第2章 チュートリアル

■008――ゲンマ――無償の愛と叡智の探求

 野宿っていうともの悲しいけど、キャンプとかいうと陽キャっぽいし、野営っていうとなんかカッコイイな。

 というかこのキャンプ意味あるのかな?

 ゲンマくん龍なんだよね?乗せてくれないのかな?

「うーん……ジョイスは一回乗った後は嫌がってたけど?」

「ああ、そうなんだ。じゃあ、やめとく」

「ま、理由は考えればいくらでも出せるけど、単にボクが列車に乗りたいだけだよ」

「やっぱりそうなんだ……そんなような気は薄々してたよ……」

 俺はだんだんコイツのノリが掴めてきた。慣れたともいうが。

「他にもっと早く着くルートはあるけど、日数的に大差ないし……カンナヅキ君も興味あるんでしょ。そういうの好きそうだし」

 興味ないって言ったら嘘になるな。飛行機より新幹線の方が好きだった。なんか見透かされてるな。

「ところで俺もゲンマ様って言った方がいいのかな?今のところジョイスしか呼び捨てにしてないようだけど」

 俺はごった煮のシチューの鍋をかき回しながら言った。

「……別に好きに呼べばいいよ?」

「先生?ちょっといいですか?」

 作業の手を止めテルさんが話に割り込んできた。

「この最弱は人間に人気“だけ”はあって、その人気は国内だけにとどまらず、他の列強諸国でも多数の信奉者がいます。さらに人間領域内でも“慈悲の守護龍”として一部地域で信仰対象になっているとの噂もあります」

「ふむ」

「……微妙に悪意ないかなー?テル・ムーサ?」

「それを前提としてですよ?もし人前でゲンマ様と親しげな砕けた口調で会話しているところを目撃された場合、人々の目にはどう映るか?」

「ふむふむ」

「……」

「それは余程ゲンマ様と親しい関係であるか……あるいは余程先生が礼を欠いているかのどちらかの印象を持たれるでしょう。そこを踏まえた上で判断されると良いのでは?」

「なるほど。参考になった」俺は指を鳴らした。

「では、ゲンマ様でいくか。呼び捨てにして得することないし」

「なんだかちっとも嬉しくないよ?」



 テルさんとサリシスが天幕を設置して、ゲンマが採取と結界張り、俺が食事係となった。他にできる人材がいなかったのだ。

 困ったのは意外なことにサリシスが偏食家だったことだ。

「野菜食べたくない」

 ジョイスはちゃんと食育していたのだろうか。そういえばちょっと過保護気味だったが。

「野菜嫌いじゃないけど、野菜食べるならその分お肉食べたい」

「じゃあ野菜食べなかったら、肉出さないぞ」

「むー。カンナヅキってたまにお父さんと同じこというよね」

 思えばサリシスは今までワガママらしいことは一切言わなかったな……意外な一面が見れた。

「サリシス様、野菜もきちんと食べないと大事な所が育ちませんよ?先生はばいんばいんがお好きですから」

 テルさんはそれ以上育たなくていいんじゃないかな。たくさん美味しそうに食べてくれるのは嬉しいけど。

 サリシスはムッとしつつもちゃんと食べてくれた。

「ちゃんと食べたからもっとお肉食べたい」

 うん、まぁ、たくさん食べろよ。もう少し肉つけた方が健康にいいだろう。



 その夜、慣れない野宿に寝付けなくて天幕の外で星を見ていた。

「……オルト、大丈夫かな」

 別れ間際の事を思い出し俺は少し心配になって、彼宛の通知を書いた。

「結界があるから大丈夫だよ。心配した所で何も変わらないのにさ」

 ゲンマがいつの間にか後ろに立っていた。俺はその物言いに少しイラっとした。

「アンタ、本当に慈悲深い友人龍なのかよ?人の気持ちってのがわからないのか?」

「君だって龍の気持ちなんてわからないでしょ。お互い様だよ」

 言われてみて俺はこの世界の龍のことを何も知らなかった事に気がついた。

「宇宙を漂う龍の種子が星の中に落ち、長い時をかけて暖められ、龍の幼生に孵る。龍の幼生は星の中でエネルギーを蓄えて、やがて住処を求めて巣立って行くんだ」

 ゲンマはただ星を見つめていた。

「君に想像がつくかい?燃える星の輝く海を泳ぐ光景が。真空の宇宙を漂いながら聴く星辰の奏でる音楽を。そうして長い旅の末、ボクらはこの地に来たんだ」

 ゲンマの語る龍の生態に興味をそそられつつも、俺はまだこの人外を信用していいものか迷っていた。

「何で人間が好きなんだ?」

「好きになるのに理由なんてないさ。逆だよ。だいたい好きになったり嫌いになった後で理由を探すものだよ。君もボクが嫌いなのに理由なんてないでしょ」

 どうもゲンマと微妙に話が通じてないように思えた。いや、これは俺の質問の仕方が悪かったのか。ゲンマの物言いがいちいちこちらの罪悪感を刺激するのに気が滅入る。

「そういう話がしたいんじゃなくって……どういうキッカケで人間の守護者になったんだ?」

 ゲンマは伝説を、龍王国の建立に至る歴史の分岐点を語る。



 ボクらがこの地に降り立ったのは旧支配者の権威が揺らぎかけた頃だった。彼らは上位存在を崇め、その力を借りて帝国を築き栄華を誇っていたが繁栄の時は終わりを迎えていた。ボクらは辺境の地に降り立った後、兄と姉は財宝集めを競ったり、他の龍族との縄張り争いに明け暮れていた。

 ボクはそんな騒ぎに興味を持てず静かな鍾乳洞の奥で瞑想に浸っていた。そこならあの雅なる調べ――星辰の音楽が聴こえる気がしたんだ。

 でもそんなある日、三人の人間の子供が鍾乳洞に迷い込んできた。

 大人の目を逃れ探検に来ていた彼らは帰り道がわからなくなり泣いていた。

 初めて見る人間の子供に興味をそそられたボクは、傷を癒し、温めてあげると、彼らもボクに興味が出たらしく、あっという間に友達になったよ。

 それからも彼らは度々住処を訪れては人間の世界のお話を聞かせてくれた。そのどれもが初めて聞く面白いものだった。子供たちは少しづつ大きくなっていった。

 だが、突然、子供(その頃には十分大きかったけど)の一人が泣きながらボクのところに駆け込んできたんだ。

『ゲンマ様お願い、村のみんなを助けて!』

 村は魔獣の群れに襲われていた。

 ボクは戦いには慣れてなかったけど、魔獣を追い払うくらいの事はできた。

 村人たちは口々にボクに感謝をした。

 それからボクは村の大人たちとも話をするようになった。

 彼らと接するうちに人間の姿をした方がより話がしやすい事に気がつき、この姿になる時間が増えていった。

 彼らの紡ぐ物語、まだ存在しない可能性の話、かつてあったかもしれない伝承、その全てがキラキラと光っていてもっとたくさん聞きたいと願った。

 ボクは人間の守護者と見なされ村はどんどん大きくなっていった。


 でも安寧の時は長くは続かなかった。

 黒龍テネブリスがさらなる高みを目指すための上位存在への生贄として大量の人間を狩っているとの噂を聞いた。

 ボク一人では最強と目されているテネブリスには到底かなわない。だから人間を隠すための場所を作りそこで匿おうと考え準備をしていた。

 そんな時、姉さん・赤龍ガーラは、ボクを訪ね思い掛けないことを言い出した。

『ゲンマ、人間を守るためにはどうしたらいいんだ?』

 姉さんは予見の能力を持っている。

 ある日、予知夢で、遠い未来の夢を視た。

 その夢の中で姉さんは、白銀の船に乗り、メシアに従える十二使徒の一人だった。そのメシアは人間で姉さんは人間の保護者として信任を得る存在であったらしい。

 やがて来る破滅の時を防がんと旅立つ夢を語る姉さんの顔は誇らしげだった。

 姉さんの話はボクにはなんの感銘も与えなかった。遠い未来に現れる一人の人間より今いる沢山の人々の方がボクには大事だったからだ。

 でもこれは使える、と思った。

 ボクは姉さん達と力を合わせて黒龍テネブリスと戦って彼を弱体化し、人間を匿うために作った場所になんとか封印した。

 人間を破滅から救った姉さんは人々に崇められ、その勢いでメシア論を中心とした龍王国を建立した。

 以来ずっとボクはその手助けを、龍と人との縁を繋ぎ止めているのさ。



 俺は、ゲンマの語る伝説を反芻し、語られたことを噛み砕き、語られなかったことに想いを馳せた。何千年も続く王国なのだから暗い部分がないとは思えない。

 その後、寝床に戻った俺は龍の子供達が歌いながら宇宙を泳ぐところを想像しているうちに眠りに落ちた。



 次の日から少しゲンマとの距離が近くなった。

 ゲンマの話すこの世界の歴史の話は面白かったし、向こうも地球の物語に興味を持ったのか根掘り葉掘り聞いてきた。


 俺がゲンマと親しく話すようになるにつれてテルさんは憂いの表情を見せるようになった。


「先生、あまりゲンマ様を信用しすぎない方がよろしいのでは……」

 テルさんは二人きりになった時、こっそり俺に忠告をした。

「いくら、人間の味方とはいえ、あれは人ならざるもの、いえ、生物の範疇にすら収まらない存在です。人の持つ常識や良心といった物差しでアレを理解しようとするのは危険です」

「それはわかるけど……向こうからグイグイ来るんだよなぁ……」

 テルさんは深いため息をついた。

「どれほど慈悲深くても、龍は龍。所詮は自らの欲望で燃え尽きる定めを持つ存在です。私は先生が破滅に巻き込まれるところは見たくありません」


 その夜、眠りかけた頃、気配を感じ目を開けると、ゲンマが微笑みながら、俺のマギアの証に手を伸ばしたところで、意識が途切れた。



 ここはりゅうのめぐみのいえ。みよりのないこどもがくるしせつです。おれは、オルトというおとこのこと、サリシスというおんなのこと、すぐなかよくなりました。

 サリシスはいもうとみたいで、オルトはおにいさんみたいです。

 さんにんでなかよくあそんでいると、しせつにゲンマさまがしさつにきました。

 ゲンマさまはおれをじっとみていました。

「マギアの証は井戸のようなものなんだ」

 ゲンマさまはおれをてもとにまねいた。

「素質がなくとも誰でも深く掘れば魔源回路に到達できる、もっとも自我なんて当然なくなるけどね。だからジョイスは眷属化を拒んだ」

 ゲンマさまはにんげんにとってのさいごのきぼうなのだとおとなからことあるごとにおしえられています。

「君は素質があるのに、この証はあまりにも深く掘りすぎている。なのに自分の意思もあるしそれどころか上位者が誰かもわからないなんて不可解だよ」

 にんげんはゲンマさま、ガーラさまからのむしょうのあいでかろうじていきながらえているよわいそんざいなのだから、もし、なにかを、もとめられることがあったら、けしてこばんではいけないといつもいわれていることです。

 ゲンマさまのてがおれのかたにのびて……

「やめてゲンマ様!」

 オルトがないている。

「僕の友達を取らないで!ゲンマ様!!」

 ゲンマさまはほほえんでいた。

「取らないよ。人間はみんなボクの大事な宝物だからね。勿論君も」


 ――“ブツン”


 ――世界は唐突に暗転する。



 文字通り体を引き裂かれるような激痛で意識は引き戻された。

 俺は手術台のような祭壇に拘束されていた。

 どこだかわからない……周囲に古代遺跡風の石畳が広がり、視界に巨大な建造物が入り込む。

 そのシルエットが、あの、銀貨のレリーフと同じ怪物のそれだった。

 時計塔のような一つ目の怪物から伸びたおびただしい触手は足元に広がり一部が祭壇の周囲を取り囲み、その内の数本が俺のマギアの証の奥深くにどんどん入り込んでいるのを見た時、正気を手放しかけた。

「ダメだ。狂気に陥ることは許可しない」

 声の方を見ると一人の男がいた。

 三十代くらいの隻眼の白衣の男で灰赤色の髪と淡い青い目の持ち主だった。その顔から人間らしい情感は一切感じ取れなかった。

「君が誰に誑かされようと関知しないつもりだったが、アレはダメだ。君はもう少し友達を選んだ方がいい。アレは私が君に構築した魔源回路へのバイパスを利用してここに不法に侵入しようとしている」

 男は触手を証から引きずり出しその先に捉えている小さな物体をつまんだ。

「“龍の涙”、ビーコンのようなものだ。これでこの上位世界、“パレス”の位置を突き止めたようだ。今後こんな事がないように防御機構を設置しておいた。それと、これを摘出するついでに再調整もしておいた。この前のようなMP切れのようなことはもうないだろう。アフターサービスだ」

「あの……人違いですよ……俺はエンダー・ル・フィンではないですよ?」

 痛みに耐えながらなんとか絞り出すと、彼は面白くなさそうに言った。

「君は神無月了だろう。ミステリ作家の」

 俺はその時やっと、男が流暢な日本語を話している事に気がついた。

「日本の岡山県で生まれ育つ。母は兼井思保、父は六院皆伝、養父は神無月三郎。京都の大学を卒業後、東京の高円寺の3LDKのマンションで作家業を営む」

 男の話がとても遠くから聞かされてるような印象を受けた。

「私は全てを知っている。この宇宙で起こる事全てを」

 いつの間にか俺は拘束から自由になっていた。痛みの残滓は微かに残っていた。

「上位存在……」

「そうだ。私は叡智を司るパレス・ビブリオン。君の上位者だ」

「なんでも知ってる」

「そうだ」

「日本語お上手ですね」

「昔住んでいたからな」

 それが上位存在の小粋なジョークなのか表情からは全く読めず俺は困惑した。

「じゃあ、エンダー・ル・フィンの事が知りたいんだけど?」

「君は作家なのにネタバレを希望するのか?」

「……なんだよ、それ」

「まぁ、これは冗談だが、説明する時間はないようだ」

 男は時計塔と反対方向を指差した。



 指さす方には塔を囲むように建てられた城壁と巨大な門があった。

 そしてその門は何か巨大な物がぶつかるような大きな音と衝撃が繰り返していた。何度も何度も。苛立っている獣の咆哮が絶え間なく響いている。

「よりにもよってプラズマ生命体に目をつけられるとはな……」

「え?」

「君たちが龍と呼んでいるモノだ……名はゲンマだったか」

 黙っていれば八百万の神の一柱くらいにはなれるのに……と男はため息混じりに言った。

「お気に召さない?」

「個人的に好きな種族ではない。だいたい燃え盛る太陽を大事な書庫に入れたい者がどこにいる?」

 城門は激しく揺れヒビが入りかけてた。

「大丈夫なんですか?」

「あまり大丈夫ではないな」

 男が指を鳴らすと、俺たちは城壁の物見台に瞬間移動していた。

 眼下では初めて見る龍形態のゲンマが普段の無邪気さをかなぐり捨て、獣の闘志むき出しで扉を破壊しようと攻撃を加えていた。

 東洋の龍のように細長い蛇のような胴体から生える二対の翼から輝く羽毛を飛び散らせていた。

 その恐ろしい咆哮と狂乱状態がなければ神々しいと言ってもいい姿だった。

「……あれで最弱ってヤバイだろ、龍ってどんだけ強いんだよ……」

「この上位世界ではエネルギーと信奉者の信仰力の総和で有り様が決定される。ゲンマはノヴムオリジネムの多くの民の信仰をその身に集めているので実際よりはるかに強力になっている」

 男は小声でfから始まる四文字ワードを呟いたような気がした。

「大変ですね」

「君は当事者の自覚はないのか?まぁ、君も信奉者の数では負けているが信仰の質まで含めるとアレといい勝負をしている」

「え?」

 彼はゲンマを指差して言った。

「ちょっと行ってアレと戦ってこい」

 俺は反射的に無理!無理無理無理無理!!と言おうとしたが、実際口にしたのは別の言葉だった。

「かしこまりました、お館様」

 俺は物見台から飛び降り、《 装着 》のエンチャントを唱え、城壁の上に着地した時には完全武装状態だった。

 腰につけた鞘からソウルモンガーを抜き、荒れ狂うゲンマの元に走り出した。



 間近で見るゲンマは遠くで見るよりずっと恐ろしく、理性では『何で俺がこんなことを……』と考えていたが、それ以外はどうすれば攻撃できるか考えていた。

 ただ、あのお方は『戦え』とは言ったが、『勝て』とも『殺せ』とも言ってなかった。別に負けても、死んでもいいのだと考えると気が楽だった。いや、いや、いや、死んじゃダメだろと理性が必死に訴えかけているが俺はなんかもうどうでもいいと感じていた。

 というのも、俺は本気でゲンマに腹を立てていた。やっぱりコイツムカつくんだよコノヤロー。人のことにやけヅラで実験動物見る様な目で見やがって。ジョイスの友達みたいだから我慢してたけど、一発ガツンと殴らないと気が済まん。

 この点に関しては理性も含めて俺の意見は一致団結していた。

「ゲンマァアァァァ――!!」

 《 ウル・フラ 》!!

 俺はここまでの鬱憤を全て晴らすべくゲンマの鼻面に最大級の火炎魔法を叩き込んだ。

 属性の相性のせいかそれほどダメージは与えてないようだがまばゆい青い火炎は目くらましにはなったようだ。俺は間髪置かずに第二撃を繰り出す。

 《 マシンガン・ジャベリン 》!!

 マシンガンを改良して殺傷力の高い魔力の槍“ハス”を連続で打ち出す高燃費のエンチャントを惜しげも無く叩き込んだ。

 ゲンマの顔が苦悶に歪み、俺の溜飲は下がったが横からの衝撃――ゲンマの尾に吹き飛ばされ、城壁から地面に叩きつけられた。

 とっさに受け身を取ってダメージを抑えるが、着地点目指してブレスを打ち込まれ、息つく間もなく回避に専念した。ゲンマは俺に対する明確な殺意がこもったブレスを連発した。

(こっちがムカついてるのと同じくらいあっちも溜め込んでるのかね)

 俺はブレスをかわしつつ、ゲンマとの間合いを広げようとすると、奴はその気配を察し、距離を詰めてきた。

 ゲンマは体の割に黒く細い腕を伸ばし俺を掴み上げる。


 その時奴は気づいた。

 俺が何も手に持っていないことを、だが気づくのが遅かった。


「ソウルモンガー!!!」


 俺の愛する魔剣は歓喜の叫びをあげ空を切りつつ飛来し、ゲンマの背後から、その心臓を貫き俺の手に収まった。


 ゲンマは耐え難い傷を受け怨嗟の声を上げ長い体躯を曲げうずくまった。

 俺はゲンマの両腕を切り落とし、再び、その胸の傷に追い打ちを掛けようと斬りかかろうとすると、奴の胸から三本目の腕が出て俺を締め上げた。これは完全に不意打ちだった。

 俺の体は万力のような握力に押し潰されそうになる。

 鎧が軋み、骨が軋み、死が間近に迫っているのを感じた。

「……ゲ、ゲンマ」

 無意識にゲンマの名を呼ぶと、刺さるような殺気が一瞬薄れた。

 俺はその隙を逃さず、マギアを使った。

 《 ウィルパ 》 

 念動力のマギアに大量のMPを注ぎ込みゲンマの手を無理やり押し広げ、拘束から逃れた。そのまま限界までMPを注ぎ込み、念動力でゲンマを押しつぶそうとした。

 奴も負けじと念動力で押し返し、その力は完全に拮抗し、どちらが先に潰れるかの勝負となったその時、


「そこまでだ」

 お館様の声が響き渡る。


「赤龍族のゲンマよ、ここに訪れたいのなら正規のルートを通ってこい。パレスは横紙破りをするものは決して受け入れない」


 御方は黒い闇で出来た槍のような物を頭上に浮かべ、人差し指を向けると、それは真っ直ぐゲンマの胸に突き刺さった。

 ゲンマはダンジョンのモンスターのようにドットに還っていった。



 ゲンマが消えていく様を呆然と見ていると、いつの間にか書斎のような場所に立っていた。おそらく、あの時計塔の内部なのだろう。

 男は本棚の前のアンティークなソファにいかにも疲れたという風に座っていた。

「お疲れ」

 死闘を繰り広げた人間に対するものとは思えないほど素っ気ない言い方だった。

「あのー……俺、どうすればいいんでしょうか?妨害とかするべきでしょうか?ゲンマがここに来れないように……」

「何もしなくていい」

 男は溜息を吐いた。

「これ以上妨害したら、確実にアレは他の上位存在を巻き込んで余計に面倒な事態を起こす。放っておけ。どのみち正規の道を辿る叡智の探求者を拒むことは出来ない」

「『友達は選べ』って言ってましたよね?」

「以前はな。今はしょうがない。せいぜい便利に使ってやればいい」

「俺の行動は何か間違っていたんでしょうか?」

 男は俺をじっと見つめていった。

「君は私の道化だ。道化は心配などせず踊っていればいい」




 ――再び世界が暗転する。



 目を開けるとそこは天幕の中でまだ真夜中だった。

 今見たものが果たして夢が現実か……。

 俺は肩のマギアの証を見ようとしたが思わず目をつぶってしまった。事実を確認するのが怖かったのだ。

 深呼吸した後……恐る恐る目を開けると、その紋様の意匠は以前とは微妙に違うものになっていた。

「は……ははは……はは……」

 もう笑うしかなかった。


 俺は起き上がり、天幕の外に出て星空を見上げた、脳裏に聖書の文言が浮かぶ。


“あなたにプレアデスの鎖を結ぶことができるか。オリオンの綱を解くことができるか”


 俺の運命を操っているのが如何なる種類の存在なのか思い知った俺は自然と泣いていた。


 それほど離れていないところでゲンマも星を見ていることに気がついた。

 奴も泣いていたが、その表情は喜びに満ち溢れていた。


「何が嬉しいんだよ」

 俺はややげんなりして口に出して言ってしまった。

「君と共にエンダーの足跡を辿っていけば、いつかはあの“叡智の図書館”に到達できるんだ。こんな嬉しいことはない」

 ゲンマは星を見つめたまま言った。

「アンタが何を考えてるのかますますわからなくなったよ」

「みんなアレコレ言ってくるけどボクは何も考えてないよ。ただ欲しいものを欲しいと願って足掻いているだけさ。龍はそういう生き物だからね」



「いい加減にしやがれ、ですよ?」

 声の方を見るとテルさんが笑顔で立っていた。

 その笑顔は見事なアルカイックスマイルだが、怒りの波動は隠そうともしていなかった。

「先生はアンタらのおもちゃじゃないですよ?」

「そんなに大事だったら、ボクらの宝物庫にしまった方がいいんじゃない?この大陸にあそこより安全な場所はないよ?」

 ゲンマの軽く煽るような口調にテルさんの怒りの波動は強まった。

「おまえらは本当にロクでもないことばっかりしやがりますね。先生を雑に取り込もうとした上に上位世界に殴り込みをかけるとか、バカなのですか?喧嘩を売る相手を間違えてますよ?この前の障害だっておまえらが事なかれ主義の弱腰対応だからあいつらが図に乗ったのが原因ですよ?」

「エルスの連中がやったことの責任まで押し付けないで欲しいな」

「おまえらは私が派遣されたことの意味をちゃんと考えるべきですよ?」

 テルさんのこの一言でゲンマの顔が強張った。

「お母様は本気でブチ切れてますよ?」

「……勘弁して欲しいな。ボクだってこれでも彼らの傲慢な振る舞いに我慢してるんだからさ……」

「ともかく、先生にこれ以上何かあったらもう自重なんてする気はない、ですよ?」

「わかったよ、テル・ムーサ。どの道干渉する経路は封じられたよ」

「御方の手を煩わせる前に手を引くべきでしたね。彼の方は味方には寛大でも敵には一切容赦はしない方です。対応はお間違えないようお願いしますよ?」

「肝に命じておくさ」

 俺は寛大という言葉の定義に疑問を感じつつ天幕の寝床に戻った。

 今日はもう心底疲れた。

 朝まで何も考えたくなかった。


 やっと長い夜が終わる。

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