■000――プロローグ
俺の名は神無月了。
職業は小説家だ。
寡作気味の新進気鋭のミステリ作家から中堅作家に移行途中だ。
大学時代にミス研の会誌で書いた短編が思いの外好評で、先輩の勧めで大幅に手を入れて長編にした作品を出版社に投稿したところ、ミステリ作家の登竜門として名高いアスタロト賞に入賞し、卒業後はミステリ作家として活動している。
ミステリ作家としてはマニア向けで読み手を選ぶとの評価が多く正直あまり売れてない。
だが、担当の編集者は面倒見がよく、別名義で様々なジャンルの作品を書くことを提案してくれた。
ミステリ以外の小説を書くことに抵抗はなかったので、機会があればなんでも挑戦した。
ラノベ、児童小説、少女小説、ホラー、SF……依頼があればなんでも書いた。
そのおかげで、なんとか作家業だけで生活できるだけの収入を得られるようになったが、デビュー当時はカツカツでバイトでギリギリ食いつないでいた。
俺はベランダからコーヒーを飲みながら景色を見渡した。
かつて空がないと形容された東京の空だ。
雲の流れる様をぼんやり見ていると、スマホの着信音に取り留めのない思索を遮られた。
「かよさんからか……また立会いかぁ」
この人と俺との関係は表向きは遠縁の親戚だが、血縁上は祖母に当たる。
デビュー当時、住んでいたアパートの家賃を滞納していた頃、人づてに旧家・六院家の大奥様――かよさんに会いたい旨を伝えられた。
この辺の事情を説明するには俺の出自を説明する必要がある。
二十数年前、母は大学時代に六院皆伝という男と恋に落ち婚約する。
二人は当時大学で神話の研究をしていたが、六院皆伝は経営学を学ぶべくアメリカ留学するよう本家から要請される。
彼は渋々この要請を受け入れ、母とともにアメリカに渡り、名門大学のMBAを取得する。
そして大学の友人たちとともにベンチャー起業を立ち上げるが、六院家から猛反対を受け、日本に戻らなければ勘当するとの通達を受ける。
その二択を突きつけられた彼は六院家との縁を断ち、以後和解することはなかった。
母はこの時点で父と婚約解消し、帰国後間も無く俺を出産して神無月三郎と結婚した。
俺は母の連れ子であったが養父には腹違いの弟二人と同等に大事に育てられた。
家族との思い出は暖かかいものばかりだが、親戚や近所の人は俺に冷たかった。
幼少の頃から俺が連れ子で将来は神無月家に居場所はなくいずれ出ていかなければならないことをご丁寧に説明してくれたのだ。
当時はなんでわざわざこんな露悪的なことを子供に言うのか不思議だったが、今思えば格上の六院家との関わりの大きい自分に警戒していたのだろうなということはわかる。
しかも六院皆伝の立ち上げた企業ミステックテクノロジーが革新的技術力であっという間に世界的大企業にのし上がったのも大きい。
後で知ったが親戚の中には養父の会社を俺に継がせようと考えるものもいたようなのだ。
もっとも俺は生まれてこのかた実父とは面識すらない。
俺が作家デビューした後、母と養父が交通事故で亡くなってしばらくたった後、六院家の大奥様である、“かよさん”に会う機会が少しづつ増えていた。
家賃を滞納して住むところに困っていた頃、彼女がいくつか持っている不動産の中で借り手が見つからない部屋を提供してもらった。
それが今住んでいるこのマンションだ。
自分の血に連なるものが現役の作家として活動しているのをささやかに援助したいとのことだが、その部屋が事故物件の可能性を考えるほど欠点のない都内の2LDKのマンションで正直ささやかの範疇を超えてるように思えた。
だが経済的に困窮しており実家にも頼れない中で、名家の大奥様だから金と財産を持て余しているのだろうな、と勝手に納得して好意に甘えていた。
そういう訳で俺は大奥様には大変お世話になっており、何かを頼まれたらそれを優先せねばならない状況ではある。
「つぐみの機嫌が良ければいいんだが……」
俺の気分は東京の鉛色の空のように重くなった。
□
大奥様には俺の他にも面倒を見ている親戚の子が何人かいてその一人に後藤つぐみという女がいる。
民俗学を専攻している大学院生で年上だが美人だなって第一印象。
長い黒髪に整った顔立ち。透き通った茶色の瞳からは知性があふれていて、豊かな胸をおおうノースリーブのブラウスから白い腕がほっそりした指先まで伸びていた。
俺ほどではないが平均より頭一つ抜けるくらいの長身で街を歩けば誰でも振り返るくらい恵まれた容姿だった。
彼女は六院家に伝わるマレビト伝説を研究対象にしており定期的に六院家所有の蔵に立ち入るのだが気がつくとその場の立会いを俺がすることになっていた。
最初のうちは大奥様が立ち会う予定だったが急な予定が入ったとかそんな感じだったが、それが何度か続くとさすがに鈍い俺でも状況を理解した。
大奥様としては二人ともいい歳なんだし何度か顔合わせてるうちに……とかそんな思惑なんだろう。
ただこのつぐみという女、俺への当たりがキツいのである。
まぁ、俺は美男子ではないし愛想もないからそういう男を押し付けられそうになってイラっとしてるとは思うがそれにしてもちょっとひどい。
今日も夕暮れを過ぎた蔵の中でアラサーの男女二人の殺伐とした会話が始まる。
□
「その後ろ髪見るとハサミでざっくり切りたくなるのよね。しかも私より髪質いいのもムカつくし」
「シャンプーの銘柄には気を使ってるからな」
俺は手に持ってるドラッグストアの袋を掲げた。
「売れっ子作家様は優雅でいいわねー。こっちは講義準備と論文執筆で寝る暇もないというのに」
「……嫌味かよ……」
この女直近で出た新刊の売れ行きがイマイチなのを知ってて言うか普通。
「どうせ次回作で帳尻合わせるんでしょ。本気で書いたのより適当に書いた作品の方が受けがいいのなんてよくある話だし」
実際、神無月名義の名探偵シリーズより遠田留美名義の「どきどき★ミステリーツアー」通称どきミスシリーズの方が売り上げは良い。
ミステリ要素薄めのいわゆるラノベだ。あとこれは俺のプロとしての矜持だが決して適当に書いてない。
ミステリ入門用に広く浅くを心がけているだけだ。
現在アニメ化の企画も立ち上がっていて、この流れで出版社から遠田名義で今流行りの異世界転生物の新作を書かないかと打診されている。
「……まだ書くって決まってない。正直ジャンルとして興味ないし。ましてや現実の人間だってよくわからないのに異世界の人間の考えていることなんてわかるか」
デビュー作で多くの批評家たちに「人間が描けてない」と叩かれたのは今だに小さなトラウマになっている。
「わからないんじゃなくってわかろうとしないんじゃないの?了ちゃんって自分のこと以外全部他人事でしょ。だから友達も彼女もいないんじゃない?」
とまぁ、大体顔をあわせるといつもこんな感じの応報になる。
仲がいいとは言えないが険悪までではなく、よく言えば遠慮がない関係とも言える……かなりポジティブな表現だが。
アカハラすれすれのストレス過多の文系大学院生生活の鬱憤をここぞとばかりに解消するべく俺をサンドバッグにするのは勘弁してほしいがこちらとしては別に悪意はない。
結婚したいとまでは思えないが。
大奥様に対して不義理にならない程度に暗黙の了解でほどほどの距離感を取っているという共犯者めいた感覚はお互いにあった。
多分このままの状態が数年続いて且つ二人とも独身で付き合っている相手もいないままだったらなんとなく妥協的に結婚という可能性もあったかもしれない、が……。
「そう言えばモモちゃんとはどうなの?了ちゃんから誘って見たら?」
「俺はファンを大事にする系作家なんだよ。相手はまだ学生だぞ」
「固いわねー。別にいいじゃない未成年でもないんだし」
そう、俺には気になっている娘がいる。伊豆見もも。
十九歳の美術専門学校生で俺のファン。
初めてあったのは書店のサイン会で人間の顔と名前を覚えるのが苦手な俺でも初見で覚えた。
ピンクに染めた髪に紺色のブレザーにチェック柄のミニスカートと帽子の美少女。
アイドルグループのセンターで歌って踊っててもおかしくない娘だった。
その後もイベントの度に瞳の星を輝かせながら「応援してます!!」と熱烈なアピールを繰り出していた。
そしてカルチャーセンターの小説講座の最前列に陣取ってた時に思い切ってランチに誘ってみたのがきっかけでメールのやり取りをするようになった。
「先生のデビュー作を読んで私感動したんです!こんな技巧を尽くしたお話がこの世にあるなんて!」
「頭の固い批評家の人がリアリティがないとか的外れなこと言ってますけど小説なんて基本作り話なんだから面白い方が正義に決まってますよね!」
「中盤の叔母さんの何気ないセリフの解釈によってはそれまでに語られてきた話の意味が全部変わっちゃうとことかもう最高です!!」
「『奈落』でラスト生き残ったのが東雲って説がネットでは優勢だけど私は違うと思うんですよね。何故ならば――(以下高速早口)」
今思えばかなり失礼だが、俺は話を聞くまで、彼女は雰囲気で読んでいるタイプと勝手に想像していたが、こちらの想定以上に全作品を意外なほどしっかり読みこんでいてかなり驚かされた。
もっともあまり深く考えないで書いたところまでも深読みで緻密な伏線に脳内補完しているところは逆に参考になった。
そして彼女の話にはしばしば『ネットの評判』が登場してくるが俺はそれが何なのか知っている。
俺の非公認ファンクラブのサイトのフォーラムのことだ。自分の名前をネットでエゴサーチした時に見つけ時折ROMってる。
そのフォーラムで『狂信者』と呼ばれるメンバー、『黒うさぎ』『さんすと』『森亭』『猫戦車』『8ポチ』の中でも一番ヤバいと見なされている『黒うさぎ』が彼女のハンドルだと予想している。
俺の三作目の『奈落』のラストの解釈をめぐって大論争が巻きおこりフォーラムがまともに機能しない状態が十日間以上続いた、後に“血の十日間戦争”と呼ばれる事件の中心人物でもある。
あのリロードするたびに未読が増えていきその全てが煽りと激論に燃え上がってた様は気が気ではなかったし、その間ずっと頭を抱えていた。
でも炎上のおかげかどうかはわわからないが重版がかかったのは良かった。
多少行きすぎてるとはいえこうした熱心なファンの存在がなかったら創作のモチベーションは保ててなかったろうなとも思っている。
ファンには感謝の気持ちしかない。
「はいはい、リア充乙。それよりあの戸棚の上の資料取って欲しいんだけど」
「自分から振っといて雑に流すなよ」
「誕生日プレゼントの相互交換までしてて何言ってるのよ。了ちゃんがヘタレなだけでしょ」
「その節はお世話になりました」
戸棚の上にあった埃まみれの古文書を恭しく差し出した。十代の女の子が喜びそうなものなんてコミュ障には検討もつかないのだ。
「わかろうとする気持ちさえあればこういう古い資料からだって当時の人の息遣いまで感じ取れるのよ」
うっとりとした表情でつぐみは古文書に目を通す。
「マレビトという異界からの客が現地に与えた影響と日常が変化する様を想像するだけでドキドキするわぁ」
「それにしても民俗学のフィールドワークってもっと足を使って広い範囲を取材するもんだと思ってたが、この蔵だけで材料が足りるのか?」
「そういうのも必要ならやってるけど……少しは民俗学のことを知ってるようね。もしかして興味湧いてきた?」
「母さんが大学時代そういうのやってたらしいからな」
「そうなんだ、初めて聞いた。六院家のマレビト伝説はちょっと他と違うパターンなの。謎な部分が多いというか。六院の大奥様から他のマレビト伝承との差異を重点的に調べてほしいとの依頼なのよね。それで毎月援助受けてるようなものだから調査にも身が入るわよ」
「趣味で人んちの蔵漁ってるわけじゃないんだな」
「こーら。ふざけないでよ、もう」
「わかったわかった。というか腹減ったなー……」
「じゃあ、この後ご飯食べてこうか。お寿司屋さんのクーポンがあるけど」
「いいね」俺は指をパチンと鳴らした。
「回転寿司だけどね。あ、もちろん割り勘だからね。安心して?」
「売れっ子作家様カッコワライだからそのくらいおごれるよ。苦学生に無理させるつもりはない」
「やっさしー。じゃあお言葉に甘えて栄養補給するわ。お酒飲んでいい?」
「酔っ払いの介抱するつもりはないからな!ダメだ!!」
砕けたやり取りで少し心が晴れた気がする。物心ついた頃から引っかかっていた異物感の正体。
『他人を理解しようとする気持ち』
自分にはそれが欠けているような気がしてならない。
もしも俺が……俺自身がマレビトであったなら……そんな気持ちが自然に湧いてくるのであろうか。
突然、
蔵の奥まで光が満ちた。その直後、落雷の音で建物が振動し、電灯が瞬き消え、辺り闇に包まれた。
「停電か?」
「だとしたら非常灯に切り替わるはずだけど……」
神話の時代から続く遺物が詰まった旧家の蔵の中は足元の非常灯に照らされ世界から切り離された聖域のようだった。
俺は蔵の奥にぼんやりと輝く物体に気づいた。
「なんだあれ?」
それは高さ二mほどの金属製のオブジェだった。
「銅鐸……かな?」
「教科書に載ってるのとは違うな……」
金属でできた太い柱状の物体は表面に複雑な模様が刻まれ最上部には観音像が添えられていた。
トーテムポールを東洋的にアレンジしたような物体だった。
「こんなのこの蔵にあったかしら……?」
暗闇の蔵は不気味なほど静まり返っていた。その静寂のノイズの奥に讃美歌めいた幻聴を聞いた。美しい幻聴は次第に増幅して脳内に鳴り響き、俺の体はその源に誘い込まれるように近づいていった。
幻想的な佇まいに魅入られるように俺は光る金属に手を触れた。
その瞬間、物体の輝きが増し、地面に魔法陣のような光る紋様が浮かび俺の体を精査するように通過した。
「了ちゃん!!!」
超自然的な力によって強引にどこかへ吸い込まれる感触を最後に俺は気を失った。
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