第13話(約束と誓い)

 永遠の血を浄化した翌日。

 ローエは朝から冒険者ギルドに訪れていた。今日は、この国で二日ある休日の一日目。魔術都市の生徒も普段の授業を忘れて休みの時間を取る。魔術都市は、人の声が一つも聞こえない静寂に包まれていた。

 一方で、冒険者街はと言うと。休みとはいかず、普段とは違う賑わいを見せていた。長い帽子に、背丈程ある杖、足を隠せるくらいに伸ばした長い裾のローブ。箒を跨いで、室内を飛ぶ魔術師の姿で埋め尽くされていた。天井に届かないように高さも調整している。

 ちょっぴりヘンテコな魔術師たちを管理するギルド職員もまた同様に不思議だ。

 鏡に映したような反射した世界。逆さに備えられた受け付けカウンターに職員が座っていた。重力に逆らって、髪や服装がめくれ上がる事はなく、天井を足場として普通に過ごしている。魔術師は逆さまになった職員から鋼貨コインの受け取りや依頼の申し込みを行っていた。

 冒険者ギルド、魔術都市支部の名物。鏡面天井。

 魔術都市ならでは光景に思わず一目見上げてしまう。魔術都市支部に慣れない冒険者は思わず見上げてしまうだろう。

 そんな異質な冒険者ギルドを他所よそにローエはモルテと三度目の定例会が始まろうとしている。

「よう、ローエ。久しぶり」

 モルテとプリエはギルドの一角に用意された席に座っていた。

 ローエは二人が待つ席に寄って、適当な席に座った。

「師匠、プリエちゃん、久しぶりです。今日着いたんですか?」

 モルテがローエに挨拶をすると、彼女は二人の顔を見比べて返事をして向かいの席に座った。

「昨日だ。ちゃんと手紙は読んだぞ」

「良かったです。そしたら森の方にも?」

 ローエは他人の冒険者カードの冒険履歴を見たことは触れなかった。

「森にも行ったぞ。大きな問題はなかったな」

 モルテは詳しい状況を省いてローエに伝えた。

「これで終わったんですね」

「そうだな。終わりだ。これからどうする?」

「え、何がですか?」

「何がって、ローエの魔王と勇者は終わったんだ。もう俺の目的に付き合う必要ないだろう」

 モルテは優しく終わりを告げた。

 これ以上、人ならざる物たちに関わってしまってはローエの精神を一色に支配するだろう。幻想と現実の狭間はとても広く、見え方によっては狭い。境界は全体の理念と、個人が持つ信念に共感して形成された集団の総意の中にある。明確な境目など存在しない。良いも悪いも世界が識別し個に委ねられる。

 例えどんな理由があろうとも、同族殺しの汚名を授かり受けたローエにこれ以上の罪があるだろうか?

 勇者であろうとそれは変わらない。

 残りは償うか、再び繰り返すか。

 本人が気付くか分からない。

 新たな境界の始まり。そして終わりと果てのない永遠の世界が、ローエの中に生まれた。

 これ以上踏み外すのも、のめり込むのも危険だと、モルテは判断する。

 モルテは自ら誘った勇者と魔王の世界に、再びローエが入り込むことを拒んだ。

「いいえ、永遠の血を滅ぼすまで私は師匠について行きますよ。私、言いましたよね。師匠の救いになりたいと」

 人外への浸食は始まっていた。

 モルテが誘う勇者と魔王の世界は、人という基準をあやふやにし、外の景色を綺麗に見せた。そんな世界に惹かれてローエは自ら歩みを進める。

「本気だったんだな」

 モルテはその覚悟を確認した。

「私は本気ですよ」

 魔術の道を志す覚悟をした人間には今更だったのかもしれない。

 勇者と魔王が住まう伝説と人外の魔境。

 たとえ人を捨てた所で、魔術のために死ねる魔術師に関係はなかった。

「そうか」

「師匠、次は私どうしたら良いでしょうか?」

 嬉々としてローエはモルテに尋ねた。

「ただ、時が過ぎるのを待つ」

「それ、前にも言ってませんでした?」

「言ったけど。うーん」

 モルテは腕を組んで悩んでいる。

「遺物探しも、勇者探しも、進展ないからな。この機会にまずは古い友人にでも会ってみるか?」

「古い友人ですか?」

「うん、面白いやつだぞ。色々知っている。魔王も勇者も永遠の血も」

「師匠だって知っていますよね。それだったら師匠が私に教えて下さいよ」

「友人から聞いてくれ、俺の口から言いたくないこともある」

「師匠が良いです」

「嫌です」

「師匠お願いします」

「嫌です」

 頑なに拒否するモルテに、ローエが先に諦めた。プリエは目を閉じたまま話を聞いていた。二人の会話に参加するつもりはないらしい。

「分かりましたよ。そしたら師匠の友人に会いに行きます」

「頼んだぞ。先に学園長のところで話を聞くと早いかもしれない」

「じゃあ最初に会ってみます。ちなみに友人は何処に住んでいるんですか?」

「塔」

 この世界に一本しかない空への道標の名を教えた。

「禁止区域ですよね。私の冒険者ランクではあと数十年はかかりますよ」

 禁止区域の挑戦に許可される冒険者ランクは十から。ローエのランクは八。それなりの実績を積まなければ、禁止区域には挑めない。

「魔術都市に裏ルートがある。その裏ルートを学園長が知っているはずだから、聞きに行け。ちなみに、冒険者ギルド公認の依頼で行くわけじゃないから、禁止区域の踏破は記録されないから気をつけろよ」

「でも、ギルドカードに迷宮に入った記録は残りますよね。ばれたら私干されます」

 ローエは散々悪さをしてきたとされるデュカルの顔を思い浮かべる。

「禁止区域は冒険者ギルドの管理から逃れている。心配するな。行っても帰ってこれない冒険者の方が多いからな」

「さらっと凄い事いいましたね」

「それじゃあ、用も終わったし帰る」

 モルテとローエが席を立ちあがる。

「あ、待って下さい。次はいつ会えますか?」

「サントクリスの冒険者ギルド本部にいるから、いつでも遊びにおいで」

「分かりました!」

「それじゃあな」

「ローエ元気で」

「はい、二人とも元気で」

 プリエとモルテは席を立ち上がり、冒険者ギルドを先に去った。ローエは冒険者ギルドを出る二人を遠目から見送って、ローエはそのまま冒険者ギルドの席をに居座った。数日間見ていない、ある男を探して。


 ***


 時は過ぎ。夕方。休日の活動する冒険者も休日ということもあって早くに切り上げてしまったのだろう。早いうちに仕事を切り上げた冒険者たちは、仕事の疲れを忘れて夜の息抜きに全力を投じていた。

 長い時間待っていたローエは、うとうと首を振りこのように動かして必死に眠気を堪えていた。そんなローエを見た冒険者が声をかける。

「よ、疲れているのか」

 赤色のボールピアスを両耳に付けるデュカルがローエの席に座る。

「ちょっと色々あってね」

 ローエの酷いクマを見て、デュカルは少し心配になる。本人が話題にしないのならデュカルはそれ以上は効かなかった。デュカルは席に座らず立ったままローエとの会話を続けた。

「そうか」

「うん」

 二人の言葉が少し詰まる。

「お前との冒険楽しかったぜ」

「私も」

「さてと、魔王も片付いたし、俺はこの国から出るよ」

「もう出ちゃうの?」

「ああ、また魔王の手掛かりを探さなくちゃな」

「そっか。じゃあ見送ってあげる」

「そりゃあ、優しいな」

 そう言って二人は、冒険者ギルドの出口へ向かった。

 街は深い青と黒に包まれ、建物から漏れる微かな明かりの中を二人は並んで歩いた。すれ違う歩行者は冒険から返って来た者、長い夜に備えてこれから夜遊びをする魔術師たち。そんな騒々しい空気を体感して、より一層ローエは寂しさを噛みしめた。

 二人を包む重い空気に耐えかねてローエはデュカルに話しかけた。

「たった二回の冒険だったけど楽しかったね」

 寝ぼけていたのかローエは再び同じ話題をデュカルに言った。

「お前のおかけで、濃い一週間を過ごせた」

 旧都へクセレン。霧海むかいの森。たった二回。そのうちの一回は魔王を倒す冒険を経験した。泊まりこみのような長い旅はなかったが、それでも二人の記憶に深く刻まれていた。

「いっぱい話もした。仲間と一緒にする冒険の楽しさを知った。お互いの不満も言って、理解して、一緒に乗り越えた」

 ローエは嬉しそうにくるくる回る。

 ローエは泣き顔を見せないように回っている間、空を見上げていた。今日の空は、半分雲、半分星空。青い月も半月。

「正直、デュカルとの冒険は楽しかった」


 ひとしきり回り終わると、泣き顔を見せないように、顔を伏せてデュカルの隣を静かに歩く。

「そんな事言われると、お前との別れも寂しいな。俺はこうやってお前と冒険が出来て良かったよ」

「次行くあてはあるの?」

「決めてない。故郷に帰るか、また何処かで同じように魔王を探すだろうな」

「そっか」

 二人はお互いの顔を見ずに前を向いて会話をする。デュカルとの別れを惜しむローエの声には、普段のようなはきはきとした元気を感じられない。

 二人は無言のまま街の通りを歩いて、冒険者街の出入り口にたどり着いた。人気もすっかりなくなり、ここには二人だけしかいない。

 デュカルは立ち止まりローエの方を振り向いた。

「もうここでいいよ」

 どこか、別れを惜しむデュカル。初めて一緒に魔王を目指した仲間との別れ。相性も悪くない。本当は残って、一緒に魔王を探したい気持ちもある。だけど、デュカルは彼女の幸せのために別れを選ぶ。

「うん。持ち物は大丈夫?」

「大丈夫だよ。それじゃあ」

 デュカルがこの街を去ろうとすると、ローエは声を震えさせた。

「ま、待って」

「何だ?」

 ローエは少し照れ臭そうに両手で指をモジモジ動かし始める。

「あの時のこと忘れて欲しいなんて、虫の良い話はしない。嫌なら嫌ってはっきり断ってくれて大丈夫。魔王の知識があって、魔王を追っていて、魔王を倒すために一緒に戦った貴方だから誘っているの。私と一緒に魔王と勇者を探してみませんか?」

 勇気を振り絞ってローエはデュカルは冒険者で本格的に冒険活動することを誘った。

 それを聞いたデュカルの表情が変わった。目に力を入れて、ローエの顔を睨みつける。一拍置いて答えた。

「それは駄目だ」

「分かった。だけど理由を教えて」

 納得いかないローエ。自分から簡単には引かない。

「運命を信じるか?」

「そりゃあ、出会いなんて奇跡的な確率でしょ。運命はあると思うけど」

「これを聞いたら、否定せざるを得ないと思う」

「何よ?」

「魔王と勇者、たしかにお前はそう口にした。俺は魔王を探している。不自然だと思わなかったか?」

 何を不自然に思うのか。デュカルに気になる点は無かった。ローエは一緒に過ごした記憶を遡るが思いつきもしない。

「変なんて思わなかった。偶然が重なったんだって思った」

「魔王と勇者。これはセットだ。探すときに勇者だけ、魔王だけって言うのは極めて珍しいんだよ。その存在を知っていなければ、魔王だけなんて探せない。俺は知っていた。ローエが勇者であることを。だから俺は何度も声を掛けた」

 デュカルはローエが勇者であると断言した。

「え?」

 そのデュカルの言動にローエは戸惑いを隠せないでいた。ローエは自身が勇者である事を直接うち明かしてはいない。さらに、デュカルは勇者までも知っていた。最初に出会って、一緒に冒険して、魔王を倒した戦友。そんなデュカルに信頼を寄せるローエはかなり動揺した。

「この出会いは偶然でも奇跡なんかじゃない。運命という名の見えない力に導かれた必然の出会いなんだ」

「それじゃあ、あなたが別れ際に声を掛けたのは運命なの? それとも自分の意思なの?」

 この出会いが運命であるのなら、今日の出会いも運命なのか。引き合う定めにあるのならば、ここで別れるのは運命とは言い難い。

「自分の意思……」

「証明して」

 本人ですら説明できない、確証をローエは求めた。

「無理だ」

「証明しなさい」

 デュカルに強く求める。

「無理だって」

「証明しろ」

 そして再び強く求めた。

「無理だって言ってるだろ。今日の俺からの誘いは本当に関係ない……」

 出会いが運命か意思か、証明なんて出来ない。それを強要されたデュカルは困っている。

「それなら、今日の出会いは運命でも奇跡でも偶然でもないわ。この瞬間は私とあなただけの時間。私たちのモノよ。それをあなたは否定するの?」

「しねえよ。だけど、お前をこの先、おとぎ話の世界に巻き込むことになる。ある愚かな男がいた。その男は努力を才能って言葉で言いくるめような奴だ。その男は経験したんだ。望まぬ未来を、受け入れられない現実を、そして後悔した過去も山のようにある。全てはおとぎ話が決める永遠の物語ストーリーの中だった。これ以上関わったら、抜け出せなくなる。今なら間に合うから深く関わろうとはせず、手を引け! これを最後にして俺を忘れろ」

 デュカルは説得の最中、ローエの両肩を横から強引に掴んだ。

 ローエは拳を握り、食いしばる。

 下を向き、怒りを抑えるかのように我慢強く振る舞った。

「デュカルはその物語に救いがあると思う?」


「ねえよ。救いなんてねえよ」


 それを聞いたローエが次は感情をあらわにした。

 歯をむき出しにして大きく口を動かす。


「運命だ? 奇跡だ? 偶然だ? 始まろうとしている物語の果てに、救いがないなんて言うな!!!」

 ローエはデュカルの手を振り解いた。

「分かってる! そんなの分かってるんだよ! そんなふざけた運命も未来も現実も変えられないのは分かってる!」


 術式という仕組みを理解することに長けた彼女だからこそ、違和感なくデュカルの言うことが痛いほど分かった。

 デュカルは下を向いて、失意のどん底にいる。その意思は変えようとして、諦めて、負けて、挫折した者の末路、そのもの。同じ気持ちをローエも味わった。

 過去、現在、未来。

 運命、奇跡、偶然。

 複雑に絡んだ永遠。その全てを変えるために。

 自分と弟の物語とデュカルを重ねる。


「だから、私は勇者になった。救いを求めて苦しむ者達が迷わないように。物語の終わりに希望が見えるように。約束が現実になるように。全部まとめて、私が救ってやる!」


 それを聞いたデュカルは、瞳を潤ませてローエを見つめる。

「……この物語に救いはあるのか?」

「あるよ、必ず」

 ローエはデュカルの右手を無理矢理、両手で掴み上げた。デュカルは拒むことなく流れに身を任せる。

「なら、約束してくれ。必ず救うと」

「勇者の名のもとに。ローエ・フェルゴメドに誓って」

「ありがとう。ローエが勇者と魔王を求めるなら、俺は止めはしない。その果てなく無茶で無謀な挑戦に俺の力を必要とするならば、喜んで力を貸そう」

 ローエは手を離した。デュカルは自然と手を降ろして、決意に満ちた顔をする。

 デュカルは片膝をついて、頭を垂れた。

「我が名はデュカル・アーガヌアダ。我が信念と我が剣は貴方と共に」

「終わらせよう。永遠の物語を」

 見上げるデュカルの瞳に映るローエの姿は正しく勇者。その清らかな声にデュカルは心を満たした。

「ああ、勇者様」

「ほら、そんなとこで跪いてないでさっさと行こう」

 デュカルは息を吐きながら立ち上がった。

「どこに?」

「まずは腹ごしらえ」

 そう言って、二人はお気に入りのお店に向かった。

 冒険者街にぽつり、ぽつり、明かりが灯る。青く光る月が雲の一部を隠し、魔術都市に夜が訪れた。


 一瞬の憎しみ——了

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永遠の血、刹那の肉 あるまじろ @Qyuta

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