに対して失礼だな。

『……流石にちょっと傷つくんだけどー?』

 ゴブリンたちはケラケラ笑っていた。


 エルス族三人の身柄確保が想定よりあっさり達成して拍子抜けだった。

『エルダーエルスの影響から外れたエルス族なんて、ちょっと強いだけの魔術師だからね。こんなもんでしょ』

 エルス族が俺たちの手で無力化したのを見て、山賊達はゲンマを恐れて我先に逃げ出す。

 魔物部隊は一方的に山賊を追い回し討伐していったが、敵の逃げ足は速く大半は取り漏らした。

 首領も裏口から逃げようとしたが、先回りしていた赤帽子たちに捕らえられ、俺たちのミッションはほぼ完了した。



 確保したターゲットを関門の拠点に連れてきた頃には残党狩りは終了していた。

 ゲンマの咆哮を皮切りに戦士達は関門を強引に開いて外に出て、逃げる残党を迎え撃ち、乱戦状態になるも数の優位によって楽に勝利を得たようだ。


 首領とエルス族の扱いについて、アルバート、レイモンド、それにオクルスとゲンマの話し合いの結果、その場で手打ちにして首級を取ることになった。

「城に連れ帰って情報を取りたいのは山々だけど……第二王子と内通している可能性が否定できないんだよ……後から来る親衛隊に横槍入れられて逃げられるのが一番面倒だから仕方ないね」

 告発できるチャンスかもしれないけどいいのか?

「この程度の証拠で帝位継承者を追い詰めるのは無理です。証言が取れても山賊の言葉がまともに受け入れられるとは思いません……」

 どうやら痛み分けっぽいな。

 そもそも、他所のお家騒動に首突っ込みたくないし、別にいいか。


 大勢の戦士に見守られる中、アルバートの号令で四人の首が刎ねられるのを見届けた後、俺たちは龍形態のゲンマに乗って関門を後にした。

 飛び去る途中、根性チビを先頭に戦士たちは走りながら俺たちに掲げた拳を振って叫んでいた。

 何て言ってんだろう。

『“いつかパレス・コロシアム様の加護を得てみせるぞー”、とか……なんだろう“つんでれ”?そんな感じ』

 男のツンデレなぞ要らん。需要ないだろ。



 自治区に戻る途中の大森林に着陸した俺たちは、そこで待っていたオクルスの分体から転移の巻物を受け取った。

「俺はこれから再び人間領域に行く。疲れたり具合の悪くなった者は自治区に戻った方が良い」

 過去の経験から、精神的なトラウマは癒すのが難しい。

 この先の事を考えたら、内なるダメージを受けているものがいたら早めにケアしておかないとマズイだろう。

 サリシスもモモちゃんもずっと顔が青いままだ。

「……」

「わ、私は大丈夫です……」

 サリシスは押し黙ったままで、モモちゃんは少し無理をしているように見える。

「いや、私たちはここで帰還しましょう。護衛ならお三方で十分です」

 年長者の森川は場の空気を読んで二人に促してくれた。

「大丈夫か?サリシス?」

 俺はずっと無言のサリシスに声をかけた。

「……うん。人間領域の話は聞いていたけど……実際に見てびっくりしちゃったみたい……ごめんね」

「無理しちゃダメだ……モモちゃん、サリシスの側にいてくれるか?」

「でも……私……まだ……」

「黒うささん、ここは先生の配慮に甘えましょう。足手まといにならない為にも私たちには休息が必要です」

「……わかりました」

 森川はオクルスとともに疲弊した二人を待機していた馬車に乗せて自治区に帰っていった。

 それを見守った俺たちは転移の巻物を使って、再び人間領域に移動した。



 転移した先は大森林の西側、フィン王国の東側の国境線沿いにある古代遺跡だ。

 この場所で俺たちは、エンダー君の友人で義勇軍のリーダーである地方領主ジェームズと会談する手筈になっている。

 既に義勇軍のメンバーが入り口で待ち受けていて、俺たちは遺跡の奥に即席で作られた会談の場に通された。


「お久しぶりでです!エンダー様、モジュロー様!」

 ジェームズは俺が部屋に入るなり、臣下の礼を取って出迎えてくれた。

 俺の想像ではジェームズはエンダー君の友達ということで、文武両道のレイモンドのような細マッチョのイケメンを想像していた。

 だが、実際会った第一印象は――“熊”、だった。

 身長は俺よりやや低いが、横幅は優に二倍以上はあるプロレスラーみたいな体型で、ライオンのようなこげ茶色の髪と髭に爛々と輝く丸い目の、見るからに強そうな豪傑だ。

「ジェームズ卿!お元気そうで何よりです!」

 モジュローは嬉しそうに彼の手を取って再会を喜んだ。


 テルさんが部屋に閉鎖空間の設定を施して会談は始まった。

「オクルス殿からの伝達があるまでお二方の身の上をずっと案じてましたぞ……では、こちらの御方を紹介していただけますかな?」

「はい、こちらが龍王国のゲンマ様、それとこちらがシステムの御使テル・ムーサ様です」

 モジュローの紹介を受けて彼は二人に一礼した。

「やぁ、初めまして、ジェームズ君。君のおかげでボクたちは大変助かったよ。龍王国を代表して礼を言うよ」

「滅相もない……天下に名高い友人龍様にお声がけ頂けた事光栄であります」

 ジェームスとゲンマが握手を交わし、彼はテルさんに目を向ける。

「……それにしても、隣国の要人であるゲンマ様はともかく、システムの御使様までお越しになるとは……一体どういう事なのでしょうか?人間領域の問題にシステムが介入するのは前代未聞なのでは?」

 混乱を避ける為にジェームズには俺が記憶喪失である以上の説明は曖昧にしてあった。

「ふふふ……エージェントを使っての人間領域への介入には前例があります。一般には知られないようにしているだけですわ」

 テルさんは微笑みながら言った。

「ジェームズ、今日は貴方にお願いがあって来た。どうか話を聞いてほしい」

 俺は彼に頭を下げた。

「何をおっしゃるのですか!私は貴方の臣下。命令とあらば、たとえ千リーグ先からでも馳せ参じましょう!」

 ジェームズは胸に手を当てて目を輝かせて言った。

「んー、それが長い話になりそうなんだよね。ちょっと腰を据えて話し合おうか」

 ゲンマはインベントリから帝国産の高級ワインとグラスを取り出した。


 ジェームズに俺がこの世界に来てからの話をざっくりした。

 ただ、俺自身のことは上位存在、パレス・ビブリオンの使いであるとした。

 そして、エンダー君の地球での近況も伝えておいた。

 彼は信じてくれるだろうか。

「……信じ難い話ではありますが……ゲンマ様とモジュロー様がお認めになるなら真実なのでしょう……」

 見た感じ彼は打ちひしがれているようだ。

「あの方のお力になりたいと思っておりましたが……まさかこのような暴虐がまかり通るとは思いもよらず、為す術が無かったのはこのジェームズにとって不徳の極み。ただ、異世界にて良き伴侶を娶られ平穏を手に入れられたのは喜ばしいこと……お伝えいただき、感謝します」

 彼は両膝に手を置いて頭を下げた。

「それに、今日まで簒奪者に抵抗する援助と策を授けていただいた御恩もあります。何なりとお申し付けくだされ」

「俺の策には意に添わぬモノもあったと思う。それにも関わらず従ってくれて本当に感謝している。俺たちの想像以上の成果を上げてくれた。ありがとう」

 この俺の言葉にジェームズは感じ入るものがあったのか彼は目元を拭った。

「そのお言葉に救われました……」

「だが、これからする話は……貴方にとってこれまで以上に困難な頼みごとかもしれないが、どうか話だけでも聞いてほしい」

「なんでも仰ってくだされ!」

 彼は拳で力強く胸を叩いた。

 俺は息を深く吸って、彼の目を見て言った。

「ジェームズ、どうか俺の代わりに、この国の王となって欲しい!!」

 彼は大きく目を見開いて、そのまま固まってしまった。


「いや……それは……ちょっと……」

 まぁ、流石にすんなりとは行かないか……。

「エンダー様がいつかお戻りいただけると信じていたからここまでやってこれたのですが……」

「そのことだが……俺はもう列強諸国の水を飲み精霊を宿す身になってしまった。王以前に人間と認めてもらえるかも怪しいだろう……」

「そんなのものはただの迷信!人を土地に縛り付けておく口実に過ぎませぬ!」

 見た目は厳ついが書を嗜むだけあって合理的思考の持ち主のようだ。

 だが、そのような人間はこの世界では少数派だろう。

「その上、龍王ガーラ様に領地を賜り、多くの友人を得て、治療師の娘と懇意になってしまった……」

 俺がそう言うと彼はハッとした顔で息を飲んだ。

「……そうですか……エンダー様が何より欲していた安住の地を手に入れたのですな……」

 彼は目を閉じて何かに思いを馳せているようだ。

「しかし、それでも何故、私なのでしょうか?フィン家の血筋に連なる者は他にもいる筈。私に王位継承権がない以上、貴族も民も納得はしないでしょう」

「ジェームズ……王である為に絶対必要なものは何かわかるか?」

「……血統……でしょうか?」

「違う。それは絶対に国土を、国民を、見捨てないことだ。戦乱如きでいの一番に逃げ出すような輩には王の資格などないんだ」

 オクルスにフィン家の傍流の消息調査をして貰った結果、生き残りのほとんどは国から離れた帝国等に逃亡して身を隠し戦争に関しては無視を決め込んでいた。

 ディレイとオズリックが王族に対して行った粛清があまりにも過酷すぎたからだ。

 もし戦争終結後に彼らが王国にのこのこ戻って来たとて、余程苦しい情勢でもない限り、人民が後ろ盾のない彼らを受け入れる事はないだろう。

「民衆が望んでいるのは貴方のような強い指導力を持ったリーダーなんだ。俺や王族のように民を見捨てて逃げ出した者が王になってはいけない」

 ジェームズは深いため息を吐いた。

「確かに私の臣民としての目線ではその言葉には同意できます。しかしそれでも貴族たちを黙らせるには材料が足りません。私は王族ではない地方豪族ですよ」

「俺は貴方に王位の簒奪を唆しているのではない。あくまでも俺の代行を務めて欲しいんだ」

「なんですと!」

「俺が、叡智の加護と正統なる王位継承権を持つ俺が、貴方と言う人物を見込んで信任するんだ。つまり代理王としてこの地を統治して欲しい」

「そんな制度は聞いたことがありません……」

 前例がなければ作ればいい。


 構想の元になったのは“王権神授説”だ。

 神の代理人であるローマ教皇が神の名の下に王を指名することによって絶対的な権力を託すシステムだ。

 時代の進歩と共に廃れる制度ではあるが、民度が中世並で情勢の不安定な人間領域では必要な制度だろう。

 この世界に神という概念はなさそうだが、上位存在の加護を持つ俺とゲンマなら神の代理人を名乗っても問題ない筈だ。

「それが、叡智の管理人のご意志だというのですか……」


 正直、かなり無理なお願いをしている自覚はあるが……この地の安定化のためには他にどうしようもないのも事実だ。

 それに、ぶっちゃげ、俺は第二の故郷であるアースガード自治区から、俺の大事な書斎から離れたくなかった。


 それと、エンダー君が王位を継承しなかった事は、彼が穏当な性格であることを抜きにしても長らく謎であったが、帝国での交渉と残党狩りを終えた今、その理由が実感できた。

 人間領域では、とにかく嫌になる程、この外見で舐められるのだ。

 華奢な女顔というだけで軽く扱われるのは普通で、ひどい時にはあからさまに罵られたりもする。

 言うことを聞かせる為には力を示さなければならず、今回は大したミッションでないにも関わらず、いつも以上に疲れた。

 こんなことを誰かに何かを命ずるたびにしなければならないのは燃費が悪すぎる。

 実際にジェームズと会ってその思いはより強くなった。

 俺が彼の立場にいたとて、同じレベルの成果は出せなかっただろう。

 この修羅の領域で人民をまとめ上げるには、彼の勇猛そうな外見は無視できない要素だ。


「まぁ、敵本拠地の攻略はこれからだからね。この話に関してはじっくり考えてよ。いきなり決断するなんて無理だと思うからさ」

 ゲンマは高級ワインを飲みながら言った。

「ジェームズ卿にはご負担を掛け続けて申し訳ございません……」

 モジュローは済まなそうに頭を下げた。

「いえ……叡智の使徒の方々が良く良く考えた末の事だとは理解してます……只やはり我が身に余る話かと……」

「俺たちは貴方に全てを丸投げするつもりはない。インフラの整備や防衛のバックアップは保証するつもりだ。それに魂は違えど、貴方とは友人のままでありたいと思っている」

 俺の発言にゲンマも頷いてくれた。

「アースガード自治区は人間が自治権を持った試験領域だからね。龍王国では出来なかった援助も可能だよ。困ったことがあったら何でも相談してよ。エンダー君の友達ならボクの友達でもあるからね」

 俺たちの発言にジェームズの両目から涙が溢れた。

「エンダー様が龍族の寵愛を受けたと知って、ずっと我が友は失われたものと考えておりました……この不敬を忠義で持って償わせていただきたい」

 ジェームズはグラスに注がれたワインを一気に飲み干した。

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