第07話 ちゃぶつ
その山の上にある寺は、藤の名所として地域では有名な寺だった。
幹生が初めて、その寺━━西輪寺で藤見をしたのは、ようやく言葉を話せだした頃の事だった。
毎年、その時期の日曜祭日には、寺の境内でおでんが売りに出されており、幹生は、母がそれを買ってくるのを待つ間、花を見上げる事もなく、拾った枝で地面を引っ掻いていた。
右手を父に、左手を母に握られて、石の階段を降りながら、
「僕、ここ、来た事、ある」
と、言った。
母の千津は
「あらぁ。幹生には、前世の記憶があるのかしら?」
と、笑顔を浮かべて我が子を見、次いで、
「ねぇ。あなた」
と、彼女の夫に向かって話しかけた。
それから5年ほど経た5月の晴れた日。
千津は、幹生と義妹の綾を連れて、西輪寺へと向かった。平日であったので、おでんは売っていないが、藤の花は見頃だろう。と、行く事にしたのだ。
千津が、後部座席に座った綾とばかり話している事自体も、幹生にとって異存は無かった。彼にとっての関心事は、寺の後に行くファミレスで、ステーキセットを注文する事と、外の風景だった。
五月蠅く話しかけられなくて、彼にとっては居心地が良かった。
ふと、会話が途切れ、綾はシートの背もたれに背中を預けて、外に目をやった。見上げた先に、目的地の西輪寺の屋根が見えた。
(あら?)
今迄、そんな事を気にした事は無かったのだが、屋根の上に、桃のような形状の物が乗っている。
「ねぇ。ねぇ。千津さん。あれ、何か解る?」
と、運転中の千津に問いかける。
そう言われた千津は、対向車や人影が無い事にも注意しながら、ハンドルの方に身を倒し、幹生越しに窓の外を見た。
客が入っているのかどうかも解らない喫茶店の向こうの山に、西輪寺の屋根が見えた。
「ちゃぶつ」
ボソリ。と、幹生が答えた。
綾は、
「え? 幹くん。あれの名前知ってたの? すごいねー。幹くん。おばちゃん、知らなかったよ。 へー。そっかあ。あれ、“ちゃぶつ”っていうんだー」
と、はしゃぎ、幹生を褒めた。
その様子を眺めた千津は、
「綾ちゃん。ごめん。ちょっと停めるね」
と、断って、車を路肩に停めると、ゲラがついて笑いこけた。
『ちゃぶつ』
寺の屋根にある物の名前を聞いて、“ぶつ”という言葉のつく言葉で返されれば、“ぶつ”を“仏”と漢字変換して、確かに、有り得そうな単語だ。
しかし、千津は、幹生の目に映る風景を見ていた。
通り過ぎた喫茶店の前には、『チャイム』という看板が立っていた。
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