終章

35 あふれる殺意

「……それを知って尚、ふたりきりになったのかい」


「はい。ふたりきりで話をすべきことだと思ったので」


 私は怯まず、自分に向けられている凍えるような視線に向かい合いました。


「……人が、どれほど他人の感情に詳しいのか、私には分かりません。でも、あなたには分かったのですね、ラッセル殿下のお気持ちが」


「……君には分からないかもしれないが、あんなの一目瞭然だよ。気付かなかった人間はいないだろうさ」


 思い返せば、ケイトさんも私のことをラッセル殿下の好きな人間だと称していました。

 そんなに分かりやすいのですね、他人から見ても。


「……というわけで今日は危険人物に契約破棄を言い渡しに参ったことにします」


「うん、そうしよう。……おとなしくそこら辺の貴族と結婚するさ。……まあ、君が私をラッセル殿下に差し出せば結婚がどうこう言っている場合ではなくなるがね」


「差し出しませんよ」


「ふうん」


「突発的なことだったと思います。それで本物の殺し屋を雇えてしまうのにはぞっとしますが。それに……自分に向けられている悪意には、慣れました」


 私は笑いました。慣れてしまった自分に笑いました。


「だから、見逃します」


「……父の前妻を殺したのも私だとしても?」


「…………」


 思いがけない一言です。

 ああ、この人の良さそうな人はどれだけの血を流してここにいるのでしょう?

 しかし、それを裁くのも暴くのも私の仕事ではないのです。

 たとえ、この人自身が裁きを欲していたとしてもです。


「……証拠がありませんから。でも、あなたの思いが歪んで暴走して、ラッセル殿下に向くようなら、私の方針は変わります」


「そうかい……お茶飲まないのかい?」


 目の前で温度をなくしていくお茶。

 私は視線を落とします。はたしてこれは、どちらでしょう。


「……いただきます」


 私はそれを飲み干しました。


「怯えないのだね。毒でも入っているのではないかとは思わないのだね」


「……あなたはあの方にバレるような殺し方はできないでしょう」


「……そう、だろうね」


 伯爵の息子さんは悲しげに笑いました。


「それでは失礼いたします」


「うん、ご足労ありがとう」




「お待たせしましたー」


 私は一人で部屋を出ました。

 ラッセル殿下が迎えてくれます。


「……ああ、どうだ? 首尾良くいったか?」


「失敗しちゃいました。伯爵の息子さんとしては受けようと思えない縁談だったみたいです!」


「そうか、残念だったな。まあ、次があるさ。じゃあ、帰ろうか」


「はい!」


 伯爵家を出ます。




 外が何だか騒然としていました。


「……何が起こってるんだ!?」


「騎士団を呼んだ方が……!」


「あ! 騎士殿下だ! 騎士殿下! 王宮が……!」


「…………?」


 ラッセル殿下と一緒に王宮を見つめます。


 王宮には普段から、垂れ幕がかかっています。

 そこには国旗と王旗が描かれているのです。


 王旗とは今の国王陛下の旗です。

 国王陛下独自の紋章が描かれた垂れ幕です。


 その王旗の上に白い布がかかっています。

 王旗に黒い布がかかるとき、それは国王陛下が身罷みまかられたときだそうです。


 しかし、今日、お城の王旗には白い布がかかっています。


「白い布……?」


 意味が分かりません。初めて見ました。

 しかし王旗を隠すなんて不敬なのは間違いないです。

 何かが起こっているのは間違いありません。


「一体何が……」


「ラッセル殿下、あれは……?」


「……先を、いかれた」


 ラッセル殿下は呻くようにそうおっしゃいました。


「先……」


 ラッセル殿下の計画。国王陛下を廃して、第一王子殿下を即位させる。

 それの先。

 それはすなわち。


「ま、まさか国王陛下に何か……!?」


「……オリバー! 北の騎士寮に早馬を! 『腹ぺこ亭』にも寄って、ホークヤードと合流!」


「はい!」


 ラッセル殿下が指示を出した直後、王宮からフラフラと人が出てきました。


「あっ……」


 血だらけ傷だらけ。足元のおぼつかないその人は、怯えた目をしていました。

 制服からして文官でしょう。まだお若いです。ラッセル殿下と同じくらいの年齢でしょうか。


 そして彼は私達を見つけました。


「……ラッセル殿下、カレン様!」


 私のこともご存知のようです。

 しかし王宮の方なら、私に悪感情を持っていてもおかしくないのですが、その方からは冷たさを感じません。


「ヨーゼフ!」


 ラッセル殿下が声を上げます。

 お知り合いのようです。

 ヨーゼフさんに向かって駆けていきます。


「カレンちゃん?」


「あの人、カレンちゃんのことカレン様って呼んだ?」


 街の人々がきょとんとされていますが、それにかかずらっている暇はありません。


 ラッセル殿下が駆け寄ると、その方はぐらりと倒れ込みました。

 ラッセル殿下と騎士様がその方を支えます。


 街の方々も近寄ってきて、一緒に支えています。

 とにかく付近の家の軒先に彼を寝かせます。


「医者先生を呼んでくる!」


 一人の方が走り去っていきます。


「ラッセル殿下! ゴホッ」


 ヨーゼフさんが咳き込みます。


「無理をするな、ヨーゼフ」


「いえ、お伝えしなくては……国王陛下が、暗殺されました」


「え……」


 呆然としました。しかし、すぐに私の脳裏にある方の顔が浮かびます。

 クラリス様。陛下の愛妾のクラリス様。中級貴族のお嬢さま。

 いつの間にか凍てつく目で陛下を見るようになったクラリス様。


「……お、王妃様は」


 私の口から漏れていたのは、その一言でした。

 薄情な話ですが、私は陛下より王妃殿下の方が心配なのです。


「……分かりません。王妃殿下も、第一王子殿下も、第二王子殿下も、分からないのです……!」


「…………」


 私が固まっていると、馬の大群の足音が聞こえてきました。


 北の騎士団の到着でした。

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