■025――約束の地へ
アルゲン、パーヴォに捜査勅令が出されたが、二人は事前に情報を掴んだのか行方を眩ました。
カタリ一族は冤罪を訴えるかと思ったが、こちらに証拠を押収されている以上抵抗しても無駄と考えたのか、素早く切断処理に切り替わった。
不肖の息子は
長い間積み上げてきた大官僚の保身の術は半端じゃなかった。
「感心してる場合じゃないんだよなぁ」
ゲンマは不満そうだ。
「上級官僚がこの程度では終わるわきゃーない。もっとも世間的には大きい減点にはなってるからこの調子でいけば問題ないだろ」
「でも、カタリ一族の政敵が標的になってると思われるケースもいくつかあるんだよ。無関係とはとても思えないね」
「奴らが直接的な証拠なんて残すわけないだろ……そこで、これだよ」
俺は書いたばかりの原稿をゲンマに渡した。
ヴェールが牢内の寝台で横になっている側でパーヴォ達はこの依頼主にはどういう毒を渡せばいいのか相談していて、彼女はそのことをよく憶えていた。
「へっへっへ……ミステリ作家を敵に回したことをあの馬鹿どもに後悔させてやる!」
突貫で仕上げた新作は短編で倒叙ミステリ……犯人視点で物語が進行していく犯罪小説だ。
主人公は選民思想の野心溢れる若き官僚で邪魔なライバルであり不正を告発しようとした同僚を女魔術師の毒薬を使って殺し出世していく。
しかし、善良な官僚の突然死に不自然さを感じた調査員が執拗に主人公を追い詰めていくという……どっかで見たことあるような話だが別にいいだろう。
この世界にはテレビドラマもドストエフスキーの名作古典もないのだ。
それに、これはオマージュ。パクリじゃない。
「へー、毒殺の描写が生々しいね」
「できればもっと取材をしたかったが、この状況じゃこれが限界だ。それに事件から月日が経っているから関係者を探すのも一苦労しそうだし、こんなもんだろう」
「これで悪い噂を広めていくの?」
「オクルスの聞き取り調査だと数年前の事件なのに被害者の自宅の周辺では今でも噂話に登るくらい印象に残る事件らしいんでフックは十分だ」
俺は指を鳴らした。
「……というか、なんでボクが調査員に擬態してることになってるのさ?」
最終的に主人公は悪事がバレないうちに調査員を殺そうとするが、実は調査員はゲンマの化身で主人公は現行犯で逮捕というオチだ。
「正義の味方だぞ。嬉しいだろう?」
「流石に無理やりじゃないかなぁ……?」
使えるものはなんでも使うぞ。それにこういうのは
エンタメだよエンタメ。
■
ヴェールはサリシスの診断と周囲のケアもあり、すっかり健康を取り戻した。
長かった髪はユリアの手で肩のあたりで切り揃えられている。綺麗に手入れされた髪は紫のメッシュが入った艶のある黒髪だった。
ガーラから贈られたドレスに身を包んだ姿は気品ある令嬢にしか見えなかった。
「前の主人は『魔族の髪は高く売れる』と言ってました」
あの女魔術師、守銭奴の鬼婆かよ……。
母さん……異世界でも都会はおっかない場所ですだ……。
俺は彼女の教育係にモジュローを指名した。
今日からお兄ちゃんとして妹の面倒を見るんだぞ。
「……お兄ちゃんってなんなんですか!」
「よろしくお願いします!お兄様」
「お、お兄様……」
モジュローの普段は厳しく引き締めている顔が微かに弛緩する。
うん?お前、妹属性に弱いのか?もしかして。
「へ、変な属性をでっち上げないでください!……おほん!」
モジュローはわざとらしく咳払いをし、人差し指を立てて、新しい教え子に諭し始めた。
「いいですか?我々従者は主人の温情で養われている身です。その事は決して忘れてはなりません」
ヴェールはこくりと頷いた。
「私たちの主人は高貴で才気溢れる方ですが、若さゆえに行動にはアラが多くしばしば面倒に巻き込まれています。私たち従者はどれほど理不尽でも、その至らぬ所を支えていかねばなりません」
彼女は一言一句聞き逃すまいと真剣に耳を傾けている。
「その為には、まず自分自身の身を守れるようにしておく必要があります。いくら有能でも主人の足を引っ張ることがないようにしなければいけません」
「はい!お兄様!」
「あ……あと、授業の間は私のことは“先生”、と呼ぶように。時と場合により態度を変えることは上流社会では必要な技能です」
「はい……先生!……あの、質問してもいいですか?」
ヴェールはモジモジしながら先端だけ白い黒い尻尾を揺らしている。
「……授業が終わったらお兄様って呼んでもいいでしょうか?……ダメですか?」
「主人は従者同士が親睦を深めることを望んでいますので……まぁ、いいでしょう」
素直じゃないな。お兄ちゃん、ツンデレか?
「よくわからない言葉で茶化さないでください……主人は多数の者に財産と命を狙われている身です、その事を念頭に置いた上なら節度を持って主人のご厚意に甘えることは従者としての特権とも言えます……ではまずは初級魔術の基礎理論から授業を始めましょう」
二人はノートを広げて勉強を始めた。
モジュローはエルダーエルスによって“そうあれ”と産み出されただけあって、人に何かを教えるのは存在理由を満たされるのか実に生き生きとしていた。
ここの所、陰惨な毒殺の記録を基にした小説を書くことに集中していて、流石に気が滅入っていたのだが、二人のちびっこが仲良く勉学に励む心温まる光景を見て少し癒された。
■
警備上の問題でサリシスも王都でずっと続けていた治療院での奉仕活動を中断して拠点に篭ることになったが、ファンクラブに訪れる客の彼女を見る目が妙に熱を帯びているように見える。
「おや、先生はご存知ないのですか?」
森川は事情を知っているようだ。
「今、酒場や広場で吟遊詩人たちが彼女と先生のロマンスを歌っているんですよ」
何でも、俺がプリムム村でディレイの刺客に襲われた時のエピソードを基にした楽曲で、男と女のデュオで歌われるものが特に人気らしい。
興味本位で拠点の休憩所で演奏して貰った所、案の定、事実より美化されていた。
楽曲の主人公は記憶を失くした亡国の王子で、英雄の血を引く純真な村娘の癒しの魔法に命を救われて恋に落ちる。
二人は星の物語を読み解きながら愛を深めた。
やがて村に屍人の群が襲いかかり、王子は囚われた娘を救う為に命がけの魔法で撃退するが力尽きる。
目覚めぬ恋人を救わんと彼女は上位存在に祈りを捧げ、その願いは届き、王子はふたたび命を得て魔獣ベヒーモスを討ち取る。
そして村は平和となり、王子と村娘は駆けつけた友人龍ゲンマの祝福を得て結ばれる。
……すごい脚色だな。
実際は、力尽きた俺を起こしたのはオルトだし、復活したのは魔剣のおかげだ。
あと何と言ってもベヒーモスを倒したのはテルさんだ。ここ大事。
それにあのジョイスがいる限りそんな簡単にサリシスと結婚できる訳がない。
「些細なことだよ。“えんため”っていうの?大枠が合っていればそれでいいんじゃない?」
ゲンマはニヤニヤしている。
……あー、なるほど。
これは、プロパガンダってやつだな。
おそらく龍族が俺とサリシスを神格化しようと工作してるのだな。
正解だろう?
「ふふふーん、どうだろうねー」
俺がゲンマを不信のジト目で見る傍らで、サリシスはご老体に囲まれている。
「はぁ……聖女様……」
「なんと清楚なお方じゃ……」
「どうか、龍王国を……この汚れた王都をお救いくだされ……」
「あたしに言われても……うーん……どこか痛い所ないかな?大丈夫?」
彼女は困惑しつつ、ご老体に治癒魔法を掛け続けた。
「ありがたや、ありがたや……これは少ないですがお布施をお受け取りくだされ……」
老人の一人からサリシスに銀貨を渡される。
「……ちょっと多すぎるかな?」
休憩所の一角が治療院出張所と化した。
■
オクルスの定期報告を地下室で聞くことになった。
「ジェームズ卿は順調に任務をこなしております。フィン王国内の反ディレイ派を上手くまとめて準備を整えてます」
「護符はちゃんと渡したか?今彼を謀殺されるのが一番まずい」
「はい、確かにお渡ししました。先生の心遣いに心底感謝してました」
それは良かった。
モジュロー渾身の耐性山盛り付与キーホルダーがあれば大体のトラブルは乗り切れるだろう。
これで春の開戦まではフィン王国の方はなんとかなるだろう。
「包囲網は依然維持の状態なので春になってもこちらが備える余裕はあるでしょう」
「秘密結社の方はいくつかの支部を不意打ちでガサ入れしましたが、既に幹部は逃亡してました。どうも官僚経由でこちらの情報が漏れているようで……まぁ、どっから漏れてるか目星はついてますがね」
龍族はこの機会に徹底的に龍王国の膿出しをするようだ。
「あの魔術師二人を匿ってるのも秘密結社の仕業か?」
「ええ、カタリ一族は流石に関わってはいません。秘密結社には今まで散々貢いでいたようですからズブズブなんでしょう。このまま一蓮托生なんですかね?」
「奴らとは持久戦ってことか……」
彼奴らの事を思い出すだけで自分の内部で怒りが燻り出すがなんとか抑えた。
「ただ、気になることはあります」
「何だ?」
「実は昔、アッシの分体を秘密結社イフリードに潜入させたことがありまして」
「ほう」
「まだ、この仕事を始める前でかなり過去の話ですが……旧支配者の復権を狙っているというのを面白く思いましてね、結構本気で頑張って幹部にまで上り詰めたんですが……首領に呼び出されて頼むから辞めてくれって懇願されました」
「どういうことだ?」
「うちは自尊心の高い無能な社会不適格者を食い物にする平和な寄り合いだからガチでやられると困る、みたいなことを言われまして」
「はぁー?なんだそりゃ??」
「アッシも全く同じことを言いましたよ……いや、まともに考えれば分かりますけどね、龍族と敵対しても勝てるわけがないって。後に実際にガーラ様にお会いしてそれは理解できました。若気の至りってヤツです」
そりゃーそうだろうけどなんか納得いかんな。
「で、気になることって何だ?」
「今回の件で事情を聞こうと首領に久しぶりに連絡を取ろうとしたら繋がらなくて……どうも組織の頭が変わったみたいです」
「秘密結社内で内紛でもあった……か?」
「正直、今の結社が何を考えているかサッパリです。下手すると別大陸の干渉を受けている懸念すらあります」
「ヴェールのことか」
オクルスは大きく頷いた。
「ええ。彼女の件が結社経由かは不明ですが魔族の支配階級を奴隷のように扱ってる事からも油断ならない存在が後ろについているようです。アッシは結社に顔を覚えられている可能性もあるので、別の密偵を潜り込ませてますが、ガードが固くて情報収集は難航してます」
「ソルラエダの奴らはどうしている?」
「パーティの幹部の不祥事ですから、表向きは郊外の別荘で自主謹慎してます。もっとも、その気になれば転移の巻物でどこにでも移動できるので意味はないんですが。でもまぁ、王都から外には出ていないでしょう。王都の官僚と秘密結社にしか地縁はなさそうなんで」
「……動きはないか」
「今、ガーラ様が冒険者ギルド本部と改革案を練ってるらしいんで、大きく動くとしたら春以降でしょうね」
「ところで疑問なんだが、なんで奴らを実力排除しないんだ?今だと大義名分が立つんじゃないか?」
「冒険者ギルドに限らず、ギルドは一定の自治権を持った独立組織だから……というのが表向きの理由で……やつら、ダンジョンの制御室を占拠してるとの噂で、ギルドも下手に出るしかないらしいです」
「制御室?」
「ダンジョンの隠し部屋です。半ば伝承上の存在ではありますが、それを探し当てたものが実質ダンジョンの持ち主になると言われてます。ギルドはダンジョンがある土地の持ち主ってだけです」
「ほー、制御室を見つけてダンジョンを私物化したと……それでも、システム権限で何とか出来ないのか?」
「ダンジョンは旧支配者の作った遺物なんで、システムでも完全介入できないんですよ。多分、彼らにとっては暇つぶしのレジャー施設の一つにすぎないんでしょう」
システムを作り上げたような連中だったら、ダンジョンなんてただの子供の遊び場なんだろうな。
「ところで、春以降、王都でのファンクラブの活動はどうしますか?」
悩ましい問題だ。事業に関してはウィアに譲渡してもいいと思っている。
俺としては小説を発表できる場が欲しかっただけであって、ビジネスに関しては信用できるものがいればその人に任せたい。
俺はウィアは信頼に値する人物と見ているし、森川も同意見だ。
ただ、スクリーバは俺の手元に置いておきたい。
無制限に巻物を複製するような危険なアイテムを紛失するわけにはいかない。
オクルスを通じてガーラに戦争の間だけでも預かって貰えないか打診したが、やんわり断られた上に『二つとないモノを安易に手放してはならぬ』と諭されてしまった。
「万が一にでも他人の手に渡ったら大事ですから、責任を負いたくないんでしょうな」
ゲンマ自慢の宝物庫なら大丈夫かと思ったんだが……俺も出来れば他人には預けたくはないからな。
「となると、新刊の発行はどうするんだ?」
「スタッフの意見も集めましたが、ペースを落として人力で複写する方式に戻しましょう。あとアッシの工房の方で木版での印刷も試験的に行ってます。先日アイデアをいただきました“フリーペーパー”で試してみる予定です」
商人系の上級スキルを持つウィアならシステムから紙の大量購入が可能という話を聞いて、なんとなくフリーペーパーの話をしたら彼はかなり興味を持ち、あっという間に草案と広告主を準備してきた。
版木を準備するのは難儀では?と気になったが、その辺はカスタムエンチャントで何とかするらしい。本当に魔法ってチートだ。
もっとも、検閲さえなかったらこんなの全部、無駄な努力なんだがなぁ……。
「そこで、フリーペーパーですよ。検閲が無くなったとしても利用価値がある“クーポン”はいいアイデアだと褒めてましたよ」
ウィアのフリーペーパーは月刊発行の予定で、広告やクーポン券の他に、王都のニュースや読者投稿、さらにパティアの連載エッセイを載せた新聞の雛形のような立派なメディアだ。
この世界で無料配布する印刷物としては十分な物だった。
■
イノが戻ってきた。
ポンス家を三週間、スタブルム家を二週間、さらにその次に奉公に行ったブレビス家を五日で、それぞれ家庭崩壊させた訳だが、幾ら何でも異常ではないかと拠点の地下室で緊急会議になった。
「これは何かの呪いじゃないのか?もしくは何らかの隠しスキルか……流石に異常だぞ」
俺は素直に疑問を述べた。
「うーん……ボクが見た所そういうのは無かったけど……エルス族の秘術とかだとちょっとお手上げかな」
ゲンマの目には特に異常はないらしい。
俺はモジュローを見た。
「私もこの分野にはあまり詳しくありません。私の鑑定スキルでも感知できないとなると、旧支配者時代の遺物を使った呪いである可能性が高いです」
「ケトシーはどう見やすか?使い魔として気がつく所はありませんでしたか?」
オクルスは使い魔である猫型の何かに尋ねる。
『呪いの可能性はあるかもな!とにかく見ていて面白いくらいに物事が悪い方へ転がっていくから、かなり気味が悪かったぞ!』
「じゃあ、王立魔術研究所に精密検査してもらおうか。これはこれで使える能力だけど、ちょっとかわいそうだし……それにこのままだとこっちまで不味いことになりそうだもんね」
ゲンマはさらっと酷いこと言ってるけどいい加減慣れたのでスルーした。
□
「……呪い、有ったってさ」
深夜、ゲンマはややゲンナリした様子で報告した。
「どうも、彼女の継母と仲違いした時に掛けられたみたいだね……かなり隠蔽に隠蔽を重ねた巧妙な呪いで……どれだけ嫌われてたんだろう?あの子」
いやー女の人って怖いねー、と微妙に目が笑ってない笑顔でゲンマが言う。
ともかく、これでイノも普通の女の子になるのかな……?
「それが……」
ゲンマは言い淀んだ。
「呪いは解けなかったのか?」
「いや、解けるには解けたけど……元々ある性質を増幅するタイプの呪いで、完全に解けたとは言い難いらしい……要するに、後は本人の努力次第ってこと」
「お、おう……」
サークラ体質は地なのか。これからどうするんだ?
「戦地に連れてく訳にはいかないから、王都のサメイション商会で様子見だね……ローラ嬢には苦労かけちゃうかもだけど」
彼女だったらゲンマの頼みは断らないとは思うけど……埋め合わせはしておけよ?
「もしもの時は、君を絞り上げてローラ嬢の気が済むまでレシピを出させるよ。その時はよろしく」
……ひどいとばっちりがきた。俺が言いたいのはそういうんじゃないんだが。
■
俺の新作発表以降、過去の毒殺事件が市井で注目を集めるようになった。
この世界にも“考察班”のような連中は存在していて、酒場や茶会で様々な憶測と伝聞に基づく考察が飛び交うようになった。
やがて、その考察をまとめた文章をファンクラブに投稿してくれる親切な読者が複数いて、森川はそれらを集めて特集を組んで発行、さらにブームは加速し王都中に拡散されていった。
そうこうするうちに罪の意識に耐えかねたカタリ一族の官僚――事の首謀者の一人と噂されていた――が発狂して地方の専門施設へと収監される事件が起きた。
彼は狂気の世界に囚われ過去の真相が明らかになることはなかったが、カタリ一族の官僚からそのようなものが現れたことは、もはや言い逃れのできない醜聞でしかなかった。
この一件以降、カタリ一族はますます殻に閉じこもるようになった。
まるでそうしていれば嵐をやり過ごせるかのように。
しかし、彼らが思っていた以上に、大衆の上級官僚に対する蓄積した恨みは深く重かった。
おそらくこれらの投書には諜報部の“仕込み”も多数含まれていることは予測できるが、分量と内容の熱量から考えると明らかにそれ以外の、純粋な義憤に駆られた市民の投書も確実に含まれていた。
その中には真偽は不明だが、カタリ一族は人間領域で人身売買や麻薬の製造流通に関わっているという
これが未確認情報なら今頃諜報部は裏取りに動いているだろう。
ファンクラブに送られてくる“考察”は途切れることはなかった。
□
拠点で業務に勤しむ俺たちの元にナスコさんが訪れた。
「……森川さんにお願いがあります」
悲壮な覚悟を秘めた表情でナスコさんは森川に面談を求めた。
二人は奥の応接室で長い間話し合いをし、何らかの合意に至ったのか固い握手を交わして帰っていった。
「何の用だった?」
俺は森川に聞いた。
「コピー機を貸して欲しいと頼まれましたが断りました」
あの内気な彼女が直談判するとは……ガッツあるな……正直諦めさせるために森川を通すように言ったのだが……。
「代わりに、オクルスさんの工房を紹介しました。あそこは手っ取り早く金になる印刷物を切実に求めてましたから」
も、森川――――――――――――――――――――っっっ!!!
「まぁまぁ、落ち着いてください……先生もご存知でしょう?ああいう手合いは無くすことは出来ないんです。仮に根絶したとしても、いずれ現地人から同種が自然発生しますよ。同人の業は根深いんです」
……ぐぅ、正論。
「それにここで門前払いにして好き勝手にされるよりは目の届く範囲で適度にコントロールした方がまだマシってものです。聞いた話、エルス共和国で彼女の描いたゲンマさんの絵姿がオークションでプレミア価格で取引されているようです。それをここ王都でもやらない手はないですよ。木版だとカラーも扱えますし、試験段階ですが、カスタムエンチャントで四色分解も可能となりました。付加価値の高い商品を生み出せばオクルスさんも早く研究費用を回収出来るので悪い話ではないです」
確かに話を聞けば、悪くは無いように感じた。
金は大抵の問題を解決する。金さえあれば何でも手に入るが、全てにおいて高コストな大都市では特に必要なものだ。
元々、森川に一任していたわけだし、彼がそう判断したのならそれに沿うべきなのだろう……しかし……。
「ええ、勿論、“
そう言った森川は地獄の使者のような微笑みを浮かべた。
■
春の訪れを目前にして、俺はプリムム村に帰還する前に、龍王ガーラと打ち合わせをした。
主にフィン王国をどうするか、みんなと話し合ってまとめた構想をガーラに話し、調整を加えた上で彼女の了承を得た。
「長いようで短い冬であった……色々と苦労をかけたな、カンナヅキ殿」
こちらとしても、言質を取ったのをいいことに好き勝手やっただけな気もするが期待に沿えたのだろうか?
「こちらの期待以上であった。短い期間でここまでカタリ一族を弱体化してくれるとは思ってなかったぞ。“メディア”とは強力なものだな」
いやー……メディアよりもイノの呪いの方が強かったかも……。
想定ではもっと妨害してくると予想していたが思いのほか抵抗が弱かったな。
「ふん。それだけ龍族と辺境……官僚以外を舐めていたということだろう。ウィア殿がニヒル一族の出身であることに気を取られすぎて対策が遅れたのもある。派閥政治を重視するあまりに大衆心理を無視し続けたツケが廻ったのだ」
戦争の準備に関してはほとんどガーラに一任しているのだがどうなっているのだろうか?
「今の所、ディレイ陣営に包囲網を抜けられる気配はない。ただ、向こうにも策士がいる以上、春以降は何が起きてもおかしくはない。引き続き警戒していく」
冒険者ギルドの改革はどうなっているのだろうか?なにか策があると言われているが……。
ガーラは口の両端を釣り上げて笑った。
「これに関しても、其方に礼を言わなくてはならないな……今はまだ多くは言えないが、其方は本当に役に立っておるぞ」
……意味ありげだな……なぜか背筋がゾクッとした。
「くくく……そうだな……時代が大きく動く、とだけ言っておこう。楽しみにしているがいい」
その後瑣末な事務的な連絡事項をいくつか交わし、そろそろ話の終わりが見えた頃、彼女は妙に改まった佇まいに切り替えた。
「カンナヅキ殿……其方に頼みたいことがあるのだ」
俺は何らかの任務を承るのかと身構えた。
「あ、いや、これは王としてではなく、個人的な頼みなのだ……」
遠慮がちなガーラの態度に訝しんで次の言葉を待った。
「どうか……これからもゲンマの友でいてくれないか……」
俺はその言葉に何と答えたものか固まってしまった。
「へ、変なことを言ってしまって済まない……私も長い間人と関わっているうちに情というものが身についてしまってな……最近ゲンマが楽しそうなのが喜ばしくて、つい……あああ、今のは忘れてくれ!」
普段の王の中の王という雰囲気を吹き飛ばして、見事に問題児の弟を持つ姉の物言いになっていて微笑ましかった。
「……ゲンマには何度も助けられてます。俺の方こそよろしくお願いします」
ガーラは今まで見たことがない程柔らかい微笑みを浮かべた。
□
プリムム村への帰還に関して一番悩んだのはヴェールの身柄をどうするか、だった。
安全を期するなら王都に置いていく、のが最善なのだろう。
ただ、サリシスの件やガーラの言葉『二つとないものを手放すな』を思い返すと、どうしてもそれがいい事、とは思えなかった。
なにより、この王都に一人で取り残される彼女の気持ちを想像するだけで胸が張り裂けそうになる。
「ヴェール……」
「はい、あるじ様」
モジュローによる歴史の授業が終わった後、俺は彼女に話しかけた。
「俺たちは春になったら辺境のプリムム村に行く……そして、しばらくこの王都には戻ってこない」
……というより今後、大事でもない限りこの王都に住むことはないだろう。
「そして、辺境で人間領域の屍人兵の軍と戦うことになる。辺境はここ王都より危険な場所だ……君はどうする?ここならば、オクルスや龍王ガーラが守ってくれるだろう」
「私はあるじ様と共にいたいです……!」
俯いてスカートを握りしめるヴェールを支える様にモジュローが割り込んだ。
「……カンナヅキ……私からもお願いします、彼女を置き去りにしないで欲しいです。彼女にとってこの王都は決して居心地のいい場所ではありません」
「モジュロー、彼女を連れて行っても大丈夫だと思うか?」
「私が守ります!だから……彼女を一人にさせないでください……」
俺がエルスの奴隷市場に行くまで、ずっと孤独に絶望と戦い続けた彼の懇願には実感が込められていた。
俺は跪いて彼女の顔の輪郭を撫でた。
「そうか……プリムム村はいい所だ。空気も景色も綺麗で村人は親切で、ここよりずっと静かだ。きっと気に入ってくれるはずだ」
「はい!お供いたします!」
彼女は縋るように俺の手を両手で包んだ。
■
王都のファンクラブ業務はウィアとパティアに任せることになった。
「私の身に余る事で責任重大ですが……頑張ります」
パティアは謙遜しているが、彼女は作品の執筆も講座の講師も投稿の選評もこなせる有能な人物だった。
また
ウィアのフリーペーパー第一号も評判が良く、追加で増版が刷られるほどだった。
特に、パティアのエッセイはその瑞々しい感性で軽妙に綴られた日常は王都の人々の心を鷲掴みにした。
それに影響されたのか、王都の女性の間で日記を書くのが流行になり、ノートやそれを加工した封印付きの日記帳の売り上げが伸びている。
心配していた警備も、オクルスの分体と私服警護が常駐するとのことで大丈夫そうだ。
「ご武運をお祈りしますよ。それと必ず生きて帰ってきてください。先生の新作を心待ちにしてるファンが大勢いるんですから!」
俺はウィアの激励と固い握手を受けて、少し強がった。
「まだ死ぬ予定はありませんよ。ゲンマ様やみんなが付いているから大丈夫です」
「確かに!それもそうですね……それでも……お気をつけてください」
ウィアの破顔した顔に一瞬陰りを差し掛かったが、俺の不安の匂いを嗅ぎ取ったのかそれを振り払った。
「まだ、私の家族を紹介してないんですから、うちの嫁さんもあなたの大ファンで会わせろ会わせろってうるさいんですよ」
おどけた様に明るく言うウィアの心遣いに感謝しつつ俺も笑顔を作った。
「落ち着いたら、是非プリムム村にも来てください。紹介したい人がいますから」
「ええ、勿論ですよ。楽しみにしてます」
■
王都出発の日を迎えた。
やっとプリムム村に帰還できるのだ。
村を出た時は俺、サリシス、テルさん、ゲンマ、シグレの五人だったのが、気がついたら大所帯になっているな。
俺は宮殿の裏庭で勢揃いした帰還メンバーを見渡した。
新たに加わった、森川、モジュロー、オクルス、ユリア、ヴェール。
そこに傭兵として合流した地下帝国の三人、クロード、クロエ、ロータス。
ちゃっかりメンバーに加わっている、エルス族のレンジャー、コミット。
「なんでお前がここにいるんだよ……」
露骨に嫌そうな表情のクロードがぼやく。
「仲間外れにしないでよー!!楽しいお祭りなんでしょー?」
見た目だけだと激しく場違いなエルス族の彼女は遠足でテンションを上げる小学生みたいにはしゃでいる。
「遊びじゃないんだぞ、まったく」
「まぁ、まぁ、だんなぁ〜。僕だってやる時はちゃんとやるよ?熟練レンジャーとしての能力を戦場で遺憾なく発揮するよ!」
彼女は胸を張ってどーんと拳で叩いた。
「大丈夫かよ、戦闘狂で二刀流の屍人兵となんかやり合いたくないぞ」
ゲンマも不安な顔でため息をついた。
「冒険者ギルド本部統括からの推薦だからね。断れなかったんだ」
「で、移動手段は何で行くんだ?列車か?」
俺はゲンマに聞いた。
「今回は到着が早い方がいいからね。ボクが運ぶよ」
「……うぇぇ……またあれですか……」
空の旅に苦手意識があるモジュローは顔を顰めた。
「えー!!ゲンマが龍になるの?!乗っていいのーー?!きゃーきゃーきゃー!!」
コミットの興奮は最骨頂に達した。
「うるせぇ、この女……」
クロード先輩の率直な一言にゲンマはため息を重ねた。
その後、龍形態になったゲンマに興奮したコミットのテンションが手のつけられない狂乱レベルに達した。
「あははははははは!!
控え目にいってもマトモじゃない彼女の状態に俺たちが呆然していると、ゲンマはムカついたのか、雑な仕草で彼女を掴んで胸の印に押し込んだ。
その次に俺がゲンマの内部に押し込まれると、そこに座席に縛り付けられベルトで口を塞がれたコミットがもがいていた。
『到着するまでそのままでいてよ……向こうに着くまでには落ち着いてるでしょ……』
なんか出発する前に消耗しているな……本当に大丈夫かな。
出だしで躓いたとはいえ、空の旅は二回目でもあってスムーズに進んだ。
十三人も乗ったからかスピードは抑えめだが、それでも陸路よりは速く快適だ。
「……どこが快適ですかぁ」
相変わらずモジュローは青い顔をしている。
「大丈夫ですか、お兄様?」
ヴェールは横で心配そうに介抱している。
ゲンマ空輸便にはこれからもお世話になると思うからもう少し慣れてくれ。
コミットは暴れて気が済んだのか雁字搦めの状態で爆睡している。
他のメンバーはやや緊張ぎみに、じきに始まるであろう戦争に想いを馳せている。
外の景色が夕日で赤く染まる頃、部屋にゲンマの声が響く。
『そろそろ到着だよ。ここからは歩きだからね』
□
日が沈みかけ、反対側の空はすっかり夜空になったころ、ようやくプリムム村が見えてきた。
その手前には龍王国から派遣された兵士達が天幕を貼って野営をしている。
空を飛ぶゲンマの姿が見えていたのか、既に兵士たちは整列して待っていた。
「友人龍ゲンマ様と勇士御一行に敬礼!」
龍王ガーラの眷属である司令官の号令で一糸乱れぬ動きで礼をする様は練度の高さを伺える。
「ご苦労様。ボクらはこれから村の方に挨拶に行くから、引き続き周囲の警戒をお願い」
「はっ、お気をつけて!」
俺たちが村の入り口に近づくと、誰かが走り寄ってくるのが見えた。
「カンナヅキ!!」
「オルト!」
久しぶりに見た友は心なしか以前より精悍に見えた。
懐かしい村の空気に触れて、抑えていた情感がこみ上げてくる。
――帰ってきたんだ。
予想より力強い友の抱擁に戸惑いつつ、これからここが戦地になると分かっていても、俺は故郷に帰ってきたような安心感に包まれていた。
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