■010――中立地帯モヌメント(1) ホテル・テントリュムモートス

 中立地帯モヌメント。


 大陸中の猛者が集まる原因となった高難度ダンジョン『アリーナム・モヌメント』があり、ここを中心として構築された都市が列強諸国の共同統治で運営されている。

 このダンジョンをざっくり要約すると、5階層5部屋のシンプルな構成のダンジョンで、大陸各地にある高難度ダンジョンのボスキャラがランダムで出現するいわゆるボスラッシュステージというやつだ。

 難易度は高いが時間あたりの経験値効率では他の追従を許さない効率厨御用達ダンジョンである。

 初心者向けのチュートリアルダンジョン一つしかクリアしてないのにいきなりこんなところに来ていいんだろうか……?

「気にしなくていいよ。寿命が長い種族だったら基礎ステータスを上げてから来た方がいいんだろうけど、そうじゃないなら効率重視した方が現実的だよ」

「お、おう……」

 この地をどこの国・組織が管理するかで一時は戦争にまで発展しかけたが、最終的に共同統治で落ち着いたらしい。

 モヌメント管理協会という組織が設立され、各国から派遣された人員によって都市ごと運営されている。

 もっともこういう組織は名目では平等ということになっているが実際は国力で力関係が決まってしまうものだ。

 つまりどういうことかというと……ドヤ顔ドラゴンのVIP無双がここでも続くことになる。

「何か不満でもあるのかなー?普通は一回入ろうとするだけで年単位で待たされるのも珍しくないダンジョンなんだよ?」

 ゲンマのこめかみがピクピクしている。

「ゲンマサマニハカンシャシテオリマス。アリガタキシアワセ……」

「棒読みで言われても嬉しくないよ?普通に感謝できないかな?」

「べ、別に感謝なんてしてないんだからね!勘違いしないでよね!」

「あ……それ、いいかも」

「え?」

「昔のシグレがそんな感じだったな……最近してくれなくなったけど」

 ツンデレ忍者だったのか。見たかったなそれ。

「できる訳ないでしょう!もう!!立場を考えてください!」

 あ、地が出た。

「……失礼しました」

 赤面する忍者って貴重だな。尊い。

「先生は現状に何かご不満でもお有りでしょうか?」

 テルさんは小首を傾げた。

「別に不満はないけど、贅沢な待遇に慣れ切っちゃうのが怖い」

 魂に染み付いた貧乏症はそう簡単には拭えないのだよ。悲しい。

 サリシスはあーわかるーって感じで頷いてる。

「ジョイスと同じことを言うんだね……まぁ、君たちなら大丈夫でしょ」

 これで懐いてくれれば楽なんだけどなぁ……と小声で呟いたのを俺は聞き逃さなかった。本当に油断も隙も無いなこいつ。



 ここでの待遇は今までの比ではなかった。と言うのも、龍王国から来ている人員に加えて、他国からの人員にもゲンマの信奉者は少なくないために、ほぼ組織を挙げての接待を受けることになった。

 それも、観光地価格と言う名のボッタクリもといプレミア価格で潤いまくった組織の接待である。

「このところ王宮での政務にかかりきりでボクに割り当てられた枠の消費も満足に出来てなかったからね。ちょっと歓迎に熱が入ってるかも」

「……ちょっと……か?」

 俺が今まで宿泊した中で、いや、この大陸で一番贅沢な部屋じゃないのか、ここ。

 ホテル・テントリュムモートスの最上階丸々全て使った5LDKで一泊あたりの料金は想像もつかなかった。

 風呂やキッチンは言うに及ばずガラス屋根のテラスにはバーベキューが楽しめる空間があり、そこから噴水付きの空中庭園が隣接していてロココ調な東屋ガゼボまである。どうなっているんだ。

 さらに吹き抜けリビングには巨大なスクリーンがあって、点けると都市内にある闘技場の試合中継が流れてくる。

 その脇には端末があって、ホテルのルームサービスを頼んだり、闘技場のトーナメント優勝予想者にキャッシュを賭けることもできるらしい。

「その代わり滞在中はいくつか行事に付き合ってもらうよ」

「えぇぇ……」

「なんの代償も無いよりはマシでしょ。お仕事だと思って割り切ってよ」

「何をすればいいんだ?」

「君は黙っていればいいよ。ただし“正装”でね。明日買いに行こう。今日はダンジョンに下見に入ろうか」


 そうして俺たちはホテルの連絡通路で繋がっているダンジョンに足を踏み入れた。



 村の襲撃事件で俺のレベルは大幅に上がっていた。

 加えて先日のお館様との邂逅で新しいスキルが加わっていた。


――――――――――――――――――――――――――――――

名前:神無月 了 職業:小説家 レベル:25

AGE:18

STR:26+8

CON:27+8

DEX:31+8

INT:49+8+25

MND:46+8


NOB:85

COM:50


HP:395(70+325)

MP:433(108+325)

C:5,020,240


スキル:

【体術Lv5】【剣術Lv8】【射撃Lv4】

【エンチャントLv6】【マギアLv5】

【礼儀作法】【舞踊】【音楽】【瞑想】【芸術】【騎乗】

【電脳】【記憶】【言語】【目星】【精神分析】【心理学】【言いくるめ】

【アイデア】【図書館】【説得】【詩作】【神話】【オカルト】【天文学】

【考古学】【法医学】【数学】【科学】【薬学】

【管理者の祝福*】【叡智の加護*】

エンチャント:

ブレ(0/0)、フラ(100/100)、サジ(75/75)、ハス(50/50)、オービチェ(30/30)、グラビタ(10/10)、クーラビート(5/5)、イー(8/8)

マギア*:

ウィルパ(0〜MP)、インバー(2MP)、キャロール(6MP)、マサ・パルマ(1〜MP)、アーミス(7MP)、アミュレット(10MP)

カスタム:

マシンガン(0/0)、バリアシールド(20/20)、ジャベリン(25/25)、マシンガン・ジャベリン(10/10)、装着(0/0)、装着’(0/0)、マジックシールド(20MP)

――――――――――――――――――――――――――――――


 補正値の上がり方が若干気になるが、順当に成長しているとも言える。

 ただ、チュートリアルをクリアするのにレベルをプラス5、さらにゲンマ曰く、ガーラと謁見するのに最低レベル50は欲しいとのこと。

「レベルが低いと姉さんの持つ『王者の威光』に抵抗できない可能性が高いんだよね」

「抵抗に失敗するとどうなるんだ?」

「普通に下僕になるよ」

「うーん……それは困るかな」

 お館様は龍が好きじゃないみたいだし。そのような事態は避けたいな。

「しかも姉さんがボクの宝物を平気で持ってくことは珍しく無いからね……立場的にどうにもできないし……はぁ」

 ゲンマの宝物って人間だよな……うわぁ……冷蔵庫のプリンみたいな扱いなのが怖いんだが。

「ま、とって食われるわけではないからね。巡り合った王に心酔する、それも人生じゃない?」

「先生、しっかりレベリングしましょう!」

「お、おう」



 かつてはパワーレベリングってゲーム特有の現象で後ろで見てるだけでレベルが上がるって実際有り得ないよなーとか斜に構えていたけど、今まさに間近で死闘が繰り広げられているのを見てると、あー、これはレベルが上がってもおかしくはないなー、と思うに十分だった。


 目前でヒュドラを相手にテルさん、ゲンマ、シグレが連携して戦い、俺とサリシスが隅っこで結界とバリアの二重三重の防御態勢で体育すわりで見学しているが、普通に、いやものすごく怖い。たまに、ヒュドラの毒液とか体の一部が飛んでくるたびにビクビクしている。

「だ、大丈夫?かカンナヅキ?か……かかか顔青いよ……」

「お、お前こそ……さっきから……ふふふ震えてるぞ……」

 サリシスが俺の左手をずっと握っているが、地響きがくるたび俺も自然と手に力が入る。



「今日のところは見学でも仕方ないけど、今後は出てくる相手によっては戦闘に参加してね。適当に魔法当てるだけでもいいから」

 初日ということで一周で済ませたが俺はもうすでにへばっていた。

 豪華なリビングのソファとテルさんの太ももに埋もれてぐったりしていた。

「流石に一撃も与えてないのは貢献度が低いと見做されて取得経験値が少なくなっちゃうからね」

「……はい」

「お疲れですか?先生」

「思ってたより迫力がすごくて……」

「んー、すぐ慣れるよ。明日は午後から予定があるから、今日はもう休んだほうがいいよ」



 次の日、移動で蓄積した疲れと初ダンジョンの迫力負けのせいか朝食の時間を大幅に過ぎた時間に目が覚めた。

 ルームサービスで遅い朝食を詰め込んだ後、ゲンマと仕立て屋に行くことになった。

 魔導エレベータで降りてロビーに着くと、軍服を着た青白い肌に尖った長い耳の妖精的な人物が人間の集団を引率しているのを目にした。

「あれがエルス族だよ。おそらく召喚した人間のレベリングに来てるんだろうね」

 ゲンマが小声で囁いた。

 ああいうエルフっぽい亜人種もいるんだなここ。ドワーフとか獣人もいるのかな。獣人ぽいのはテルさんしか見てないけど。

「魂を魔源回路に合わせた型に無理やり押し込めて人の形に似せて作った、実に歪な生命体だよ」

 エルス族をみるゲンマの目は驚くほど冷ややかだった。

「作った?誰が?」

「さぁね?多分旧支配者だとは思うけど……自然に発生したモノではないよ」

 俺たちの視線に気づいたエルスはこちらを見てギョっとして急に進路を変えて同行者を慌てさせていた。

「よーっぽどゲンマ様が恐ろしいようですわね」

 テルさんは口に手を当て嘲る様に冷笑した。

「どうだか。君たち、ボクからあまり離れないほうがいいよ。彼らは全く油断が出来ないからね」

 俺は内心『お前がいうな』と思った。

「言いたいこと顔に出てるからね?せめてもう少し腹芸覚えて?本当に心配してるんだよ?」



 ゲンマに連れてこられたホテル内にある仕立て屋で俺は困惑していた。


 俺たちが到着するやいなや店は貸切状態となり、あっという間に下着姿にされて店員の勧める服を次々に着せられた。

 普段のゲンマの格好を見て漠然と感じていた不安はここで具体化した。

 これがもう、全く俺の趣味に合わないのだ。

 地球での俺は正装といえば安い適当なスーツで、普段着はカタカナ四文字のカジュアルブランドで済まして、たまに気が向いたら裏通りの古着屋で良さげな服を物色するくらいのものである。

『了ちゃんってさー、いっつも黒い服ばっかり着てるよねー、取材される時くらいおしゃれしたらー?』

 とかツグミに嫌味を言われても知るもんか。シンプルイズベスト。生まれてこのかた派手に着飾ったことなどないのだ。

 それなのに、今俺が着させられているのは、ノースリーブの切れ込みの深いVネックのヒラヒラした装飾過多なチュニックの上に古代ローマ調のドレープを織り成すトーガをまとっているという出で立ちだ。束ねた髪を解いて前髪を真ん中で分け細いプラチナのヘッドバンドをつけて、金の編み上げサンダルを履いている。

「これが最先端の最新モードなんです!」

 店員の女の子は興奮気味に迫ってくる。

 誰が着るんだろうか……ここに来るまでにこんな服装の人は見当たらなかったが。

「うん、やっと見られる格好になったね!」

 ゲンマは満足げだ。なんだその一仕事したみたいな雰囲気は。

「とっても綺麗だよ!カンナヅキ!」

 サリシスもキラキラした目でこっちを見てる。

「お似合いですよ?先生。まさに馬子にも衣装!千客万来です」

 テルさんも尻尾をブンブン振ってるところを見ると高評価らしい。

 ダメ元でシグレを見ると無表情のままサムズアップをしてきた。


 ――四面楚歌。そんな言葉が浮かんだ。


 さっきテルさんにホテルの宿泊費を何気なく尋ねてみると、俺の持ってるキャッシュでは一泊できるかどうかも怪しいとのこと。しかもゲンマ抜きで村からここにに移動したルートを辿るだけで俺の全財産の二倍以上の費用が必要と聞き肝を冷やした。それもう“予算”じゃん。そりゃあゲンマ君もドヤるよ。


「もう、好きにしてよ……こういうのよくわからないし……」

「では服はこれでいいとして、次、メイクに移りますねー」

「えー?メイク?!」

 それはちょっと勘弁してほしい。マジで勘弁してほしい。

「ダメですよー!この服を着てメイクしないなら何も着ない方がマシってもんですよ!」

 興奮気味の店員は凄まじい熱量でグイグイ迫ってきた。

 俺は助けを求めるように仲間を見るとみんな期待に満ちた眼差しで頷いている。

 誰か俺を助けてくれ。


 全員分の正装を見繕って解放されたのは昼食の時間を大きく経過した頃だった。



 部屋に戻ったら、もう午後も遅い時間だった。。


 ゲンマに少なくとも今日一日はこの格好でいるように厳命される。

「それで服の代金をチャラにしてくれるなら安いものでしょ。買ったら目が飛び出るほど高いよ?」

 タダほど高いものはないという言葉の重みを身を以て感じていた。

「でもこの服今後着るかなぁ……」

「えーオルト兄さんにも見せてあげようよー!きっと喜ぶよ?」

 そうかなぁ……呆れないかなぁ。俺だったら指差して罰ゲームかよープギャーとかすると思う。

「じゃあ、そろそろディナーに行こうか。今日は歓迎イベント付きだから早めにね」

「う……外でるのか」

「招待されているから行かないわけにはいかないよ。最新モードの宣伝も兼ねてるから、振る舞いには気をつけてね」

「……無茶振りしてくるなぁ」



 ホテルの大ホールのステージ脇にある貴賓席と思われる空間に俺たちは通された。

 会場は既に満員でゲンマは立ち上がって手を振って信奉者の歓声に応えている。

 ゲンマが着席すると、楽団の音楽が流れ、会食が始まった。

 ステージでは様々なパフォーマンスが行われていたが、客の注目の半分以上はこちらに注がれていた。

 ゲンマも白を基調とした絹の生地に金の刺繍が施された七部丈のチュニックに赤のトーガを纏った普段に増して派手な正装で俺の左に座っていた。角に引っ掛けるように金細工の月桂樹のサークレットを被っている。

 右にはギリシャ彫刻のような若草色のロングドレスを着たテルさんが女神のような微笑みで佇んでいる。

 その隣には袖の膨らんだ豊富にフリルのついたワンピースを着たサリシスが緊張気味に座っていた。今まで控えめな印象の容姿だったが、プロのメイク技術によって花が開いたような可憐な令嬢へと変身して少しドキっとした。


 出てくる料理も見るからに高価な珍味が次々に出てきた。

 滋味が溢れる霊亀のスープ、フェニックスの姿焼きキノコ詰め、ベヒーモスのレアステーキ、黄金林檎のコンポート……食通だったら気の利いた美辞麗句を並べてこの味覚を言語化できるのだろうが、この衆人環視の中マナーを守って食事をするので精一杯だった。


 食後の暖かいお茶でなんとか一息ついていると、ゲンマが俺の髪の毛先をつまみながらくつろぎだした。

「あーあ、やっぱり強引にお持ち帰りした方が良かったかなぁ……」

「……はぁ?何言い出すんだよ」

「ふふふ、想像してみて?王宮の宝物庫に『常春の離宮』って呼ばれる場所があってね、そこは一年中暖かい春の庭先のままなんだ」

 ゲンマは語りながら会場をチラチラ見ているので、さりげなくそちらを見るとテーブルの一つに座っている目立つ三人組が目に入った。

 鬼のような二本の角を生やした白髪の浅黒い肌のデカイ男とクインと同じくらいの歳の少女、それと狐のような耳と尻尾を持った美女だった。

 鬼はこっちをガン見して歯ぎしりしている。

「そこに置いてあるベンチで君が巻物を読んでいていつしか春の陽気に誘われ寝入ってしまうんだ、そこに女官たちが群がって君にイタズラするんだ」

 ゲンマは俺のマギアの証を指でなぞりだした。足組して頰杖をついたその表情はなぜか得意げだった。

「髪を細かい三つ編みにしたり、足の爪に紅をさしたりしているうちに君が目を覚まして、女官たちと追いかけっこするんだ……そんな光景見てみたかったなぁ」

 鬼の視線はテーブルを突き破ろうとする勢いで刺さっている。

「いきなり気持ち悪いこと言うなよ……」

「えー、大陸で一番平和で安全で心地いい場所だよ?興味ない?」

 その申し出がここに転移した直後だったら、俺は受け入れてたかもしれない。こんな訳のわからない世界を一人で渡り歩くなんてレベル1の俺には到底無理だからだ。でも……

「流石にできないだろ。もう多くのことに関わりすぎている」

 俺は飲み残しのお茶に映る自分の顔を見た。見慣れない着飾った自分、エンダー・ル・フィンの顔を見ているうちにかつての神無月了の顔を忘れかけていることに気が付き、ショックを受けた。

「……そういうと思った。残念だよ」

 ゲンマがそういうと同時に給仕が近寄り何か耳打ちした。

「これから向かうと伝えてくれ」

「かしこまりました」

 給仕が立ち去るとゲンマは残っていた冷めたお茶を飲み干した。

「これからちょっと要人と打ち合わせなんだけど、紹介したいからついて来てね」



 ゲンマについて行った先は貸切のラウンジのような場所でそこに一人の女性が出迎えた。

「わざわざご足労いただきありがとうございます、ゲンマ様」

 女性は二十前後のややキツイ顔をした長身の美人で、紫色の長髪を縦ロールにしたザ・令嬢という感じの人間だった。

「彼女はサメイション・ローラ嬢。エルスの商業都市エモートの豪商の娘なんだ」

 ゲンマって顔広いな。今更だけど。

 俺たちは彼女に促されローテーブルに囲まれたソファに腰掛けた。

「昔、中立地帯のボクのお気に入りの場所、三角塔のてっぺんに行ったらローラ嬢が泣きながらしがみ付いていてね……」

「そ、それは子供の時の話ですわ……初めて飛行魔法を覚えた時の……使ったら降りれなくなってしまって……それよりこの方々は初めてお会いするかたですわね?ご紹介していただけるかしら?」

 ゲンマは簡単に俺たちを彼女に紹介した。

 彼女は俺を見つめて言った。

「この方はゲンマ様の新しい眷属ですの?今、ホテル中の噂ですわ。見目麗しいマギア剣士がお側に仕えていると」

 俺は口を開こうとすると、ゲンマはそれを制した。

「ご想像に任せるよ。縁があってボクが面倒を見ている。どうやら長い付き合いになりそうでね」

 やけに意味深で曖昧な物言いをするな、と思っているとゲンマはこちらに向かってウィンクをした。

 多分何か考えがあるんだろうなと思い、ゲンマに合わせることにした。

「ゲンマ様の多大なる恩恵に感謝しております……」

 まぁ、実際世話になってるしな。いつもなら何か言いそうなテルさんも黙って微笑んでいるし。

 ローラは金色の目を細めて両手を胸の前で組んだ。

「羨ましいですわ。わたくしも、全てを捨ててこの身をゲンマ様に捧げたいのに……でも、罪深きエルス共和国を正道に戻すためにも断腸の思いで踏みとどまっていますの」

 ローラのこの一言でゲンマはニヤリと笑い満足げに頷いた。

「辛い役目を負わせて心苦しいよ、でもその犠牲は決して無駄にはしないと約束するよ」

「いいえ、本来なら、わたくしたち国民が負わなければならない責任を押し付けていますもの。たとえどういう結果になってもゲンマ様を恨むことなどあり得ませんわ!」

 ゲンマは出された飲み物を口にして質問した。

「ところで、ロビーでエルス族と召喚者のパーティを見かけたけど、何か知っているかい?」

「ええ、彼らこの後、こちらに訪問する予定ですのよ。ポーションを切らせてしまったらしくて……大量注文するので安くならないかと」

「パーティに治療師はいないのかな?」

 ローラはふふ、と嘲るように笑った。

「引率の責任者のアイサムはエルスの名門の出でありながら魔法・魔術の才能に恵まれなかった方ですのよ。それはそれは劣等感の強い方でして……その劣等感をバネに剣の腕だけで成り上がったのですけど、治療師や魔術師とはとても折り合いが悪いことで有名ですの」

 脳筋リーダーか。いやだなー。そんな上司だったら俺もすぐ逃げ出すだろうな。

「そんなのに召喚者を引率させるなんて何を考えているんだろう?アイサムはどこの派閥なの?」

「もともとシングルトン派に所属してたのが戦力外宣告され、今はイテレータ様に拾われた形ですわね。サメイション商会とも関わりが深い方ですので無碍にできませんの。今回の引率はプロークシー卿からの強い依頼らしいですわ」

「やっぱり……よりにもよって元凶か……」

「ええ、システムの采配で召喚儀式を封じられてかなり気が立っていると聞いてます。現在手元にいる召喚者を強化しようと躍起になっていたら手持ちのダンジョン使用権がなくなったので、イテレータ様の持っている使用権に強引にねじ込んだそうですわ」

「プロークシーとイテレータって共通点ってあったかな。召喚マニアと銀貨の亡者でしょ?」

「仲が良さそうには見えませんけどね……いつも悪口を言ってますし。まぁ、他のエルダーエルスの方々も仲が良いという話は聞きませんですけど」

「ふーん……話は変わるけど、あの“古屋敷の玄関”の塩梅はどうなった?」

 ゲンマの質問にローラの手元が微かにブレた。

「随分と難航しましたが……なんとか業者を選定して、改築に踏み切れそうですわ」

「へぇそうかい。貴重な文化遺産だし大事にしないとね……ボクもそのうち様子を見に行きたいんだけど?」

 ゲンマの言葉にローラは目を見開いて息を飲んだ。

「……ええ、きっと家主もお喜びになると思います」

 飲み物を口にするローラは平静を装ってはいるがその内面は激しく動いているように見えた。



「いやー中々の収穫だったねー」

 ゲンマはご満悦だったが、俺は慣れない正装で疲れ果てていた。

『早く部屋に帰って風呂入って寝たいな……』

 エレベータホールに通じる通路を歩きながら、もうそれしか考えてなかった。

 ゲンマが不意に歩みを止めたので俺達も足を止め前を見た。

 あの、会場にいた鬼チームが目の前に立ちふさがっていた。

「いよー、ゲンマ。オメー、見せつけてくれるなぁ!」

 鬼の威圧に対して、ゲンマは満面の笑みを浮かべて楽しげに応えた。

「やぁ、クロード。久しぶりだね!元気かい?」

 クロードと呼ばれた鬼は指をボキボキ鳴らしながら近づいてきた。

「元気だぁー?寝言言ってんじゃねーぞ。こっちはオメーをぶちのめす為に常に万全の態勢を調えてんだよ!覚悟決まったか、オラー!」

「お兄様、やめてください!お爺様とゲンマ様は和解されたのですよ!」

 鬼の妹らしき少女が涙ながらにすがりついて制止しようとしていた。

 白く長い髪に小麦色の肌の美少女でよく見ると彼女にも二本の短い角が生えていた。

「クロエ、お前は黙ってろ!ジジイは関係ねぇ!これは男の意地の張り合いなんだよ!」

「まぁまぁ、クロード殿。落ち着きなされ。ここで殺傷沙汰なぞ起こしたら、この中立地帯まで出入り禁止になりますぞよ」

 鷹揚にクロードを止めたのは藍色の髪の狐の獣人の美女だった。白い肌に肩を出した赤いドレスがよく似合っていた。

「……ロータスまで止めんのかよ……くそっ」

 ゲンマはずっとご機嫌な様子のようだ。

「大丈夫だよ、クロエちゃん。ボクは戦わないよ。だって剣豪のクロードにはとてもかなわないしね!」

「ゲンマてめぇ!それでも男か!?本気でかかってこいや!ぶちのめしてやる!」

「お兄様!ああ、ゲンマ様お逃げください!」

「うわー怖いなー」

 ゲンマは楽しくて仕方ないといった風で全然怖がってる様には見えない。

「ゲンマ様、クロード殿をからかうのも程々にして頂けないかのう?目付の妾の身にもなっていただきたいものじゃ」

「ふふ、ごめんねロータス。久しぶりに懐かしい顔を見て嬉しくなってね」

「ほんに悪いお方じゃのう……まぁ、そこが魅力なんじゃろうなぁ……」

 ロータスはアーモンド型の目を艶めかしく細め頬に手を当てて顔を赤らめた。

「……ロータスぅ……くそ、いつか絶対ぶっ潰してやる」

 うん、よくわからないがこれはゲンマが悪い。是非ぶっ飛ばしてほしい。

 とか考えてると目の前に鬼の顔があった。

「うわっ!」

「ヨォ、べっぴんさんよぉ、こんな腰抜けのゲンマじゃなくって俺につかねぇか?なぁ?悪いようにはしないぜぇ?」

 俺は反射的にテルさんの後ろに隠れた。サリシスは俺にしがみついた。

「うふふ、先生にお手を触れないでいただけます?」

 テルさんはにっこり笑った。

「くっそー、上玉のマギア剣士にガルム種のマスターモンクだとぉ?なんでそんな面白そうな奴らを引き寄せられるんだよ!」

「さぁー、“徳”の差じゃない?」

「悪知恵の間違いだろ!で、そっちの嬢ちゃんは何持ちなんだ?……ん?」

 クロードはピタリと動きを止めサリシスを見つめたまま言った。

「お前……ジョイスの娘か?」

 サリシスは顔を上げ、しばらくクロードを見つめた後ゆっくり頷いた。

「なるほど……俺が鍛えてやろうか?」

 サリシスは驚いて俺の陰に隠れた。

 クロードはゲンマを見て言った。

「ふん、本当にいいものを持ってるよ、お前は。でもそれが自分の実力と勘違いするなよ」

「よく分かっているよ。全部天上の御方からの預かり物だって」

「分かってるならいい。今度一杯飲もうぜ。空中庭園っての一度見ておきたいしな」

「いいよ。でも暴れないでね。彼処はお気に入りの部屋なんだ」



「誰なんだ?知り合いみたいだけど……」

 彼らが去っていった後、俺はゲンマに聞いた。

「剣豪クロード。闘技場のチャンピオンで冒険者としても数多くのダンジョンを発見踏破してきた猛者。そして黒龍テネブリスの子孫だよ」

「はぁ?!」

 黒龍テネブリスはどっかに封印したんじゃなかったのか?

「したよ。姉さんと力を合わせて弱体化させて人間の姿に固定したのち地底に封印した。でも、そこは多数の人間を匿う為に作った場所だからそれなりに住み心地のいい環境でね。なんかどハマりしたみたい。自給自足生活に」

 テレビのリアリティショーかサンドボックスゲームみたいだな。

「それまで暴れるしか能がない奴だったからそれなりに苦労はしただろうけど、エネルギーだけは有り余ってるからね。独力で農耕やら建築やらと開発を進めているうちに安住の地を求める人間たちが集まってきていつしか国になったんだ」

「すごいガッツだな……」

「しかも、龍と人の混成種……ドラゴノイドまで産まれてるからね。相当頑張ったんだろうねー」

「頑張ればできるのかよ……」

「いや、頑張りだけじゃないとは思うけど……流石に秘訣は教えてくれなかったよ」

「さっき和解したとか言ってたけど?」

「うん、あんまりクロードが絡んでくるから気になって……思い切って会いに行ってみたんだ。贈り物持って。怒られるかなーと思ってたらすごい歓迎されてね、楽しかったよ」

 こいつの心臓の強さすげぇな。俺だったら絶対無理だわ。



 エレベータホールに出てくるとエルス族……確かアイサムだったか……に率いられていた召喚者パーティもそこにいた。

 アイサムの姿は見えず、メンバーのうち成人男性の戦士二人は酒が入っているのか真っ赤になってふら付いていた。女性二人はこちらを見て何かヒソヒソ話している。メガネの魔術師風の青年はやや離れたところでムスっとしていた。

 その一団からマントをつけた少年がこちらにツカツカ歩み寄ってきた。

 彼はゲンマを前にして言い放った。

「あなたがゲンマですね!人を騙す悪い龍の!」

 それを見て女騎士風のメンバーがぎょっとして飛んできた。

「わ、ワカバくん!ちょ、ちょっと落ち着こうね?」

「ヨネコお姉さんは黙っててください!一言言わないと気が済みません!」

「す、すみませんこの子、ちょっと思い込みが激しい子で……悪い子じゃないんです!」

 ヨネコさんはしきりに頭を下げている。

「今は無理かもしれませんが、絶対強くなってあなたを倒して……みんなを自由にしてあげるんだ!」

 少年はなぜか俺を指差して言った。

「あなたも!絶対救って見せますからね。だから希望を捨てないでください!」

 おう、頑張れ。応援してるぞ。よくわからんけど。

 ゲンマは苦笑していた。

 ワカバ少年はヨネコさんともう一人の女性メンバーに引きずられていった。

 俺は手を振った。

「召喚者でよくあるタイプだねー。剣だけで龍を倒せると思ってるみたい」

「よくあるのかよ」

「なんでか知らないけど火を吐くトカゲだと思われるんだけど……心当たりない?」

「だいたいあってるだろ」

「ひどいなぁ……知ってていうもんね。ま、召喚者がかかる麻疹みたいなものだよ。だいたい誤解に気がついて次第に丸くなってくけど」

 もうちょっと頑張れよ。やればできるって。

「いや、無理だよ……いくらボクが最弱でもさぁ。だいたい十年目くらいに就職先を斡旋するとすごく喜ばれるけどね」

 世知辛いな……容易に情景が想像できるのが辛い。


「なんか小腹空いたな……部屋に帰ってルームサービスでも食べるか」

 サリシスが難色を示した。

「うーん……最近の食事、全部豪華なご馳走でちょっと疲れちゃったかな。カンナヅキのご飯が食べたいなー」

 サリシスの朗らかで元気な声が心地よかった。

「いいね」

 俺は指をパチンと鳴らした。

「じゃあ、明日は俺が飯を作るよ。あのキッチン使ってみたいし」

「やったー」

 エレベータに乗り込み、扉が閉まる瞬間、メガネの青年がこちらをじっと見ていることに気がついた。



「あー、疲れた」

 やっと部屋に戻って人の目を気にしなくてよくなり、俺は溶けるようにソファにだらしなく沈み込んだ。

「せっかくの仕上がりが台無しだよ。でも今日の振る舞いは君にしては上出来だよ」

「どういうことなんだよ……」

「うん、普通にしてたら絶対エルスやクロードみたいな連中が君にちょっかい出してくるだろうからね。だから君をボクの眷属のように扱ってれば自然に手を引くだろうと考えたんだ。テル・ムーサも我慢してくれて助かったよ」

「……本当にどうしてくれようかと……堪えるのに必死でしたわ……」

「ふーん。まぁ、そんなところだろうなとは思ったけど……」

「もう少し感謝してくれてもいいんだよ?クロードなんかはまだ上品な方なんだからね?街の裏通りの方には強盗まがいの奴隷商人だっているんだから」

「でも、クロードをあんなに煽る必要あったのか?あれ、ワザとやってたろ?」

「いやー、だって面白いもん。あんなにからかい甲斐のある人も珍しいよ?彼は今マギア剣士を血眼で探しているって噂でねー。それに君って、クロードの好みのタイプど真ん中だし、あの悔しそうな顔もう最高!」

「……台無し……そういうとこだぞ」

 俺が呆れ果ててると、サリシスが欠伸を噛み殺して俺の服を引っ張った。

「……ねぇ、先にお風呂はいっていいかな?もう限界……」

「ああ、いいよ。ちゃんと温まるんだぞ」

「うん、サリシスちゃんも今日はご苦労様」

「……」

「ああ、クロードの事は気にしなくていいよ。君が危ない目にあったらジョイスに合わす顔がないからね」

「……うん」



 夜中に目がさめると俺は天蓋付きの広い寝台に裸で寝ていた。

 テルさんとお風呂に入って背中を洗って貰っている所までは覚えているのだが……どうもそのまま眠ってしまったらしい。

 横にはサリシスがネグリジェを着てスヤスヤ寝入っていた。

 反対側は誰かが寝ていた痕跡と微かな体温が残っていた。おそらくテルさんだろう。

 俺はサリシスを起こさないように寝台から身を起こし、インベントリから替えの下着を出して身につけ、部屋に備え付けのガウンを羽織った。

 そっと寝室から出てトイレで用を足した後、キッチンのストレージから高そうなドリンクを何本か取り出した。

 今日の一連の出来事で俺の辞書から“遠慮”という文字は吹き飛んだ。


 ドリンクでカラカラの喉を潤しながら廊下に出るとエントランスから人の声が聞こえた。

 そっと覗き込むとガウン姿のテルさんと部屋付きの老執事が何か話し込んでいた。

「どうしたの?」

「あ、先生……それが……」

 テルさんは困った様子で老執事を見た。

「カンナヅキ様にどうしてもお取り次ぎをして欲しいという方がお見えになっておりまして……」

「俺に?」

 俺は警戒の念が湧いた。さっき散々ゲンマに脅されたせいだろう。

「私が許可のない方の面会はできないと言いました所、これをカンナヅキ様にお見せしてくれと言われまして……」

 そう言いながら老執事が差し出したものを見て俺は愕然とした。


 それは一冊の文庫本だった。

 しかも東京で俺の行きつけだった書店のブックカバーが――クリーム色の紙に青いインクで書店のロゴが書かれたものが――掛けられたものだった。

 俺は震える手でその本を手に取り表紙をめくった。


 間違いなく、俺のデビュー作の文庫版だった。


「その人は今どこにいる?」

「エレベータ前でお待ちになっております。護衛に頼んでお引き取り願いますか?」

 俺は本を持ったまま駆け出した。

「先生――!」

 テルさんの制止を振り切り、エントランスを抜けエレベータに向かった。



 エレベータの前にあの召喚者の一団の一人、メガネの青年が座り込んでいたが、俺に気がつくと立ち上がって一礼した。

「……夜分遅くに失礼します」

「これは君の持ち物か?」

 俺は息を切らしながら尋ねた。

「はい、私の命より大事なものです」

 彼は文庫本を受け取りと愛おしむ様にカバーを撫でた。

「俺に用があるのか?」

「どうしても確認したいことがあるのです……貴方はミステリ作家の神無月了先生ではありませんか?」

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