■a002――死霊使い
「しくじった上におめおめ戻ってくるとはな」
奢侈な広い室内はおそらくどこかの城内だろう。
壁を覆う上位存在を讃える豪華なタペストリーや、広い床を覆う手編みの絨毯を見ても、ここが王侯貴族の住まう居城であることは明らかだ。
金銀細工の調度品に溢れているにも関わらず、足元が辛うじて照らされる程度の照明であるのは、ここにいる人影のほとんどが魂のない抜け殻――動く死体、死霊と言われるモノどもだからだろうか。
玉座に座る人物は、薄暗い空間の中、生気のない視線に囲まれ必死に震えを抑えている魔術師風の男を冷たい目で見下ろしている。
「貴重な情報を伝えるため恥を忍び、戻ってまいりました……」
「物は言いようだな。まぁいい、聞こう」
この場が現世に顕現した煉獄――タルタロスにも匹敵するおぞましい場であることを考えたら、この小心者の魔術師が逃亡せずに報告に戻ってきたことは賞賛に値する行為と言っても過言ではないのだが、この死霊使いの王は目的が果たせられなかったことが余程不服らしい。
玉座の男の足元に侍っている盲の獣人は主人の不満を嗅ぎ取って微かに唸り声を上げて威嚇する。
「彼の者は、記憶を失くし名を変え、村人として新たな人生を始めておりました」
魔術師は伏魔殿と化したこの場で震えながら報告した。
「ほう、続けよ」
「システムの奴隷となって民草の労働で日銭を稼ぎつつも、ダンジョンで力を蓄え来たるべき再起に向けて着々と準備をしているようでした」
「ふん、そんな日は来ないというのに哀れなものだ」
「こちらが放った使い魔の襲撃を易々と退けた上に村人と連携してこちらの軍勢に対抗し、全て撃破されました」
「解せぬ。お前に与えた戦力は事の対処に十分過剰であったはずだ。何があった?」
「はい、一つはあの忌々しい友人龍ゲンマが加勢しました」
「……龍族か」
如何に人間が力をつけようと、どれほど兵士をかき集めようと支配種族に対抗するのは愚の骨頂であろう。
「辺境とは言え彼奴ら龍族の領地であるからな。だが、あれが暴れたら向こうもただでは済まないだろう」
「それが……ゲンマが本性を現す前に、幻獣種の女が加勢しまして……これがどうもシステムの使いのようなのです」
「……なんだと」
その報告を聞いた死霊使いは明ら様に不快げに顔を歪めた後、目を閉じて思案を巡らせた。
「して、奴はまだ村にいるのか?」
「いえ、ゲンマと少数の共を連れて村を出て王都を目指したようです。龍王国内に潜入させた手の者からの報告です」
「なるほど。今後、その間者の報告は優先し余に伝えるように」
「はっ」
男は自らの命が首の皮一枚で繋がった事に安堵の息を吐いた。
「なかなか面白い報告だった。大儀であった。次の任務までゆっくり休むがいい」
魔術師は深々と一礼し、無礼にならない範疇の早足で玉座の間から退出した。
死霊使いは横で一部始終を聞いていた、この部屋の中では三人しかいない生者の一人である側近に話しかける。
「どう思う」
「あまりよろしくはないですな。考えうる中で辛うじてある勝ちの目を拾っておるようです」
思慮深そうな初老の男は事も無げに返答した。
王国の重鎮としてそれなりの地位にあった男だが、代替わりの隙に調和を重んじる穏当な王より野心家の若き王に鞍替えして、その腹心として権謀術数を存分に巡らせている、見た目に反して抜け目ない油断のならない奸臣だ。
「アレのことは一旦いい。どうせ既に龍族の傀儡に堕ちたであろう。問題は龍族がどう出るかだ」
「今まで、彼らは人間世界の事は基本的に無視の扱いでありましたが……その領地を我らが侵犯した以上、何らかの対抗策は確実に取ってくるでしょう」
「もっとも、冬の間は向こうも何もできまい。その間に周辺諸国と停戦まで持っていければいいだろう」
「……というより、できなければこちらが危ういでしょうな……切り札は切る必要があるでしょう」
「想定の範囲内だ。これくらいの事に対処できなければ簒奪など元より企てぬわ……しかし、アレも困ったものだ。兄である余の手に落ちるより龍族の操り人形を選ぶとはな、愚かな」
「でしたら、一思いにとどめを刺せばよろしかったのでは?王家の血を汚されぬうちに」
玉座の足元に佇む死者の配下の一人、青白い顔の騎士が地の底から響くような声をあげた。
「……貴様は隙あらばアレを殺そうとするな。それ程命をかけて守った愛弟子を手にかけたいのか?」
死霊の王は楽しげにからかうように死せる騎士に声をかけた。
「貴様がちゃんとアレを生け捕りにしていれば、無関係な人間が巻き込まれる事もなかったというのに、中途半端に半殺しにしたせいで余計に面倒な事になったではないか」
「……結局死人となるのなら同じことではないですか……!」
この騎士は謀反劇の際に捕らえられた上、首を切り落とされた後に死霊術で王の忠実なしもべとして支配されているが、その強靭な精神は未だ完全に染まってはいない……もっともその抵抗も時間の問題だろう。
「アレの存在は目障り極まりないが、その才能は目を見張るものがある。書庫の奥でその才を腐らせようとしているのを余が十二分に生かそうとしているのだ。感謝こそして当然であろう」
「あの方は決して誰の支配も受け付けません――!」
陰鬱とした玉座の間にカナリヤのような可憐な声が響く。
「あの方の魂はもはや誰の手も届かない地に到達しました。どれほど謀を巡らせようと、貴方はあの方にも、その代行者にも、決して敵う事はないでしょう」
死霊使いの隣の玉座に腰掛けていた青白い顔の少女はその声に反して輝きのない瞳で瞬きもせず宙を見つめていた。
「何を言っている、これは貴女の望みでもあるのだぞ。不実な婚約者を罰するどころか、その思いを遂げさせてやろうとする、余のこの寛大な優しさを認めてほしいものだがな」
「たとえこの身が汚されようとも、私の心は常にあのお方と共にあります。貴方はその手に望みのものを手にする事はないでしょう。もはやタルタロスの業火から、逃れるすべはないのです」
「そんな事は分かっている」
死霊使いは優しい笑みを婚約者に向けたまま、底冷えのする声で語り続けた。
「それでも余はあの男を絶対に許さん。父の愛も婚約者の愛もマギアの才能も黒の魔剣も、その全てを難なくその手に納めたあの男を、余は決して許さない。たとえタルタロスに落ちたとて、彼奴の全てをこの手に得るまで、余は決して諦めぬ」
死霊使いの玉座の肘掛に置かれた手は知らずに硬く握り締められていた。
「それにしても、どうするおつもりで?あの者だけでも厄介なのに、支配種族に逆らうのは得策ではありませんぞ」
「ふん、向こうが支配種族を味方に付けるなら、こちらもそうするまでよ」
「……アレをぶつけるんで?然るにアレではゲンマにも……ましてやガーラには勝てないでしょう」
「足止め程度でもできれば十分よ。その間に上位存在に渡りを付ける。供物はふんだんに有る」
「事が落ち着いた時に国が形を成していればいいのですが……」
「こちらが有利になるよう交渉するための材料だ。本当にやる訳ではない。奴らもバカではないからな。こちらが脅威になる事を示しさえすれば嫌でも交渉に応じる。そうなればこの人間世界は元より、大陸全てを手にする足がかりになる」
私が全てを見ている事も知らず、二人の謀は夜通し続けられた。
人の子がオモチャを手にしてはしゃぐ姿を見る事程心温まる事はない。
ましてやそれが洞窟の拘束された囚人が見る、影絵芝居と背後に迫るヒグマの区別がつかないような夢想であったならなおさらであろう。
マギアを始めとした旧支配者の知恵を通じた上位存在との交渉だけで森羅万象を思い通りに操れると慢心するものはこの世界の有史以来跡を絶たない。
それなのに何故そのようなものが未だこの大陸の一部分ですら支配していないのか、彼らの思惑は決してそこまで辿り着くことはない。それは彼らの既知の外だからだ。
さて、私の可愛い道化はこのくだらぬ企みをどう打ち砕いてくれるのか、今から楽しみで仕方がない。
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