追放された聖女はお見合い斡旋所に再就職します

狭倉朏

01 追放聖女と騎士殿下

 聖女カレンと申します。

 私は人が人に向けている視線に温度を見ることができます。

 嫌悪する者へ向ける視線は冷たく感じ、好意ある者へ向ける視線は温かく感じるのです。


 これを私は当たり前と思って生きてきましたが、そうではないということを、幼い頃に知りました。


 かつて王妃殿下に向けられていた冷たい視線を暗殺者のものと見抜いた手腕を評価され、私は聖女として王宮に上がりました。

 私は10歳の頃から国王陛下に請われて、この力で人の持つ好悪の感情――好き嫌いを見抜いてきました。


 あの者はおべんちゃらばかりで本心では陛下を嫌悪しています。

 あの者は口下手なだけで本心では陛下のことを好ましく思っています。


 陛下に求められるままに陛下への好悪をお伝えし、陛下はそれを聞いて、臣下に采配を振るわれました。

 最初は陛下をお守りするためでした。すべては陛下のためでした。


 聖女に与えられた力は王族をお守りする力。

 その言い伝えを信じて私は力を使い続けました。

 感情をつかさどる女神アフェクトス様からいただいたこの力を。


 しかし、私の言葉が政治に介入するのは、あまり褒められたことではなかったのです。

 陛下のことをどう思っているかは政治の判断を左右すべきことではなかった。

 私は、そして陛下も、彼らが国のことをどう思っているかで判別するべきだったのです。


 陛下を嫌っていると中央から遠ざけられた臣下がかねてから進言していた外交問題が起こりました。

 陛下を慕っていると申し上げた臣下による国家予算の横領が発覚しました。


 人からの好悪を見る目だけでは、政治というものは立ちゆかなかったのです。


 陛下を嫌っていたとしても、その忠告が正しいということはある。

 陛下を好いていたとしても、その行いが間違っているということはある。


 幼く無知な私は、知らなかった。

 私はただあの時のように、王妃様をお守りした時のように、陛下のお役にも立ちたいだけだった。

 そのためには、私は本物の冷たい目だけをお伝えするべきだった。


 だから、陛下にそれ・・を指摘したときには、もう私の評判は地に落ちていた。

 陛下の愛妾のクラリス様が陛下に向けている目が不穏になってきている、と私は申し上げました。


 あれはあの日に見たものと同じでした。

 人を殺そうとしている人の目でした。

 凍てつく氷で心臓を刺し潰そうとするかのような目でした。

 クラリス様は憎悪を持って陛下の暗殺を目論んでいる。

 それに気付いたのです。


 ……しかし、陛下は、信じてくださらなかった。


 私の力にすべてを任せて、失政をした陛下はもう私の言葉に聞く耳を持たなかった。


 陛下は私を疎まれました。

 愛妾にうつつを抜かすことを責める他の臣下と同じように扱われた。


 そうしている内に、気付いたら、王宮で私に向けられる目は次第に、冷たくなっていきました。


「聖女カレンが王に吹き込んだ言葉で、失政が相次いだ」


 皆がそう思うようになっていました。


 ああ、まるで幼い頃みたい。

 親に捨てられて、たった一人で生きていかなければいけなくなったあの頃。


 薄汚れた金の髪、陰鬱な緑の目、虫がたかって、嫌なにおいのする私は、世間の人々の嫌悪の対象でした。

 そんな存在に気付けば私は逆戻りしてしまっていた。


 あの薄汚い路地裏とはほど遠い、このきらびやかな王宮で。


「聖女カレン」


 玉座の間、重臣居並ぶその場所で、私は王の前にひざまずきます。

 かつて幼い私に、穏やかで春の陽だまりのような視線を向けてくださっていた陛下は、もういません。

 冬の凍てつくような寒風が私の体に吹き付けるような視線。


 私はブルリと体を震わせながら、陛下の前にこうべを垂れます。


「お前を王宮から追放する」


「はい……陛下」


「お前の讒言ざんげんでこの国は荒廃するところであった。その罪は重い」


「はい……」


 それについては返す言葉もありません。

 木を見て森を見ないような私の振る舞いは愚かでした。

 だけど、だけど、陛下。クラリス様に関することだけは信じて欲しかった。


 もう、遅いのだろうけれど。


「その服を脱ぎ捨て、市井に戻るがいい。命まで取らぬことに感謝するのだな」


「お世話になりました」


 そう言って私は立ち上がり、神官服を脱ぎました。

 その下は薄手のワンピース一枚。

 ただでさえ、人々の視線が突き刺さるこの場で、私の体は凍えました。


 神官服を脱ぎ捨てたことで、あらわになった私の胸元には、古傷が浮かんでいます。

 それはかつて王妃様を庇ってついた傷でした。


 ただ一筋の視線だけが、私に熱波を送ってくれています。

 王妃様が労りの表情で私を見ていました。

 身寄りのない私に母のように優しく厳しく接してくれた王妃様。


 かつて慈善事業のために路地裏を訪れた王妃様。薄汚い私の頭を初めて撫でてくれた方。

 そこを狙って現れた暗殺者の目に、私は王妃様への悪意を見、彼女を庇いました。

 そうして私は本物の力を持つ聖女として、同じくかつて聖女であった王妃様に取り立てていただくことになったのです。


 何かを言いたそうに王妃様の口が動きかけたのを、私は背中を見せることで遮りました。

 結局、王妃様は口をつぐまれました。


 王妃様にもクラリス様のことは告げてあります。

 いずれ良きに計らってくださるでしょう。


 私はとぼとぼと王宮の外に向かいました。


 荷物はあまりに少なかった。

 思えば王宮に暮らすのに満足して、財を蓄えるどころか、ろくにお給金もいただいていませんでした。


 こうして10歳の時から8年間、住み慣れた王宮から私は出て行くことになりました。




 豪華な玄関と王宮の門をくぐり抜ければ、賑やかな街が広がっています。

 さて、これからどう生きていけば良いのでしょう。


 幼い頃のように盗みで命を繋ぐようなことは、もうしたくありません。


 かといって追放された元聖女を雇ってくれるようなところなど、あるのでしょうか。


 とにかくうつむいて、街を歩きます。

 こうすれば人の目など気にしなくて済みます。

 私の目などもう要らないのです。

 薄手のワンピースの女が元聖女だなんて、誰も思いもしないでしょう。

 私は普通に街を歩いています。


「昼間からこんなところで客探しなんて……」


 だけど、そういう声が漏れ聞こえました。


 ああ、私、商売女に見えているのですね。

 こんな胸元を露出した服装をしていたら、そうなりますね。

 これはいけない。

 まずはちゃんと服を買わなければいけません。


 そう思って行動に移すより先に、下卑た顔の男が私に近付いてきました。

 いかにも成金と言った宝飾品に身を包んだ男。

 しかし貴族ではありません。

 貴族なら街を一人で出歩いたりはしませんから。


「いくら?」


 ニヤニヤと下卑た男が私の顔を見、そして体をねっとりと舐め回すように見ます。


 ああ、いやだ。


 この方からは温度は感じません。

 そこには私への好きも嫌いもありません。

 でも、私は厭だと思いました。


「ほら、いくらだって聞いてるんだ」


 男はそう言ってポケットから札束を取り出しました。

 正直言ってお金は喉から手が出るほどほしいです。

 でも、そういうことをして稼ぎたいとはまだ思えません。


「あの、私、そういうのではなくて……」


「客を選ぶのか?」


「そうではなくて……」


「昼間から何をしている」


 凛とした声が、私達の間に割り込みました。


 振り返れば漆黒の騎士の制服を着た方がこちらを見ていました。

 黒い髪に黒い目、実直そうな顔をした精悍な騎士でした。


 私と男、どちらにも厳しい目を向けています。

 でも冷たい感じはしません。

 あくまで職務を遂行しているのでしょう。


 それにしても、この方の顔、どこかで見たことがあるような……。


「ちっ」


 男は舌打ちをして、さっさと去って行きました。


「あ、ありがとうございます」


「何がありがとうだ。今、何時だと思っている。それにここいらは元から営業禁止だ。客引きならあっちの花街へ行け」


 声はとても冷たいのですが、やっぱりこの方の視線は冷たくありません。

 感情を抜きに粛々と業務を遂行されているようです。

 立派な騎士さんですね。


「あ、あの、私、そういうお仕事をしているわけではなくて……」


「……そうなのか?」


 騎士が私の服装を見て、怪訝そうな顔をします。

 その目が胸元の傷に気付き、少しだけ温かくなりました。

 傷を見て冷たい目をする人はたくさんいましたが、温かい目をする人は王妃様の他にはこの方が初めてでした。


「……なら、そんな格好でうろつくものじゃない」


 そう言って騎士は私に上着を掛けてくださいました。


「ありがとうございます……」


 私は上着の合わせをぎゅっと握り締めました。


「おーい、何してるんだ騎士殿下、ナンパ?」


「その呼び方をやめろ」


 騎士の同僚らしき方が、騎士に声をかけました。

 騎士は振り返って、そちらに寄っていきました。


「あ、あの、上着」


「返すつもりがあるなら、町の北の騎士寮に来い……騎士殿下で通じるから呼び出すか、預けろ。それまでに服を用意しておけ」


「あ、ありがとうございます」


 頭を下げている間に、彼は立ち去ってしまいました。


 騎士殿下……。殿下とは王族にのみ付けられる敬称です。

 あの方も王族なのでしょうか、私は記憶をたどります。


「あ、ああ、そうだわ」


 第三王子ラッセル殿下が、騎士としての任に就かれていたはずです。

 昔、王宮でお目にかかったこともありました。

 見覚えがある、そう感じたのはそのせいでしょう。


「ラッセル殿下……」


 私はその名前をポツリと呟いて、制服をぎゅっと握り締めました。

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