02 ラッセル殿下
ラッセル殿下にいただいた上着を纏いながら、私は街をフラフラと歩きました。
薄着の女に眉をひそめる方はまだいましたが、騎士の制服を羽織る女に無理に声をかけようとする者もおりませんでした。
ようやく見つけた一軒目の服屋のおばさんは、私に優しい春風のような目を向けていました。
この方のお店なら、大丈夫。私はなけなしのお金で、しっかりした服を買いました。
なるべく街を行き交う自分と同年代の女性と同じような服装になるように選びました。
全体的に落ち着いた色。膝上の靴下、胸まで覆うコルセット、そしてペチコートを着れば、私も普通の町娘に見えるでしょう。
お店のおばさんは何か複雑な事情を抱えているのだろうと同情してくれたようで、お金をちょっとだけ、まけてくれました。
ペコペコと頭を下げながら服屋を出ました。
これで騎士の制服を返しに行けます。
手に持ってうっかり落としてしまうのが怖かったのでもう一回、上着を着ました。
騎士の制服を羽織って、普通の服を着ている変な女に声をかけるものはいません。
かと言って乱暴に扱われたりもしません。
普通です。熱くも冷たくもない温度が私を見つめてきます。
こんなに普通な視線ばかりなのは久し振りです。
北の騎士寮はどこですか、と少し温かい目をした方に尋ねながら街を歩きます。
ちょっと珍しそうな顔をしながら、皆さん親切に道を教えてくれました。
王都に来てから、8年。王宮を出ずに聖女として仕えていた私にとって、街は新鮮な場所でした。
露天商を見る度、フラフラと吸い寄せられるように商品を見てしまいます。
特に目を惹いたのは食料でした。
「……ご飯」
思えば食事のことを心配したことはありませんでした。
昔は果物なんかを盗んでそのまま食べてましたし、王宮に上がってからは食堂がありましたから、私は料理というものができません。
なんだかお腹が空いてきてしまいました。
朝食はいただいてから王宮を出てきましたが、もうそろそろお昼になるのを太陽が告げています。
「…………」
少し迷いましたが、まずは北の騎士寮を目指しました。
「あ、あのお」
入り口の2人の門兵さんに声をかけると彼らは私の上着を見てニヤリと笑いました。
その視線の温度はやはり普通です。
ごく普通の一般市民を見る目です。
「お、どこの色男の
「すけ?」
どういう意味でしょう。
「ずいぶん、純朴そうなお嬢ちゃんだな、こんな子引っかけるなんて、どこの誰……って」
騎士の制服の胸元に目を留めると、彼らの表情がこわばりました。
「え、騎士殿下?」
どうやらこれがラッセル殿下のものだと分かる何かがついていたようです。
私は騎士の制服には詳しくないので、どれなのかは分かりません。
「おいおい、あの堅物騎士殿下の!?」
こわばりは一瞬ですぐに彼らの声は囃し立てるような調子になりました。
「あいつ、どんな顔して女を口説くんだ?」
「お嬢ちゃん、見た目のわりにしたたかだねえ。騎士の中でも騎士殿下を捕まえるなんて! 玉の輿じゃないか」
女を口説く。
どうやら何か壮大な勘違いをされているようです。
私はともかくラッセル殿下が勘違いされているのは看過できません。
「い、いえ、私、あの、薄着で困っているところを助けてもらっただけなのです。ラッセル殿下にお返ししたいのですが、取り次いでいただけますか?」
「ふーん? まあ、待ってな!」
門兵さんの若い方が寮の敷地の中に駆け込んでいきました。
「お嬢ちゃん、名前は?」
残ったもう一人、年齢は40くらいでしょうか。
おじさんと言っても問題ないくらいの門兵さんが私にそう聞いてきました。
「……カレン、です」
「カレンちゃん、騎士殿下とは本当に何もないのか?」
「はい、ただの、通りすがりです」
こちらは一方的に存在を知ってはいましたが、ラッセル殿下は私のことなど覚えてはいらっしゃらないでしょう。
「連れてきました!」
「おう」
門兵さんが戻ってきて、その後ろにはシャツ姿のラッセル殿下がいらっしゃいます。
「早かったな」
なんとも感情の読めない顔でラッセル殿下がそうおっしゃいました。
相変わらず視線の温度は普通です。好きも嫌いももなく、ただ淡々と私に接しておいでです。
「は、はい」
そう返して、私は慌てて制服を脱ぎます。
「ありがとうございました」
制服を手渡し頭を下げます。
「それでは失礼します」
「ああ」
「おいおい」
おじさんの方の門兵さんが口を挟みました。
「それでお別れとは味気ないんじゃないか、騎士殿下。せっかくだしカレンちゃんとデートでもしていかれては? 昼から非番でしょう」
「騎士殿下はやめてください、先輩。それに、自分と彼女はそういうのでは……」
「ちょうどお昼だし、カレンちゃん? もお腹減ったでしょ」
若い方の門兵さんもニヤニヤしながらそう言いました。
「いえ、私は……」
ぐー。
私のお腹は、とても空気の読めないお腹でした。
私は顔を真っ赤にしながら、お腹を押さえました。
「……カレン、カレン?」
ラッセル殿下は私のお腹の音を無視して、私の名前を繰り返しました。
「まさか、聖女カレンか?」
「う、はい……」
「聖女?」
門兵さんたちが首をかしげます。
聖女は普通王宮の神殿から出てきません。
外にいる聖女なんてあり得ません。
「……分かった、昼を取ろう」
ラッセル殿下は門の外に出てきました。
「俺の行きつけの店で構わないか?」
「は、はい。あ、でも、私、お金があんまりないのです」
「奢る」
淡々とそう言われては拒絶する理由がありません。
今後、生きていく上で奢ってもらえる機会では存分に奢られるべきです。
殿下がスタスタと歩いて行ってしまうので、私は門兵さんたちに頭を下げてから、彼についていきました。
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