第26話 エピローグ

 青い夜を天使達が舞う天井画を支える四方の壁は、堅牢さを誇るだけのただの石壁だった。

 重厚な鉄扉から見て正面奥の檀上には、無駄な装飾を排した黒檀製の玉座。白地に翼持つ緑竜を描いた国旗が二本、交差した状態で玉座後方の壁に飾られていた。

 ヴァメルンとオルレーヌ双方の特徴を併せ持つ謁見の間の趣向は、玉座に座すユーグによるもの。その彼を護るべく、玉座を中心とした左右の壁には朱の立襟に薄灰の軍服姿の衛兵達が控えている。

 そして、檀上の段差の真下、鉄扉まで伸びる群青の絨毯に跪き白き頭を垂れるロビンへと、ユーグを始めこの場に集う者達全員の視線が集中していた。


 投げかけられる様々な視線に臆すことなく、顔を上げたロビンはユーグの琥珀色の双眸を真っ直ぐに見据えた。対するユーグは普段よりも一層眉間の皺を深くし、唇を固く引く結んでいる。常に冷静沈着、即決即断の彼にしては珍しく迷いを見せている。

 高まる一方の室内の不穏な空気など構わず、ロビンの背後では『早くしろよ』と言いたげに緑竜が脚を踏み鳴らしていた。


「陛下。貴方は約束をたがえる方ではないと固く信じてきたからこそ、今日こんにちまで僕は協力して参りました。オルレーヌとヴァメルン両国の平定及び統合という貴方の目的の為に。一〇年前、貴方が首を刎ねることなく僕を生かした理由もその為だと理解しています。平定、統合の後の建国以来五年、このリントヴルムの国家体制も充分整いました。もう僕の力など不要、あとは国王陛下や皆様のお力だけでやっていけると思います」

「確かに、お前の力に頼らずとも我々だけで国家運営できるだろう――、だが」


 ユーグの眼光の鋭さが増す。衛兵達の間に緊張が走る。

 玉座から立ち上がり、壇上から降りてつかつかとロビンの元へユーグが近付くごとに緊張は更に高まっていく。


「一〇年前にお前自身が言った言葉を忘れたか??『自らの復讐の為、利用し命を奪った者達への贖罪のつもりでジャン=ユーグ殿に協力する』と。たかが一〇年程度で償ったとでも言うのか??」

「そ、れは……」


 言葉を詰まらせるロビンの喉元に引き抜いた剣を突きつける。照度類の光で鈍く輝く剣先に顎を乗せられ、ロビンは苦しげに小さく呻いた。

 返答次第では今度こそ首を刎ねられる。もしくは何らかの刑を言い渡され、再び牢屋に収監されるのか。息詰まらせて成り行きを見守る衛兵達の喉を鳴らす音、一人二人だけじゃない、何人分かの音が聞こえてくる。ユーグの表情も険しさを増し、場の緊張が最高潮に達したその時――


「エンゾ、大人しくして!炎を吐いちゃダメ!!」


 突然、緑竜が後ろ足で立ち上がり、威嚇の咆哮を上げた。元の面影を唯一残す栗色の瞳が真っ赤に血走っている。

 ユーグの剣が顎からほんの少し離れた隙に、慌てて緑竜の胴にしがみつく。フシュ―フシュ―と鼻息荒く翼を広げる緑竜はぎろり、血走ったままの目でユーグを睨み下ろした。いつでも前脚で頭をカチ割ってやる、火炎で燃やしてやる準備は万端だと示すように。


「人だった頃の記憶も自我も消えた筈なのに、気性の荒さ激しさは相変わらず、か……」


 ロビンが害されることに関しては特に――、と心中で付け加えながらユーグは剣を収めた。


「国の象徴が王城で暴れたとなれば国家の威信が落ちる。約束を違えるような王の威信も落ち兼ねない。私の目的は確かに果たされた。よって一〇年前に交わした約束通り、本日付でお前を自由の身にしよう」

「ありがとうございます!」

「……と、いいたいところだが、国の象徴が永久に不在というのも困る。お前もお前で緑竜を手放す気は毛頭ないだろう??」

「そう、です、ね……」

 緑竜を御していたロビンの、限りなく透明に近い瞳が喜びに輝いたのも束の間、すぐに悄然と肩を落とすことに。

「だが、私個人でお前には大きな借りがある」


 借り……??と一瞬首を傾げたが、何とも形容しがたいユーグの複雑な表情を前に、思い至る。


 魔女・魔法使いは魔力を得るのと引き換えに生殖能力を失う。建国間もない国の王に世継ぎができないのは死活問題である。そこでロビンは秘密裏にユーグの魔力を封じ、只人に戻したのだ。


「『数か月に一度はリントヴルムに戻る』という条件付きになるが、お前を緑竜と共に自由の身にしよう。どこへでも好きなところへ行くがいい」

「ありがとうございます!」


 ロビンは再び跪くと深く深く頭を垂れる。さっきまで暴れる寸前だった緑竜も恭しく頭を垂れてみせる。

 意味が分かっているのか、分かっておらずロビンの真似をしただけなのか。ユーグの厳しい顔付きが僅かに緩む。




 常に付き纏っていた黒い鳥はどこかへ旅立った。

 黒い鳥というの名の不運はもう、僕の前から跡形もなく消えた。


















『ふふふ……、本当に??本当にそうでしょうか??』


 狭い地下牢、湿った石床の上を鼠が走り回る。


『あぁ、騒がしいですねぇ』


 パッと捕まえた鼠をぐしゃり、握りつぶす。

 暗闇に浮かぶ白い手が鮮血に染まる。

 血と同じく赤い髪の美少年は、何の感慨もなさげに死骸を放り投げた。


『かつての亡国オルレーヌの最後の国王ヴァンサンは愚か者だ。僕が生まれ落ちる前に、僕の母親コティヤール夫人ごと僕を消せば良かったというのに。はは、ははは……、愚かと言えば、リントヴルム王も同様ですねぇ!地下牢に監禁し、聖魔女ロビンの力で僕を抑え込んでいるつもりかもしれませんが』


 いかにロビンが生まれながらの魔女とはいえ、悪魔との混血児である自分には敵う訳がない……!


『ふふふ、今しばらくは大人しくしておいてあげましょうか。この地下牢の脱出などいつだってできるのですから』


 少年は闇の中、髪と同じ赤い瞳を爛々と輝かせ、掌に付着した血をぺろりと舐めた。







(了)

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ブラックバードのうた 青月クロエ @seigetsu_chloe

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