■026――魂の血族

 俺の知ってるプリムム村は、“寂れた”という形容がぴったりな辺境の小さな村だった。

 パッとしないダンジョンと人間領域との交易でかろうじて耐えしのいでいる限界集落って所だ。

 しかし、春の訪れを迎えた村の熱気は、季節変動の域を超えて浮かれているように見える。

「わかるかい?実は大事件がいくつも起きてね」

 オルトが興奮した面持ちで語った。

「大事件?」

「しかも君が関係してるんだよ」

「えっ?」


 俺がエルスに旅立った頃、この村の転移門に来客があったらしい。

 それが狂茶会マッドティーパーティと名乗る少年少女の四人組で俺のファンだという。

 そして、彼らは多くの新しいモノを村にもたらし、その最大たるものがダンジョンの下層へとつながる通路の発見だ。

 彼らがダンジョンを探索中、偶然に壁が崩れてエレベータルームが発見され、今、村は空前のレベリングブームに沸いている、とのことだ。

「みんな、ジョイスの宿屋で君が来るのを待ってるよ」

 ……。

「なんか嫌な予感がします」

 森川は俺が内面でも無視しようとしていた感情をあっさり言語化した。

狂茶会マッドティーパーティは裏チャットに付けていた名称です。先生はご存知ないと思いますが……」

「まぁまぁ、ともかく行ってみましょう」

 テルさんはいつも通りニコニコしている。



 ジョイスの宿屋の食堂に足を踏み入れると、懐かしい顔と、見知らぬ少年少女と、そして……。

「せ、先生――!!」

「ぐふっ」

 ピンク色の稲妻が猛スピードでタックルしてきたのを俺は避けることは出来なかった。

 手の届かない程遠い存在になった筈の……少女という年齢を過ぎたばかりの女性……モモちゃん。

「ほら、言ったでしょう?あの悪魔は絶対に諦めないって」

 森川は小声で呟き、思いっきり顔を顰めた。

 俺の脳はパニック状態で機能を完全に停止した。

「悪いけど、感動の再会は後回しにしてくれ。予定が詰まってる」

 ジョイスがモモを引き剥がして肩を叩いた。

「ふ……ふぁい……すびばせん……」

 目や鼻から体液を流したモモちゃんはジョイスに促されて後ろに下がった。

 俺の隣では銀髪で黒縁メガネの少年が森川と話をしている。

「やっと会えましたね!森亭さん!」

「エイトさん……あなたが……」

 森川は戸惑いながらも握手を交わしている。

 少年はこちらを見て、俺に話しかけてきた。

「神無月先生ですね?」

「ああ、そうだが……」

「先生に内密でお話したいことがあります……いいでしょうか?」



 個室に俺と少年とテルさん、それと何故か金髪の少女がついてきた。

「私のことは気にしないで。一応この人の監視役だから付いてきているだけ」

 彼女は椅子に腰掛けてスマホのようなものをいじっている。

「一応閉鎖空間設定しておきますね」

 テルさんが例の白いグリッドの部屋を展開する。

「君は?」

「初めまして、神無月先生。私の名前は六院王伝。フォーラムのハンドルは8ポチです。みんなは“デン”と呼んでます」

 それを聞いて俺は凍りついてしまった。

 ……まさか、この少年は……。


「六院って、君のお父さんはミステックテクノロジーの……」

「やはり……父をご存知なんですね?」

「えっ……?」

 突然、話が迷宮に入り込んだ。

 もしかして、六院皆伝は俺のことを知らないか、家族に話していないのか?

「やはり、とは?」

「数年前、父の経営するミステックテクノロジーは“システム”と協力して極秘に何かを研究していたんです。私は会社のサーバを内緒で探索してそのことを知りました」

 すげーハカーだな。世界的大企業ならセキュリティガバガバってことはないだろうし。

「それとは別件で、二年前にシステムがインターネットを通じ協力者を募集しました。私とここにいるジュンがテストに合格し、以後、システムの修復を手伝っています」


 俺は地元ではそこそこの天才だったが、大学では本物の天才がウヨウヨ歩いていて結構凹んだものだ。

 大学のサークルの飲み会でつい酔った勢いでそのぼやきを当の天才に零すと彼は言った。

『わかる。海外の学会に行くと僕も同じ気持ちになるよ』

 上には上がいる。天才の上には超天才がいるのだ。

 俺の目の前にいるのはその超天才の一人なのだろう。


「すごいな」

「私は先生の転移には父が関係していると考えてます」

 ……どうしてそうなった?

 俺はテルさんを見た。

「先生の転移はほぼ偶然の事故です。人為的である可能性はかなり低いです」

「ウラニア・ムーサさんは可能性は排除できないと言ってました」

「うーん……こちらと向こうでは持っている情報に差があるので……結論がブレてしまっているのでしょうか?レガシーの事までは把握出来てないでしょうし……」

「六院家に“マレビト伝説”という前例がある以上、何らかの方法でシステムを出し抜いている、という疑惑を完全に否定するのは難しい、と言ってました」

 悪魔の証明ってやつだな。

 それでもまだ、発想が飛躍しているように思える。

「父が何か隠し事をしているように感じたので、父のPCを覗き見した時に、東京のダミー会社に少なくない予算を私財から振り込んでいるのを発見したんです。その一部は東京の六院家と先生が住んでいるマンションの家賃として使われているのを確認しました」


 それを聞いた時、俺はどれ程自分にとって都合の悪いことから目を背け続けていたのかを痛感した。

 少し考えれば分かることだった。

 都内の決して安くはない物件を、如何に裕福で親切な老婦人とはいえ無料で貸すなんておかしいことだ。

 深く考えなかった理由はわかりきってる。

 俺が自分の出自に真摯に向き合っても、結局自他にとっての面倒事でしかないからだ。

 だが、俺の少しずつ積み重ねた怠慢のせいで、目の前の少年は異世界に飛び込んできてここにいる。

 その責任は重くのしかかった。


「君は……知らないのか?」

「何をですか?」

「君のお父さん、六院皆伝は……俺の実の父なんだ。生まれてこのかた面識はないが、そのように聞いている」

 俺のその一言で、デンは石になり、完全に固まってしまった。

「はぁーー??」

 間の抜けた声を上げながら、先程までのクールな天才少年のイメージを文字通り崩壊させながらその場に崩れ落ちた。


「普通、そういうことって、真っ先に調べない?」

 スマホの画面を注視しながら、ジュンは無味乾燥にコメントした。

「わ、わっかるわけないだろーー!!あの堅物でクソ真面目な仕事人間の父さんに隠し子がいたなんて聞いてないよ!!」

 隠れてない。俺は逃げも隠れもしてない。

 デンに自分の生い立ちをダイジェストで話した。

「俺の地元では親戚もご近所さんもみんな知ってたぞ」

「ううううう……なんで話してくれなかったんだよ……父さん……」

 デンはしばらく頭を抱えていたが、突然ガバっと頭を上げて俺を注視した。

「じゃあ、先生が私の兄さんってことですか!」

「そういうことになるな」

 もっとも実際に血が繋がっているのは、今東京にいるエンダー・ル・フィンなんだが。

「でも!魂は兄さんなんですよね?!」

「まぁ、そうなるかな……」

「兄さん!」

「はい」

 デンは潤んだ目を輝かせた。

「ハグしてもいいですか!?」

「いいよ」

「兄さん!!!」

 デンは抱きついてきたので俺もハグして背中を優しく叩いた。

 ……母さん、異世界で弟が一人増えました……。

「まぁ、感動的じゃない?良かったわね、デン」

 ジュンは感情のこもってない声で淡々と言った。

「ですわねー。ご飯三杯はいけますわねー」

 テルさんはニコニコしながら尻尾を振っている。



 閉鎖空間から出て、食堂に戻ってきた。

 クインと初めて見る金髪の少年の隣に見たことある少年……ん?ワカバ少年か?

 オルトが初顔を紹介してくれた。

「カンナヅキは初めてだよね。こっちの金髪の子はトオル。ジュンの弟でジョイスの弟子なんだ。こっちの黒髪の子はセツ。僕の家で住み込みで手伝いをしている勇者見習いなんだ」

 ほう。なるほど。こう来たか。

 セツはクロエに話しかけられてモジモジしている。

「あなた……何処かでお会いしませんでしたか?」

 彼女はセツ少年をじっと見つめた。

「いえ、ありません……」

 セツ少年は真っ赤になってる。

「なーに、逆ナンされてんだよー。今、パーティーに回復役いないんだから誘っちゃえよー、このこのー」

 トオルはセツに肘鉄を浴びせている。



 食堂はどんちゃん騒ぎで大賑わいだった。

 俺は厨房でジョイスの手伝いをした。

「お前も持てなされる側なんだがなぁ……助かっているからいいけど」

 考えることが多過ぎて、じっとしてられないんだよ……。

 というか……モモちゃん、どうすればいいんだ……。

「知るか!俺がお前くらいの歳の頃は女の子を必死で追いかける側だったぞ。贅沢な悩みしやがって」

 俺は追いかけた経験すらないんだぞ……恋愛弱者ガチ勢なめんな。

「ジョイスなら、どうするんだ?こういう時?」

「はぁー、知らん!……と言いたいが、まず話し合うしかないだろ。こういう時は」

 ですよねー。それ以外ないよな……気が重い。

「サリシスの件も含めて、お前に言いたいことは山ほどあるが、村の事情が落ち着くまでは棚上げだ。まずはモモとトコトン話し合ってこい」

 サリシスだって今だに何考えてるのかよく分からないのに……モモちゃん……。

「……どうすればいいんだ」



 ジョイスに厨房から蹴り出されて、玄関脇のウッドデッキに行くと、そこにモモちゃんが待っていた。

「綺麗な星空ですね。あそことか、プレアデス星団みたいです」

 たぶん、“みたい”じゃないんだよな……。

「先生がご無事で良かったです、ただそれだけが心配で……」

「……ごめん」

 俺は何を言っていいのか分からず、それでも何か言わねば、と焦った結果、口から出たのがその一言だった。

 俺の脳内から語彙という語彙が根こそぎ抜けてしまったようだ。

 彼女は俺を見つめた。

「?……なんで先生が謝るんですか?」

「俺は……俺は諦めていた……元の世界に帰る事を……」

 この村の環境と人間関係の居心地の良さにすっかり心を奪われていた。

「君のことが気がかりだったのに、元の世界に帰る方法を真剣に探しもせずに……」

 この世界で作品を発表できる機会を得てからは、ろくに思い出しすらしなかった。

「君は諦めずにここまできたのに……途方もない隔たりを越えて来てくれたのに……俺は帰らない理由ばかり探していた……」

 偶然の事故とはいえ、少年少女たちの運命を狂わせてしまった、その責任の重さに俺は打ちひしがれていた。

「俺は……最低だ」

 食堂の大騒ぎと対象的に二人の間に沈黙が流れた。

 月光に照らされた彼女の顔は無表情だった。

「先生……」

 不意に彼女はアルカイックスマイルを浮かべて言った。


「バカにしないでください」


「――え?」

「先生、私たちは自己責任でここに来たんです。先生の所為なんかじゃないです」

「でも……」

「それに運命なんて先生のデビュー作を読んだ時から狂っています。先生の作品はそれくらい大きな影響を読者に与えているんですよ」


 その発言に鈍器で殴られたような衝撃を受ける。


 俺は自分が小説家である事を思い出した。


「私がここにいるのは先生と同じ世界に居たいからです。どんなに安全で慣れ親しんだ場所でも、先生がいない世界には居たくない、ただそれだけです。先生が私を嫌いだとしても良いです。直接会うことが無くても先生の作品が読める世界に居たいんです。先生がどれほど遠く離れた世界に行ってしまっても……」

 彼女を大きく息を吸った。

「私が追いかけます!だって、私は、先生の、神無月了の、一番のファンですから!」


 俺は愕然とした。


 ――これは、勝てない。


 語彙がサボタージュ中の今、この状況に対する感想はそれしか出てこなかった。

 なんだろう、この敗北感は。


「それに……私たち、まだ付き合ってないですよね?」

 うっ……追い打ちで痛いところ突いてきた。

「自分でも気持ちの整理、ついてないんです。今、大変な状況みたいだし、色々、保留でいいんじゃないかな……えーと、だから……あんまり重く受け止めないでくださいよ〜先生〜」

 少しおどけた笑顔で手を振っている彼女を見て少し気持ちが解れた。



「それってストーカー宣言じゃないですか、ついに正体を現しましたね。このピンクの悪魔が」

 俺たちは食堂に戻り、ことのあらましを話すと、森川は半ば呆れていた。

「なんとでも言ってくださいな。私が来たからにはあなたの偏った解釈をまかり通すなんてこと、させませんよ、森亭さん!」

 モモちゃんは森川に指を突きつけて高らかに宣言した。

「きゃー、ウサギお姉様かっこいい〜!」

 ジュンは黄色い歓声をあげた。

「あの不毛な争いをここでも繰り返すんですか……私は忙しいんですよ」

「不毛って分かっているなら、しなきゃ良いじゃないですか。まぁ、潔く負けを認めたと受け止めますけど!ふふっ」

 モモちゃんの煽りクオリティ無駄に高いな。

「そんなの認めませんよ!……いいでしょう、ファンの私が自ら叩き潰しましょう。受けて立ちますよ」

 森川はドヤ顔で“第一号”を強調した。

「むきー、腹たつー!……あ、そうだ。先生に渡すものがあったんです!」

 彼女はインベントリから二通の手紙を差し出した。


「エンダーさんから手紙を預かってきました!こっちはモジュロー先生宛でこっちが先生宛です」

 モジュローはこの世界の文字で名前が書かれた便箋を渡されて、既に目を潤ませていた。

「若様……」

 彼は封を開けて文を読みつつ、何度も溢れる涙を拭った。

「謝罪など……勿体無い……至らなかったのは私だったのに……若様……」

 手紙を読み終え、胸に抱いてモモちゃんに礼を言った。

「ありがとうございます……若様がお元気で……良かった」

「いいんですよー、私こそ、今まで先生を守って頂いてありがとうございます!」

 二人のやりとりを見て、俺も渡された手紙を開けて、読んで……

 そして、絶句した。

「……」

「どうしたんですか、先生?」

 手紙を持つ俺の手が小刻みに震え、ただ事じゃないことを察知した森川が声をかけた。

「あいつ……」

 その場にいた全員が手を止めてこちらを見た。

「あいつ、なんてことしてやがるんだぁああぁぁぁ!!!!」

 慟哭する俺の姿を見て、モモちゃんは苦笑していた。

「なんでよりにもよって、相手が“つぐみ”、なんだよぉぉぉぉ!!!」

 そう、エンダー君は後藤つぐみと結婚を前提にしたお付き合いをしているそうだ。

 ……って!人の体で何やってんだよぉぉぉぉ!!!

 俺はその辺を転げ回りたい衝動を必死に抑えていた。

「そのつぐみというのはどういう方なんですか?」

 モジュローは訝しんだ顔で聞いてきた。

 美人で頭が良くて真面目で育ちの良いお姉さんだよ!

「良い女性ではないですか、なんでそこまで嫌がっているんですか?」

 俺への当たりがキツいんだよ!何なんだよ、あいつ、マゾなのか???

「それはあなたが不真面目で自堕落だからではないですか?」

 ……うん、それは、そうかも。


 エンダー君は転送されて間も無くシステムに保護されていた。

 大奥様のかよさんが、エンダー君との対話で、すぐにマレビト伝説の再来と察し、即座にシステムとコンタクトを取ったのが幸いしたらしい。

 以後、ずっと俺のマンションにつぐみと引き篭もっているようだ。


「お似合いのカップルでしたよー。お互いを気遣ってる感じがすごく伝わってきて……とっても仲よさそうでした!」

 モモちゃんはニコニコしながら言っているが、これで俺が元の世界に帰るという選択肢は完全に無くなった。

 今、システムが全復旧して、全てが元どおりになっても、俺がつぐみにしめ殺される未来しか見えない。


 その日はもう、やけ酒を煽るくらいしか出来ることがなかった。



 放課後、天文部の部室に入ると、スピカと弦間は既にいた。

 弦間は部室のPCでネットサーフィンしていて、スピカは漫画を読んでいる。

「なづっちゃん、昨日の深夜アニメ見た?」

「あー、武装聖龍ドラッカンか。見た見た」

「作画良かったねー、『勇気百万倍!』っていつもよりカッコ良かったー!」

「やっぱり、主役が一番いいよね」

 弦間はPCの画面を見たまま言った。

「ちっちっちっ、セレブはおこちゃまだね。通は緑っすよ。あたしは断然緑派だね。なづっちゃんは?」

「俺はライバルの黒男爵が好きかな。ストーリーの要になってるし、キャラ的にも一番造詣が深く……」

「理由がメタいなー。っていうか、なづっちゃん悪役キャラ好きだねー。やーい厨二!」

 中学二年生が厨二病なのは別に良いだろ!

「今日はどこで遊ぶの?」

 弦間は俺たちに声を掛けた。

「あたしはゲーセンがいいなー。新しい音ゲー、今日入荷予定日なんだー」

「おまえらなー、学生の本分は勉強だぞ。テストが近いんだし遊んでばっかりじゃダメだろ」

「えー、テスト前に急に勉強しても意味ないってこの前言ってなかった?」

「それは、毎日勉強してることが前提だろ。今日は図書館に行くぞ」

「ぐぼげぇ〜〜」

 美少女からヒキガエルの断末魔のような声が出てきた。

「ふーん、図書館もいいね。ボクも勉強するかな」

「優等生はこれだから嫌んなるよー……とほほ〜」



 図書館の自習室でスピカは頭から湯気を出して突っ伏していた。

 俺は黙々と自習した。

 弦間はひたすら本を読んでいた。

 積み上げている本は『孫子』『君主論』『ランチェスターの法則』『戦争請負会社』……。

 こいつ戦争でもするのか?



 目が醒めると宿屋の一室で、激しい頭痛と二日酔いに襲われた。

「ぎぼぢわる……」

 身を起こすと隣でモジュローが酷い寝相で寝ていた。

 俺は簡単に身支度すると、階下の食堂に降りた。

「おはようございます、先生」

 森川は丁寧に礼をした。

「おう、酷い顔だな。ポーション飲むか?」

 ジョイスから渡されたポーションを飲むと少し気分が良くなった。


 宿屋の外がやけに騒がしかったので窓から見ると、ゲンマが自転車に乗りながらはしゃいでいた……俺はまだ夢を見ているんだろうか?

 俺が頭の上に疑問符を浮かべて固まっていると、ジョイスが隣に来て窓の外を見た。

「ああ、あれな。デンに頼んで“取り寄せ”してもらったんだろ」

「なんだそれ?」

「デンのスキルで、彼が知っている異世界の商品をシステム経由でこの世界に取り寄せることが可能らしい」

 俺は寝起きの頭でそのスキルのことをぼんやり考えて……はっ!

「……デンはどこだ?」

「あ?オルトの作業場だろ?でなかったらダンジョンか……」

「森川行くぞ!急げ!!」

「???……はい、お伴します!」



 オルトの作業場に駆けつけると、彼はコーヒーを片手にノートパソコンを前に何かの作業をしていた。

 俺が入っていたのを確認し手を止めて、こっちを見た。

「あ、兄さん森亭さん、おはよ……」

「デン!!米だ!米を取り寄せたいんだ!!」

「米ですか?……いいですよ、ちょっと待ってください」

 彼はステータス画面で何か操作する仕草をして、メモを取った。

「このシリアルコードをお店にいるオルトさんに見せてください。コストは自己負担でお願いします」

「ありがとう!――森川!今日は白いご飯が食えるぞ!!」

「やりましたね!先生!!」


 俺はオルトにシリアルコードを渡してスキャンして貰い、キャッシュを支払い、ストレージから出てきたものを見た。


「……」

「……え?」


 そこにあったのはカリフォルニア米五kgだった。


「何か間違ってましたか?」

 デンは心配そうに後ろから声を掛けた。

「お、お前んち大富豪だろ……日系アメリカ人でも寿司ぐらい食うだろ……せめてコシヒカリとか……」

「父さんが『郷に入っては郷に従え』を家訓にしているので、その国に住むならその土地の物を食べるべきだと常日頃主張していました。私は家で日本食を食べた事はないです」

 うん。正しい。ものすごく正しい。

 それに全く無いよりかは遥かにいい。

 なぁ、森川。

「……は……はは……ははは……」

 和食派の森川は期待を裏切られたショックで自我崩壊していた。

「森川――!!」


 俺が森川を揺さぶっている間、外の通りではゲンマとコミットとクロードが自転車レースをしていた。



「身体強化のマギアは普通に反則だよねー」

 結局レースはコミットのレギュレーション違反で揉めに揉めて決着はうやむやになったようだ。

「そーんな決まり事、聞いてなかったもんねー!!」

「言わんでも常識で分かるだろ!」

 クロードとコミットはまだ言い争っている。


 ――ピッピッ♪ ピーピーピー。


 あの後、追加で五合炊きの炊飯器を取り寄せてもらい、直ぐさまセットした米が炊けたようだ。

 フタを開けると、久しぶりの炊きたての米の匂いと光輝くビジュアルに思わず涙が出そうになる。

 俺は器にご飯をよそい、前から試してみたかった現地産調味料ソルフォンスをたっぷり掛けた上に醤油を垂らして匙で掬って食べてみた。

 ――うまい。

 予想通り、美味しい卵かけご飯の味だ。

 ご飯は日本産米のように噛めば噛むほど甘みが出る滋味要素は無いが、十分に美味しかった。

 炊き込みやリゾッドにするなら、こっちの方が向いてるかもしれない。

「ああ……美味しいですね……悔しいですけど……悔しいですけど!!」

 森川は愛憎半ばといった風に久しぶりの米を噛み締めている。

「これはこれでいいですけど、バターかチーズを加えたらもっと美味しいと思います!」

 炊きたてご飯の匂いに引き寄せられたモモちゃんが味見してコメントした。

 バター醤油ご飯ってあるもんな。

 よし、採用。

「これ、具を加えて油で焼いてもいいんじゃないか?」

 ジョイス、それは完全にチャーハンだ。

 彼はささっとご飯とソルフォンスとハムの角切りを混ぜたものを油で炒めた後、ディッシャーで丸く固め、それをいくつか温野菜サラダの付け合せにした。

「まぁ、見た目も悪く無いな。他にも応用も効きそうだし、ウチでも取り寄せるか」

 ジョイスは冒険者として各地を旅した経験を持つプロの料理人だけあって確かな舌と腕を持っている。

 彼の作る料理は美味しいだけでなく毎日食べても飽きない家庭料理としても高い完成度だ。

「これ美味しいねー、お父さん」

 見た目だけでも絶対美味しいと分かるジョイスの一皿をサリシスはさっそく食べている。

「野菜もちゃんと食え!付け合せだけ先に全部食べるなよ!」

「むー」

 そんなジョイスでも娘の偏食は如何ともしがたいようだ。



 俺が来るまでに計画が立てられていたらしく、デンとオルト主導で村の周囲に防壁が築かれる事になった。

 地面に描かれたマーカーを目印にエンチャントで城壁が築かれていく。

「《 ムニチオ 》!!」

 軍属の魔術師達がエンチャントを唱えると側防塔付きのカーテンウォールが地面から生えていく。

 本当に魔法ってチートだ。

 でも、これで前回のようにいきなり魔獣が村に侵入してくることはないだろう。

 しかし面白いな、これ。

 箱庭系ゲームの演出が臨場感を伴って目の前で展開している。

 ずっと見ていても全然飽きない。


 村を囲む城壁が出来上がり、各種エンチャントで強化された後、俺たちは城壁に登って景色を見渡した。


 プリムム村は小さな村だ。


 特に地平線の奥まで続く大森林と天を貫かんとそびえ立つテクトム山脈の壮大さの前には本当に小さな村落だった。

 ふと、壁の外側を見下ろすと、テラブランチを持ったモジュローと魔術師たちが城壁の周りに堀を作るために話し合っている。

 壁の内側ではセツとトオルが見守る中、ジョイスとサリシスが剣の稽古をしている。

 城壁は村を大きく六角形で囲んでいて、山脈の反対側の平野には広い空間がある。

「あの空き地に君のお屋敷を建てる予定なんだ」

 ゲンマはニコニコしながら指差した。

「ちょっと、広すぎないか?」

「ダンジョンの事が公になったら、この村には大勢の人間が来るからね。今の状態じゃ受け入れ態勢は十分ではないよ。この機会に区画整理も兼ねる予定さ」

 今後も見越してか……でもこの調子だとお屋敷ってのも直ぐ完成しそうだな。

「まー、内装の方が大変だけどね。ボクの方で見積もり出してるんでひと段落したらチェックしておいてね」

 王都での事業のおかげでキャッシュはふんだんにあるが、この世界トップクラスの大富豪の見積もりとなると、桁一つ見落としただけで致命傷になりそうだ。



 斥候の調査で、まだ村の周辺に敵影は無いらしく、俺は新たに発見されたダンジョンでレベリングする事にした。

 村の住民は冬の間レベリングしていたため、レベル六十〜八十五にまで達していた。

 MTPのメンバーは、だいたいレベル九十を超えていて、モモちゃんは特にレベル百目前までになっていた。

「ど、どうって事ないですよー。他にする事もなかっただけですし」

 謙遜しているが、頑張りすぎだろう……。

 ジョイスの話では最近は酒場の給仕をしていても、酔っ払いにちょっかい出されることはほぼないそうだ。

「なんせ泥酔してますからねー。ちょーっと、ヒネっても問題ないですよー。あはは……」

 ……レベリング、頑張ろう、と思った。

 ……あと深酒もやめよう。



 兎に角ヴェールのレベリングを優先したかった。

 今のままでは流れ弾でやられかない。

 とりあえず、モジュロー、サリシス、オルトと一緒に十階層のボスを倒しに行き、その後、オルトの案内でエレベーターを使って、十一階層以降でレベリングに励んだ。

 ある程度の力をつけた後はセツ達、年少組とも一緒にダンジョンで遊べるようになって、楽しそうな表情でいることが増えていった。

 ――モジュローの見立てだと、彼女は魔族の支配階級だけあって、全体支援系の魔法に適正があるらしい。


 それと並行してモジュローは村の年少組にも魔法の指導を始めた。

 座学が苦手なトオルは最初は理由をつけて逃げ出そうとしていた。

 しかし、ジョイスの「少しでも才能があるなら身につけておけ、俺はまったく無かったから周りに随分と迷惑をかけた」という自分と同じ努力型の先輩の体験談に重いものを感じたのか、しぶしぶ受講するようになった。

 最初の内は集中するのにも難儀していたようだが、実技を通じて体で覚える段階まで進むと勘所が理解できたのか、自分から積極的に参加するようになっていった。

 今ではEDKにも興味を示し、俺たちに度々質問してくる。

 こうした弟の伸び代に姉のジュンも思うところがあったのか「人によって成長のプロセスは違うものなのね」と、述懐した。


 空き地で天幕を貼り、満天の星空の下で、みんなでキャンプとバーベキューを楽しみながら、このまま平和な暮らしが続けばいい……そう、思った。



「ちょっとヤバいことになりそうです」

 オクルスの緊張した面持ちで報告から始まった。

「以前、匿名の投稿タレコミで、カタリ一族が人間領域で悪さをしているってのがありましたよね?あの件を追跡調査した所、新しい発見がありました」

「あれ、本当だったのか?正直眉唾だったんだが……」

「上納金に困ったカタリ一族の末端が、ならず者集団を使って人間領域の辺境でそういう事業を展開していたというのが実態ですね、本家は与り知らぬってとこでしょう。ただ、ヤバいのはそこではないです」

「なんだ?」

「北の沿岸部でエルス族が率いる集団が小国を次々に掌握して束ねているようです」

「プロークシーか!」

 流石に腐ってもエルダーエルス。

 たとえ(半分)でも、そう簡単には死んでくれないよな。

 以前やりあった時の様子を思い返すと、おとなしく引っ込んだままとは考えられない。

「最近、兵を集めて船で南下したようです。そろそろ包囲網が突破されるかもしれません」



 そのオクルスの報告から三日後、突然現れた謎の武装集団の襲撃により、フィン王国の包囲網は瓦解してしまう。

 数の上では優った包囲網とはいえ、急ごしらえの連合による長期にわたる持久戦では士気を維持することは困難だったろう。

 その上、少数とはいえエルス族の魔術師を含む部隊の奇襲だ。

 中世の歩兵と近代兵器を装備した軍隊が衝突するようなものだ。

 数しか優位性がない人間領域の戦士たちに命がけで抵抗しろというのは元々無理な相談である。

 ここまで時間稼ぎをしてくれただけでもありがたい。


 そして、プロークシーとディレイは連携しているようで、包囲網の瓦解と同時に屍人兵による大軍がこちらに向かって進軍を開始したようだ。


「事前警告は届けていたので、ジェームズ卿は無事でした」

「それは良かった。彼には引き続き待機するように伝えてくれ。奴らは俺たちで迎え討つ」


 これは俺たちの戦いだ。

 俺の安住の地に土足で踏み入らせるものか。

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