紫魔女

 紫魔女は香炉の蓋を開くと盛大に火を投下して、その杖を地面に突き刺した。

 即座に鼻がひん曲がるような悪臭が満ち始める。

「おえげっ!」

 クルスは思わず嘔吐した。

「悪いね!初めての奴にはきついかも知れなかったね!断っとけばよかったんだが、そんな余裕なかったね!」

 魔女はクルスの方を振り返ったが、それでも魔術の手を緩めなかった。

「いや、いい」

 クルスはうめくように返事をしてから手の甲で口元をぬぐった。

「クルス、これ使え」

 ベンドはそう言って汚い布きれを手渡してくれた。かく言うベンドも布で口元を覆っている。

「きたねぇ布だけど、獣避けの濃香よりはマシだって」

 クルスは水筒の水で口をすすいで水を吐き捨ててから、布を口元に巻いた。

「全く、新人だから仕方ないけど、準備が全然できてないと困るよ」

「す、すまない」

 クルスは申し訳なさそうに言った。今は必至で丸太を運ぶだけだ。

 

 今のクルスは現場で十分な戦力となりえるだけの技術力が無い。

 だから、指示に任せて丸太を担ぎ、固定し、周囲の様子に気を配ることしかできない。


 だが、香と紫魔女の放つ魔術によってこちらの方に近づいて来る獣は少なかった。

 

「全く、効かない奴らも多いね!」

 魔女はそう言いながら次々と火炎弾を打ち出した。

 かなりの回転で火炎弾を打ち出しており、それだけでもかなりの術師であることが理解できた。

 

 しかし、クルスはそんなことに構っている暇なかった。

 とにかく木材を積み上げ、組み上げ、壁を作り上げていかなくてはならない。

 口元を覆っているせいで呼吸も不自由だ。クルスは暑くなってきてコートを腰に巻き付け、ネクタイをワイシャツのボタンの間に突っ込んだ。

「だからそんな格好って言ったんだよ」

 ベンドは笑いながら言った。それでも、顔にはこの切迫した状況で手際よく作業しなければならないという緊張感が浮かび上がっていた。

 

 一方で、紫魔女も内心必死だった。

 かなりのペースで魔術による火炎弾を撃つのも、間合いには居られれば一巻の終わりだからだ。

 こけおどしでもいい。とにかく弾幕と香で獣を懐に跳び込ませないように必死だった。


 数時間にも感じられる数十分が過ぎた。 

 ゆっくりとした鐘が鳴り響いて後、もう一度同じリズムで鐘がゆっくり鳴った。

 一回目が撤退確認、二回目が安全確認を告げる鐘の音だということは、クルスにも理解できるようになってきた。


 紫魔女は魔術弾幕を終了し、杖の先の香炉に蓋をすると、一息をついた。

 事後作業班のメンバーの間に満ちていた緊張感のようなものも、少しだけほぐれたかのようだった。

 だからと言ってベンドは手を休めることは許してくれず、むしろ襲撃が無い分のペースアップを要求するのだった。


 そんな事後処理班をしり目に、紫魔女は伸びをした。

「まさか第二波が来るとはね。あたしも予想外だったよ」

「そりゃ、ここじゃ予想外が当たり前ですから」

 ベンドは肩をすくめながら言った。

「おやおや、ベンドくんもいうじゃぁないかぁ~。お姉さんはそう言うのも嫌いじゃないぞ~」

 紫魔女はなれなれしくベンドに絡んだ。

「や、やめてくださいよ」

 ベンドは照れたように言った。

 お調子者かと思っていたようだが、人並みの羞恥心はある様だ。


 紫魔女からベンドを解放する意味でも、クルスは紫魔女に声をかけた。

「なんでも使えるんだな。おかげで助かった」

 クルスは紫魔女の器用な魔術に敬意を表した。

「そうでしょうそうでしょう。もっと褒めてくれてもいいのよ」

 紫魔女は機嫌を良くしたように微笑んだ。

 もとから美人なだけに、笑みを浮かべるとなおの事美人に見える。

「あ~、なんだ。凄いと思ったよ。俺は魔術がからっきしなもんでな」

「あらそうなの?それなら暇があったら指南してあげるわよ」

 紫魔女はクルスの手を握った。手袋越しに握られたとはいえ、なんとなくクルスはドキッとしてしまった。

「ウフフ~、初心なのね~可愛いわ~」

 どこが紫魔女のお気に召したかはわからないが、クルスは紫魔女に気に入られた様だ。

「あ、そうだ。俺はクルスだ」

「私はヴァイオレット。気楽に姉さんと呼んでくれちゃっていいわよ」

 紫魔女はウィンク交じりに言った。

 クルスは改めて顔を赤らめて視線を逸らした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

防衛圏のクルス domustoX @domustoX

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る