第5章 王国の落日

■028――森の恵み

 戦争の後片付けが大方済み、村周辺の安全が確認されて、ようやく俺たちは勝利の余韻に浸ることが出来るようになった。

 喜びに沸く村では、先延ばしになっていた春の訪れを祝う宴を戦勝祝いも兼ねて開催されるようだ。


 俺は村長に自分が自治区の長になってしまったことを詫びた。

 知らぬこととはいえ、よそ者である俺が龍族の強い威光の元に退陣させてしまったことには違いないからだ。

「お気になさる事はないですよ。あなた様がいなかったら自然に消えゆく村でしたから」

 村長は穏やかに言った。

「それにプリムム村は完全に無くなる訳ではないですから」

「え?」

 話をよく聞くと、自治区に制定されたのは大森林とセプテントリオの間の地域全体で、プリムム村自体は一旦そこに内包される形になるようだ。

「統治の経験のないあなた様としてもその方が都合よいでしょう」

「え、ええ……」

「元々、私たちは次期村長はジョイスにお願いしようと話し合っていたのです。何かあったらジョイスやオルトと相談してくだされば文句はありません。私としても、中央から送り込まれた官僚がここを統治して大森林の調和を乱されるよりは、命がけで村を守ってくれた英雄に治めていただける方がずっと良いです」

 村長の欲のない物言いは俺を逆に恐縮させた。

「ふふ……おかしな方ですね、あなた様は」

 俺の困惑する様子を見た村長はおかしくて仕方がないという風に破顔した。

「?……どういうことですか?」

「あのような伝承に残るような戦いを見せられて、なお己が権益を主張する者がいるとすれば、それはありえないほど欲深な愚か者ですよ。ましてや支配種族の後押しをいくつもお持ちになられている方に張り合おうとは。少なくとも私も私の身内も、そのような身の程知らずではありません」

 なんだろうな。これまでの自分の行いの大半は巻き込まれて足掻いた結果でしかなく、自分としては達成感も実感も薄かったりする。

 村長は無言で俺の肩に手を添えた。

「頼みましたよ、カンナヅキ様。この地の未来を、あなた様に託します」



 酒好きの村人を賑やかなイベント大好きな龍族が後押しするとどうなるか。

 それはもう底抜けなお祭り騒ぎ大宴会の始まりだった。


 目の前には中立地帯で見た山海の珍味に負けずとも劣らぬご馳走が陳列されていた。

 転送ストレージという謎技術があるとは言っても貴重な魔石を消費する以上、山岳地帯のこの村で海の幸である雲丹ウニ魚卵キャビアは大変な贅沢だろう。

 他にもプリムム・ダンジョン産の新しい食材を使ったジョイスの新作料理も並んでいる。

 秘伝のタレを使った焼き肉は柔らかく濃厚な味わいで、タコのような触手を使ったマリネは歯ごたえがコリコリしていて美味しい。


「今回の戦い……僕はあんまり貢献できなかった気がするなぁ……」

 周りの狂騒とは裏腹にオルトは浮かない様子だ。

「そんなことはありません。オルトさんがいてくれたおかげで、物資の搬入がスムーズに出来たんです。一番の功労者といってもいいくらいです!」

 デンは熱の入った言葉でオルトを励ました。

 森川もそれに追従して頷く。

「ええ、戦いにおいて兵站は重要な要素です。どれほど強い武将でもここを疎かにした軍隊は勝ち続けることは出来ません」

「そ、そうかなぁ……」

 俺はオルトの手を握って言った。

「オルトの力は戦いが終わったこれからも必要なんだ。今後も協力してほしい」

 オルトは赤面した顔でうつむいた。

「う、うん……勿論、頑張るよ」


「何はともあれ、最悪の事態でなかったのは良かったね」

 ゲンマはユリアさんの給仕で酒を嗜みながら言った。

「最悪?どんな事態を想定していたんだ?」

「プロークシーとシングルトンが手を組んで、シングルトンが指揮を取ったケースだね。その場合でも負けはしないけど犠牲は出ていたよ」

「違いがあるのか?」

「プロークシーはエルス軍の後方支援や民間の物流を統括していた人物でね。実戦の用兵は得意ではないんだ。今回の敵の動きにもそれが表れているよ」

 ふーん。そう言えばシングルトンも立場がヤバイって話だったな。

 なんで今回プロークシーは自分で指揮を取ったんだろう?実戦は部下に任せて自分は得意の裏方に徹しても良かったのに。

「よくわからないけど、多分、“こんぷれっくす”っていうの?エルスでは兵站ってのはあまり評価されてないみたいでね。プロークシーが無茶な召喚を繰り返したのもその辺が原因らしいんだ。人間相手なら自分でも“むそー”できると考えたんじゃないかな」

 迷惑な話だ。

 元議長のアブストラクトは有能なのだろうが、効率厨の傾向が見受けられ、人間心理の洞察という点ではその必要性自体を軽視しているように感じたので、プロークシーには同情の余地はある。しかし、その行動は俺たち視点では完全に八つ当たりだ。

「本当にエルス族はくだらないですね。自分たちの生命線を軽んじるとは」

 エルダーエルスの暴虐に辛酸を舐めた森川は憎々しげにいい捨てる。

 それを聞いてモジュローはため息をついた。

「エルス共和国はどうなってしまうのでしょうか……」

「んー、プロークシーの後釜にはイテレータが収まったし、議長には穏健な協調派のフェサードが予定通りに就任したし、大丈夫でしょ」

 エルダーエルスにはまだ気になる火種が残っている。

 シングルトンが合流しなかったのは意外だったが、秘密結社と関係しているエルダーエルスとは別人なんだろうか。

 当分の間は炎上することはないようだが、油断は禁物だ。


「まぁ、今日は飲もう!せっかくのお祭りなんだから!ジョイス、このスピネーの漬物もうないの?」

 ゲンマは緑色の酸っぱいピクルスをつまみながら酒を飲んでいる。

「それは在庫が少ないんだぞ、欲しいなら今度ダンジョンで材料を採ってきてくれ。たしか、四十三階あたりに生息してる」

「ふふ、ダンジョン散策も楽しそうだねー」

「私はこの挽肉の包み揚げをもっと食べたいですわ」

 テルさんはさっきから大皿料理を何枚も平らげてる。

「あたしもー。お肉食べたーい」

 サリシスも負けじと自分の取り分を確保している。

「私の分も少しは残しておいてください!それは私も好物なんですから!」

 モジュローは落ち込む間も無く争奪戦に巻き込まれる。

 いつものことだ。


 モジュローが年少組の様子を見に行くのに付いていったが、俺たちはキラキラした目をした少年たちに取り囲まれた。

「モジュロー先生!僕も修行を頑張ったら、ロボットに乗れますか!?」

 セツ少年は輝く瞳で興奮気味に尋ねた。

 モジュローは露骨に困惑の表情をしてしどろもどろになった。

「えー……いや……その……」

 横目でこちらを見られても困るんだが……。

 大人の俺としては当分乗りたくないのだから、微妙に睨まないで欲しい。

「乗れるよ」

 いつの間にか背後にいたゲンマは満面の笑みで言った。

「勇者の卵として厳しい修行を積んで、世界中を旅して、心を通わせる龍族と出会ったら、君も龍と一体となって選ばれし勇者として讃えられるよ」

 おい、勝手に設定盛るなよ。そんなの初耳だぞ。

 というか、あれは完全にお前の思いつきのアドリブだろ。

 純真なお子様に無責任な事言うなよ。

 そんな俺の内心をそっちのけでお子様達は盛り上がっている。

「うおー!!オレもジョイスパイセンみたいな実質勇者を目指すぜ!」

「ええ、頑張りましょう!」

「拙者も紅一点枠を目標に精進するもん!」

 興奮している熱血三人組をクロエ、ヴェールの二人は生暖かい目で見守っていた。

「子供にはこういう時期もありますの。麻疹みたいなものですので心配無用ですわ」

 クロエは悟ったような口調で小声で俺に言った。

 やっぱり女の子の方が大人だよな。


「おう、おめーら、訳わかんねーことしやがって、おい!なんだありゃー」

 クロード先輩はかなり酒が入っている様だ。

「大丈夫?これから“本番”でしょ?」

「本番?」

 防衛戦の為に雇われた傭兵じゃなかったのか?

「それは理由の半分だね。彼らにはここのダンジョンの未踏領域の探索もお願いしたんだ」

 へぇ、となると結構前からダンジョンの拡張は知ってたってことか。

「ゲンマ様、期日になってもコレが潰れていたら妾が叩き起こすので御安心なされ」

 ロータスは妖艶に微笑んだ。

「ふん。こんなの景気付けにもならん。どうせ、この宴会、明日以降も続くんだろ」

 先輩は辺りを見渡して言う。

「それに僕がいるからだいじょーぶだよ!」

 串刺しの肉を掲げたコミットが胸を張って言う。

 シラフっぽいのにテンションたけーな。

「未踏の野良ダンジョン攻略なら任せて!それにしてもこの肉美味しいね!なんの肉?」

 ちょうど、通りかかったジョイスが焼きたての肉を運んできた。

「ああ、これは鹿肉だ。春になったし、そろそろ狩をしないと森の木の若芽が全部食べられちまう」

 そういえば、俺は森には入ったことがなかった。

「この村も落ち着いてきたし、森の採集を再開してもいいだろうな」

「楽しい事がいっぱいだねー」

 ゲンマはニコニコしている。


 祝いの席は三日三晩続いた。



 翌朝、完全二日酔い状態のメンバーを見越して、朝飯には白米を用意した。

 なんとかお茶漬けを再現できないか試行錯誤していると、森川が突然「あっ」と言った。

「これ、納豆じゃないですか?」

 彼が手に持っているものを見ると、それは謎食材のソイマイトだった。

「肉とか香辛料とかでパテっぽくしてますが、この味は納豆ですよ」

 言われてみるとそんな気もする……。

 そういえば、元の世界では納豆って日常的に食べてなかったな。せいぜい地方の宿屋に泊まった時の朝食くらいで。

「実家でも食卓に出てこなかったしな」

「先生は西日本出身でしたっけ。これはクオート産なんですよね。他の地域では作ってないんですかね?」

 そもそも、この世界の、特に列強諸国で飢え死にする人っているんかな?

 キャッシュがあればシステム経由で食べ物が手に入る場所で、手間暇かけて保存食を作るか?

「下手したら人間領域の方が新しい珍味がありそうですね」



 クロード一行とコミットがそれぞれ、ダンジョン攻略を開始した。

 もっとも、初日ということで、今日は下見のみらしい。


「今はフィン王国との戦争が終わってない事を口実に転移門を封鎖しているけど、ダンジョンの情報が完全に広まると、封鎖引き伸ばしが難しくなるんだ。一応ギルドの方で箝口令は敷いてるけど楽観的にならないでね」

 ゲンマが現状を説明する。

「この辺境まで冒険者が殺到するかね?」

 クロード先輩は懐疑的だ。

「王都のダンジョンがアレだから……需要はあるんだよ。レベリングや稼ぎたい冒険者は大勢いるからね」

「あーあ……あいつらかぁ……今ギルド幹部が準備してるやつか」

「そうそう」

 ゲンマが悪巧みしてる時の無邪気な顔で笑ってる。

 どうやら龍族と冒険者ギルドは結託しているようだ。

「ま、僕がさくーと攻略しちゃうから!安心して!」

 コミットはいつも通りハイテンションだ。

「コイツに関わり合いたくねぇんだが……俺らはフォローしないからな!」

「当然!チームプレイじゃ僕の能力は活かされないからね!君達は後からついてくるといいよ!」

 いいのか?これ?と、ゲンマを見ると苦笑いをしていた。



 ゲンマに新居の設計図面を見せてもらう。

 ざっと見たところ……この建物、どっかで見たような気がするのだが……。

「王都の宮殿ドラコパラチウムを参考にしたんだ。お屋敷の左右に渡り廊下で繋がった塔があって、左の塔が君のエリア、右がボクのエリアだよ」

「何でお前と同じ家なんだよ!」

 俺が反射的に反応すると、ゲンマは片眉を上げて説明した。

「別の屋敷にすると警備が分散しちゃうでしょ。それに、食事はどうせジョイスの所でするだろうし、同じ敷地の方が何かと都合がいいんだ」

 ぐぬぬ……丸め込まれている気がする。

「この、真ん中の屋敷が共有スペースで食堂、大浴場、応接室、講堂、書庫等を置く予定なんだ。自分のエリアに何を置くか、みんなと相談して決めといてね」

 悩ましいな。俺は書斎があればそれでいいんだが……。

「大丈夫かなー?……一応、塔の最上階は寝室に設計してあるから、今後のこともちゃんと考えて配置してね」



 この村にとって、大森林はダンジョンに匹敵する貴重な資産だ。

 森の恵みは長い間村を支えてきた天然の生命線である。

 もっとも村周辺の森は完全な自然と言う訳でもない。

 長い時間をかけて、村人たちが試行錯誤の末に何とか飼いならした、いわば里山である。


 激しい人知を超えた戦いの後の森の状態は、召喚された上位存在に対してゲンマが単体で対処するよりは被害は少なかったが、それでもその爪痕はくっきりと残っていた。

「これが地球なら、現状復帰に十年単位の時間が必要でしょうね」

 ジュンは焼け野原と化した場所を見て呟いた。

「私に任せてください!」

 モジュローはテラ・ブランチを掲げて、詠唱を唱えた。


 《 森の大精霊よ、失われた時を還したまえ 》!!


 すると、森の奥から生命力に溢れる息吹が流れ込み、タイムラプス動画のように、草が芽吹き、木々が伸び、焼け落ちたはずの森が再生されていった。


「すごい……」

 滅多に感情を見せないジュンが感嘆の表情を見せる。

 森の再生が終了すると、モジュローはぐったりした。

「はぁー……大精霊の召喚は流石に疲れます……カンナヅキ、今日のおやつは三倍増しを要求します!」

 お、おう。ご苦労。よく頑張ったな。

 俺はモジュローの頭をわしわし撫でた。

「大したものね。よくやったわ」

 ジュンも一緒になってわしわし撫でた。

「私は子供ではないのですよ!」

「これはご褒美よ」

 ジュンが差し出したのは有名メーカーの板チョコだった。

「……なんですか?これは?」

 うちの子にむやみに甘いものを与えないで欲しいのだが……。

 というか、神獣がチョコ食べて大丈夫なのか?

「甘いものですか?それを早く言ってください!」

 食べるなら、ちゃんと手を洗ってからな。

 あと、いきなり全部食べるなよ。鼻血が出るから。

「完全に子供ね」

「むー……不本意です」


 再生された森の周辺を一通り見て回ったジョイスは頷いた。

「これなら、明日から採集を開始しても良いだろうな」



 翌日の森の採集にはメンバーの殆どが参加した。

 異世界の森は文字通りの驚異に満ちた世界だった。

 目の前を歩くキノコが横切った時など、メンバー全員がスマホを構えて撮影会になり、村人たちから笑われた。


 俺はふと、木々の合間を飛ぶ、でかいミツバチに気がついた。

「あれはアピスだな。魔物の一種だ。大人しい性質で、ほぼ無害だ」

 ジョイスが解説してくれた。

「へー。モモちゃん、アレってテイムできる?」

「やってみます!」

「手懐けてどうするんだ?」

 んー、蜂蜜とか取れないかなとか思ったけど。

「蜂蜜か……上級ポーションの材料にもなる高級品だから取れれば助かるな」

 俺は甘味のヴァリエーションを増やしたいだけなんだが……。

 そうこう言ってる間にモモちゃんはテイムしてお気に入りに登録した様だ。

「農場に巣箱を設置すれば作物の収穫量も増えるし一石二鳥ね」

 ジュンはこういうのに詳しそうだから、二人に丸投げすればいいかな。



 それからも、様々なハーブやベリーやキノコといった森の恵みを採取していると、森の木の合間を歩く変わった生物を発見した。

 最初のダンジョンの初ボスに似た歩く木のモンスターだが、葉っぱの形が独特だった。

 1.5m程の木彫りの顔がついた切り株が根っこを足のように動かして歩いているのは中々にシュールだ。

「あれはドルチェアルボラだな……この辺では見かけない魔物だ」

 ジョイスが教えてくれた。

「ドルチェ……?甘い実でも成るのか?」

「いや、樹液が甘い成分を含んでいて、これもポーションの材料になるんだ」

「ポーションの苦味成分を抑えて治癒効果を増幅するんだよ」

 サリシスは流石に詳しいな。

 あ、そうか、わかった。葉っぱがカエデの形に似てるんだ。

 じゃあ、樹液を煮詰めるとメープルシロップになるかな?

「モモちゃん、アレもテイムできる?」

「了解しましたー!」

 モモちゃんがつつがなく、ドルチェアルボラをお気に入りに登録して、みんなで珍しそうに観察していると、背後に視線を感じたので振り返った。

 すると、仲間と思われるドルチェアルボラ多数がこちらをじっと見ている。

 ……うわー。なんかめっちゃ気まずい……俺たち下手したら誘拐犯じゃないか。

 どうしたものかと、硬直していると、その中の一体がこちらに歩み寄ってきた。

『失礼。つかぬ事をお聞きしますが、我が同族を連れ去ってどうなさるおつもりですか?』

 木の魔物が丁寧な人語を解することに正直ビビったが、俺は必死に弁明した。

「樹液を少し分けてもらおうと思って……いや、決して酷い目には合わせないつもりで……勿論、嫌だったら無理強いはしないけど……」

『え?樹液を献上したら保護していただけるのですか!?』

 彼の背後のドルチェアルボラたちは何やらざわつき始める。


 詳しく話を聞くと、彼らはここより北の地方に住んでいた。

 ある日突然、耳の長い人間が群生地を襲撃し、守護獣である神獣が討たれコロニーが壊滅。生き残りは命からがら大森林に逃げてきたが、鹿や熊に襲われ山に登って難を逃れた。

 先日の戦いで俺たちが耳の長い人間を撃退しているのを見て、思い切って村の近くまで寄ってきたらしい。

「プロークシーの配下のエルス族の仕業だね。大方ポーションの材料集めだろうけど」

 ゲンマは興味深げに喋る魔物を眺めている。

「俺たちの共同体、アースガード自治区の掟を守れるなら、みんな来てもいいよ。ついでに無理のない範囲で樹液を提供してくれると助かる」

 俺がそう言うと、リーダー格のドルチェアルボラは葉をわさわさ震わせ喜んだ。

『はは!我ら、聖樹族一同、高貴なる方に忠誠を誓います!』

 木の魔物たちは一斉に跪いて臣下の姿勢をとった。

 ……この魔物、重いな……もっと楽にして欲しい。



 新居については議論を重ねてなんとかまとめ上げた。


 話し合いの結果、作業室に関してはメンバーの共有スペースの方がいいとのことで、広い部屋をパーテーションで区切る感じにした。

 個室は広くなくていいという意見が多く、それより物置や資料室を充実してくれという意見に同意しつつも若干不安が募る。

 というより案の定、ゲンマの常識的なダメ出しが何度か入り、オタクの巣窟は何とか人間が住まう場所に修正された。

「実験室とかはそれ専用に別宅を作ってもいいんだからさー、少しは寛げる場所にしときなよー」

 ごもっともな意見ではあるが、それは真人間の考えだ。

 このギーク連中には正論は通じないだろう。

 ともかく、なんとか計画がまとまったので、新居の建築は開始された。

 といっても、魔法で何でもできるこの世界なら、あっという間に完成しそうだ。



 その夜、ゲンマとテルさんと自治区の運営、今後の展望についてとりとめのない話をしていた筈が、軽い議論に発展した。

 議題は主に教育についてだ。

 ガーラは龍王国の現状から、義務教育という制度に強い関心を持っているらしい。

「でも、システムを通して、いつでも学習できるんだろ?わざわざ学校とか作らなくてもいいんじゃないか?」

 俺は疑問を素直に述べた。

「そうもいかないんだ。そもそも好き好んで勉強したがる人は少ないし、好きで勉強している人でも苦手な事はやりたがらないから、能力の底上げを考えたら、強制的な教育機関はどうしても必要なんだよ」

「でも、オルトはかなり自主的に勉強していたぞ」

「彼は例外中の例外って言っても過言ではないよ。試験や資格に関係なく寝る間も惜しんで学習する人なんて少数派だよ」

「しかし、好きでもない勉強を強制するのは気が進まないのだが……」

「君自身はそういう教育システムの恩恵を十二分に得ているように見えるけど……なんで反対するの?」

「別に反対している訳じゃないが……俺自身、特に楽しかった記憶がないからさ、決して万人にとって望ましい場所ではないんだ」

「そうは見えないけど?ガッコーってなんか楽しい所じゃん」

 ゲンマの脳裏に浮かんでいるのは、あの俺とスピカとのラブコメ宇宙ユニバースだろう。

「あれは夢なんだよ……昔の俺が思い描いた妄想の世界にすぎないんだ……」

 実際の俺の中学時代はスピカ抜きで、オタクサブカルチャーだけが生きがいの孤独で陰気な毎日だった。

「えー、それはさぁ、君だって努力次第ではその夢を実現できたんじゃないのー?変にカッコつけて“りあじゅー”に僻んでただけでさぁー?」

 その一言は俺の胸に突き刺さった。

 ゲンマの言葉の槍で貫かれた心臓の傷は致命的で、俺は出血多量で死にかけた。

「ゲンマ様?先生にいきなりトドメを刺さないでいただけますか?先生は繊細なんですから」

 テルさんは魂が抜けかけた俺を気遣いながら抗議したが、既に手遅れな気がする。

「あ!、ごめんごめん。ちょっと言い過ぎたかも!」

 ゲンマは咄嗟に謝罪をしてくれたが、その後俺が立ち直るのに小一時間かかった。


「でさ、実際問題、今からでも底上げしないとマズイんだよね。システムの文書で閲覧できないモノが年々少しづつ増えているんだ」

「どういうことだ?」

「一定期間閲覧されない文書は検索候補の優先順位を下げられていくんです。誰も閲覧しない期間が長ければ長いほど人目につかなくなり、実質存在しないことになってしまうんです」

 テルさんが説明してくれたが、レコメンドシステムの問題点だな。

「とりあえず、この自治区と龍の恵みの家で初等教育から始めてみようと計画しているんだ。姉さんの意向でもあるし、協力してよ」


 豊かで平和な龍王国でも多くの腐敗と問題を抱えている。

 未来を見通す力を持つ聡明な王が治めるこの国でもだ。

 恵まれた環境のこの自治区を、そうした腐敗から守りきれるのだろうか。


 ……ま、なんとかなるだろう。


 もう、俺は一人ではないのだから。

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