■011――中立地帯モヌメント(2) 狂信者

 なんと答えたものか呆然としていると彼は先に口を開いた。

「いや……この本を持って走って来られた様子を見て確信しました。見た目は多少違えど、この人は神無月先生だと」

 俺は何か言おうとしたが、背後からテルさんが駆け寄ってきた。

「先生!不用心すぎます!いくらホテルの護衛がいるからといっても、もう少し慎重になってください!」

「……す、すまないテルさん」

 青年は頭を下げてご迷惑をかけて申し訳ない……と弱々しく呟いた。

 それを見てテルさんは何かを察したのか悲しげな顔で頷いた。

「とにかく話を聞きたい……テルさん、いいかな?」

「先生がそうお望みでしたら……わかりました」


 俺はエントランスに入りながら、

「なんとかゲンマに見つからない様に部屋に戻りた……」

 と言いかけた所で、そこに佇んでいるゲンマと目が合った。

 そうだ、こいつ寝る必要ないんだったな……。

「なんか楽しそうなことが起きてるねー?仲間はずれにするなんて、さすがに酷いんじゃないかな?カンナヅキ君?」



 結局俺たちはリビングで話をすることになった。

 飲み物を出した所で、青年の腹の虫がなったのでゲンマはルームサービスで食事を取り寄せ、シグレがストレージからトレイを取り出し彼の前に置くや否やガツガツと食べだした。

 想像より酷い扱いを受けていた様だ。

「さっきローラ嬢から秘密の連絡があって、悩める人間が来たら相談に乗ってあげて欲しいと頼まれたんだ。入れ違いになりそうだったけど」

「はい、こちらに来てからサメイション・ローラさんには随分助けていただきました……いえ、あの人くらいです……親身になってくれたのは……」

「ふーん、で、知り合いなのかな?カンナヅキ君とは?」

「いいえ、私が一方的に先生を存じ上げているだけです。先生は私のことはご存知ないと思います」

「ほーお?」

「君の名前は?」

 俺は尋ねた。

「申し遅れました。私は森川有雄と申します。元の世界ではシステムエンジニアをしておりました。先生の作品の大ファン……信者といっても差し支えないですね」

 森川……信者……とぼんやり考えた。

「森亭……?」

「私のハンドル名をご存知なんですか!」

 森川の顔はパッと明るくなった。

「ということは先生もフォーラムをご利用だったんですか?」

「いや、書き込みはしてない!読むだけ!ROMだよ!作品の参考に!」

 俺はフォーラムの書き込みを思い返した。

 確か森亭は狂信者の中ではかなりマトモな常識人の方だった。

 古典ミステリにも詳しい上に初心者にも優しく、ググレカスレベルの質問にも根気よく丁寧に説明していたが、何かのスイッチが入ると、譲れない一線を超えると途端に狂信者の顔をあらわにする、そんなタイプだった。

 特に黒うさぎとはしょっちゅう論争していた印象だ。

「あの人、人の話聞きませんから……でも先生の作品が絡まないと普通なんですよね……」

「会った事あるのか?」

「先生のイベントとかフォーラムのオフ会にはいつも参加してましたが、あの人絶対私より先にスタンバイしてますよ……しかもあの容姿だから目立ちますし。それ以外の用事で会ったことはないですが、裏チャットではよく雑談してました」

「裏チャット?そんなのがあったのか」

「検索よけは念入りにしてましたからご存知ないのも無理はないですよ。大した話はしてないですが、ログも消去してました。荒らしが来たら面倒なのでメンバーには絶対口外無用で押し通してました」


「そろそろこっちの話に戻ってもいいかなー?楽しそうで申し訳ないけど」

 ゲンマがやんわり水を差してきた。

「どういう経緯でこっちにきたのか詳しく教えて欲しいんだけど?協力してくれたら君が陥っている苦境から抜け出す手助けができるけど、どうかな?」

 森川はゲンマを見た後、こちらを向いて言った。

「先生はこの人のことをどう思っているんですか?」

「えっ?」

 俺は虚を突かれた。森川はテルさんの方を見て言った。

「こちらの女の人は先生のことを心底心配していて、尚且つ先生も信頼を寄せている、というのは見ていてわかります」

 再びゲンマの方を向いた。

「でも先生はこの人を常に警戒している様に見えます」

「この人は友人龍ゲンマと呼ばれている方だ」

「ええ、それはわかります……でもこの方については人によって意見が全く異なります。ローラさんは未来の世界を救うのはメシアかもしれないが今の人間を救えるのはゲンマ様だけと言ってました。アイサムは人を誑かす悪い龍なのでいつか討伐する必要があると言い、他のエルス達は恐ろしさのあまりに名を口にするのも憚られるといった有様です」

 まぁ、全部当たってるよな、とは思ったが口には出さなかった。

「モリカワ君はどう思う?実際のボクを目にして?」

 ゲンマは俺が何を考えているのか分かってるって顔で明らかに面白がっていた。だから、そういうところだぞ。

「わかりません。全然底が見えませんね。だから先生はどう思っているのかを知りたいのです」

 俺は二人の視線に挟まれて必死に頭を回転させていた。

 誰かをどう思っているかなんて、普通は言語化するまでは深く考えないのだが……ここは迂闊なことは言えない……この二人には口先だけの心無い言葉は通じないだろう……曖昧な物言いに逃げたり、嘘をつくなんて以ての外……が、天啓が閃いた。

 俺は慎重にゆっくり言葉を紡いだ。

「この人は……俺が信頼する人の友達なんだ。その人はこの人のことを『支配種族の中では例外的に善良だけど、決して油断してはいけない』と言っていた。だから俺は常に警戒をしている。どこまで信用していいのか俺もまだ分からない。でもその人は命をかけてもいい生涯の友達と認めているみたいだから、できれば俺も信用したいと思っている」

 ゲンマは目を閉じて俺の言葉を噛みしめ「結局助けられてばかりか……」と、小さく呟いた。

 森川は思案して、顔を上げた。

「とりあえずは味方……と考えてもいいということですね?分かりました。お話ししましょう」



「お恥ずかしい話なのですが、失業して以来ずっと派遣社員で食べ繋いでいたのですが、派遣切りにあってから次の職が中々見つからず、日払いのバイトで何とか凌いでたのが昨年限界にきてました」

 森川は語り出した。

「そこに以前派遣元として会ったことのある人から突然連絡がきて……個人的に紹介できる仕事があると」

「親しい知り合いなのか?」

「いいえ、業務上の付き合いしかしてません……正直怪しいとは思いましたが、当時は困窮生活が続いていたので自棄になってました」

「どんな仕事だったんだい?」

「不審なほど簡単な仕事でしたね……倉庫に雑に作られた事務所で与えられたデータの整理をする恐ろしくヌルい業務で……しかも報酬は破格という訳がわからない仕事でした」

「そこで転移したのか?」

「いいえ、二ヶ月後、今度は海外に行く必要があると言われまして……」

「海外?」

「ええ、アメリカの……アラスカの国境付近でした」

「随分僻地だな」

「正直、ここで殺されてもおかしくないなとは思いましたが、何分全てに投げやりになっていたので……そこでの業務は難易度が上がって、作りかけのソフトウェア……破損したデータを法則に従って修復するプログラムを完成させる業務でした。私の技術力では難しかったのですが、ソースのコメントが丁寧だったので何とかなりました」

「ふん、ふん、それで?」

 ゲンマはなぜか上機嫌だ。話の内容を理解できてるのか?

「四ヶ月ほどで業務を終わらせ日本に帰国する直前に上司が送別会を開いたのですが、その時の飲み物に何か入っていて、彼女が笑いながら『新しい世界ではうまくやってね!』と言ったところで意識を失いました。次に目が覚めた時はこの異世界のエルス共和国にいました。それが半年前のことです……と、いうわけなので、具体的にどうやってこちらに来たかは全然わかりません、参考になったでしょうか?」

 今の話が本当なら地球側に手引きをしていた連中がいたってことになるけど、ゲンマは心当たりがあるんだろうか?

「その上司の名前は?」

「レイア・ヴァレンタインと名乗ってましたが本名かどうかはわかりません」



「ありがとう、とっても有益な情報だったよ。で、今度は君の境遇の話をしようか。これからどうしたい?」

「さっきまでは……エルス共和国から縁が切れるなら何でもいいという気持ちでした。エルスは漏れなく傲慢でくだらないですし、エルダーエルスも正気とは思えません。チームメイトも先のことは何も考えてないし、アイサムには『ポーション代が高くついたからお前の部屋は無い、自分でなんとかしろ』と言われ追い出されるし、もうウンザリです」

「それで?今は?」

 森川は俺をじっと見ていた。

「先生、一つだけお聞かせください」

「ん?何だ?」

「先生はこの世界でどう生きていくおつもりですか?」

「どう……とは?」

「小説を書くことは諦めたのですか?それだけでもお聞かせください」

 この森川の言葉に俺は落雷に打たれたかの様な衝撃を受けた。

 俺はインベントリからノートを取り出し、森川に渡した。この世界では決して発表できない作品だ。

 彼はそれを開き、貪る様に読んだ。

「これは……先生の新作じゃないですか……ああ……神様……」

 森川は感極まったのか両目から涙を流していた。

「ああ、間違いない……文体……台詞回し……論理展開……確かに神無月先生だ……もう、読めないと……諦めていたのに……神様……ありがとうございます……」

 その森川の姿を見て、俺も自然と涙腺が緩んだ。

 小説家としての自分が渇望してやまないものがそこにあった。

 収入でも媒体でも自由でもない――読者だ。

 それを、これほどまでに求めていたとは自分では気がついてなかったのだ。

 俺はこの瞬間、この男を、大事な気づきを与えてくれた、この世界で初めての“ファン”を、何があっても救済する、と俺を見守る存在に誓った。



「決めました。私は先生の力になりたい、それもなれるものなら眷属になりたいです」

 しかし、この森川の発言に俺はいきなり怯んだ。

「いや、流石にそれは……」

「ここに来るまでは、先生はもう友人龍ゲンマに取り込まれて、操り人形の様になっていると聞かされて来ました……でも、先生がまだ自分の意思で小説を書き続けているのなら、私は先生の盾でも踏み台にでもなる覚悟はあります」

 うーん……自分に自由意志があるのか俺自身が一番疑問に思っているのだが……。

「『自由意志は脳が紡いだ幻想に過ぎない』でしたか?いかにも先生の小説の登場人物がいいそうなセリフです」

 俺はゲンマの方を見た。

「何だい?君は日頃ボクに『人の気持ちがわからないのか?』って言ってくれてるよね?ここは君がボクに人の気持ちってのを見せてくれる所じゃない?」

「どうすればいいんだよ?いいよって簡単に言っていいものなのか?」

「簡単じゃないけど……結局は君がどうしたいかだよ、とりあえず言ってみれば?」

「俺は……この森川さんを救済したい」

「“救済”ね……もう少し具体的に詰めて欲しいかな」

「とりあえず……エルスから縁を切るってのは出来るのか?」

「それは形振り構わなければできるよ。アカウントを持っている人間は基本憲章で守られてるからね」

「ああ、昔、お前が大暴れしたせいで出来たやつか」

「語弊があるね……基本憲章の中に、居住の自由が含まれてるから、さっさと転移門で他の列強諸国に移動してしまえば誰も文句は言わないよ。」

「そんな簡単に出来るのか?」

「出来ちゃ困るから、普通は契約で束縛してあるはずだけど、テル・ムーサ?」

「はい、システムに問い合わせしてモリカワ様の契約状態を確認してみましたが……特に束縛のある契約は見当たりませんでした」

「本当に?」

「あるのはマギアと就業に関するものですね。エルスの所属を外れるのならエルダーエルスのマギアの証と魔術師ギルドの職は与えられない、というものです。罰則や罰金すらないですね」

「……エルダーエルスって何?お偉いさんの様だけど?」

 俺はテルさんに聞いた。

「エルダーエルスは皆、不老不死で列強諸国でもトップクラスの賢者です。エルス共和国は議会制を採用していて、上院、中院、下院に分かれてます。上院はエルダーエルスと呼ばれる八人の永代議員で構成されていて、中院は世襲による純エルス族議員のみ、下院はそれ以外の国民が選挙で選ばれます。国としての大きな決定は上院で、国内の政策は中院、民政に関するものは下院で決定されてます」

 議員の半分以上がメンバー固定か世襲って議会制の意味あるのかな?しかも派閥闘争でグダグダしてるって……。

「システムを通す以外の契約は無いのか?」

「それは基本憲章に反してます。だから無いと思っていただいて差し支えはないでしょう」


「へぇー、これは相手が馬鹿で助かったというか、イテレータの嫌がらせに感謝するべきかな?」

「どういう事だ?」

「エルス側でちゃんと囲い込みをしてればその程度の契約で十分だったけど、まさかプロークシーも一番才能がある子をイテレータが放逐するとは思わなかったんだろうね。モリカワ君はエルダーエルスたちに謁見したのかい?」

「はい、こちらに来てから一通り顔合わせさせられました」

「彼らに会ってどう思ったか聞きたいな。“薫陶”を受けた人はいたかな?」

 森川は首を横に振った。

「永代議長のアブストラクト以外のエルダーエルスには面会しましたが……どれもピンとこなかったです。強いていうならモメント師が能力面で――“時間操作”が使えるのが興味深かったのと、フェサード師が人格面ではマシでしたが覇気に欠ける印象でしたね。プロークシー卿とシングルトン将軍は思想的にマトモとは思えない。オブザーバ卿、アダプター卿は言葉が芯から出てる様には感じられず。イテレータは俗物でした」

 ゲンマは何度も頷きながら楽しくて仕方がないという様に笑いを噛み殺していた。

「イテレータとプロークシーはどういう関係だと思う?何か気づいたことがあったらどんな事でもいいから聞きたいな」

「これは全くの個人的な印象論ですが……二人は同じ組織に属している様に思えました」

「へぇ?仲が悪いと評判なのに?」

「二人が遠話装置で会話しているのを聞いたことがありますが、派遣で大きな会社に出向した頃に参加した関連企業を含むビデオ会議が紛糾した時の雰囲気に似てました。利害関係があるが故に全くの他人より憎悪し合っている感じですね」

「なるほどねぇ……“質”というのはこういうことか……」

 ゲンマの呟きに俺はドキッとした。

 こいつの知覚はどれくらいの範囲なんだろうか?


「プロークシーは監視役をつけなかったのかな?」

「教官的な方はいました。この人はこの人でひどいパワハラ上司でしたが、急な任務ができたとかで来てません。その代わりにやってきた代理の人が全然頼りにならなく、アイサムが付け上がる一方でした」

 ゲンマは少し考えて膝をポンと叩いた。

「そーだねー。その教官ってのとイテレータの脇が甘いのが気になるけどいいんじゃない?眷属にすれば?カンナヅキ君」

「……気軽にいうなよ。やり方もわからないのに……」

「とりあえず相談してみれば?上司に。あの方君に甘そうだからね。おねだりすればいいんじゃない」

 そんなこと言われても……お祈りすればいいのかな。目を閉じて……心の中で願った。


 ――俺の上位者、パレス・ビブリオン様。どうかこの哀れな道化の願いをお聞き遂げください……。



 目を開けると、そこはあの上位世界の時計塔の書斎だった。

「私は暇人ではないのだが」

 お館様はいつも通り合成音声の様に平坦な口調で言った。

「すみません……お手数をおかけします」

「話は聞いていたが、アレを眷属にするのか?」

「救済はしたいのですが、眷属にする必要はあるのでしょうか?」

「どちらでも変わらないな。もうすでに君の眷属の様なものだ。狂信者も眷属も役割に大差ない。ただ君がマギアの証をつけてあげた方が彼のためにはなる」

「そうなんですか?彼は後悔しませんか?」

「森川は帰属する居場所を何より求めて彷徨っている。彼が満足するそれを与えてやれるのは過去でも未来でも君だけだ」

「……」

「負担が増えるのは嫌か?私に対する誓いを破ることになるが?」

「……わかりました、やります……でもどうすればいいんですか?」

「すでに処置を施した」

 はぁっ!?

「君がそう決断するというのは知っていた」

 やっぱり、俺に自由意志なんてないんじゃないかな……。

「私が操ったわけではない。只知っていただけだ。さぁ、用が済んだら帰りなさい」



 気がつくと、目の前に座っている森川の額に俺の右手が添えられていた。

 俺が右手を離すと、彼はソファにどさりと倒れた。

 その額には、角ばったCの様な形のマギアの証が刻まれていた。

「うまくいったみたいだね。マギアと加護が新たに付いている」

 ゲンマの瞳孔は赤く光っていた。

「“狂言回しの加護”か。実に君らしいね」

 なんだろう……このやっちゃった感。俺はただ右手をじっと見た。

「揉め事の一つや二つはあるだろうけど、仕方ないでしょ。誰かを救済するなんて大それたことなんだから。せめて状況を楽しまないと損だよ」

 コイツのこのタフさは俺も見習うべきなんだろうなぁ……。

「それにしても面白い子だね。支配種族を前にしても恐怖どころか何も感じないなんて、いや、死ぬのが怖くないんだろうな」

 俺はこれまでの森川の報われない人生を想像して胸が締め付けられそうになった。

「言葉の力だけでここまでの信奉者を引き寄せられるとはね。本当に人間は面白いよ」

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