■a001――ジョイスの視点

 閉店の時間が過ぎ、いつものようにグズグズして帰ろうとしない酔っ払いどもを追い払った。

 俺はカウンターを拭きながら、無言で後かたずけをしている娘サリシスを見た。

 三年前、治療師修行の旅に出ていたのに今年に入ってフラリと帰ってきた。

 理由はわからない。

 何かがあったのだとは思うが、本人がそれに関して何も語ろうとしないので困っている。

 無責任な子ではないので修行が辛くなったとかではないと思う。

 親としてはいくらでも力を貸すので悩みくらい打ち明けて欲しい気持ちはあるのだが、それをしないということは多分俺にはどうにもできないことなのだろう。

 それでも思いつめた表情で虚空を見つめる様は、見ているだけでただただもどかしくなって落ち着かない。



 ピロリロリローン♪ピロリンピロリン♪


 突然、宿屋に聞きなれないチャイムのメロディが鳴り響く。

「……このチャイムは……転移門!?」

 かつて、この村にも転移門があり、そこにお客が到着すると連動して宿屋のチャイムが鳴るようになっていた。

 しかし転移門は三十年前に行政整理によって閉鎖したはずだった。

「ちょっと転移門の様子を見てくる。留守番していてくれ」

「わかった。気をつけて!」

 俺は武器を手にとって宿屋を飛び出した。


 村はずれに向けて走っていると、村長宅から人が出てくるのが見えた。

「どうした?俺は転移門の様子を見に行くところだが」

「緊急救援要請の通知が来ました。どうやら怪我人が転移してきたようです」

 村長は寝巻きに外套を羽織っただけで相当慌てた様子だった。他は村長の次男で警護役のデュオとその息子たち、皆自警団のメンバーだ。それと長男の妻で俺の義姉である治療師のモナがいた。

「急ぎましょう。怪我人が心配です」



 転移門の中に入ると、一瞬強い血の匂いでたじろいだ。

 中央の転移柱を中心に血だまりが出来ていて、黒い鎧に身を包んだ男が死にかけていた。

 硬化生体樹脂の鎧はボロボロで激しい戦闘があったことが見て取れる。

「モナ先生!早く治療を!」

 村長は声を上げる。

 モナは男に駆け寄り治癒魔法を掛ける。

 《アル・サーナ》 

 しかし、上位の治癒魔法にも関わらず、男の傷が癒えたようには見えなかった。

「……どうして……?」

 見守っていた一行に動揺が走る。

「……この方……人間領域から来た方かもしれません」

 俺は驚いてモナを見る。

「彼の地にはシステムの加護はなく、人の身に宿る精霊の力も微々たるものです。ましてやこれほどの出血をしたのなら尚更の事……」

「では、どうすれば……!」

「まずは応急処置をします。その後村に運び込んでできる限りの、エンチャントを使わない治療をします。それである程度回復できたなら、まだ手はあります」

「お願いします、モナ先生、私たちも手伝います」

「村長、人間領域の戦士を村に入れるのか……?!」

 思わず俺は村長に問う。冒険者だった頃、国境付近で人間領域の戦士とは何度かやり合っていたが、そのほとんどが話の通じない戦闘狂ばかりだった。奴らは我々のことを支配種族に魂を売り渡した虫ケラと本気で思っているらしい。

 村長は厳しい目で俺をにらんだ。

「ジョイス、この村だって、かつては人間領域だったのですよ」

「しかし、俺はこの村の自警団長として……!」

「我が身可愛さにシステムからの救援要請を蹴るとでも言うのですか?」

 この一言に俺は何の反論もできなかった。

 俺はモナの指示で男の鎧を脱がしているデュオたちに目をやった。

 素肌を晒した男はまるで女のような顔をした、黒髪を長く伸ばした白い肌の青年だった。上半身には未だ癒えていない大きな傷と、赤い文様が、彼ら独特の魔法技術、マギアの証が刻まれていた。

 システムが万民にもたらす魔法エンチャントとは違う、精神力で発現する魔術マギア。

 俺には、希少なマギアの使い手であり高価な生体樹脂を用いた鎧に身を包んだ者を瀕死に追い込む事態が想像できなかった。まだ彼が悪人であると考えた方が容易いくらいに。



 傷口に止血の効果がある薬草を混ぜたジェリを塗り、再生のポーションを体にかけられた男は担架に乗せられ村に運ばれた。

 村長は男を自分の家で保護すると言い張ったが、自警団長として折れるわけにはいかなかった。宿屋の離れの2階の角部屋に運ぶよう説得した。

 俺は一人になった転移門で男の身元を知るための手がかりがないか調べた。

 そして一本の黒い剣が床に転がっているのに気がついた。

 俺はそれを持ち上げようとしたが、できなかった。

 どう見ても、細く、儀式用といってもいいくらい華奢な美しい剣だった。

 しかし、まるで見えない巨人が踏みつけているかのようにビクともしなかった。

 しばらく格闘した俺は諦めて村に戻った。



「できる限りの事はしました。しばらくは予断が許さない状況が続くでしょう」

 モナは疲労の色を浮かべた顔で言った。その背後でサリシスが男の汗を拭いていた。

 二人に休むように促した俺は別室で村長と今後のことを話し合った。

「先ほど赤龍ガーラ様からもこの件で通知が来ました」

「っ!!ガーラ様は何と?」

「『客人を持て成すように、村に不都合がない範囲でできる限り便宜を図って欲しい。出費があったなら後ほど補填する』とのことです」

「一体何者なんだ……」

「私の『鑑定』で見た所は、名前は『カンナヅキ』、職業は『小説家』」

「どちらも聞いたことがないな……」

「そして……レベルは1です。ステータスを見るに高貴で知的な方のようです」

「はぁ?!」

 村長の言葉に俺はますます混乱した。

「……人間領域で何が起こっているんだ」

「今は彼が回復することを祈りましょう。話はそれからです。それとこのことは本人も含めて内密にしてください。無用なトラブルはこれ以上増やすべきではないでしょう」



 男が寝ている部屋に戻ると、サリシスが付き添っていた。

「あ、お父さん、ちょっと見ててくれる?水取り替えに行くから」

 サリシスがタライを持って部屋を出る。


 男は青い顔をして横たわっていた。かすかに上下する胸がかろうじて生きていると見てとれた。

 俺は部屋の窓が開いていることに気づき、閉めようと近づいた。

 すると、何かが、鋭い風のようなものが部屋の中に飛び込んだ。

 俺は驚いて振り返ると、黒いオーラをまとったあの剣が男の上に漂っていた。

 剣から発せられる叫びのような歌声を聞き、その怪異に俺は後ずさった。

 歌声は輝く祝福であり、かつての犠牲者から吸い取った生命を男に注いでいるように見えた。

 歌声が終わると剣は壁際に置いてあるボロボロの鎧に寄り添うようにもたれかかった。


 まるで初めからそうしていたかのように。



 男の治療がひと段落した。

 見た所、普通の……少年といってもいい雰囲気に俺は戸惑った。

 思っていた以上に対話ができるし、受け答えもしっかりしているのだが、何かを隠しているようにも見える。

 村長の見立てと矛盾しているところもないのだが、それでも警戒するべきと俺の勘はいっている……いっそ分かりやすい嘘でも付いててくれれば遠慮なく牢にブチ込めるのだが……。

 村長たちが去った後に銀貨を握らせてきて焦った。今まで俺が対峙してきた人間領域の戦士はいきなり攻撃してきた奴らばかりでそんな奴はいなかった……一体何を企んでるんだ。しばらくしたら来るらしい“担当者”ってのも気になるが……頭が痛い。

 こんな不気味な奴を……歌う魔剣を使役するような奴を持て成せなんて……ガーラ様は一体何を考えてるのか……。

 しかもサリシスが警戒心なく彼に接しているのが頭が痛い……お前は見た目に騙されるような娘じゃなかったろう……。

 道具屋に仕入れに行った時についオルトに愚痴を言ってしまった。あの娘を妹のように思っている彼も同調してくれた。


 翌日。朝、顔をあわせるなり、あの男は血相変えて俺に詰め寄ってきた。

「お願いします!!この通りです!!」

 俺は何事かと身構えたが、奴は頭を深く下げて言った。

「しばらくここで働かせてください!お願いします!!」

 ………………………………。

 はああぁぁぁあああああああ?こいつはいきなり何を言い出すんだああぁああ?

 俺は予想だにしない事態に頭の中が真っ白になった。

 高貴な奴じゃなかったのかー?村長ーっ!!

「人手が足りてないんだから、手伝ってもらえば?」

 というかなんでお前は後押しするんだ!サリシスー!!

 結局俺は二人に押し負けた。


 どうせすぐに音を上げるだろうと思って地味で根気の必要な作業をさせてみると、奴は意外にもキチンとこなした。よく駆け出しの冒険者が食事代がわりに簡単な作業を買って出ることがあるがそれよりもはるかに使える奴だった。

 それだけではなく、ホールや宿屋の作業のことも積極的に質問して自分にできることを探しているようだった。これは経験者でないと中々できないことだ。

 1日分の報酬を振り込むと奴は本当に嬉しそうな、ホッとした顔をしていた。

 俺は冒険者を初めて間もない頃に皿洗いや荷物運びをしていたのを思い出した。あの時の仲間もこんな顔をしていたな……。

 俺は脳裏に一番親しかった……そして一番面倒事を起こしていた仲間の顔を思い浮かべた。でもまぁ、あんな奴は一人で十分だよな……。


 次の日の昼すぎに村長宅に通知で呼び出された俺は部屋に入るなり厳しく詰め寄られた。

「どういうことか説明してもらいましょうか?なんで彼を働かせているんですか?」

 村長は明らかに不機嫌だった。

「俺だって何が何だかわからねぇよ……」

「やはり私の家に来てもらった方が良かったのでは……」

「それは今更だろう……だいたい本人が強く希望したんだから断る理由も思いつかなかったんだよ……」

「……村中彼の話題で持ちきりですよ。うちの女子衆ですら……どうしてくれるんですか」

「知らん、ほっとけ。それに確か『不都合がない範囲でできる限り便宜を図って欲しい』とガーラ様もおっしゃってたろう。まさかこういう方向から無茶振りしてくるとは思いもしなかったが……」

 そう、俺たちはてっきり彼は部屋に引きこもっていて、贅沢な料理でも出していれば満足すると、そう思っていたのだ。

「それに部屋に閉じこもってるよりこっちの目の届く範囲にいてくれる方が助かる」

「ジョイス、まさかあなたまだ……」

「いやいや、カンナヅキが悪人とはもう思ってはいない。ただレベル1のままで一人でいるときに襲撃にでもあったら対処できないだろ……」

「それは……確かに……困りましたねぇ……」

「まぁ、それとなく話は振っておくよ。もっともこの村のダンジョンじゃ大したレベリングはできないが、しないよりはマシだろう」



 村長宅に行った帰りに道具屋に寄るとオルトに質問責めにあった。

 俺が村長と打ち合わせをしている間にサリシスとカンナヅキがここに来てかなり話し込んだようだ。

 オルト曰く、奴はかなり高度な教育を受けた人間のようですっかり気に入ったらしい。

 オルトは独学ではあるがかなり頭が良く、その気になれば上級官僚になれるだけの能力は持っていて一度試しに王都に赴いたが、都会の知識人の俗物さ加減に嫌気がさしてすぐに戻ってきた経歴がある。

 人を見下す狭量なところはあるが、基本曲がった事が嫌いな筋は通す性格で、そんな彼と短い時間で親睦を深めたことにに驚いた。



 夜の酒場で給仕している噂の来訪者を一目見ようと押しかけてきた酔っ払い連中を定刻通りに叩き出した後、彼はクエストやダンジョンのことを聞いてきた。

 不審に思われないようにレベリングに誘導するように話していたら、俺の昔話にやたら食いついてきた。

 俺も自分の活躍を面白がってくれるのは悪い気はしないのと、興味を持ってくれたらといいなと思い質問に丁寧に答えていると、部屋に戻って遅くまで何か作業をしていた。

 翌朝、カンナヅキは唐突に謝罪をしてきたが、どうやら俺の昔話を物語にして保存をしたら公益文書になってしまったらしい。

 俺はそんなあっという間に物語を書いて完成させたのも驚いたが、それがそのまま公益文書になったのでさらに驚いた。

 彼はしきりに謝っているが、システムの女神は元々気まぐれなもの。そんなものだと思う。

 とにかく早くレベリングしてほしい。



 俺の中のカンナヅキの評価は悪人ではない、いや、むしろいい奴かな、というくらいにまで上がっている。

 だが、それでもサリシスが親しく彼の行く先々について回っているのはどうにも気に入らない。

 あの娘はきっと将来美人になる……いや、今だって見ているだけで心が癒される……治療師の血筋を抜きにしても心の優しさがにじみ出ているそんな穏やかな顔だ。それが顔が良くて頭も良くて働き者で剣も魔法も使える奴と親しくしてるなんて……とモナに言ったら……

「ジョイス……それのどこが不満なんですか?」

 と、半ば呆れ気味に言われた。

「もっとも相手が誰でもそういうんでしょうけど……」

「わかっているじゃないか。少なくとも俺より強くないとダメだ」

「はぁー長い間マナを待たせ続けた人が言うことですかね」

「俺が村を出た時はまだ子供だったじゃないか」

「マナがどれほど心配していたかまだ聞きたいのですか?」

「……勘弁してくれ、昔の話だ」

「今の話ですよ、ジョイス。私はいざとなったらサリシスちゃんの味方をしますからね」

 思えばモナには今まで随分と迷惑をかけてきたので、頭が上がらないところはあるが、こればっかりは素直になれない。

 どれだけカンナヅキ自身がいい奴でも、彼の取り巻く状況はいいものとはいえない。その悪い運命にあの優しい俺の娘が巻き込まれるのは、決して嬉しいものではないのだ。

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