第3話 たいせつな いのち


 月明かりがカーテンの隙間から差し込む中、一歳六ヶ月になったアキは、僕のほっぺたを叩いた。


「パパー、パパー」


 彼女の中では精一杯の声量で叫んでいる。部屋を暗くしても寝る様子がない彼女を見て、僕も妻も寝たふりを続けた。遊び相手が寝てしまったものだから、彼女にとっては一大事なのだろう。

 

 絶え間なく、僕のほっぺたを叩き続ける。しかし、その攻撃は痛くない。むしろ、小さな手で一生懸命起こそうとしているのを肌で感じ、愛おしさが叩かれるたびに増えていく。笑ってしまうのを堪えるのに必死だ。

 ここで笑ってしまえば、彼女はまだ遊び続けるだろう。睡眠リズムを整えてあげるためにも、僕は笑わないように我慢した。


 でも、この状況は彼女にとっては、いつしか感じたこの世の終わりに近いのではないだろうか。考えすぎなのだろうけど、もし、寝ている間に何かが起きてアキが死んでしまったら、彼女の最後は辛い気持ちで終わってしまう。


『1歳の女児がマンションから転落したことを受け、警察は殺人の容疑で母親を逮捕しました』


 夕方のニュースで耳にした女性アナウンサーの声が頭の中で再生された。おぞましいニュースだ。


 亡くなった子はきっとお母さんのことが好きなのに。アキが以前ベッドから落ちた時、抱え上げたら笑って喜んでいた。マンションから落とされた子も、もしかしたら亡くなる直前、空を飛んでいる感覚で喜んでいたかもしれない。もしくは、お母さんから離れていくことが悲しかったかもしれない。最期の痛みも表現できないものだろう。


 育てられないなら、子どもといるのが辛いなら、僕が育てたい。本当は経済的にも現実的ではない。ただ、素直にそう思う。


 それだけ自分や他人の子どもに愛情を持っている自分に驚きだが、そのニュースに登場するのが、自分だという可能性だってある。


「パパー」


 アキが叫んだ。僕はすぐさま起き上がり、アキを抱きしめた。


「ギュー」


 抱きしめられたアキはそう言いながら笑った。そして「ねんねしようね」と言うと頷き、僕の膝の上ですぐさま眠りに落ちた。

 きっと幸せな気持ちで眠りにつけたのだろう。

 

 今や自分よりも大切なこの命に、幸せを与え、守り続けたい。アキの温もりを感じながら、壁に寄りかかったまま、いつしか僕も眠っていた。

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きょうも おうちに かえろうね 春夏 秋冬 @syunka_syuto

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