Cloud Collector

きさらぎみやび

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 昨日、雲を集めている人に出会った。



 夏休み最後の日。なんとなく寂しいような気持ちに駆られて僕は自転車に乗って用もなく浜辺へ行った。海岸沿いの道を走っていると、浜辺にはクラゲにも負けずにまだ海水浴を楽しんでいる人たちもいて、思ったよりもにぎやかだった。



 その人はそんな海を楽しむ人たちから離れた防波堤の端に立って、先端に鉤のついた長い棒を空に向かって振り回していた。

 背中にはリュックサックを背負い、腰には虫カゴを下げている。


 上をずっと向いているから、足元がお留守になっていて今にも防波堤から落ちそうなほどにぎりぎりのところに立っている。


 だけどいったい何をしているのだろう?


 防波堤で釣りをする人は珍しくないし、僕も友達に誘われたときはお父さんの釣り竿を借りて見よう見まねで釣りをしたりする。上手いこと魚がかかれば最後は網ですくうのだけど、そんな様子でもない。ひたすら上を向いてふらふらと棒を振り回している。

 何か虫でも捕まえているのだろうか。

 その人自身もとても細い体だったから、棒が棒を振り回しているようでなんだか可笑しかった。


 僕は興味を引かれて、自転車を防波堤の入り口に停めるとその人へと近づいていった。棒を振り回すのに夢中で近づいていく僕に気づく様子はない。僕は思い切ってその人に声をかけた。


「あの、いったい何してるんですか?」


 僕にまったく気づいていなかったその人は、いきなり声をかけられたからかとてもびっくりした様子で、わあ、と叫ぶと数歩たたらを踏んだ。

 海に落ちそうになったその人のベルトを、僕は慌てて掴んで支える。僕でも支えられるくらいに体重の軽い人だった。お母さんより軽いかも。


「ああ、びっくりした。あやうく海に落ちるところでした。助けてくれてどうもありがとうございます」

「あ、はい。どういたしまして」


 海に落ちそうになったのも僕のせいだと思うのだけど、その人がぺこりと頭を下げてお礼を言ってきたので思わず返事をしてしまった。


「あの、それでいったい何をしているんですか?釣りじゃないですよね」

「いえ、はい、その、釣りみたいなものです」

「?」


 ハテナマークを頭に浮かべた僕の様子をみて、その人はこう言ったのだ。


「もう夏も終わりですからね。入道雲を集めているのです」

「その棒でですか?」

「そうです。これで引っ掛けて雲を集めるのです。今日はだいぶ集まりました」


 ほら、と言ってその人は腰に下げていた虫カゴのようなものを小さく開けて僕に見せてくれた。僕が覗き込むと、中にはふわふわとしたわた菓子みたいな雲が詰まっていた。もっと良く見ようとして手を伸ばすと、そっとその手を押さえられた。


「あまり大きく開けると、雲が逃げてしまうのです」

「逃げる?」

「はい。ふわりと消えてしまいます」

「雲を集めてどうするんですか」

「家で眺めるのです。楽しいですよ。余った雲は売るのです」

「雲って売れるんですか?」

「珍しいものだと売れたりします。かなとこ雲などはちょっと前まではもの珍しかったのですが、最近はずいぶん取れるようになりまして、だいぶお安くなってしまいました」


 その人はしょんぼりとした様子で悲しげに言う。飼ってたカブトムシが死んじゃった時の弟みたいだった。僕は気になった言葉があったので聞いてみる。


「かなとこ雲ってなんですか?」

「おやご存じない?かなとこ雲っていうのはですね、こう夏のもくもくした雲のてっぺんが平たくなっている雲の事です」

「ジブリの映画でみたことある気がします」

「たぶんそれです」


 その人は普通の大人とは違って、お父さんみたいな毎日電車に乗って会社に行く仕事をしている人にはあまり見えなかった。

 いったい普段は何をしている人なんだろう?


「いつも入道雲を集めているんですか」

「入道雲は夏だけです。秋にはいわし雲を集めるのです。あれは脂がのっていて美味しいのです」

「え、曇って食べられるんですか?」

「専門の調理人がいるのです。その人に頼めば美味しく調理してくれます」

「へー、食べてみたいです」

「残念ながらとてもお高いのです。簡単には食べられません。入道雲をたくさん集めれば頼めるかもしれませんが」

「あの、ぼく、雲を取るのをお手伝いしましょうか?」


 お手伝いしたかったというより、僕も雲を捕まえてみたかった。いったいどんな感触がするのだろう。ふわふわしているのだろうか。意外と硬かったりするのかもしれない。しかしその人は申し訳なさそうに僕に言った。


「申し出はありがたいのですが、雲を捕まえるには身長が必要なのです。あなたの背ではまだ足りません」

「そっか、残念です」


 確かにその人はひょろりとしていてとても背が高かった。

 たとえ僕が大きくなってもとてもその人くらいの身長になれる気がしない。



 それから僕はクラウドコレクターと名乗ったその人が雲を集めるのを邪魔しないように、少し離れたところで雲を集める様子をじっと眺めていた。

 コレクターさんは棒を振り回したかと思うと、何かを掴んでカゴに入れる。僕には何も見えなかったけど、コレクターさんには雲が捕まったのが分かるらしい。コレクターさんが雲を捕まえるたびに、空の雲がどこかひとつ消えていた。



 お昼に近づいたころ、コレクターさんは雲を捕まえるのを切り上げた。


「今日はこれくらいにしておきます。あまり取りすぎると雲が無くなってしまいます」

「たくさん取れたみたいで良かったですね」

「はい。見物人がいると気合が入ります。見ていていただいてどうもありがとうございました。お近づきのしるしに、これを差し上げます」


 その人は背負っていた鞄から小さな缶を取りだして、僕に手渡した。


「雲の缶詰です。開けるときは注意してください。戸締りした部屋の中でないと雲がすぐに逃げてしまいます」

「ありがとうございます。楽しかったです」

「こちらこそ今日は楽しかったです」

「コレクターさんは明日も来るんですか?」

「いえ、明日からはまた別の所で雲を取ります。ここに来るのはまた来年です」


 ではまた来年、運がよければお会いしましょう、と言ってその人はひょろひょろと去っていった。


 僕はそのまま家に帰ると、親に見つからないようにこっそりと缶詰を自分の部屋に持ち込んだ。知らない人から物をもらったと言えば、きっと怒られるに決まっているからだ。


 そして2学期初日の今日、学校から帰ると机の引き出しにしまってあった缶詰を取りだして眺める。せっかくもらった缶詰だけど、もったいなくて開けられそうになかった。



 来年の夏、またあの人に会えるだろうか。

 次に会えたら、また缶詰をもらいたいな。


 季節はこれから秋へと向かっていくけど、僕はもう来年の夏が楽しみになっていた。


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