第08話 夢の男

深夜。

横で眠る彼女が寝返り、無意識の彼女の腕が私を抱きしめてきた。

彼女の唇は、僕の耳に寝言を囁く。

何を言っているのか、最初は解らなかった。


「…ぅん…………た、く………ん……や…」


(たく?)


薄ぼんやりとしていた私の意識は一気に覚醒した。しかし、血液が凍ってしまったように、肉体が動かない。


たく──それは多分、彼女の元カレの事だ。

長く同棲していた拓也という男がいた事は聞いている。

つまらない男に引っ掛かってしまったのだ、と、あんな男を好きだった事が、自分の黒歴史だ、と。

彼女は、そう言っていた。


私達が出会ったのは、もういい大人になってからだから、そんな恋の失敗の一つや二つはあるものだ。


だが、夢の中の事とはいえ、私を拓也という男だと間違えて、抱き着いてきたのだとすれば、それは、なんともゾワゾワとした気持ち悪い感情が沸き立つ。


私は、布団の上に置かれた彼女の腕を彼女へと戻し、ついでに、自分の上にかかる布団をはがして、上半身を起こした。


真っ暗な室内ではあるが、彼女の表情ぐらいは解る。

眉根を寄せ、辛そうにも見える。

その表情の意味するところを考え、敗北感に押しつぶされそうになる。


私が半身を起こした事で彼女の身体が外気に触れ、寒かったからなのか、彼女の目は突然、カッと見開かれた。


ちょっと、ビビった。


目を開けたといっても、どうやら、彼女はまだ、自分が目覚めている事に気づいていないようだ。彼女もまた、ガバリと身体を起こすと、キョロキョロし始めた。


私と目が合って、ようやく、自分が今まで夢を見ていた事に気づいたようだ。大きく、深いため息を吐き出す。


「は~~~~~~っ。夢…か」


「ど、どうしたの?」


心底、安心している様な彼女に、私は聞いていた。

彼女が、今、目覚めてくれたのは、ラッキーな事かもしれない。

もし、夢の中とはいえ、言えない様な事をしていたのだとしても、今の彼女なら、正直に話してくれそうだ。それを聞いて、私がどう思うかは、聞いてみないと解らないが、取り合えず、真相は知りたい。


「聞いてくれる?」


「う、うん」


「あのね。前に付き合ってた彼氏がね、なんでか、そこにいたのね」


「…うん」


「だからね、私、ガラスのごっつい灰皿でね、元カレの頭を、思いっきり、ぶち殴ったんだけどね…」


(ん?)


「あいつ…その場で、ウンチ、漏らしやがったんだよ」


つまり何かな?

彼女が私を抱きしめた腕は、元カレの頭をぶち殴った証なのかな?

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千文字のアングル 久浩香 @id1621238

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