第1章 始まりの村

■001――何が何だかわからない


 ぼんやりとした夢、宇宙の理から外れた空間、五感の全てが機能しないが、どこかに滑り落ちていく感覚だけがある。

 何もない闇の中、一切の物理法則を無視してもつれたスパゲッティの中を高速で滑り落ちていく感覚。

 それは刹那であったか永遠であったか、俺は不安を抱えたままどこか、遠いところに向かって、ただ落ちていった。



――――――――――――――――――――――――――――――


『データベース接続中………照会……フラグメーション解消。』

『ログイン履歴なし……アカウント、新規作成しました。』

『身体基礎情報精査……ステータスにポイント割り振りしました。』

『取得スキル確認……使用可能スキルに置換しました。』

『特典ボーナス確認……特典スキル追加しました。ステータスに追加ポイントを割り振りました。』

『バイタルサイン確認……生命維持活動が困難なレベルです……救援通知発信しました。』


『そのままでお待ちください。』


――――――――――――――――――――――――――――――



 最初に空気を感じた。

 冷気が肺に刺さる痛みでかろうじて生きていることを知る。


 俺は冷たい石の床に身を横たえていた。

 体のあちこちからじわじわと痛みが伝わってきて全身が濡れている感触がある。

 無意識に手を見ると滴る血がべっとり付着していた。おそらく自分の血なのだろう。

 上に視線を向けるとドーム型の大きな天窓が目に入る。


 夜だった。


 やけにデカい月がギラギラと光っている。


 石レンガで構成されたヨーロッパの教会のような建築物に蔦や苔に覆われている。ここは長い間放置された場所なのだろう。

 月の光を受けて古びた女神像が俺を見下ろしている。

 洗練された意匠の女神像が遺跡と化すほどの長い年月を経て、意思を持ってこちらを見ている、なんとなくそう感じた。


 何かが近づく音が聞こえた。

 体はもう一ミリもうごかせない。

 疲労と睡魔に負けて意識が遠のいていく中、知らない言葉が飛び交うのを聞く。



――――――――――――――――――――――――――――――


『言語モジュールダウンロード完了……設定中……ローカライズ完了しました』

『インターフェース構築完了』


 暗闇の中で光るシンボルが点滅している。


『ステータス確認』という声が脳内に流れ、何かのOSのメニュー画面のようなものが展開した。

『通知が 1 件 あります。』


 手紙のアイコンが点滅している。


『通知を開きます』


――――――――――――――――――――――――――――――

宛先 : 神無月 了

発信者: システム管理者★

件名 :【重要】システムからの大事なお知らせ

内容 :

平素より大変お世話になっております。

環境システム管理者統括 ムネーモシュネと申します。


この度、弊システムの提供しております転送システムにおいて発生致しました障害により、

神無月様に多大なご迷惑とご心配をおかけしておりますことを、心よりお詫び申し上げます。


この件は転送システムの不具合と異常現象による物理的障害によるもので、現在復旧に向けて鋭意調査中です。


なお、神無月様への詳しい状況説明及び各種サポートのための担当者の派遣が決定しました。

準備期間も含めて到着まで十四日間ほどかかる予定です。ご容赦ください。


それまでの生活のお力添えとして特別特典をインベントリ内に送らせていただきました。

つきましては現在おられる場所にてそのままお待ちください。


神無月様にはご不便をおかけして大変恐縮ですが、

今しばらくお待ちいただきますようお願い申し上げます。

――――――――――――――――――――――――――――――



 目覚めた時、最初に目に入ったのは白い漆喰の天井に黒い木材の梁だった。

 まるで見覚えのない場所に戸惑い、身を起こそうにも体は重く、ままならない。

 なんとか首を動かしあたりを見渡すと八畳くらいの広さの部屋の寝台に寝かされているのを知る。

 ビジネスホテルを彷彿とさせる必要最低限の調度品が置かれた部屋に現在地の情報を得る手がかりはなかった。


 ……何が何だかわからない……。


 壁際に防具立てが置かれていてそこに傷だらけの黒い鎧と剣が置かれている。

 窓際には引き出し付きの小さな机があった。


「うっ……くっ……」


 難儀して上半身を起こすと体の節々がひどく痛む。自分の体を見るとあちこちにゲル状の物質が貼られていて、血で赤く染まっていた。

 息を整えつつ恐る恐る寝台から足を下ろし、思い切って立ち上がると身体中が悲鳴をあげる。

 足を引きずるように窓に近づき外を見る。ここはどこかの建物の2階らしかった。眼下にドイツの田舎町のような景色が広がっている。

 中世ヨーロッパの村人風の人々が通りを横切り、六本足の大きな毛むくじゃらの獣に繋げた馬車や荷車が行き交っていた。

 窓ガラスに映る俺の顔に違和感があり、机の上にあった鏡を見る。

 そこに写っているのは見慣れた自分の顔ではない。俺に似てはいるが明らかに別人だ。

 腰まで届く長い黒髪はそのままだったが、目が青く、神無月了より美形度が2段階くらい上がっていて数歳若くなっていた。


 俺が呆然として立ち尽くしていると、部屋のドアが急に開かれ、小さな悲鳴が上がる。

 振り返ると西洋人の集団が部屋に入ってきた。

 体格のいい中年の男、上品な雰囲気の老人、白衣の女性、十代の少女の四人だった。


「まだ、起き上がっちゃダメ!!傷口が開いちゃう!!」

 茶色の髪の少女が必死の形相でこちらに駆け寄ってきた。

「あなた発見が遅かったら死んでいたところなのよ!モナ先生でも一度に治療できないくらい重症だったのに!」

 そばかす混じりの素朴な顔の少女の勢いに押されてただ頷くしかない。

「さぁ、ベッドに戻って!安静にしてなきゃ!」

 俺は少女に促されてなんとか寝台に戻る。


「では、治療を始めます。私はあなたの治療を担当する治療師のモナです」

 白いフードのついた衣を着た四十代くらいの目の細い女性がにっこり笑う。

「まずこの薬を飲んでください」

 彼女は液体の入った緑の瓶を差し出す。

 俺はためらいつつもその薬を一口含み……うん、微妙な味。苦くてほんのり生臭い。多分何度飲んでも慣れないヤツだコレ。

 「さぁ、全部飲んじゃってください。そうしないと治療が始まらないですから」

 俺はそれを苦労して飲み込み、空き瓶を返す。彼女は俺に横になるように指示する。

「では治療を始めます。まず数を百まで数えてください」

 言われた通り数を数えると、彼女は何かの詠唱を始める。

 《 ベネディック 》

 寝台の周りを囲むように魔法陣のような紋様が浮かび上がる。

 数が百に近づくにつれて体の奥から今まで経験したことのない力が湧いてくるのを感じる。

 俺が百数え終えるのを確認し、彼女は印を結び別の詠唱する。

 《 サーナ 》

 その途端俺の体の内側で何かが蠢きだした。体内で虫が動き回るようなありえない感触に驚き反射的に体が動く。

「だめ!!動いちゃ!!」

 少女は魔法陣から飛び出そうとする俺の肩を寝台に押し付ける。

「これは治療に必要なことなの!だから我慢して!お願い!!」

 気がつくとガタイのいいおっさんに足首を押さえつけられていた。俺が動けないのを見てモナ先生は二、三回サーナを唱える。

「今日の治療はここまでにしましょう。よく頑張りましたね。峠は超えましたよ」

 俺は押さえつけられて息も絶え絶えだが、確かに体はさっきより軽くなって大きな痛みは引いている。

「まだ食事は無理でしょうから恵みのエンチャントを掛けておきましょう。《 テリティコム 》」

 体全体が暖かい光に包まれなぜか俺は満腹感を感じる。

「次に私が来るまで安静にしていてくださいね。あと一回治療を終えたら普通に生活できる状態まで回復できますよ」

 そう言い彼女は再び詠唱する。

 《 サームメ 》

 俺の意識は突然やってきた睡魔にストンと落とされた。



 次の日。


 近年稀に見るレベルの爽やかな目覚めで夜明けを迎える。

 俺はモナ先生の言いつけもあって朝のまどろみを大人しく黙って堪能する。

 そういえば夢の中でステータスとかインベントリとか出てきたな、とぼんやり考えてると、例の画面が目の前に展開する。

――――――――――――――――――――――――――――――

名前:神無月 了 職業:小説家 レベル:1

AGE:18

STR:10+2

CON:10+2

DEX:12+2

INT:20+2

MND:16+2


NOB:85

COM:0


HP:60(24+200)

MP:30(36+200)

C:0


スキル:

【体術Lv5】【剣術Lv8】【射撃Lv3】

【エンチャントLv1】【マギアLv1】

【礼儀作法】【舞踊】【音楽】【瞑想】【芸術】【騎乗】

【電脳】【記憶】【言語】【目星】【精神分析】【心理学】【言いくるめ】

【アイデア】【図書館】【説得】【詩作】【神話】【オカルト】【天文学】

【考古学】【法医学】【数学】【科学】【薬学】

【管理者の祝福*】

エンチャント:

ブレ(0/0)、フラ(4/4)

マギア:

ウィルパ(0〜4MP)

――――――――――――――――――――――――――――――

(さっぱりわからん。なんなんだこの画面。ゲームか?ゲームなのか??でも、昨日の出来事は夢とかゲームとは思えないリアルさなんだよな。てかすごい痛かったし、だいたいなんでいきなり瀕死スタートなんだよ。ゲームだとしたらバランス崩壊してるだろ。)


 次は、インベントリを確認する。ストレージっぽいアイコンが光る。

――――――――――――――――――――――――――――――

インベントリ(0/0):

銀貨x99*、シャンプーx99*、バランスバーx 99*、ノートx99*、ボールペンx99*

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 ……銀貨以外は蔵に入る前にドラッグストアで買ったものだが、 九九個も買ってないんだが……。

 これが特別特典なんだろうか……そもそも取り出せるのか?

 と、考えると項目が点滅しだしたので試しに銀貨に意識を向けるとどこかに線が繋がり銀貨の実体に触れる感触を得た。試しに俺は一つだけ銀貨を出してみた。

 手の中に銀貨が一つ現れるとインベントリ内の表記が銀貨x98になった。

 銀貨を観察する。触手の生えた時計塔のような一つ目の怪物のレリーフが彫られた五百円玉くらいの大きさのコインだった。この世界の文字で“INGENII MAGNII”と刻まれている。

 俺は手の中の銀貨をインベントリに戻したいと考えると、インベントリのアイコンが点滅しだしたので、そこに銀貨を戻す意識をした。銀貨は虚空に消え、インベントリ内の表記が銀貨x99に戻った。

「マジでキモいな。物理法則仕事しろよ」

 いや、そもそもこれ見えるの俺だけなんだろうか……なんか謎が深まる一方だな……一応自分が発狂してる可能性とか死に際の走馬灯を見てる可能性もあるんだけど、それを考えてもどうしようもないんだよな……ここは現実だとしたら別の宇宙、物理法則の異なる並行世界パラレルワールドなんだろう。

 あとシステムからの通知がどう見てもお詫びメールな件。

 バイトで電話業務のオペレータをやってた時、クラウドデータ消失事件の後処理で顧客対応をさせられた記憶が蘇りかすかに胃が痛む。システム障害とか言われても……俺は一体何に巻き込まれたんだ?

 現在調査中ということは復旧の目処は立ってないってことだろうし……現場(?)はえらい修羅場になってる気配を感じる。“担当者”とやらが来るまでここで十日前後サバイバルする必要があるんだな……不安だ。

 なんにせよ慎重に事を進めたほうが良さそうだな。



 寝台の上で悶々としていると、昨日の少女が入ってきた。

「おはよう。だいぶ顔色がよくなったね」

 俺が回復している&大人しく寝ているのを見て安心したのか、昨日とは打って変わって落ち着いていた。

「先生はもうちょっとしたら来るから、そのまま待ってて」

 彼女はそう言って部屋の中央のイスに座って、宙を見つめながらタッチパネルを操作するような動作をしていた。

 ……どうやらステータスが見えるのは俺だけじゃないようだ。それと他人の画面は見えないようだ。

 彼女は薄い茶色の髪をまっすぐ伸ばしていて、ほっそりとした体つきで可愛いとも美人ともいえない地味な顔だが不思議と落ち着くオーラを漂わせていた。

「……」

「ん?どうかしたの?」

 俺の視線に気付き少女が声をかけてくれた。

「……あー、ちょっと言いにくいけど……」

「?」

「トイレ……行ってもいいかな……」

 少女はキョトンとした顔でこちらを見つめた後、

「治療を終えるまで我慢できない?できないなら……」

 そう行って彼女は足元の道具箱から口の広い急須のような道具を取り出した。

 ……尿瓶……だよなぁ。

「……我慢します……」

「無理そうなら言ってね。汚したら後始末面倒だから」


 その後、昨日と同じメンツで治療が再開された。

 あの不味い薬の量が二倍に増やされたくらいで他は特に問題なく済んだ。詠唱が始まる。


 《 アル・サーナ 》


 治癒魔法の感覚にも慣れ、急速に傷が治っていく。異常が無いのを確認した後、モナ先生と少女は傷口を覆っているゲルを剥がす。

 大きな傷口は微かなミミズ腫れ程度にまで癒されていた。


「今日は軽い食事程度ならしても大丈夫でしょう。お風呂や激しい運動は今日は避けてください」

 お、入浴の習慣はあるのか。中世ヨーロッパは衛生的でなかったらしいからちょっと心配だった。

 あとは食事だな……ここさえクリアできれば、とりあえず安心なんだが……。

「……あの、トイレ、行ってきてもいいですか?もう我慢の限界で……」

「うふふ、どうぞ。サリシスちゃん、手伝ってあげて」

「はい、先生」

 俺は少女の名前がサリシスということを初めて知り、彼女の手を借りてトイレに行った。



 初めての異世界トイレで戸惑いつつもなんとか用を足し手を洗って部屋に戻ってくると食事の用意ができていた。

「……口に合うかどうかはわからないが、体の負担にならない養生食を用意した」

 体格のいいおっさんがぶっきらぼうに言い、銀のプレートを部屋の中央のテーブルに置いた。

 俺は腰掛け礼を言った。彼は戸惑う表情で首の後ろを掻いて言った。

「ともかく、早く元気になってくれ、礼とか感謝とかそんなの後でいい」

 俺は頷き、食事に目をやる。湯気の立ったミルク粥、ジュース、それと柔らかそうな平パンと四角いチーズのようなものが載った皿だった。

 俺はスプーンを手に取りミルク粥を口に含んだ。病み上がりの体に染み渡る味だった。見た目で甘いオートミールのような味を想像していたがハーブやスパイスを入れたコクのあるシチューのような風味だった。

 俺が夢中になって食事を口に運んでいる様を見て一同ホッとしているようだ。

 ジュースは酸味の強いベリー味でチーズは癖のないモッツァレラチーズみたいだった。

 行儀が悪いかもしれないと思いつつ、雑穀が多めの香ばしい平パンをちぎってミルク粥に浸して食べる。うまいな、これならこの世界で生きていけそうだ。


 綺麗に平らげると今まで一言も発していなかった品のいい老人が穏やかに話しかけてきた。

「私はこのプリムム村の村長ドミニス。こちらはこの宿屋の主人ジョイスです。今から、少しあなた様の事情を伺っても良いでしょうか?」



 事前に色々考えた結果俺は正直に何もわからない、記憶喪失だということにした。

 とりあえず、ステータスに表記されている通り、カンナヅキと名乗っておく。

「それが……自分はこの世界に関する記憶が何もないのです。どこからきたのか、何故あんな大怪我をしていたのか……まるでわからないのです」

 これは嘘ではない。よくわからない魔法みたいなものがあるこの世界で嘘をつくリスクは大きそうだし、そもそも俺は嘘つきの才能はない。それにこの人たちの俺に対する気遣いが本当に心配してくれている人のそれであることは感じていた。でも今全てを打ち明ける必要も感じなかった。

「なるほど……あれほどの怪我をするほどの事象に巻き込まれたのなら無理からぬことかもしれません……」

「逆にお聞きしたいのですが俺は一体どういう状態で発見されたのでしょうか?目が覚めたらこの部屋にいたので……」

 すると村長は俺が発見された時のことを話してくれた。


 この村はかつては初級者向けダンジョンのある街として大変栄えたが、効率のいいダンジョンが他の地方に発見されたのもあり、次第に寂れていった。そして30年前に王国の行政整理によって転移門が閉ざされ、今では過疎化が進んだ村となった。

 だが先日、閉ざされたはずの転移門から客が来たという通知が届き、驚いて駆けつけるとそこに重傷で死にかけた俺がいたということらしい。

「……やっぱり何が何だかわからないな……」

「まぁ、あまり深刻にならずに、カンナヅキ殿……落ち着かれるまでこの村におられればよろしいでしょう」

 俺は少し考えて、“担当者”が来る予定だったことを思い出した。どういう人が来るのかまではわからないが。

「十日前後の間に誰かが俺を訪ねてくるかもしれません。そういう内容の通知を受け取りました」

「ほう。その方なら詳しい事情をご存知かもしれませんね」

 村長はジョイスの方を向いて二人は頷いた。

「最近森の様子がおかしい。人間領域で何かがあったのは間違いなさそうだ」



 治療と面談を終えて、村長とモナ先生は帰っていった。

 ダンジョン、王国、転移門……そして人間領域。わからない言葉だらけだった。それはおいおい解明していこう。

 俺はジョイスにお礼として銀貨を数枚を渡そうとするが、彼は驚いて最初は受け取ろうとしなかった。

「だから、そういうのは後でいいんだ!やめてくれ!」

「後だと忘れるかもしれないから、今受け取ってくださいよ!じゃなければ治療費としてモナ先生に渡しください!」

「受け取っとけばいいじゃん……お父さん」

 俺は半ば押し付けるようにジョイスに銀貨を渡し、サリシスにバランスバーを数本渡す。

「何これ?お菓子?わぁ、ありがとう!」

「……あのなぁ、こういう希少品は人目に触れるところに出すな!俺が悪人だったらお前の身ぐるみはいでるところだぞ」

 俺が要領得ない顔をしていると、ジョイスはこの世界には2種類の貨幣があることを教えてくれた。

 一つは“キャッシュ”でステータス画面でCの数値で表されている。普段の生活で使われるのはほとんどがこれらしい。話の内容から察すると実体のない貨幣、システム上でやり取りする電子マネーのようなものらしい。

「じゃあ、銀貨は何なんですか?」

「銀貨は人間領域の行商人や闇社会の連中と取引するのに使うもんだ。キャッシュに変換はできるが、逆はできない」

 またでた、人間領域。なんか常識っぽい言葉って逆に聞きにくいんだよな……だが、意を決して聞いてみる。

「あの……人間領域って何か聞いてもいいですか?」

「あー……まぁ、そうか……こっちが勝手に言ってることだもんな……知らないのも無理はないか……」

 ジョイスはこの世界の情勢について簡単に教えてくれた。

「この大陸は大きく分けて二つに分かれている。大部分は支配種族が人間を治めている列強諸国。この国はその列強の一つで一番大きい国、龍王国だ。名前の通り、赤龍ガーラ様が統治している王国だ。他にはエルス族が支配しているエルス共和国とクォート族が支配しているメガロクォートがある。人間領域はそれ以外、人間が王を自称して統治している小さな国が数多くある領域だ」

 なんと、この国は龍が王様らしい。他のエルス族とかクォート族ってのはよくわからないな。どうも人間じゃないみたいだが……。

「列強諸国は支配種族が強大な力とシステムを駆使して人間を統治している平和な国々で、人間領域はシステムの管理外で多くの国に分かれていつもどこかで戦争をしている、という状況だ」

 へー、と話を聞いていて、ふと気がついた。あれ?ジョイスと村長は俺が人間領域から来たと思ってるのかな?若干引っかかるところもあるが、今の所そこそこ友好的なのでそれでもいいか、異世界から来ましたー、と正直に説明するのも面倒だし。

「この村は大きな森を挟んでるが人間領域に比較的近いところにある。もっとも奴らには支配種族に対抗できる力はないので森の奥にさえ行かなければ安全だった。だがここのところおかしな輩や怪物の目撃談が相次いている。あまり森には近づかないでくれ」


 その日はいい気分だった。怪我から回復して体調も良くなって、現地人から情報収拾してこの世界のことが少し分かって安心して就寝した。



 次の日目が覚めて寝ぼけ眼でステータス画面をチェックしてインベントリを開いた俺は凍りついた。


 昨日使って減ったはずの銀貨とバランスバーの個数が元に戻っていたのだ。


「はぁ???」


 確かに昨日俺は、ジョイスに銀貨数枚とサリシスにバランスバー数本、それと試しに銀貨十枚をキャッシュに変換し、銀貨一枚が五千Cになるのを確認して、寝る前にバランスバーを二本食べて寝た。

 にも関わらず、それらのアイテムの個数がインベントリを最初に開いたときの個数に戻っていたのだ。

「……まじでヤバくないか……」

 俺はこの世界のことをよく知らない。この世界のシステムのことも……そもそも不具合に巻き込まれる形でこの世界に来た俺としてはシステムをどの程度信頼していいのかますますわからなくなった。

「なんていうか、このシステムバグってんじゃないのか……」

 俺の脳裏に電話業務のバイトをしていた時にネットショップの誤表記が原因の“祭り”で生じた悪質顧客の対応をした時の記憶が蘇る。

 いくらシステムで“出来た”からといっても悪意を持ってそれを利用したら、相応の報いがあるものなのだ。

「これ……インベントリは事態を把握するまで下手にいじらない方が無難だろうな……しばらく触りたくない……」

 それと俺はまだこの世界がゲームである可能性も捨ててはいない。

 これがただの表示バグならまだいいが、欲を出して無限増殖なんかやった結果、世界がフリーズしたり最悪、崩壊でもしたら目も当てられない。


 と、なると当座の生活費をどうするかの問題が出てくる訳で……。



「お願いします!!この通りです!!」

 俺はジョイスに九十度のお辞儀で頼み込んだ。

「しばらくここで働かせてください!お願いします!!」

 ジョイスはなぜか青い顔で困惑していた。

「いや……その……なんだ……ええぇ……」

「皿洗いでも掃除でもなんでもします!お願いします!」

「……ああ……まいったなぁ……」

 ジョイスは額に手を当てて悩んでいた。

「人手が足りてないんだから、手伝ってもらえば?」

 サリシスが助け舟を出してくれた。

「そうなのか?」

「あたしとお父さんとおばあちゃんの三人しかいないから。お父さんが厨房でおばあちゃんが宿屋でホールの方が実質あたし一人でちょっときついし。朝と昼はまだいいけど夜がね、この村お酒好きな人が多いから」

「……お前は口を挟むなよぉ……」

 この宿屋はいわゆるInnという中世ヨーロッパにあった大衆居酒屋と宿屋が合体した施設らしい。

「お願いします、ジョイスさん。ご迷惑かもしれませんがお願いします!!」

 俺はジョイスの肩を掴んで必死の眼差しで訴えかけながら揺さぶった。

 彼は俺の勢いに根負けて渋々うなづいた。

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