41 成就

「ただいま、戻りました、王妃様」


 血をなんとか落とした王宮の中をくぐり抜け、私たちは王妃様の部屋へ戻りました。


「私はもう王妃ではありませんよ」


 苦笑とともに王妃様はそう返されました。


「えーっと」


「王太后様」


 困っている私に、ラッセル様がそう囁いてくれました。

 慣れない呼び名ですね。


「ああ、まったく、やることがたくさんあります……まずはさっさとオーガスト陛下の結婚……それにベンジャミンを立太子……」


 王太后様は遠い目をしました。


「そしてカレン、あなたの聖女復権」


「わ、私ですか……」


 私は困ってしまいました。

 私は聖女に戻りたいのでしょうか?


 聖女を追われたのは不名誉なことです。

 私の名誉を回復するためには聖女復権は不可避でしょう。


 しかしそもそも私は名誉にも聖女にもそこまで固執していません。

 今の『お見合い斡旋所』のお仕事にやり甲斐を感じてます。


「あ、あの」


 やっぱりお断りしようかと、声を上げた私を他ならぬラッセル様が留めました。


「カレン、お前には聖女に戻ってもらわないと困る」


「え……」


 ラッセル様が一番分かってくださってると思ってましたし、一度は受け入れてくれたはずです。

 私が今、幸せだということを。

 違ったのでしょうか。勘違いだったのでしょうか。

 私はラッセル様を見上げます。


 ラッセル様は、また私から目をそらしていました。

 あの日の熱い視線だけが私のよりどころです。


「そういうわけだから。では、職務があるので失礼する」


 そう言うとラッセル様はスタスタとお部屋を出て行ってしまいました。

 そういうわけと言われてもなんの説明にもなっていません。


 人員がボロボロになった王宮騎士団には北の騎士団が応援で入っているそうです。

 ラッセル様も忙しいのでしょう。

 でも……。


「ラッセル、様」


 私の胸は痛みました。


 そんな私達に、王太后様がため息をつきました。




 クラリス様はこのままいけば死罪は免れないそうです。

 お家もろとも、でしょう。

 牢での彼女の振る舞いを思い出します。恨み言を思い出します。クラリス様のお心はもしかしたらお家が潰れることこそを望んでいたのかもしれません。


 そして私の傷もある程度回復し、いったん『腹ぺこ亭』に帰らせてもらえることになりました。


 北の騎士団から何人かが護衛についてくれました。


「カレンちゃん!」


『腹ぺこ亭』に戻ると、女将さんが私をギュッと抱きしめてくれました。

 旦那さんもスティーブンさんもその後ろでポロポロ泣いています。

 帰ってきました。我が家に。

 そうです。ここが私の家です。

 気付けば私の目からも涙が落ちていました。

 涙なんて、いつ以来でしょう。いえ、もしかしたら初めてかもしれません。

 泣くことが、私にこれまであったでしょうか。




 そしてさらに数日後、『腹ぺこ亭』にラッセル様がいらっしゃいました。

 なんだかとっても久しぶりな気がします。


 私達はテーブル席で向かい合いました。


 ラッセル様は私を見ました。

 体が燃え上がってしまいそうなくらい熱く私を見つめています。

 そして彼は口を開きました。


「聖女になってくれ、カレン」


「わ、私は……」


 反論をしたかった。

 私はここにいたい。そう言いたかった。

 でもあまりにもラッセル様が真剣だから、何も言えなかった。


 だから、私はうつむきました。


「そうしないと……そうしないと君と結婚できない」


「…………?」


 私は何も言えずに、沈黙とともにラッセル様を見上げます。

 ラッセル様は遠くを見ています。


「貴族の娘ではないものと、王族が結婚しようと思ったら、聖女にするしか……」


「あ、あの、ラッセル様」


「身勝手な欲望なのは分かっているつもりだ。しかし……」


「あのラッセル様は、あの、私と結婚したいのですか……?」


「えっ」


 ラッセル様が困ったようにそう言って私を見ました。

 燃えカスになってしまいそうな熱さが私を貫きます。


「……一度、俺は君に求愛したつもりだったが?」


「え、ええ、お気持ちはもちろん熱いほど分かりますし、お断りもしました」


「……状況も変わったし、心変わりしてくれやしないかと……」


「……心変わり」


 するも何も私はラッセル様のことはずっと好きです。


「……それに、わ、私なんかとまさか結婚だなんて……」


「君なんか!?」


 ラッセル様はガタッと立ち上がられました。


「君より他に、この俺が愛し、ともに歩みたいと思える人間などいるものか!」


「ら、ラッセル様……」


「愛している。ずっと共にいてほしい。結婚してくれ、カレン」


「あ……」


 ラッセル様の真っ直ぐな言葉に、私は言葉を失います。

 ラッセル様の燃えるような目に、私は釘付けになります。

 熱くて水でもかぶりたくなるほどのそれを私は受け続け、顔が真っ赤になってるのが分かります。


「えっと……でも、私……私ただ聖女なだけで……その力で結局、陛下も守れずに……私には、その、何も……」


「そんなことを理由に君を好きになったんじゃない」


 ああ、熱い。熱いです、ラッセル様。


「一緒にハンバーグを食べるのが、一緒に街を歩くのが、一緒に時を刻むのがただ楽しいんだ。それだけなんだ、カレン」


「ら、ラッセル様……でも、その、私なんて、体、胸にもお腹にも傷が残ってて醜くて……」


「母を守るためについた傷を醜いなどと吐き捨てられるものか!」


 ラッセル様は怒鳴りました。


「ああ、すまない。別に怒りたいわけではないんだ……」


 ラッセル様は困ったように言いました。


「……君にはいい加減、自分自身を許してあげてほしい」


「私を、許す……」


「あの日、王宮で兄を救い、母を救い、俺を助けてくれた君は聖女だったよ、間違いなく」


「……聖女」


 私が本当はなりたかったもの。

 王妃様のために勤め上げたかったもの。


「カレン、なあ、カレン、君は俺をどう思ってる? 俺達には……分からないから……」


 もどかしい。この思いが口にしなければ伝わらないなんて。

 口にしても伝わるかどうか分からないなんて。


 私があなたをどう思っているかなんて、そんなのずいぶんと前から、決まりきっています。

 それを言ってもいいと、自分を許せる日がくるなんて。


「好き、です。大好きです。あなたが、ラッセル様が好き……」


「ありがとう」


 そう言うとラッセル様は席を立ちました。

 テーブルを回って私のもとへ近付いてきます。


 心臓が高鳴ります。

 ラッセル様は私をきつく抱きしめました。


 私の手は置き場に惑います。

 私の体はたくましいラッセル様にすっぽりと覆われています。


 そして、ラッセル様は私の顎を持ち上げました。

 心臓の高鳴りがうるさいくらい。

 そして息は苦しいです。


「好きだ」


 その言葉とともに私の唇にラッセル様の唇が触れました。

 息ができません。息の仕方を忘れたみたいです。

 苦しい、意識が飛びそう。


 くらりと体が揺れます。

 ラッセル様は私の様子に目ざとく気付き、触れている口からぐっと息を送り込まれました。


「はあ……はあ……」


 口付けが終わり、私は思いっきり肩で息をします。


「ははは」


 ラッセル様はというと私の姿に笑っています。

 ひどいです。


「も、もう!」


 それ以上にどう怒りをあらわにすればいいのか、私は分からなくてただラッセル様を睨みました。


「いやゴメン、これじゃあキスというより人工呼吸だ、ははは」


「…………」


「おっと」


 私の顔が段々と不機嫌になっていくのに、気付かれたのか、ラッセル様は苦笑いをしました。


「すまない」


 そしてもう一度、私の顔に顔を近付けられました。


 今度こそ、私達はキスをした。

 長く永遠に思えるようなキスを。


「結婚しよう、カレン。大丈夫、その後は君が君のやりたいことをやれるように、全力で取り計らうさ」


「……はい、私、結婚します、ラッセル様」


 王都北区の『お見合い斡旋所』でまた新しく一組のカップルが誕生しました。


 それをこっそり女将さんと旦那さんとスティーブンさんは見守ってくれていました。

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