講義の証明

 「先生が物語にも魂があるとお考えになる理由はなんですか?」


 「私はね、改めて考えてみたんだよ。魂の存在を人はどこから見出したのかについてね。それはきっと主観的に見た他者であって、客観的に見た自分ではないのだと思うんだよ」


 「それはまた・・どういう」


 「うん、さっきもそうだったけど私はあえてこう聞いた。私たちは互いに魂があることを認めている、と。どうして自分には魂がある、生きていると主張させなかったのかといえば、人には生きているかどうかを自分一人で見極めることが難しいからだと思うからなんだ」


 「それはつまり、僕自身が死んでいるか生きているか判断することはできないという事ですか?」


 「これは一つの思考実験みたいな想像だよ。もしかしたら私たちのいう生と死は本来逆なのかもしれない。生きている、死んでいるというのは対比することでしか分からない。私が生きていて君が死んでしまっている、またはその逆でしか私たちは主観的に自身の生命の有無を認知できない」


 「でもそれは魂の存在自体を証明するわけでも否定するわけでもないですよね」


 「そうだね、私の意見はあくまで魂は存在するというものだからね。ここで魂なんて存在しないなんて言うつもりはないよ」


 「ならどういった意味があるんですか?」

 

 「魂を見出すのは自分じゃなくて他人なんじゃないかと思うんだよ、私は」


 「では見出されなければ、そこには存在しないことになると?」


 「どうだろうか、私たちが魂の存在を疑わなかったように今考えてみるべきなのは、生き物ではないものにも魂があるのかどうかについてだと思う」


 「それがここでいう物語にも魂が存在するかどうか、につながる訳ですか?」


 「そうだと思いたいね」


 「あやふやですね」


 「これまでうまくいってたのが噓みたいだね」


 「それで、先生は魂をどのように考えているんですか?」


 「魂とは、個人が持つ他人に関する記憶、なんじゃないかと思うんだよ。さっき言ったように魂が他人に見出すことで生まれたものだとしたら、人工知能のような機械にだって魂を見出すことはできると思うんだよ」


 「そうだとして、他人に関する記憶とはどういうことですか?」


 「魂とは生きていることの証明であり、生きているという名残や残響のようなものでもある。記憶とはそれらを作り上げてくれている要素だと思うんだよ」


 「ではそれらの要素、つまり記憶があればどんなものにも魂が存在すると言いたいわけですか?」


 「そういう可能性を持ってもいいんじゃないかな」


 「それで先生は一体何をしたくてこの講義を開いたんですか?」


 「君はさっきから質問ばかりだね」


 「すいません、もうお時間もないみたいで」


 「そう。私含め多くの人が友達や恋人、そして家族ってものを求める流れがあるだろ?私自身もそういった流れに疑問を抱きつつもそこから外れられずにいるという悩みがあってね。最近になって人っていうのはこういう魂を欲しがる生き物なのかもなと思い始めてね。そういうことが言いたかったのかもね」


 「つまりここにいる僕や先生に魂は・・・


 「あるかどうかは読み手次第だけど、書き手にあるのは単なる承認欲求の意識だけだろうね」


 「僕は先生ではなく、あの人の被害者だったわけですね」


 「被害者?まぁそうだろうね。せめて生みの親ならそれなりに魂を見出せるくらいにはしてほしいね」


 「書き手に代わって謝罪します。すいませんでした」

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恥作 N教授のつまらない講義 ネコイル (猫頭鷹と海豚🦉&🐬) @Stupid_my_Life

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