第49話 呪輪の鬼王-4

 頭を打ったせいか、目眩を起こしながらも俺はゆっくり立ち上がった。聖剣の恩恵で体調はすぐに回復し、リーナ王女を庇う様に前に出る。


 俺の背後でリーナ王女もふらふらしながら壁に手をついて立ち上がった。


 俺は地を砕いて降りてきた巨体を見上げ、戦慄する。


 全長三メートルはあるであろう体に、隆起した筋肉の丸太のような肢体。今までの鬼とは比べ物にならない太く巨大な角。激怒しているかのような血走った瞳。頭皮から伸びる鎖のような長い頭髪は、ジャラジャラと鳴らしながらそれぞれ意志があるかのように動く。


 奴の頭部から生えている鎖は、檻の中で俺に使われていたものと酷似している。あの魔力を封じる鎖はこの鬼の頭髪だったのか。


 あまりにもこいつは異形すぎた。


 睨み付けられただけで俺は、心をナイフで抉られたかのような気持ちになる。


 言われなくてもわかる。こいつが鬼王だ。


「食料が家畜を引き連れてどこに行くつもりだったのだ? 今晩は他の王を招いておる。ご馳走が逃げたとあってはワシの威厳がなくなるではないか」


 そこらにいた他の鬼と違い、流暢に言葉を話す。


 異形の鬼は脅しをかけるように広場にあった石像を持ち上げ、片手で握り潰した。そのまま破砕された石像を強靭な歯で嚙み砕き飲み込む。


 その光景を見て完全に戦意喪失した俺は小声でリーナ王女に話しかける。


「お、お前こんな奴相手に一人で立ち向かうつもりだったのか? もう少しまともに戦えそうな奴だと思ってたわ。逃げる以外の選択肢思い浮かばないんだが。逃げきれる気すらしないんだが」


「あの時はソフィアを助けなければならない使命感でどうかしてたわ。今思い出したけど、私が呼び出した勇者はこの鬼にミンチにされたの。秒殺だったわ」


 それ先に言えよ。家畜として過ごした方が平和かもしれない。


 とりあえず今できることはリーナ王女の転移魔法に頼ることくらいだ。


 俺がリーナ王女に転移を促すと、彼女は間をあけずにトントンと地面を踏み込む……しかし何も起こらなかった。


 よく見ると、地面を伝って伸びた鎖がリーナ王女の片足に絡みついている。次の瞬間にはリーナ王女が地面に転び、凄い勢いで鬼の元まで引きずられていった。


 俺はすぐに引きずられている彼女を追いかけ、超振動を起こした聖剣で鎖を切り裂いた。


 なんとか救出に成功する。


 だが、息を突く間もなく次から次へと鞭のようにしなる鎖が俺に襲い掛かって来た。俺は後退しながら鎖に直接触れないように処理していく。少しでも巻き付かれてしまえば、魔力を封じられ何もできなくなってしまう。


 何度切り裂いても鬼王の頭部からは新しい鎖が生えてくる。いったいどんな構造してるんだよ。


「ワシの髪を切るとは、なかなかの業物を持っておるのう。決めたぞ、今日からワシの宝物庫に飾ってやろう」


 そんなにほしいのなら、生きて元の世界まで帰してくれることを条件に譲ってあげてもいい。元々俺のものじゃないしな。


 俺に攻撃が集中しているうちにリーナ王女には離れてもらう。無理やりにでも敵の攻撃を俺に集中させる必要がある。彼女がいなければ、俺が逃げられなくなってしまう。


 無数の鎖をギリギリ処理している状態で、地中から嫌な振動を感知した。感知はできても対応はできない。地中から伸びてきた鎖が俺の腰に巻き付き、魔力が封じられてしまう。


 振動を失った聖剣は金属音を鳴らすだけで鎖を切り裂くことができなくなってしまった。聖剣に巻き付いた鎖に引っ張られ、俺は聖剣を手放してしまう。


 鎖に繋がれた俺の体は鬼を中心に回転するように振り回される。数回転した頃に俺の体は数十メートルの高さまで投げられてしまった。


 この高さから落ちたらただじゃ済まないだろう。重度によっては再生能力も間に合わない可能性があり、即死の可能性もある。


 考えてる時間は数秒しかなく、確実に速度を上げながら地面に落下していく。


 鎖の無い今なら能力が使える。やったことはないが、振動操作で地にぶつかる衝撃を可能な限り抑えてみるか。


 俺が生き残る為の可能性を見出した時に、鬼王は俺の落下地点の横に移動した。


 鬼王は興奮して舌で唇を舐めながら喜々とした表情で俺を見上げる。人間の五倍はある巨大な拳を握りしめ、わざとらしく腕を振り溜め始めた。


 再び俺は絶望する。鬼王は俺の落下を待たずして殴り殺すつもりだ。あんな大砲みたいな拳を受けたら破裂してしまうだろう。


 頭の中が真っ白になり、死を覚悟する。せめて楽に死ねますように。


 ……目の前の景色が変わる。


 俺は鬼王の後方でリーナ王女の横に立っていた。


「危なかったわね。もしもの時の為に、部屋で魔方陣をあなたに刻んでおいたのよ」


「なんというファインプレー」


 そういえば、俺が壁の木目に傷をつけてる時に頭を叩かれたな。その時か。


 鬼王はさっきまで俺がいた空間に拳を振るうところだった。何もない虚空を殴っただけなのに、破裂音が鳴り衝撃で風を巻き起こす。


 本当に当たらなくてよかった。


 また地中から振動を感知し、俺はリーナ王女を突き飛ばす。


 地中から現れた鎖を呼び戻した聖剣で切り裂く。


 転移で逃げる暇は与えてくれない。


 リーナ王女に意識を向けさせない為に、俺は聖剣を構え鬼王に接近していく。鬼王も同時に向ってくるが、一歩の大きさが違ってすぐに距離を詰められてしまった。


 リーナ王女は、魔法で作ったのか槍の形をした水を何度か鬼王にぶつけていたが、わずかばかりも鬼王の勢いが衰えるそぶりは全くない。周囲には水たまりができるだけだった。


「なんだこのぬるい攻撃は……雨でも降ったかのう!」


 もっとこう……なんとかならないのか。リーナ王女は悔しさに顔を歪める。


 あれが戦闘に不向きだという水属性の魔法か、納得だ。


 不運なことに水でぬかるんだ地面に足をとられ、俺は一人で転倒した。


 マジ水属性最悪だな。この世界で水属性が人権を確保できたことが不思議でならない。


 これでは体勢を整える前に鬼王の攻撃を受けてしまうだろう。そう思ったが、鬼王は俺から離れていきリーナ王女の方に向っていった。


 いつの間にかリーナ王女の腕には鎖が巻き付いている。


「未熟だのう。いかなる時も周りを見ていないからだ」


 俺に意識を向けさせてるつもりだったが、逆に俺の方が鬼王に意識を向け過ぎていた。


 間に合わない……リーナ王女も魔力を封じられ無防備だ。


 頭が真っ白になる。いや、駄目だ。今は俺だけの問題じゃない。頭を働かせろ。落ち着いて考えろ。リーナ王女は俺のように攻撃を受けても再生できる訳ではない。絶対に攻撃を回避させなければならない。今使えるものはなんだ。俺の能力と聖剣だ。この距離で聖剣にできることは何もない。頼れるのは能力だけだ。今振動操作できるものは空気とこの邪魔な水だけ。


 水……水がある。


 俺は水分子の振動を完全に停止させ、この広場の水たまり全てを凍結させる。


 リーナ王女までの距離を数歩分残して、鬼王は凍結した地面に足を滑らせ転倒した。転倒した拍子にリーナ王女に巻き付いた鎖が外れる。


「今すぐ可能な限り大量の水を作れ!」


「わかったわ!」


 リーナ王女は俺の指示に従い、球状の水を鬼王の上に作り出した。まだ足りないもっともっと多く。


 鬼王は足場が安定しないせいで、何度も転びそうになりながらゆっくり立ち上がる。


「今だ降ろせ!」


 鬼王を十分に包み込める程の球体となった水は、重力に従い鬼に降り注ぐ。この水だけで鬼王にダメージを与えられる訳ではない。


 鬼王を水が完全に包み込んだ瞬間、俺は水に片手を突っ込み……。


「エフェクトオオオオ!」


 俺は全力で気合をいれて能力を発動した。


 これだけの水を凍らせるには大量のエネルギーが必要になる。本来一人の人間では賄えない量だろう。だが、今の俺には鬼から吸収した大量の魔力がある。


 干からびたってかまわない。ありったけの魔力を能力に注ぎ込む。


 氷のドームが鬼王を閉じ込めた。


 鬼王を前にしてから俺は今初めて呼吸を整えることができた。


「やったわね!」


 リーナ王女がはしゃぎながら俺の元へ駆け寄ってきた。

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正義の味方? 悪の組織? いえ、怪盗です 夢川 浩樹 @sh2y6150

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