■a004――森川の視点―試練は続く

 この世界に来てから随分散々な目に遭ったのですが、それも全て先生に会うための試練だったのかもしれません。

 あの日、先生の眷属として、正式に“信者”として迎えられた日から、それまでの世界の見方が百八十度変化しました。私は初めて先生の作品を読んだ時のことを思い出しました。

 どんなに不条理と嘘で塗り固められたいびつな社会でも、いつかは美しい幕切れが訪れる。それは世間のくだらない悪意に翻弄されつづけた自分にとっては掛け替えのない福音に思えたのです。

 私に苦行を強いたアイサムに、ヒズとバズに、イノに、それを見ているだけのチームメイトに、この状況に強制的に引きずり込んだ者たちに、世界の全てに復讐したい気持ちでいっぱいだったのが、先生自らこの身に眷属の印をつけてくださった時、私の心の闇は消え去ったのです。

 今はこの信仰に身を捧げる暮らしに満足し、以前の苦難は遠い過去のものとして、記憶そのものが薄れ、この充実した生活の前には、むしろ信仰する対象を持たない彼らに憐れみの感情すら持つようになりました。

 もっとも、プロセスとして必要だったとは思っても感謝まではしませんが。


 なのに……神よ……何故なのですか?


「何故あなたがここにいるのですか?」

「わ、私にだってわかりませんよぉ〜」



 ――時は中立地帯を離れ、先生たちと王都に来た頃に遡ります。


「先生はどの物件がいいと思いますか?」

 神無月先生は業者に渡された王都のテナント物件のAR資料を吟味しながら顎に手をあてて思案しています。

「んー……こっちの吹き抜けがあるのは光熱費がかかりそうだし、こっちのは間取りがおかしいな。壁が真っ直ぐじゃないのはダメだ……家賃、広さ、立地、利便性、治安……どれを妥協するかが問題だ」

「こういってはなんですが、相場は東京と変わらないですね」

「まぁ、大都市だけあって全体的に割高ではあるな……」

「何を悩んでいるのさ。家賃なら払ってあげるから宮殿近くの空いてる建物ごと借りればいいよ」

 ゲンマさんはこの国の王族だけあって援助のスケールが想定の何倍も大きいので先生も若干困り気味です。

「いや、それはありがたいけど……これ以上世話になるのも気がひけるんだよな……」

「んー、別にいいよ?ボクに割り当てられてる予算はいつも余り気味だし、それにモリカワ君にはやってほしい仕事があるから、値段を気にせずいい物件を選んでくれた方がこっちとしても助かるんだ」

「何?森川に仕事だと?」

 先生は険しい顔でゲンマさんを睨みました。

「まさか、危ない事をさせるんじゃないだろうな?」

 先生の気遣いは嬉しいのですが流石に少し過剰な気もしますね……私も一応は冒険者なので多少の危険は承知しているのですが。

「いやいや、まだ計画段階だけど、主に書類の仕事がメインになると思うよ。だから、不便な所に拠点を作られると後々困るんだよね」

「お前はイマイチ信用できないんだよな……俺の大事なファンを潰すような真似をしたらタダじゃ済まないからな」

「そんな酷いことしないよ……それにモリカワ君だって仕事はしたいでしょ?」

「ええ、私に出来ることでお役に立てるのであれば……」

 ゲンマさんは私の一言ににっこり笑って頷きました。

「そうそう、これは君にしか出来ない仕事だからね。カンナヅキ君の為にもなるし」

「なんだよ……それは」

「ふふふーん。秘密。ボクのこと信用してないみたいだから教えないよー。モリカワ君には近いうちに姉さんから話が行くと思うから楽しみにしてね」

「子供か!……森亭、あんまりな内容だったら断れよ」

「え、ええ……」

 ゲンマさんの得意げな様子から見て、私が絶対に断らない事、多分先生がらみの仕事なのでしょうね。どんな内容でしょうか。


「しかし、そうなるとキャッシュの使い道がますます無くなるな……」

「春になったらプリムム村に行くんだよね?落ち着いたら向こうに屋敷とか建てるんでしょ?その時使えばいいじゃん。まさかずっとジョイスの宿屋の離れに住むわけにもいかないでしょ?」

「あぁ、それもそうか」

「君のことだから、書庫や書斎は広くするでしょ、オルト君やモリカワ君のための部屋と工房もいるでしょ?厨房も立派なのが欲しいだろうし、あと奥さんの部屋もたくさんあった方いいでしょ?」

「書斎かぁ、いいなぁ……いや、ちょっと待てよ!奥さんがたくさんってなんだそれ?!」

「ジョイスも言ってたけどお嫁さん一人じゃ済まないでしょ、現時点でもテル・ムーサとサリシスちゃんで二部屋必要だし、これからまだ増えるんじゃない?あ、ボクの部屋もちゃんと作ってね。シグレと一緒に遊びに行くから。それと、生まれてくる子供の部屋も今から用意しておいた方がいいよ」

「待て待て待て待て、何、人の人生設計に踏み込んできてるんだよ!」

「だって何も考えてないでしょ?」

「考えるか!生きてるだけでいっぱいいっぱいだよ!」


 これが普通の人の事であったなら早計な先走りなのですが、先生の場合はそうとも言えませんね。

 そもそも先生は自分がモテるということに気がついていないフシがあります。

 オフ会でも女性ファンで夢をみている人はかなりいました。

 細身の高身長で作風とは裏腹に紳士的で温厚な人格と抜群の家事能力。

 男の自分から見てもそりゃモテるだろ、と普通に思うのですが……。

 その上、この世界の先生は美貌と洗練された所作まで身につけて女性の視線を釘付けにするには十分でしょう。

 幸いなのはサリシスさんやテルさんのように地に足のついたしっかりした女性が悪い虫からがっちりガードしてくれていることでしょうか。

 先生のように神に愛されている方はちゃんとした縁をおもちなのだな、と感心するしきりです。



 その日の夜、夕飯を食べた後に話の流れで日本の話になり、先生は予定していたイベントが中止になったであろう事を心残りに思っておられました。

「モモちゃんどうしてるんだろうな……」

 先生は『黒うさぎ』のことを気遣っているようですが……あのピンクの悪魔には無用だと思いますね。むしろ心配するべきは先生の身の安全でしょう。

「……随分辛辣だな……というより、少し見方が厳しくないか?」

「そうでしょうか?それより先生はやはり彼女と面識があるようですね。猫戦車さんは裏チャットで『絶対ぬけがけしている!』と騒いでましたが。あの悪魔は本当に油断できませんね」

「……言っとくけど、何もないからな?ただ偶に会ってお茶してただけだからな?っていうか『やはり』ってのはなんなんだよ……俺はファンの子に手を出したりはしないぞ……」

「まぁ、先生のイベントでの目線とか、あと黒うささんのオフ会での態度とか……色々ダダ漏れでしたよ」

 先生は隠していた事が周囲にはバレバレだったのがショックのようでした。

「そうか……バレてたのか……でも、もう関係ないよなぁ……会えないもんな」

 先生は感傷に浸ってられますが、それは油断しすぎだと思います。


「そうでしょうか?」

「え?」

「あのピンクの悪魔がこれくらいのことで諦めるとは思えませんが」

「いやいやいや、流石に無理だって。どうしようもないだろ」

「以前、先生が自宅で昼食のパスタを作るところをネットで生配信した事がありましたよね?」

「あー、あったなぁ。プッタネスカだったか」

 あの時の料理の出来栄えは大変素晴らしく、私もその日の夕食はパスタにしたくらいです。コメント欄も『うまそう』『食べたい』『結婚したい』『男だけど結婚したい』などと賛辞の嵐でした。

「動画内で、キッチンの横の小窓から一瞬外の景色が映ったのですが、あの悪魔はそれで先生の住居を特定したとか言ってました」

「……えっ?いや、まさか、ストーカーじゃあるまいし」

「ストーカー以上に危険人物ですよ、あれは。気合が常人とは違います」

「でもだからといって異世界は無理だろ!気合いだけでこっちに来たら怖いって」

 先生は呑気にまっさかーとか言ってますが、私は油断しませんよ。

 あの悪魔の先生に対する執念は私以上だと認めざるをえません。

 いつ、私たちの前に姿を現してもおかしくはない……


 …………

 でも……

 ふふふ……


 この世界での先生のファン第一号の座は私、ですからね……。


 そう、いつもイベントでの一番乗りの座をあの悪魔に取られ、しかもこっちの悔しそうな顔を見て勝ち誇った顔をされる、あの屈辱を吹き飛ばす快挙。

 毎朝、洗面所の鏡で額の聖痕を確認するたびに満たされるこの思い。

 やはり、神は正き者を見ておられるのだな、と胸がすく思いです。



 先生がエルスに旅立つ準備を始める中、ガーラ様から単独での呼び出しが来ました。

 私は謁見室ではなく防諜対策がなされた密室に招かれます。

「わざわざ来てもらって済まないな」

「いえ、王のお呼びとあらば、当然です」

 彼女はいつもの華美な姿ではなく、私に気遣ったのか、いつもより寛いだ普通の貴婦人のような服を纏っていました。

「今日、来てもらったのは其方に頼みたい事があるのだ」

「はい、なんでしょうか」

「実はな……カンナヅキ殿の“ふぁんくらぶ”というのか?それをこの地に設立して欲しいのだ」

 私は素直に驚いた顔をしたと思います。

「どういうことでしょうか?」

「ふむ……これには、色々な意図があるのだが……」

 彼女はお茶を軽く嗜み口を潤す。

「まず、この前話した通り、彼を龍王国の力で人間領域の国の王として擁立したい。その為の下地作りだな。カンナヅキことエンダー・ル・フィンを上位存在の使いとして崇める組織を作り信者を募るのだ」

 なるほど。先生は乗り気ではありませんでしたが、安定した生活基盤を築く、という点では悪い策でもないのですよね。

 なんにせよディレイとかいう先生を亡き者にしようとする愚かな王を野放しにしておくことはできないでしょう。


「なるほど……それで、他にも意図があるのですか?」

「ああ……これは我が国の問題点にあたることなのだが、検閲の問題だな」

「それがなにか?」

「検閲に関しては王族は関与しておらんし、組織の仕組みとして出来上がってしまっていて介入出来ない状態になっている。これをなんとかしたいのだ」

「そんな膠着状態なんですか?」

 彼女は渋い顔で頷いた。

「伝統的に王族は防衛と外交以外の事、つまり内政の大部分に関しては官僚たちに任せっきりで、それで概ねうまく行っている。だが、検閲に関してはこのまま放置していては不味い。規制が強過ぎるためにシステムの一部が事実上機能しない状態が続いている」

「王の権限でなんとか出来ないのですか?」

「出来るが難しい。最悪内戦も覚悟する必要もある。それくらい既得権益の甘い汁に群がる保身に長けた官僚が多すぎるのだ。それに検閲部の人員全てを粛清したとしても、その仕組みをそのままにしていては意味がないのだ」

 どこの世界、国でも、官僚の腐敗という問題は避けられないようです。

「先生のファンクラブと検閲がどう具体的に関連するのですか?」

「カンナヅキ殿の著作を組織の“聖典”として扱いつつ、その活動を通じて自由な言論の場というのを新たに創造して欲しいのだ。龍王国内においては合法であれば手法は問わない。検閲への批判的な世論を其方らの手で構築してほしいのだ」

「なるほど……趣旨は理解しました。面白そうなミッションですね」


「で、ここまでは表向きだな。ここからはカンナヅキ殿には伏せてほしいのだが」

「なんでしょうか?」

「この活動を通じて、必ず裏社会の非合法組織からの接触があるだろう。それを通じて裏社会に巣食っている秘密結社の勢力をあぶり出し、この機会に乗じて存在を捕捉したい」

「私一人でですか?」

 私は龍王国に来て間もなく、人脈も何もありません。なにより社交精神に欠けるため、自分一人で裏社会の相手までするのは流石に荷が重いです。

「安心せよ、其方一人に押し付けるつもりはない。こちらから適切な人材を派遣するつもりだ」



 ガーラ様の構想を先生に報告した所、大いに関心を持ったようです。

「いいね」

 先生は指を鳴らしました。

「俺が神輿になるってのは気に入らないが、王のお墨付で同人誌を作るってのはいい考えだな。それで新人発掘して小説業界自体を立ち上げれば万々歳だ」

「それで、お忙しい所大変心苦しいのですが……お願いがあるのです」

「なんだ?改まって」

「先生の短編で『カインの為のアベルの殺人』、あの作品の舞台を人間領域に、探偵役をゲンマさんにしてリライト出来ないでしょうか?」

「ほう……」

 この作品は先生の短編の中でも短い方で、それでいてトリックも鮮やかでファンの中でも高い人気を誇っている小品です。

 ミステリ入門用としても最適であり、さらに探偵役を民衆に人気のゲンマさんにすれば対抗勢力への牽制にもなるでしょう。

「考えたな。あれは舞台が外界から隔絶しているし、トリックもこの世界でも再現できる普遍的な内容だ。わかった、空き時間を見つけて出発までに仕上げるよ」

 その後先生は寝る間も惜しんでリライトに励み、最終的には大樹の指輪を装着して徹夜で仕上げました。

 作品の出来は素晴らしく、先生はこの世界の言葉を自由自在に操っているようで現地の人には独特の韻律を持つ詩のように受け止められるようです。

 ガーラ様にも読んでもらった所、大変気に入ってもらえました。

 さて、あとはどうやってこれを世に広めるか、ですね。



 先生がエルスに旅立った日、一人の人物をガーラ様から紹介されました。

 名をオクルスという年齢不詳の掴み所のない人物で、ボサボサの黒い巻き毛の姿勢の悪い痩せた男でしたが、目だけは異様に光っていて油断はできない印象です。

「あなたがモリカワさんですね……アッシは表向きは……色んな顔を持ってますが、まぁ、本業はガーラ様の懐刀ですよ。命じられれば何でもする、ね」

「そんなことを打ち明けてもいいのですか?」

「あなたがガーラ様を害する存在なら消すだけですよ……御方から、あなたの手足になるよう命じられてますんで、なんなりとご相談ください」

 どうやらかなり手慣れた、プロフェッショナルらしいです。

 事前に渡された文書を見た所、この男は自分の分体を複数作ることが出来るという特殊能力者で、長い間ガーラ様直轄の内偵機関に勤めている諜報部の重鎮のようです。

「諜報部の上層の方とお見受けししましたが……よろしいのですか?」

「よござんす。それだけこの事業に対する御方の期待が大きいと言うことですよ。もっと誇りに思って欲しいですね」

 ガーラ様は指導者としてはかなり有能なのでしょうが、その彼女でも手を焼くと言う官僚たちと一人で立ち向かうのは少々気が重かったのが、気持ち楽になりました。

「まー、あいつら……官僚どもは基本、日常業務以外の仕事はしたくないというだけの理由で多くの新規事業を潰してきたクズ揃いですからね……ただ、数が数なのと龍族の方々は慈悲深くあらせられる。我々は身の安全を守ることを優先して敵の数をじっくり数を減らしていけばいいだけです」

「焦る必要はないと」

「そちらさんの都合次第ですがね。ああ、預かっていたこの写本コデックス、お返しいたしますね。翻訳スキルが使える手飼いの書記たちに命じて口述筆記で複製しましたので」

 私はガーラ様に貸していた先生の作品の文庫本を受け取りました。

「とっても楽しい内容でした。猟奇事件の報告書以外で書物を読んでる間ずっとワクワクするなんて久しぶりでしたよ。アッシ個人としては異世界そのものや、文化・風習にも興味を惹かれますが……この世界の庶民階層にまで売り込むことを考えると大胆な翻案は必要でしょう」

 私は大きく頷きました。

「ええ、『原典』をそのまま使って布教するつもりはありません。先生の貴重な時間を使うのは心苦しいのですが、賢明なお方ですので必要な手間だと理解はいただけるでしょう」

「それは大変結構。さしあたっては予行演習として、こちらの翻案済み作品の写本と巻物を作成しましょう。アッシの工房で手作業で作らせておきます」

「大量生産……印刷する術はないものですかね?」

「古文書に記録はありますが、システム設置以降、技術も装置も廃れてしまったようで……現在、職人に研究させてますよ。とりあえずは、そちらさんのアイデアの貸本制度と吟遊詩人による朗読会を検討してみましょう」

「本の貸し出しをするとしても盗難や故意の破損は大丈夫でしょうか?」

「アナテマを付けますよ。多少値は嵩みますが、貸本なら元は取れます」

 アナテマは盗難対策に使われる呪いの術式のようです。

 前の世界でも大昔の高価な本にはブックカースとも呼ばれる盗人に対する呪いの警告文が奥付けに書かれてましたが、魔法が実在するこちらでは本当に機能するみたいです。

「それなら安心ですね」



 その後、先生以外の貸本のラインナップをオクルスが派遣したスタッフと検討手配するうちに、大きなニュースが飛び込んできました。

 なんと、エルス国内の転移ターミナルが全て封鎖されたというものです。

 原因に関しての噂が飛び交っていて混乱の度合いはただ事ではないようです。

 ガーラ様からの使者が、龍王国は直ちにエルスに支援を申し出て、現在その準備をしていること、大量の難民が押し寄せると予想されるのでエルスとの関門付近の警護を強化していること、さらに秘密の情報としてゲンマさんがエルス国内に既に潜入しているから安心するように、と伝達してきました。

 要するに慌てて動くな、ということでしょう……。


 知らせを聞いたサリシスさんは表情も硬く、その小さな拳を膝の上で握りしめています。

「……残念ですが、今の我々に出来ることはありません。テルさんと龍王国のみなさんを信じてお任せしましょう」

「……」

 彼女の表情は私の心無い言葉をカケラも信じていないのは明白です。

 先生の苦境を考えると居ても立っても居られないのは同じですが、それでも先生の大切な人である彼女まで危険に飛び込ませるわけにはいきません。

 私は苛立ちを振り切るように作業に、彼女は治療院での活動に、没頭しました。

 そうして、私たちは疲れ果てるまで仕事に忙殺される事を選んだのでした。



 そんな忙殺で自分を抑え続けて三日後、サリシスさんはガーラ様と面会の約束があるという事で朝早くに宮殿へ行きました。

 そして、今、私は望んでいなかった再会にひたすら困惑しています。


「何故あなたがここにいるのですか?」

「わ、私にだってわかりませんよぉ〜」


 私の目の前にいるのはメイド服を着たイノでした。

「どういうことなんですか?」

 私は吐き気と内心の苛立ちを必死に抑えながら彼女を連れてきたゲンマさん担当の副メイド長ユリアさんに尋ねます。

「はい。御方々は、こちらでまともに家事をこなせるのがカンナヅキ様だけであるのは由々しき事態であると仰せられまして」

「……それは……そうですが……」

「しかもこちらで手掛けているお仕事は機密性の高い物であり、たとえ清掃員でも一般募集する訳にはいかないので命により今日から私が皆様の身の回りのお世話をさせていただきます」

 ユリアさんは完成された所作で完璧な一礼をした。

「あなたに関しては文句はありませんが……“コレ”はどういう理由ですか?」

「“コレ”に関してはゲンマ様からの書簡を預かってます。詳しい事情はこちらをご参照してください。私は新しくゲンマ様の眷属となった彼女の教育係を任されてますので私の下僕……もとい助手として連れてきました」

 私は封印された巻物を受け取り、この状況をどうにか出来ないか抵抗を試みます。

「人員を替えてもらう訳にはいきませんか……?」

 ユリアさんが切れ長の目を細め、手入れの行き届いた眉を顰めました。

「どうしても、というならそういたします。彼女を元いた場所である“教育機関”に戻すだけなので……」

「ひぃえぇぇ〜!!いやぁあああ!!あそこはいやぁあぁぁああ!!!」

 ああ、うるさい。この女は一体どこまで見苦しいのでしょうか。

 私の隠しきれなかった不快の表情を見たユリアさんは一睨みでイノを黙らせました。

「何度言ったら分かるのですか?主人の許可なく発言をしてはならないとあれほど言ったではないですか」

「でも!……ぁ……ぃぇ……はい……」

 ユリアさんは何度も頷きました。

「そう、返事は基本“はい”。あなたはメイド、ましてや見習いなのですから、ゆめゆめ自分が判断を下せる立場だと勘違いしないように」

「……はい」

 二人のやり取りを見て、私はユリアさんが何を伝えたいかを理解しました。

 私はあくまでも神無月先生の眷属。

 その立場で先生に無断で王族であるゲンマさんの思惑に関する事を私情で勝手に判断してはならない、と婉曲に諭しているのです。

「分かりました……とりあえず別室でこの書簡に目を通してきますので、その間お二人にはここの掃除をお願いします」

「ご理解いただけて感謝いたします。では早速取り掛かかります」



 部屋に鍵をかけた私は巻物の封印を解き、内容を確認しました。

 どうやらゲンマさんがエルスで事件が起こる前に書いたらしく、私たち宛の内容でした。

 ゲンマさんはエルスの西側から入国しようとし、国境沿いの人間領域でコカトリスの群に襲われているアイサム一行を助け、その後、眷属の方々と違法な奴隷商人を征伐した所、捕らえられていた奴隷たちの中にイノがいました。

 彼らの証言からプロークシーが国外逃亡する際、銀貨を得るために眷属化していない人材を本人の同意なく売り払ったらしいです。

 奴隷の大半はエルスに帰る事を望まず龍王国で引き取ったようですが、支配種族の血を引くイノの扱いに困っていたら、本人に眷属でも奴隷にでもなるのでエルスや人間領域に送るのはやめてほしいと懇願されたのでゲンマさんが眷属にしたとのこと。

 その際、先生のマギアの証を参考に様々な新技法を盛り込んで証を刻んでみたところ思いの外楽しく、つい時間をかけてやり込んでしまったこと(以下、先生のマギアの証が如何に超越した芸術であるかを何十行も熱弁)

 その後、プロークシー側にいた者として、重要な内部情報を得ることが出来たこと。

 扱いに関しては副メイド長のユリアに一任していること。

 以上を踏まえて、不慣れではあるが長い目で見守って欲しいということ。

 書簡は、この後エルス東の玄関口の都市ゴトーでの用事を済ませてから帰るという言葉で締めくくられていました。


 一読して私は深いため息をつきました。


「試練が終わったら、次の試練ですか……」


 命よりも大事な先生が危険な状態であるこの状況でこの試練は本当に身に堪えます。

 しかし、なにより辛いのは私が自己制御できていない事を思い知らされたことです。

 同陣営とはいえ、イノに対する嫌悪を隠しきれない上に感情的になった所を見られたのは眷属としてイノの振る舞い以上に恥ずべき醜態です。

 こんなことでは先生の力になる以前に、いつ味方の足を引っ張ってもおかしくはありません。

 もしかしたら、ゲンマさんはその事を知らしめるためにアレを差し向けたのかもしれません。

「オクルスさんに相談してみますか……」

 長い間諜報の世界で暗躍してきた彼ならば、きっと自分に欠けている社交や演技について良いアドバイスを頂けるでしょう。


――――――――――――――――――――――――――――――

モ「これはゲンマさんの試練に違いない」

カ「絶対ゲンマそこまで深く考えてないぞ」

ユ「……」

ゲ「……(汗)」

イ(そこは否定してくださいよぉぉぉ)

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