■021――ゲンマの願い

 エルスの関門から一時間ほど歩いた所で休憩をすることにした。

 その間にゲンブは龍形態のゲンマに戻るらしい。

「覗かないでよ?あんまり人に見られたくないんだ」

 誰が見るかよ。うっかり見てグロ画像だったら嫌だし。

 ゲンブは草むらの奥に去っていった。

「じゃあ、少し早いけど、ここで昼食にするか」

「これが最後の食事になるかもしれないのですね……」

「なんだか、お腹が痛くなってきました……」

 テルさんとモジュローから悲壮な雰囲気が流れている。

 市場で買っておいたパンで食事を済ませ一休みしていると龍形態のゲンマが空から降りてきた。

 蛇のような長くしなやかな赤い体に黒い手足と白い羽毛の羽、狩猟犬っぽい顔に輝く緑の瞳とオレンジ色の髪のようなタテガミで額にはツノが一本生えている。

 前に上位世界で見た時と変わりない姿なので俺は特に驚きはなかったが、見上げている二人は少し緊張している。

「赤龍というのは本当なんですね……」

「これから私は食べられるのでしょうか……」

 客観的なゲンマの信用度が思いの外低い件について。

 しかし、これどうやって乗るんだ?背中によじ登ればいいのか?

 そんなことを考えていると、ゲンマの黒い手が伸びてきて俺を掴んだ。

 以前、握りつぶされそうになった記憶が蘇り、体が強張る。

 この状態で運ばれるのかな……と不安に考えてると俺はゲンマの胸にあるひし形の模様に押し付けられた。


 えっ、と思った次の瞬間には、俺は広さ六畳くらいの小部屋に立っていた。

 そこは絨毯が引き詰められた洒落た内装の部屋でソファが置かれていた。

 周囲の壁には大きなスクリーンが宙に浮かんでいて、外の景色が写っている。

 まるでファーストクラスか政府専用機の客室のようだった。

『どう?悪くないでしょ?』

 部屋自体から得意げなゲンマの声が響いた。

「……そうだな。思ってたよりはかなりいいな」

 俺が簡素な感想 ( シャレではない )を述べているとテルさんとモジュローが部屋に入ってきた。

「……あら?ここは?」

「うわあぁぁ食べられたぁぁ!!…………あれ?」

 テルさんは辺りを見渡した後、ソファに座って座り心地を確認している。

 モジュローは物珍しげに壁やスクリーンを触ったり叩いたりして何かを点検していた。

『あんまり暴れないでよ。くすぐったいから』

 壁からゲンマの声が響き、ビクッとしたモジュローは慌ててソファに腰掛け、お行儀のいい姿勢で固まる。

「そういえばエルス族の子供は悪さをすると『ゲンマが飛んできて食べにくるよ!』って大人に叱られるそうですね、ふふふ」

「や、やめてください、テル・ムーサ様!」

 テルさんのからかいにモジュローが赤くなっている。

 そうか、ゲンマの存在はエルスでは子供のトラウマなのか。なまはげかよ。

『エルス族の子供なんて食べないよ……それより、ちゃんと座ってね。そろそろ出発するから』

 俺が空いてるソファに座ると背もたれの腰の付近から黒いベルトが伸びてきて体を固定した。

『これでいいかな?……準備はいいね?じゃ、しゅっぱーつ』

 ふいに部屋全体に浮力が働いて足元が浮くと同時に、外の景色も上へ上へと上昇していった。



 外の景色は山脈沿いに陸地を移動して、海が見えてきた所で日が傾いてきた。

『今日はこの辺で野営するかな。そろそろお腹すいたでしょ?』

 空の旅は想像より快適だったが、飛行機なぞ乗ったことがないだろうモジュローは青い顔でぐったりしていた。

「お、降りれるのですか……地上に!」

 離着陸時以外はくつろげるのはいいが、トイレと煮炊き出来ないのは難点だな。

 そこまで必要か?って疑問はあるが。

『ボク一人だと大陸内はどこでも一日で着いちゃうからね。流石に人を乗せたら速度は抑えないとマズイし、トイレは考えておくよ』



 ゲンマは滑るように見晴らしのいい何もない荒地に降り立った。

「あああああ、地上!地面!地上!地面!」

 モジュローは地上に降りるなり、突っ伏して地面に頬ずりしだした。大丈夫かな、この子。

「ゲンマはどうするんだ?一旦、人になるか?」

『んー面倒だからこのままでいいよ。アサイチで出発できるし』

 モジュローとテルさんが手分けして天幕を張ってる間、俺は食事の準備をし、ゲンマは結界を張った。

『ボクが見張ってるから、みんなは休んどくといいよ』

 暗くなるころには全ての準備が整っていた。

 モジュローも乗り物酔いから回復して顔色も良くなっていた。

 今日の晩御飯は消化の良さそうなポトフにしておいた。

 エルスの村々で貰った野菜とソーセージで作ったものだ。

『いい匂いがするなぁ……』

 さっきよりサイズが小さくなり、馬くらいの大きさになったゲンマは喉を鳴らした。

 ポトフを皿に盛って渡してみると、器用にスプーンで食べだした。なんか人間状態の時より愛嬌があるな。

 俺はモリモリ晩飯を食べる二人を横目で見つつ、ゲンマに秘蔵のお菓子をこっそり分け与えて頭を撫でた。今日は頑張ってくれたからご褒美だ。みんなには内緒な。

 ゲンマはサムズアップして黙って頷いた。

「……む、私のお菓子は無いのですか?カンナヅキ?毎日頂けるって約束ですよね?」

 匂いで感づいたのかモジュローは目ざとく追求してきた。

「あら、いつのまにそんな約束をしたのですか?でも当然私たちにもありますよねぇー、先生?」

 テルさんの尻尾は期待でブンブン左右に振られてる。

 ゲンマを見ると外人がするような肩をすくめるアクションをした。

 俺は観念して二人にもラングドシャを分け与えた。

 まだまだ帰宅途中だから量は控えめにな。

『明日は日が昇ったら問答無用で起こすから、夜更かししないで早く寝てね』



 翌朝、何事もなくゲンマに起こされ、身支度と食事を済ませ結界を解除して、さぁ出発となった時、ゲンマは不意に上空を見つめて身構えた。

『あちゃー、お客さんが来たみたいだね。みんな伏せて!』

 俺たちが慌ててその場に頭を抱えて伏せると、ゲンマはその上に羽を広げて覆いかぶさった。

 その数秒後に周囲に爆撃を受けたかのような熱と衝撃が襲い掛かった。

『やっぱり、何事もなく無事には帰れないか……プロークシーのお出ましだよ』

 俺は装着のエンチャントで武装を整え、モジュローはテラブランチを構えた。

 土煙と硝煙が薄れて上空にいる敵の姿が明らかになる。

 カーキー色の軍服の上に黒いマントを羽織ったエルス族の男、こいつが多分プロークシーだろう。

『うわぁ……そこまでするー?マージでー?』

 ゲンマがゲンナリした声をあげるが無理もない。彼の傍らには中立地帯で会ったワカバ少年がいた。黒いオーラを纏い、見るからに目つきがおかしいので操られているようだ。

「はっはっは、エルスを害する貴様を倒すためならば、なんでもするぞ!メシアのために人間を解放するのだ!」

『“エルスを”じゃなくって“自分を”でしょ……メシア論をマジで信じてるのもどうかと思うけど、ここまで口実化してるのはもっとやな感じだよ……はぁ、どうしよ?』

「念力で抑え込めないか?龍形態の方が強いんだろ?俺とモジュローも手を貸すぞ」

『……それしかないかぁ、じゃあ、結界の方をお願い』

 俺はシールドを現時点で出来うる限り展開すると同時にモジュローはオーラ=クーを捕縛するときに使った黄金の紐、フェイムスフィルムをワカバ少年に放った。

「ゲンマ――倒す――!!」

 念力とアイテムで身動きが取れなくなったワカバ少年は殺意と共にあの、よくわからない攻撃を放ってきた。

 俺のシールドは謎属性の攻撃の威力は完全に防ぐことは出来なかったが致命傷は避けられた。

「そんな結界なぞ爆風で吹き飛ばしてや……ぐふっ」

 プロークシーの術式はテルさんの飛び蹴りで妨害され、奴は地面に叩きつけられた。

 どうも幻獣ガルム種はエルス族の天敵らしい。

 瞬間移動でワカバ少年の背後に現れたテルさんは輝く発勁を背中に撃ち込んだ。

「破魔光波掌!!」

 ワカバ少年の全身は聖なる光に包まれた。

「やったか――!?」

 微妙にフラグを立てた気がするが……ワカバ少年の体を包む黒いオーラは消えたが、その全身に赤い模様――マギアの証が浮き上がった。

『あーあ……手遅れだったみたい……』

「どういうことだ?」

『あの子、中立地帯に来る前から眷属だったんだよ。最初から使い捨ての駒にするつもりだったんだ、アイツ』

 地面に叩きつけられ満身創痍のプロークシーは立ち上がった。

「ふはははははは、言った筈だ!貴様を倒すためならなんでもするとな!人間のガキなどいくらでも使い潰してやる!貴様が死ぬまでな!」

『……サイテー』

「奴を殺せばいいのか?」

『うーん、多分魂を分割してて本体は別にいるだろうから、アイツを殺してもあの子は正気に戻らないよ……というかちょっとマズイかも……』

 ワカバ少年は拘束から逃れようと必死にもがいているが、その周囲の空間が歪み、亀裂が入っていた。

「あれは概念汚染です!ああ、なんてことを!」

 モジュローの悲痛な叫びが響く。

 概念汚染ってなんだっけ……確か、異なる平行宇宙から人が来るとヤバイって話か。何がどうヤバイのかはさっぱりだが、今がそのヤバイ状況ってのだけは理解した……ってこれどうするんだよ……誰が収拾つけるんだこんなの。

 激おこのテルさんがプロークシーをボコってるのを横目に俺たちはただ亀裂が広がるのを見てるだけしか出来なかった……。



「概念汚染とは、本来一意であるべき世界定数が二重写し状態になることで空間に矛盾が生じ次元のほころびが生じてしまう現象だ。世界定数は絶対値ではなく、宇宙が誕生した時に定められる定数であり、この世界の全概念の基数でもある。並行世界からの人間が概念に関わる能力を用いれば、この宇宙を構築している方程式に不具合をもたらしてしまう」

 聞き覚えのある声にハッとすると世界はモノクロで停止していた。

「面倒なことを……これは私の手にも余る。とりあえずこの空間は一時凍結して上位世界で預からせてもらう」

「……お館様!」

 現れたのは俺の上位者、文字通りの機械仕掛けの神、パレス・ビブリオン様だ。

 今日はスラリとした長身を黒のスーツで身を包み険しい顔で俺たちを見ている。

 今この場で動けるのは、どうやらお館様と俺とゲンマ、そしてワカバ少年らしい。

 ワカバ少年は正気に返ったのかキョロキョロと辺りを見渡している。

「話ができないと始まらないので、君のマギアの証は除去させてもらった。どの道、粗雑な代物だった。そもそもあんなものは子供に付けるものではない」

「……あの……ここはどこですか?それに、あなたは誰ですか?」

 ワカバ少年はおずおずとお館様に問いかけた。

「私は世界を管理しているモノの一人だ。この事態を収拾させるために来た」

「……神様ってことですか?」

「そう思っても差し支えはない。だが私は全知ではあるが全能ではない。それだけは忘れないように」


「この状況を解決するための選択肢は三つある」

 お館様は指を折りつつ説明を進める。

「一つ目はこの少年を殺すことだ。そうすれば定数は一意に定まり概念汚染は治る」

 それはなるべく避けたいな……というかゲンマにできるのだろうか。

「二つ目は少年を元の世界に戻すことだ。ただし莫大なエネルギーが対価として必要になる」

 お館様が言う“莫大”ってのがどの程度かによるな……。宇宙の理を超えるレベルは想像を絶している予感がするが。

「三つ目は少年が元の世界への帰還を諦めることに了承し、最初からこの世界の者だったと情報を上書きすることだ。しかし元の世界に帰る道は完全に閉ざされる」

 どうだろうか……少年はお母さんに会いたがってたし……これも難しい気がする。

 ワカバ少年は青い顔で固まっている。

「……僕は殺されるんですか?」

「それは彼次第だ」

 お館様はゲンマを見た。

「ゲンマは君を殺すことも、元の世界に返すことも出来る。君を殺すことによって概念汚染を治め、この世界の多くの人間をメシアが降臨するまで救い続けるか、持てる全てのエネルギーと魂を消費して君を元の世界に返すか……その選択ができる」

 ワカバ少年は強張った顔でゲンマを見つめた。

「さぁ、どうする?友人龍ゲンマ?」


 数秒の沈黙の後、ゲンマは呟いた。

『……なんでこうなるかなぁ』

 ゲンマは少年を緑の瞳でじっと見つめた。

『オカアサンに……会いたいんでしょ?』

 ゲンマは深いため息をついた。

『いいよ……ボクの力は……好きに使えばいいよ……』

「ゲンマ!?おい、待てよ!いいのかよ!それで!!」

『だって仕方ないよ……』

 ゲンマは一拍おいて言った。

『この子を殺したら……君もジョイスもボクを許さないでしょ……?』

 ゲンマは緑の瞳に涙を浮かべていた。

『それに、ボクには分からないけど……オカアサンって大事なんだよね?子供にとっては特に』

「お前が死んだら、人間はどうなるんだよ?今まで沢山の人間を救ってきたんだろ?!」

『……ボクがいなくてもメシアが救ってくれるよ』

「お前メシアなんて信じてないだろ!だから今まで頑張ってきたんだろ?」

『うるさいなぁ!だったら、君が代わりに救ってあげてよ!それくらいできるよね?』

 ゲンマは顔を背けて首を振った。

『君に想像できる?眠るといつも同じ夢を見るんだ。何もない海の上に小さな板に乗っていて周囲に溺れかかって手を伸ばしている無数の人に囲まれて途方に暮れているんだ』

 ゲンマの両眼から涙があふれ出た。

『誰を助けようか迷っているうちに人はどんどん沈んでいくんだ。ボクはなすすべもなくただ見ていることしかできないんだ!……今だってそんな悪夢に怯えてるのに……この子を殺すかオカアサンから引き離すかなんて出来ないよ!』

「落ち着け!馬鹿!一人で全部何とかしようとか考えるなよ!」

 俺はお館様に向き合った。


「どうにかならないんですか、お館様?」

「さっきも言ったように、私は全能の神ではない。世界の壁を越えるエネルギーを今すぐ別途調達するのは無理だ」

「じゃあ、俺の魂を使ってもいい、ゲンマの負担を軽く出来ませんか?」

 俺がこう言うと、お館様は端正な顔を僅かに歪めた。

 正直、俺がゲンマに対してここまでする義理も情もない。

 サリシスやオルトに比べて親密でもなかった。

 でも、コイツが今まで人間の為にやってきた事がこんなあっけない終わり方を迎えるのはおかしいという感情が心の奥の深いところから湧き上がってくるのを、どうしても抑えられなかった。

「何故君がコレにそこまでする……やはり友達付き合いをする対象を少し考え直した方がいい……」

「そんなこと出来るか!」

 俺は胸が痛くなるのを感じた。

「不利益があるからとか、それが道理だからとか……そんな理由で友達を簡単に切り捨てるなんて出来るかよ!あなたとは違う!」

 この痛みが上位者であるお館様に逆らったせいなのかどうかわからず混乱していると、突然胸ぐらを掴まれそのまま持ち上げられる。

「……君がそう言うのか!…………君が!私に!」

 普段感情を表さないお館様の初めて見る怒りの色を見て、俺は何かを大事なことを忘れているのではないかと思った。


「ちょっと、待ってください!」

 ワカバ少年は手を上げてお館様に話しかけた。

「僕が帰ることを諦めたら……誰も傷つかないんですよね?」

 お館様は俺から手を離した。

「……そういうことになるが……君はそれでいいのか?」

「神様に一つお聞きたいのですが……僕が元の世界に戻ったら、お母さんは僕を愛してくれますか?」

 お館様は少し悲しげな顔をした。

「私はこの宇宙で起こることは全て知っているが、君の世界の事は分からない。なので、そうかもしれないし、そうでないかもしれない、としか言えない」

 少年はため息を吐いた。

「児相のおばさんが言ってました。『世の中に生まれつき足の遅い子や貧乏な子がいるように、親にどうしても愛されない子はいる。それは悲しいけど、どうしようもない』って……」

 どうやらワカバ少年は元の世界では放置子だったようだ。

「僕は……この世界に留まります。お兄さんやゲンマを犠牲にしてまで戻っても……普通には生きていけない気がします……それは正しい事では無いからでしょう」


 話が丸く収まりそうになったな、と安心しかけたその時、

「うわぁああぁああぁぁぁぁ――!!」

 ドップラー効果を伴って何かが空から降ってきて地面に激突する。

 それはボロボロになったプロークシーだった。

 数秒後、その上にテルさんが追い打ちを加えつつ着地した。

「不埒者は退治しましたわ、パレス・ビブリオン様!」

「ご苦労。テル・ムーサ。協力に感謝する」


 俺たちが頭の上にはてなマークを浮かべていると、カラス頭の護衛が周囲からやってきてプロークシーを拘束し、取り押さえた。

「こうなる結果は知っていたが、万が一にもプロークシーを取り逃がしたくなかったのだ。彼奴は君が強力な加護を持っているのに目をつけて私の力を自分のものにしようと目論んでいたようだ」

「はぁ?!」

 それを聞いて俺は全身の血が沸騰するほどの怒りが湧いた。プロークシーは小さく「ひぃ」と言った。

「まぁ、その試みを比喩で例えるなら太平洋をバケツで汲み上げようとするものだ。ただ、確実に捕らえるために最初から無理だとは思わせたくなかったのだ。もっともゲンマの予想通りここにいるのは魂の半分だけだが、残りは君たちだけでも対処できるだろう」

 拘束されたプロークシーはカラス頭たちに何処かに連れさらわれた。恐らくパレス内のどこにもいけない場所――地獄タルタロスに囚われるのだろう。

 俺たちは気がつくとあの叡智の図書館の書斎に立っていた。



 今度こそ、解決したと思って安心していると、大型犬サイズのゲンマが寄ってきて脇腹にツノを押し付けられる。痛い痛い痛い。なにをするんだ。

「龍族の親愛の仕草だ。今まで以上に執着される事になるから覚悟することだな。私は忠告したつもりだ」

 ううう……情に絆されたのをちょっと後悔してきた……遅いけど。

 お館様はゲンマに語りかけた。

「茶番に付き合わせて済まなかった。その詫びと言ってはなんだが、君がまだ叡智の図書館の一員になりたいのなら試練を免除してもいいだろう。これでも君の功績は認めているつもりだ」

 ゲンマは首を振って言った。

『いえ、試練は受けます。ボクはどうしてもあなたにちゃんと認めて欲しいんです』

「なぜ、私なのだ?私は見ての通り慈悲深くも無いし、パレスの中では強くも無い。当然知っているだろう」

『それはあなたが、今でも見守ってくださっているからです。他の上位存在は旧支配者の時代から見切りをつけて去っていったけど、あなたはまだこの世界の人間を影ながら支えている……ボクはあなたの力になりたいんです』

「そうか、では待っているから早く達成してくれ。頼みたい仕事は山ほどある」

『はい!』


 お館様は次にワカバ少年の目線に合わせるように跪いて語りかけた。

「君にも辛い選択を強いた。その高貴で勇敢な決断に報いるために願いを一つ叶えてやろう。望みがあるなら言ってみるがいい」

「何でも……いいんですか?」

「私の出来る事は限られているが、とりあえず言うだけでもいい。まずは聞こう」

「僕は……あなたのような人がお父さんだったらいいなって、ずっと思っていたんです」

 ワカバ少年の思いがけない言葉にお館様は虚をつかれたようだ。表情に一瞬、素が見えたような気がするが気のせいだろう。何せ全てを知っている……筈だから。そういえば全てってどこからどこまでなのだろうか。ちょっと気になってきた。

「あー、それでいいのか?私の子になると言うのは“叡智の図書館”の一員になることを意味しているのだぞ?もっと慎重に考えたほうがいい」

 お館様が手を動かすと、ホログラムが宙に浮かぶ。

「たとえば……パレスには他の施設もある。子供に一番人気があるのはパレス・パヴィリオンだ。あそこには遊園地や海賊船、キャンプ場にサーカス、それに魔法学園が最近できたと聞く、子供が好きそうなモノの大半はあそこにある。それとパレス・コロシアムはあらゆる格闘とスポーツの祭典が毎日行われている。元気で活発な子供はここに来たがる。他にもパレス・セルモールはこの世界の全てのアイテムが売られている巨大なデパートで、パレス・アカデミーの主は子供の教育に熱心で母の愛が欲しいならここに行くべきだ」

 お館様は俺たちを一瞥して言った。

「はっきり言って叡智の図書館に来たがるのは陰気な変人とひねくれ者ばかりだ。同胞より本の方が好きだという困った連中ばかり寄ってくる」

 それはあんまりじゃないですかね……お館様。身も蓋もない真実であるのは確かなのだろうが。

「別にいいです。僕も一人で本を読んだりゲームをしてる方が好きですし……」

 お、少年も“こっち側”か?将来有望なルーキーが来たな。

「……そうか。ではそのように情報を書き換えておく。元の世界では最初からいなかったことになる代わりに、こちらの世界では君に適切な居場所を設定しておこう」


 ところで俺には何もないんだろうか……結構頑張ったと思うのだが。

「君にはもう十分過ぎるほどしてやってるんだが……」

 お館様は少し呆れ気味に言い、横でゲンマは激しく同意とばかりに頷いていた。

「まぁ、これは今後必要になるだろうからスキルを追加してやろう」

 御方が俺のマギアの証に手を当てると、何か付与された感触があった。

「【サインスタンプ】と【サインクリーナー】だ。有望な人材を見つけたら証を付けてやるといい」

『やっぱり甘いんだよなぁ……』

 ゲンマはジト目でこちらを見つめた。

「プロークシーのもう半分を仕留めたら褒美をやろう。叡智の図書館に所属する者として敵を圧倒してくるがいい」


――そして世界は暗転する。



 目が醒めると、プロークシーの襲撃から三日過ぎていた。

 俺はその間ずっと眠っていたらしい。

 モジュローは俺に抱きついてきて泣いてるんだか怒ってるんだか分からない状態だった。落ち着け。

 そして、意外な来客が来ていた。

「わりーな。あのクソ野郎を仕留められなくて、おかげで迷惑をかけたな」

 中立地帯でお世話になったクロード先輩だった。

 後から知ったが、野営した場所は地底帝国の近くで、プロークシーは地底帝国に攻撃を加えた後に俺たちを襲撃したらしい。ワカバ少年はその時回収したのだろう。

「それにしてもアイツ何しに来たんだろうな?俺がゲンマに雇われて戦争に参加するってどっかから聞いたのか?」

 どうやら、情報の書き換えは完了したらしく、召喚された勇者のワカバ少年はいなかったことになっているようだ。

「ま、特に被害も無かったからいいけどな。警備の人員が軽い怪我をした程度だ。戦争には予定通り参加する」

「その際はよろしくお願いします」

「堅苦しいのはやめてくれよ!俺と先生の仲だろ?」

 そこは変わってないのか……ところでゲンマはどうした?

「ゲンマ様なら、洞窟にずっとひきこもってますが……そろそろ叩き出しますか?」

 やめてさしあげろ。

 テルさんはムカつくエルダーエルス相手に大暴れしたからか、スッキリした表情だが、モジュローは首をひねっている。

「なんか記憶に違和感があるのですが……」

 細かい事は気にするな。気のせい気のせい。



 洞窟の奥に行ってみると、鍾乳石に囲まれた空間で人間形態になったゲンマが大の字で寝ていた。

「何してんだ?星の歌でも聞いてたのか?」

 ゲンマは天井を見つめたまま黙っていた。

 俺はその隣に腰掛けた。

「別に。君が起きないからここで寝てただけだよ」

「そうか」

 会話が途切れて、しばらくは静寂の中、洞窟をくぐり抜ける風と滴り落ちる水滴の、自然の奏でる音楽に耳を傾けていた。

「お前ってさ、メンタル強いなーって思ってたけど……結構無理してたんだな」

 三秒間隔の水滴の音がきっかり七つ分した。

「そうだよ……ずっと一人だったからね」

 洞窟内に残響音が響き渡る。

「龍族もエルダーエルスも人間のことをメシアを生むための苗床にしか見てないし……人間は人間で喧嘩や足の引っ張り合いばっかりするし……何もかも嫌になる時はあるよ……でも何が一番嫌かってさぁ……」

「……」

「君だよ」

「えー?なんで?」

「なんでもかんでもないよ。君さぁ、君こそボクの気持ちなんて考えたことないでしょ?まず、十数年ぶりに親友のジョイスに会いに行ったら、あの用心深いジョイスに信用されてる知らない男がいて、そいつがボクが探求していた叡智の紋章持ちだったんだよ?もうこの時点で嫌にもなるよ」

 ゲンマはここに来て堪りかねてた不満をぶち撒けてきた。

「それでやっと叡智の図書館に辿り着いたら門前払いで、しかも君があの御方の隣にいて可愛がられてるの見たら腹の一つも立てるさ!」

 なんか勝手にヒートアップしてきた。

「しかもなんなのさ、あの魔剣!あんな痛い攻撃生まれて初めてだよ!いくら御方の加護があるからって、ただの人間の一撃が黒龍テネブリスの攻撃より痛いっておかしいでしょ!死ぬかと思ったよ!!」

「んなこと言われても、お前門を壊そうとしてたじゃん」

「あの程度の攻撃で上位世界のものが壊れるはずないでしょ!どう考えても過剰防衛だよ!それからだって、精一杯持て成したり気を使ったりしてたのに全然懐きもしないし信用もしてくれないしさぁ!本当に嫌になるよ!」

「…………」

「でも……どれほど嫌でも……あんなこと言われたら、もう切れないじゃないか……利用するだけして、いざとなったら切り捨てようと思ってたのに……」

「お前には無理だろ……」

「あー、本当に頭に来る。でも君にだって無理でしょ」

「そうだな。自分でも意外に思う」

「大体において君はズルいよ……」


 ゲンマとの付き合いもそれなりではあったが、俺は初めてコイツと打ち解けた。

 相容れない部分は多々あるが、それはお互い様なのだろう。

 それぞれの行動が打算を超えたことによって、ようやく俺たちは腹を割ることが出来たのだ。


「……願いが叶っちゃったな」

「え?」

「なんでもない。明日出発するから起こされる前にちゃんと起きてよ?起きなかったら寝たまま運ぶからね!じゃあ、おやすみ!」

 そう言ってゲンマは反対側を向いてわざとらしい寝息を立て始めた。

 俺は立ち上がって土を払い「おやすみ」と言って洞窟を出る。

 外はすっかり夜だった。

 洞窟の入り口でテルさんとモジュローが待っていた。



「明日の朝出発するってさ」

「そうですか。では早めに寝ましょう」

「んじゃ、俺は準備もあるし、名残惜しいが一旦帰るか。先生の寝顔をもう少し眺めていたかった……」

「はぁ?!」

 クロード先輩何言ってるっすか?

「大丈夫です、先生の貞操は私が死守しましたから!」

「いやー、ガルムの姉ちゃんの殺気が刺さる中で見る先生の寝顔も乙なもんだったぜ!はっはっは」

「おかげで私は恐ろしくて、よく寝れませんでしたよ……」

 苦労かけるな、モジュロー。

 俺は頭を撫でておいた。

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